~第十三話~真実の欠片
一年ぶりの投稿です。
申し訳ありません。
これからまた連載していきますのでよろしくお願いします。
とりあえず言い訳は後書きで。
では、第13話、どうぞ。
side 一刀
「お前さぁ……馬鹿だろ?」
「くっ……」
呆れた表情を浮かべる士陽に、俺は何も言い返せない。
賈駆達と一悶着を起こした後、俺はすぐ士陽と合流した。
目的は当然、これからのことに関して話し合うためだ。
「んなこと言ったって仕方ねぇだろ? あそこまで馬鹿にされたら、流石に俺だってキレるさ」
「ほぉ? キレた結果、俺にまで迷惑が掛かりそうなのに、仕方ないと?」
「…………悪かったよ」
俺はそう言って、小さく溜息をつく。
まあ、一番悪いのは俺だからな。
そこは認めないと……。
「ハァ……。まあ、お前がキレるってことは、その賈駆って奴はよっぽど失礼な奴なんだろう。加えて、俺がお前を責めたところで、今更どうこうなる問題じゃねぇし……。つーか、お前のことだ、対策くらい考えてるだろ?」
「まあ、一応」
士陽の言葉に、俺はコクリと頷く。
「どうやら、俺は相当警戒されてるらしい。加えて、俺、張遼に喧嘩売ったから、尚更賈駆の奴は俺を警戒するだろうな? そこでだ、俺は敢えて目立ちまくろうと思う」
「は? どういうことだよ? 目立ったら、お前が城内で動けねぇだろうが?」
「ああ、“俺”は動きづらくなるだろうな?」
俺はそういうと、ニヤリと笑った。
俺の表情に、士陽は苦い表情を浮かべる。
「おい、待て。お前……まさか……」
「おう、そのまさかだ。俺の代わりに、城内で諜報活動をしてくれ」
「ふざけんな!」
俺の言葉に、士陽はそう言い放つ。
「お前、そんな面倒な仕事を俺に押し付けんじゃねぇ!」
「頼むよ! 俺だって本当はこんなことお前に言いたくねぇんだ!」
心底嫌そうな表情を浮かべる士陽に、俺は手をあわせて頼みこむ。
「ハァ……。ったく、仕方ねぇな……。お前、後で何か奢れよ?」
大きく溜息をつきながらそう言う士陽に、俺は歓声を上げる。
「さっすが! 奢る奢る!」
「ったく、めんどくせぇことになったもんだぜ……」
諦めた表情の士陽を見ながら、俺は胸をなで下ろした。
とりあえず、これで諜報活動自体に滞りはなくなる。
それどころか、俺が目立てば目立つ程、士陽が動き易くなる。
最初からこうした方が良かったかもな……。
そう思いながら、俺は明日からどう動くか、思案するのだった。
士陽と話し合ってから、三日が過ぎた。
今日は賈駆と約束した最後の日。
俺はいつも通り、賈駆に渡された大量の竹簡を帳簿庫に運んでいた。
まあ、当然の如く、それに賈駆もついてくる訳だが……。
「………………」
この三日間、賈駆とはほとんど言葉を交わしていない。
賈駆自身、相当俺のことを警戒してるから、仕方ないとは言え、いくら何でも気まず過ぎる。
まあ、気まずくなる要因を俺が作っているのも事実だけど……。
あの悶着の後から、俺は千代桜を帯刀するようになった。
もちろん、目立つためだ。
ちなみに、何進にも今回の作戦を説明した。
最初は難色を示すかと思ったけど、意外や意外、士陽の存在を話すと、すんなりそのことに理解を示した。
やっぱ、何進は馬鹿じゃない。
確かに、戦や政は下手だが、こと政争に関しては有能だと言える。
でも、よく考えてみれば、そりゃあそうだろうな……。
いくら何皇后の恩恵があるとは言え、大将軍の地位まで登り詰めるという偉業、馬鹿では出来ない。
恐らく、これまでも幾度となく政争を繰り返してきたのだろう。
ただ、それにしちゃあ味方が少な過ぎる。
まあ、そこに関しては、何進の人格に問題があるのかもしれないけど……おかげで俺達はそこに付け入ることが出来たからなぁ。
更に人格まで求めることは、贅沢ってもんだ。
早速士陽も動き出してるようだし、俺はとにかく、賈駆達の注意を惹けば良い。
そう思いながら、俺は書棚に竹簡を置いた。
「ふぅ……。これで終わりだな?」
「……うん」
俺の言葉に、ある程度距離を置きながらそう答える賈駆。
うーん……こういう状況だから、警戒されるのは良いんだけど、こうも極端に警戒されると、必要なコミュニケーションも取りづらいなぁ……。
まあ、千代桜を帯刀してることが、かなり効いてるんだろう。
それに、最近は俺を監視する細作までついてるみたいだし、狙い通りと言えば狙い通りか。
「じゃ、俺はもう行くけど、何かある?」
「………………」
気を使ってそう尋ねてみるが、賈駆は沈黙しか返さない。
ったく……最後の最後まで失礼な奴だな?
礼の一つや二つ、あっても罰は当たらないだろうに。
まあ、これで約束は果たした訳だし、文句はないだろう。
そう思い、帳簿庫から出ようとしたその時、
「……待ちなさいよ」
賈駆がポツリとそう呟く。
「……何だ?」
俺は振り返り、そう返す。
「アンタ……何で帯刀してる訳?」
真剣な表情でそう尋ねる賈駆。
ふむ……やっぱそれを聞いてくるか。
どう答える?
下手に挑発的なことを言っても、無駄な争いを生むだけだし……。
どうすれば、上手い具合に注目を集められるだろう?
……そういえば、この間張遼に攻撃されたから、それを理由にすれば良いか?
「不本意ながら、張遼殿に喧嘩を売っちまったからな。次に会った時、ただで済むとは思えないし、もしその時が来たら、短刀だけじゃ心許ないだろ? まあ、戦わないに越したことはないけど……」
俺はそう言って、苦笑を浮かべた。
嘘ではないし、無難な答えなはずだ。
まあ、少しだけ、張遼と手合わせしてみたいと思ったりもしてるんだけどな……。
ただ、今は任務中だし、必要以上の余計な危険は、なるべく回避した方が良いだろう。
「……そう。時間を取って悪かったわね。じゃ、ボクは行くから」
そう言って、賈駆は足早に帳簿庫を出て行った。
えっ、それだけ?
何だ、今の質問は?
何の狙いで聞いてきた?
賈駆の思考が全く読めない。
「……まあ、俺の頭じゃ無理か」
そう呟いて、俺も帳簿庫を後にした。
side out
side 賈駆
「へぇ? アイツ、そないなこと言っとったんか?」
愉快そうに口角を上げる霞に、ボクは溜息をつきながら執務室の長椅子にドッと座り込んだ。
「何でちょっと嬉しそうな訳?」
「何でって……詠っち、愚問やで? アイツ、ウチと本気でやり合う気やん。そら、オモロなってくるやろ」
まるで、親から玩具を貰う子供のような表情を浮かべる霞。
さっきの話の、どこをどう取ればそういう解釈になるのだろうか?
まあ、霞の性格から考えて、強者との対決に心躍るって感じなんだろうけど……少なくとも今日だけは、余計な騒ぎを起こす訳にはいかない。
「ハァ……大人しくしててよ、霞? 確かにボクは、王允を“消す”選択も視野にいれてるけど、それはまだ確定事項じゃないのよ? むしろ、今アイツに何かあれば、何進が何をしてくるか、分かったもんじゃないわ」
「えー……」
「『えー』じゃないわよ……。今日は月が来るんだから。霞には月の護衛に回って貰うからね?」
やるにしたって、時期は慎重に選ぶ必要がある。
ましてや、今日は月が入城する。
今やらなければならないことは、月が無事ボク達と合流出来るようにすること。
月の安全だけは、絶対に死守しなければならないのだ。
「まあ、確かに月の身の安全が第一やしなぁ? とりあえず、ここは詠っちの言う通りにしとくわ」
苦笑を浮かべながらそう言う霞に、ボクはホッと一息つく。
やっぱり、霞は物分かりが良くて助かる。
これが華雄だったら、こうはいかない。
「ほんなら、ウチはそろそろ準備に取り掛かるで? あぁ、確認やけど、月が来るのは北門でエエんやったよな?」
「うん、それで良いわ。お願いね?」
「おう! 任せときー」
ニパッと笑みを浮かべると、霞は執務室を出て行った。
「………………ふぅ」
一人きりになった瞬間、ドッと疲労感が襲ってくる。
ここ最近、まともに寝てない所為かな……。
でも、疲れたなんて言ってられない。
月が洛陽に来る。
いつかはこうなると思ってたけど、まさかこんなに早い段階で来るハメになるなんて……。
元々、東中郎将として、車騎将軍の張温と共に黄巾賊の討伐を命じられていた訳だけども、これが予想以上に上手くいってしまった。
当初の予定では、張温に功績を譲って下野するつもりだったが、途中で張温が戦死したため、全ての功績が月に与えられ、前将軍の役職に任命されてしまった。
本来なら、部下として主の昇進を喜ぶところだが、月はそれを望んでいなかったし、この役職に就けば嫌がおうなしに朝廷内の政争に巻き込まれる。
ボクとしては、それだけは何とか避けたかった。
だからこそ、月に病を装ってもらい河東に残し、代わりにボクと霞が洛陽で仕事をすることになった訳だが……。
まさか、張譲の部下が河東に顔を出すとは思ってなかった。
いや……予想出来なかった訳ではないから、ボクの失態か……。
ギリッと奥歯を噛み締める。
どうしてこうも上手くいかないのか。
歯がゆさに、拳を机に打ち付ける。
ジワリと痛みが拳に伝わるが、今はそんなこと、どうでもいい。
とにかく、今は月の身の安全だけを考えなければ……。
そう思いながら、ボクは警備兵の配置を考えるのだった。
side out
side 一刀
「ご苦労だったな、王允。いや……今は私とお主だけだから、北郷と呼んだ方が良いか?」
「アハハ……どちらでも構いませんよ、閣下。何だか最近、王允の名にも慣れてしまいましたし……」
何進の言葉に、俺は苦笑を浮かべる。
「そうか? まあ良い。先程、早速陳登から新たに報告があったぞ?」
ほう?
そりゃ楽しみだな。
「今奴は新兵と偽って董卓軍に入り込んでいるらしくてな。奴曰く、今洛陽にいる董卓軍は推定八万。加えて、お前から聞いた情報が確かなら、今日董卓が洛陽に来る際にもっと増えることが予想されるだろう……」
難しい表情を浮かべながら、何進がそう言う。
八万か……。
もっといるかと思ったんだが……。
それにしても、士陽の奴、新兵のフリをして入り込むとか、やるなぁ。
今の俺の立場じゃ、まず新兵としても雇ってもらえないだろうから、入り込むとか不可能だ。
アイツ……細作に向いてるんじゃねぇか?
「意外そうな表情だな?」
「いえ、そういう訳では……。ただ、もっといてもおかしくないと思いまして……」
以前、帳簿庫で見た董卓軍の帳簿では、十万以上の規模が予想された。
にも拘わらず、八万ってどういうことだ?
俺の知る限り、恐らくこの後、張譲と結託して、董卓が朝廷の実権を掌握するはず。
今、この洛陽において、何進が動かせる兵の数は十万以上。
加えて、袁紹もこっちサイドにいるから、兵力は更に増す。
それくらい、賈駆は分かっているはずだ。
なのに何故?
…………駄目だ、分からん。
情報が足りな過ぎる。
義景とかなら、これしかない情報でも、正しい判断を下すことが出来るかもしれないけど、俺じゃ無理だ。
「ふむ……時に北郷、お主、董卓の面は見たことがあるか?」
「董卓の面……ですか? いえ、ありませんが……」
「実はな、今日董卓が北門から入城することが分かった」
「えっ、そうなんですか?」
「お主から今日董卓が来ると聞いて、私の方でも董卓軍に細作を放っていてな。どうやらそうらしい」
マジかよ。
すげぇな、何進の細作。
俺、全然分からなかったぞ?
「そこでだ、董卓の面を拝みに行かないか?」
「拝みに……ですか? しかし、恐らく厳重な警備体制を敷いているはず。そんな中、ただでさえ警戒されている私達が近付けるでしょうか?」
俺がそう尋ねると、何進はニヤリと笑った。
「何、問題ない。実はな、北門前の大通り沿いに、私が目をかけている飯店があるのだよ。そこの主人は私には逆らわん。その飯店の二階からなら、董卓軍の行軍もよく見えるはずだ。敵の面は、見ておいた方が良いだろう?」
そう言って、何進は得意げな表情を浮かべる。
……絶対その飯店から賄賂を貰ってるだろうな。
正直、そういう所とは関わりを持ちたくないんだけど……この際、仕方ないか。
別に、俺が賄賂を貰ってる訳じゃねぇし……本名と所属さえバレなきゃ大丈夫だろう。
「分かりました。では、それについては閣下にお任せ致します」
「うむ!」
俺の言葉に、何進は満足げに頷いた。
飯店に移動した俺達は、主人に案内され、二階の個室に通された。
その個室は、大通りに面しており、窓を開けると大通りが一望出来た。
「どうだ? 行けそうだろう?」
「そうですね。流石閣下でございます」
「そうだろう? ハッハッハッハッ!」
「アハハ……」
高らかに笑う何進に、俺は苦笑を浮かべる。
下を見ると、董卓軍の警備兵達がチラホラ見受けられる。
多分、敵になりそうな者がいたら、すぐにでもこの区域から追い出されるだろうな。
無論、それは俺達も例外ではない。
では何故、俺達は無事に飯店までたどり着いているのかと問われれば、それは、“隠し地下通路”を通ってきたから、としか言いようがない。
いやはや……まさかそんなものがあるとは思ってもみなかった。
最初、何進に地下通路を使うと言われた時は、本当にたまげたね……。
何進曰く、何進の執務室から、東西南北それぞれの大門前まで、地下通路が延びているらしい。
今回は、その内の北側の通路を使った訳だが……まさか、この飯店の主が、隠し通路の管理者の一人とはね……。
通路から出て、主からそこがすでに飯店の中だと聞いた時は、一瞬意味が分からなかった。
カラクリ屋敷かよ……。
「しかし閣下、あのような地下道、いつお造りになられたのです?」
「私は造っておらぬ。私が大将軍になった時には、すでにあったのだ。恐らく、先代の大将軍、いや、それ以上前に誰かが造ったのだろう。この飯店は古くからあるらしいからな。代々管理を引き受けていたようだ」
「ということは、他の門の付近にも、管理者が?」
「あぁ……。この洛陽において、幅を効かせている豪商達の存在を、お主は知っているか?」
「確か……官吏と手を結んで、城下町における商業の実権を握り、巨額の富を得ている商人がいると聞いたことはありますが……。まさか、彼らが?」
「あぁ。この飯店の主も、その内の一人だ。奴ら、私が大将軍に任命された当日に、私の下へ尋ねて来てな。その時に、私はあの通路の存在を知ったのだ」
昔を思い出すように、何進は窓の外を見つめる。
なるほど……。
だいたいの流れが見えてきたな。
この通路の存在を教える代わりに、自分達の店を優遇して貰おうって訳だ。
大将軍からすれば、自分の執務室への直通ルートが敵に知られたら一大事だ。
そのことを知った時、大将軍は、何とかして管理者達を抱き込みたいと思うはず。
結果、大将軍は管理者達を優遇するしかない……。
まったく……質の悪いシステムだ。
恐らく、何進以前の大将軍も、このシステムに翻弄されたんだろうな……。
つまり、このシステムがあったからこそ、管理者達は昔からずっと、豪商でいれたという訳か……。
やれやれ……いつの時代も、商人っていうのは逞しいものだ。
「まあ、私は何があっても洛陽から逃げるつもりはないがな」
そうポツリと呟く何進に、俺は視線を移す。
そういえば、この人はどうしてここまで成り上がることに熱を上げたんだろう?
思えば、俺は何進という人間のことを何も知らない。
今は二人きりだし、良い機会だ。
聞いてみようか。
「閣下、不躾な質問ですが、よろしいですか?」
「ん? 何だ、申してみよ」
キョトンとした表情を浮かべた何進は、俺に向き直る。
「ありがとうございます。では……どうして閣下は大将軍の道を目指されたのです? 失礼な話ですが……この大将軍という地位に就いた人間は、皆短命だというのは有名な話です」
「なのに、どうしてこの地位を目指したのか、と聞きたいのか?」
「はい……」
俺がそう答えると、何進は腕組みをして何かを考えているようだ。
しばらくして、何かを決めた表情を浮かべた何進が口を開いた。
「ふむ……まあ、お主は口も固いし、一応信用もしている。話してやっても良いか……」
「では……」
「まあ落ち着け。これを語るには、昔話を少しする必要がある」
「昔話……ですか?」
「ああ……。お主は、私と何皇后が昔はただの肉屋の娘だったことは知っているか?」
「一応は……」
そういえば、そうだったな。
俺の記憶が確かなら、何皇后が側室に入ってから、何進の躍進が始まったはず。
「私としては、一生肉屋でも良かった。あの時の生活に不満があった訳でもないしな? だが……私達の馬鹿親父はそうではなかったらしい。あろうことか、役人共に賄賂を繰り返し、自分の娘を皇帝に売ったのだ」
「売った? 皇帝陛下が直々に見染められたと聞きましたが?」
「フンッ……そんなもの、嘘に決まっておろう。だいたい、街にすら来たことがない陛下が、いつ肉屋の娘を見染めるというのだ?」
確かに……。
ってことは、何進の父親のごり押しで側室に入ったってことか。
何だか、何皇后も気の毒だなぁ……。
「まあ、それだけならまだ良かった。だが、私の想定外のことが起きてしまった」
「想定外?」
「ああ……。権力というものは人を変える。ここまで言えば、お主なら何が起きたか分かるだろう?」
「……そういうことですか」
宮廷に潜入してから聞いた話で、こんな話がある。
曰く、何皇后がご子息の弁皇子を後継にするため、宮廷内で色々と画策しているらしい。
その過程で、何皇后の指示によって消された者も何名かいるようだし……。
「アイツは、身の丈に合わない力を手にした所為で、変わってしまった。だが、皇后の権力など、元々アイツに扱いきれるはずがない。案の定、張譲共に良いように扱われている。このままでは、アイツは間違いなく張譲共に飼い殺される」
「……だからこそ、何皇后を守るためにここまで?」
「どんなに地位が高くなろうとも、アイツは私の妹だ。姉である私以外に、誰が妹を守ると言うのだ」
そう言って、何進は苦笑を浮かべる。
その表情は、いつもの険しい表情と違い、妹を思いやる姉の顔だった。
これが……何進の行動理念。
たったこれだけのために、命を懸けられるのか……。
いや、懸けられるな。
俺も、同じ立場ならそうした思う。
そんな妹は、今はもういないけど……。
そう思いながら、俺は窓の外に目を向ける。
もし、あの事故がなかったら、俺は……。
今でも忘れない。
父が、母が、妹が、一瞬にしてこの手から滑り落ちた、あの瞬間。
俺にとって一つの終わりであり、一つの始まりでもあった、あの事故。
あれから7年。
俺は、どう変われただろうか?
家族に誇れる、俺でいられているだろうか?
今はいない家族に、そっと胸の内で問い掛けるが、答える者はいなかった。
「……ハァ」
今考えることじゃなかったな。
そう思いながら、俺は小さく溜息をつく。
今やるべきことをしよう……。
暗くなった気持ちを振り払おうと心の中でそう独りごちて、俺は窓の下、大通りに目を向けた。
董卓軍の兵が通りに増えてきた。
恐らく、もうじきここを董卓が通る。
一体、どんな顔をしているんだろう?
俺の知ってる董卓は、ブヨブヨの体で、悪人面の董卓だけど……この世界の董卓は違うんだろうなぁ……。
桃香様を始め、三国志の有名武将はほぼ女性だし……。
多分、また女の子なんじゃないかな?
でもひょっとして、横綱級の体格を持った女の子だったりして……。
そんなことを考えていると、通りの兵達がざわめき始めた。
「来たか?」
そう言って、何進が目を細める。
通りの兵達は、真ん中を開け、両サイドに一列に並ぶ。
その様子から、もうじき董卓がここを通ることが想像出来る。
その時、馬に乗った賈駆と、彼女の護衛らしき兵が大門の前まで駆け、その場で止まる。
「董卓様がご到着なされた! 皆、周囲の警戒を怠るなよ!」
兵達の隊長らしき男が、そう叫びながら通りの真ん中を馬で駆ける。
「来たようです」
俺は何進にそう声をかけながら、通りを注視する。
すると、通りの先、大門がゆっくりと開き始めた。
それと同時に、この場に流れていた空気が変わる。
ピリピリとした緊張感が、兵達の表情から伝わってくる。
門が開ききると、張遼を先頭に隊列を組んだ大軍が、ゆっくりと道の真ん中を行進し始めた。
張遼の表情を見ると、険しい表情でせわしなく周囲に目を配っている。
門の外で董卓を出迎えたのは張遼か。
ってことは、ここを董卓が通るのは間違いなさそうだな。
元々、ハッタリじゃないかと半信半疑でここまで来た俺だが、張遼と賈駆がここまで出張ってるところを見て、董卓が来ることを確信する。
少し緊張しながら、様子をうかがっていると、賈駆が張遼の隣に馬をつけ、何かを話している。
恐らく、警備について確認し合っているのだろう。
しばらくすると賈駆は、張遼から離れ、大軍の奥へ馬を進める。
恐らく、董卓の下へ向かったのだろう。
そうこうしている内に、張遼が俺達の前を通り過ぎた。
そして次に、豪華な馬車と、目をギラつかせ、それを囲うように辺りを警戒する一団が現れる。
馬車の脇には、賈駆がついていることから、あれが董卓の乗る馬車だろう。
だが、それ以上に気になることが一つ。
馬車の前で警戒に当たる赤髪の少女が、尋常ならざる覇気を放っているのだ。
「閣下……あの赤髪の少女……何者ですか?」
思わず、俺は何進に尋ねる。
「ん? お主なら知っておると思っておったが……。あれがかの有名な“飛将軍”だよ」
「あれが……」
何進の言葉に、俺は納得する。
見た目は大人しそうな娘だが、あの覇気は“本物”だ。
もし俺が彼女と相対したら…………。
駄目だ。
瞬殺されるビジョンしか浮かばない……。
そう感じさせるだけの“モノ”を、彼女は放っている。
一騎当千の飛将軍、呂布 奉先。
俺の知ってる限り、三国史上、“最強”の名を冠する猛将。
だが、すぐ裏切ることでも有名だ。
果たして、この世界の呂布は、どうなんだろう?
見た感じ、人を裏切るような娘ではない気がするが……。
そう思っていると、隣に立つ何進が声を上げた。
「見えた……董卓だ!」
その声に反応して、俺は馬車の方へ視線を向けるが、ちょうど護衛兵が邪魔で見えない。
「……どこです?」
「あそこだ! こっちに来い!」
グイッと引っ張らっれ、俺は何進と同じ視点に立った。
だが……
「えっ…………?」
その顔を見て、俺は固まった。
「あれが董卓か……。どんな奴かと思っておったが、ただのガキじゃないか。あんな奴に、私は翻弄されておったのか! だいたい……」
隣で何進が不満をぶちまけているが、その声すら、今の俺には入って来ない。
そんな……馬鹿な………。
こんなこと……有り得ない……。
あって良いはずがない!
だって彼女は……俺が“見送った”んだぞ?
遺骨だって、俺が納骨したんだ。
忘れるはずがない。
心の奥底に沈めたはずの記憶が、グルグルと頭の中で再生される。
『お兄様、お母様が呼んでいますよ?』
それは、まだ俺がこの世界に来る前の記憶。
『お兄様、飛行機はどうやってお空を飛ぶのですか?』
それは、まだ俺がじいちゃんの下へ行く前の記憶。
『お兄様……雷が怖いです……』
それは、俺がまだ家族の温もりを感じていた頃の記憶。
『お兄様……大好きです!』
それは、まだ幼く、何の力もなかった俺が、初めて人を守りたいと思った頃の記憶。
そう……あれはもう、過去の出来事。
今更どうにもならないことのはずだ。
なのに……どうして、君が“そこ”にいるんだ……?
「優恵…………」
隣にいる何進にさえ聞こえない程、俺は小さくポツリとそう呟いた。
あれから、俺は宿舎に帰って来たようだが、どうやって帰って来たのか、正直あまり覚えていなかった。
唯一覚えているのは、顔色の悪くなった俺に、体調が悪いなら帰って休めと何進に言われて飯店を出たということだけだ。
部屋の周りを見回すともう暗く、窓から月明かりがさし込んでいる。
その様子から、どうやら寝台の上で数時間も呆けていたらしい。
まあ、それだけ俺にとってはショックな出来事だった訳で……。
だってそうだろ?
もう二度と会えないと思っていた妹が、よりにもよって董卓とうり二つだなんて……。
「訳分かんねぇよ……」
そう呟いて、ギリッと奥歯を噛み締める。
脳裏に浮かぶものは、“家族”との記憶。
楽しかったこと、嬉しかったこと、苦しかったこと、辛かったこと……もう振り返ることはないと思っていた、向こうでの記憶が甦る。
「クソッ……!」
俺は今、一時的とはいえ何進の部下だ。
ということは、俺は“あの”董卓と敵対することになる。
もし、何進に董卓を斬れと命じられたら俺は……彼女を斬ることになるのか?
冗談じゃない!
そんなこと、出来るか!
董卓が全く顔の知らない別人だったら話は別だが、実際問題、あれはどう見ても……
「優恵……だよなぁ」
髪の色こそ茶色から銀色に変わっているものの、あの顔はどう見ても俺の妹、北郷優恵その人だ。
まあ、まだ確かめた訳じゃないから、董卓が優恵かどうかなんて分からないけど、妹にうり二つの彼女を斬るなんて……俺には出来ない。
でも、だからと言って嫌だと言う訳にもいかない。
そんなことをすれば、間違いなく桃香様のお立場を悪くするだろう。
このままでは、俺は桃香様のお役に立つどころか、邪魔になってしまう。
「どうすりゃ良いってんだ……」
そう呟いて、思わず頭を抱えた。
俺の代わりに士陽が頑張ってくれてるってのに、俺はこんなザマ。
クソッ……なんて情けない……。
「ハァ……」
溜息をつきながら、俺は立ち上がる。
このまま座っていても、思考が纏まらない。
とりあえず、散歩がてら外の空気を吸いに行こう。
そう思いながら、俺は部屋を後にした。
洛陽の街の夜は未だ賑やかだ。
まだ太陽が落ちてそこまで時間が経っていないため、そこかしこの酒場からは賑やかな声が響く。
そんな中、俺の心は未だ靄が晴れないでいた。
「ハァ……」
これで何度目か分からないが、思わず溜息が洩れる。
思考も一向に纏まらず、どうすれば良いのか分からないまま、俺はフラフラと通りを歩く。
暗い気持ちのまま、俺はとある酒場に入り、そのままバーカウンターに似た席に座る。
「おじさん、強めのお酒、ある?」
「おう、ちょっと待ちな」
そう言って、店主は脇の棚から瓢箪を取り出し、
「あいよっ、お客さん!」
盃と一緒に、瓢箪を渡された。
良い笑顔だなぁ……。
こういう店は、居心地が良いもんだ。
ただ、今の俺はどこにいっても居心地は良くないだろうけど……。
一人感傷に浸りながら盃に酒を注ぐと、一気に呷る。
「んくっ……ふう……」
本当、俺って奴は情けない……。
とうとう酒に逃げてしまった。
まったく……何をしているんだ、俺は……。
自己嫌悪を感じながら、俺はまた溜息をつく。
その時、
「お隣、良いかしらん?」
野太い声が聞こえた。
声が聞こえた方へ振り向くと、
「んなっ!?」
そこには、お下げ揺らし微笑を浮かべる“筋肉達磨”がいた。
なっ、何だこの化け物は!?
何で女物の下着一枚しか着ていない!?
って言うか、何で周りの奴らは何も言わない!?
「どっ、どうぞ……」
その存在感に思わず圧倒されながら、俺は引き攣った笑みを浮かべる。
「んふふ……ありがとう」
朗らかに笑いながら、その男は俺の隣に座った。
とにかく、関わらないようにしよう。
何だか、碌なことがなさそうだ。
そう思っていると……
「貴方、さっきから溜息ばからついているのね? 何かお悩みでも?」
唐突にそう言って、絡んでくる。
マジかよ……。
こんな時に勘弁してくれ。
ただでさえ余裕がないってのに……。
「ハハハ……大した悩みじゃないですよ」
苦笑を浮かべながら、内心ではイラついていた。
あんなこと、一般人に話せる訳がない。
ましてや、こんな怪しさ満点の変態に話すつもりはない。
「あら、そうかしら? 貴方、かなり暗い顔をしていたわよ? この漢女に話せば、楽になるんじゃないかしらん?」
そう言って、いつの間に頼んだのか、手元に置いた盃を煽る。
「さあ、どうでしょうね……」
男の方へは振り向かず、適当に答える。
めんどくせぇ……。
絡んでくんなよ。
あっちに行け。
そう思いながら、盃に酒を注いでいると……
「話なら何でも聞くわよぉ? 例えば……“妹さん”の話とか……」
「……あ?」
聞き捨てならない単語が出てきた。
今、コイツは何て言った?
“妹さん”だと?
何でコイツが“その”ことを知っている!?
その時、
「っ!?」
俺は気付いた。
周りの音が“消えて”いる。
それどころか、周りにいた人達の動きが“止まって”いる。
馬鹿な!?
何だこれは!?
「ふふ……気付いたようね、北郷一刀さん?」
「くっ……!」
とっさにその場から飛び退き、腰に差した千代桜に手をかける。
何なんだ、コイツは!?
どうして俺の名を知っている!?
それも、“そっち”の名前を……。
「お前……何者だ?」
警戒しながら、俺はそう尋ねる。
「んもう! そんなに怖い顔をしないで頂戴」
「黙れ。質問に答えろ」
この異常な空間を気にする素振りがない段階で、この空間を作り出したのが誰かを語っているようなものだ。
そんな中、この男は俺が構えているにも拘わらず、特に気にした様子は見受けられない。
それどころか、困ったように苦笑を浮かべるだけだ。
別に余裕ってか?
ナメやがって……。
俺はいつでも抜刀できるよう、警戒を強める。
「私は貂蝉。通りすがりの漢女よん」
貂蝉だと?
貂蝉って“あの”貂蝉か?
どう見ても絶世の美女には見えない。
「ふざけてるのか?」
思わずそう言わざるを得ない。
だってそうだろ。
中国四大美女に含まれる貂蝉が、こんなボディービルダーのような男な訳がない。
「んもう! ふざけてなんかいないわよ! 絶世の美女と言われる私を捕まえといて、失礼しちゃうわねん」
そう言って、自称“絶世の美女”はプリプリと怒りだす。
きめぇ……。
頭に浮かぶ単語はこれのみである。
「……まあ良い。で、お前は一体何の目的で俺に近付いた? それも、わざわざ“妹”の話題を出して俺の気を引くような真似までしやがって……」
俺にとって重要なのは、董卓の情報をコイツが知っているか否かということだ。
いや、この思わせぶりな態度は、間違いなく“何か”を知っている。
問題は、コイツが俺をどうしたいのか、といったところか。
「目的ねぇ……。私としては、まず席に座り直して欲しいところね。これじゃ、腰を据えて話もできないわ」
苦笑を浮かべる貂蝉は、先程まで俺が座っていた椅子をポンポンと叩く。
「生憎、怪しい人の言うことは聞いちゃいけないと親から教わったものでね」
「随分と用心深いわね? 別に、貴方の命を狙いに来た訳じゃないのよ?」
「そうかい。んじゃ、この酒場の出入り口にいる“お仲間”に、出てくるよう言ってくれ。正直、気が気でないものでね」
俺がそう言うと、貂蝉は驚いた表情を浮かべた。
「……気付いてたの?」
「気付いてないと思ったか? だとしたら、ずいぶんナメられたものだな」
まあ、気付いたのはついさっきだけど……。
あれだけの気配を感じれば、流石に気付く。
尤も……わざと“気付かせた”可能性もある訳だが……。
「ふふっ……やっぱり“今回”は“今まで”とは違うみたいね?」
「…………は?」
心底愉快そうな笑みを浮かべる貂蝉に、俺は間抜けな声を上げた。
今回?
今まで?
どういう意味だ?
その言い方はまるで、“俺のことを知っている”ような言い方じゃないか。
まったく以って得体の知れない男を前にして、俺は額から冷や汗が流れる。
「卑弥呼、ご主人様がお呼びよん?」
「うむ……ここまで警戒されてなければ、もっと喜べたのだが……。まあ、仕方あるまい」
貂蝉の言葉に、そう返して店のドアを開けながら入ってくる大男が一人。
貂蝉と同じ類の変態である。
「………………」
もはや言葉も出ない。
一体コイツらは何なのか?
何故女物の下着を身につけているのか?
今の俺は、混乱が天元を突破し、頭の中が真っ白になっていた。
「あらら……またご主人様が混乱しちゃったわね」
「致し方あるまい。我等の美貌に言葉も出ないのであろう」
「んふふ! そうだったら嬉しいわねん!」
「んな訳あるかっ!」
恐ろしい会話をしている二人に、俺は慌てて突っ込みを入れる。
勘弁してくれ……。
そんな“美貌”があってたまるかっ!
「ふむ……ご主人様も復活したみたいだし、本題に移ろうかしらん?」
「そうだな。それに、儂らのことも話さなければなるまいて」
そう言う二人に、俺は“努めて”低い声で尋ねる。
「お前達は何を言っている? それに、ご主人様って何だ? 俺はお前達のような者を従者にした覚えはないんだが?」
「んー……そうねぇ、どこから話せば良いかしら……」
くねくねと体をよじらせながら思案する貂蝉。
……もう、突っ込まないぞ。
「貂蝉よ、この世界のご主人様は、残念だが我等の知っているご主人様ではない。一心殿に話したものと同じ説明をした方が良いのではないか?」
「……まあ、本当に残念だけど、その方が賢明ね」
二人の言葉に、俺は息を呑んだ。
それと同時に、俺は義遠様の言葉を思い出した。
曰く、じいちゃんが元の世界へ帰る時、じいちゃんを迎えに来た妖術使いが二人居たのだとか。
まさか……この二人が、その妖術使い?
「貴方は、外史という言葉を知っているかしら?」
放たれる、貂蝉の言葉。
そして、俺は真実を知る事になる。
side out
side ???
西へ沈んでいく太陽の光が、世界を朱く染めている。
ふと、窓の外を見る。
反対車線には、形も色も様々な鉄の箱が、長い列を形成しながらゆっくり進んでいた。
隣を見ると、もうすぐ十代に差し掛かりそうな少年が、前に座る夫婦を見て楽しそうに笑っている。
それを見て、私は気付く。
これは、夢だと……。
幾度となく、夢に出てくるこの場面。
一見、長閑な一場面だが……私は知っている。
この後に訪れるであろう、悲劇を。
瞬間、背後から聞こえる、物が擦れるような高音と同時に襲いかかる強い衝撃。
世界が、反転した。
先程まで和やかだった雰囲気が、一瞬にして崩れ去る。
前を見れば、グシャグシャになった鉄の箱の中が赤黒く染まり、その中心に、先程の夫婦が埋もれていた。
首を横に回すと、先程の少年が外の地面に倒れ伏していた。
だが、微かに動いているので、夫婦とは違い生きているのだろう。
『ゆ……え……』
私の名を呼ぶ少年は、息も絶え絶えになりながら、必死に私の方へ手を伸ばす。
その手を掴もうと、私も手を伸ばそうとするが、首から下が全く動かない。
当然だ。
動くはずがない。
だってこの時、“私”も鉄の箱に挟まっているのだから。
そして、グルグルと世界が回り出す。
あぁ……もう終わりか。
やっとこの地獄から抜け出せる。
目が醒めた時、私は一体どんな顔をしているんだろう……?
「月っ!」
「……っ!」
ハッと、私は目を開ける。
「………………」
そのまま無言で体を起こす。
「大丈夫……?」
「詠ちゃん……」
声の聞こえた方へ振り向くと、そこには心配そうな表情を浮かべる親友がいた。
「随分うなされてたわね?」
「うっ……うん、ちょっと……ね?」
「また……“あの夢”?」
「…………(コクリ)」
詠ちゃんの質問に、私は首肯する。
「そう……。とりあえず、水、飲める?」
そう言って、詠ちゃんは私に水の入った容器を渡す。
私はそれを受け取ると、一気に傾けた。
「んっ……」
冷たい水が喉を通り、体の隅々まで行き渡るような感覚が、沈んでいた気分を幾分か和らげ、それにより意識がはっきりしてきた。
辺りを見回すと、馴染みのない装飾品が幾つか置いてある。
次に、視線を窓に向ける。
窓の外はまだ薄暗く、今が早朝だということを悟る。
「詠ちゃん……こんな朝早くにごめんね」
おそらく、侍女から私がうなされていると聞いて、来てくれたのだろう。
「月が謝る必要なんてないのよ? ボクが来たくて来たんだから」
そう言って、苦笑を浮かべる詠ちゃんに、私も微笑む。
昔から、詠ちゃんは私のことを第一に考えてくれた。
そのことが、申し訳なく思いつつも嬉しかった。
「今日は帝との謁見が控えてるけど……どうする? 体調が良くないなら、無理はしなくて良いんだからね?」
詠ちゃんの言葉に、私はハッとする。
あぁ……そういえば私は、帝からの呼び掛けに応じて、昨日洛陽に来たんだった。
そして今日、帝との謁見が控えてたんだっけ。
「ううん、大丈夫だよ。それに、陛下の要望だもの。断れないよ」
「本当に大丈夫? 無理はしなくて良いのよ? 何だったら、またボクが上手くやっておくし……」
私の手を取りそう言う詠ちゃんに、私は首を振る。
「詠ちゃん、もうここまで来ちゃった以上、ごまかすのは無理だよ。私ね、やっぱり嘘は良くないと思うの」
「それは……」
私の言葉に、詠ちゃんは眉尻を下げながら言い淀む。
「それにね、今までずっと詠ちゃんに頼りきってたと思う。私はもう、詠ちゃんばかりに負担を押し付けたくないの」
「そんなことない! ボクは負担だなんて……!」
「詠ちゃん、気付いてる? 詠ちゃん……前に会った時より、すごく痩せちゃったよ?」
「えっ……?」
驚いた表情を浮かべる詠ちゃんに、私は小さく溜息をつく。
詠ちゃん……やっぱり気付いてなかったんだね?
このままじゃ、詠ちゃんは過労で倒れてしまうだろう。
それは、私の望むところではない。
だから……
「大丈夫だよ、詠ちゃん。私、頑張るから」
大丈夫な要素なんてカケラもないが、精一杯強がって微笑む。
「……………」
そんな私に、詠ちゃんは呆気に取られた表情を浮かべる。
「……分かった。でも、これだけは約束して。辛くて苦しくなったら、すぐボクに言うこと! 絶対、無理だけはしないで」
私の手を握り、真剣な眼差しでそう言う詠ちゃんに、私は頷く。
「うん。でも、それは詠ちゃんもだからね? 働き過ぎないこと! こんなに痩せちゃって……無理し過ぎだよ」
「いや、だからボクのことは……」
「私、大好きな詠ちゃんがこれ以上無理するなんて、とっても辛いんだけどなぁ?」
「くっ……」
そう言ってニッコリ微笑むと、詠ちゃんは言葉に詰まる。
「……詠ちゃん?」
「っ! うぅ……分かったわよ……約束する」
詠ちゃんの言葉に、ホッと溜息が洩れる。
霞さん、恋さん、音々音ちゃん、華雄さん、そして詠ちゃん、皆に負担を押し付け過ぎたと思う。
だから、今度は私が頑張らなくちゃ。
ふと窓に視線を向けると、もう空が白んでいる。
もう準備を始めなきゃ。
「明るくなってきたから、もう動きだそっか?」
「……そうね。じゃあ、ボクは一旦戻るけど、本当に大丈夫? 何か手伝う?」
「大丈夫だってば。後は自分で出来るよ」
「じゃあ……また後で迎えに来るね?」
そう言って、詠ちゃんは私の部屋から出て行く。
一人きりになった部屋で、私は自分が吐いた言葉に意味を噛み締める。
“大丈夫”と言葉だけで言うことの、どれ程簡単なことか。
実際問題、まったく以って大丈夫ではない。
それどころか、これからどうなるのか不安で仕方がない。
でも、ここまで来た以上、もう後には引けないのだ。
頑張るしかない。
「お兄様……」
不安な気持ちを少しでも紛らわそうと、夢の中だけでしか会えない兄をそっと呼んでみる。
まだ幼い時から、私はある記憶を有していた。
それが、前世の記憶。
詠ちゃん以外には話したこともない、私と詠ちゃんだけの秘密でもある。
今でこそ慣れたものの、当時は“向こう側”の家族を思ってよく泣いていた。
もちろん、“こちら側”の両親のことは好きだ。
董家の親類達も、私にはとても良くしてくれた。
だけども、未だ心にはしこりが残ったままだ。
どんなに忘れようとしても、あの頃の思い出が忘れられない。
けど、私自身、理解はしている。
先程まで見ていたあの夢が、恐らく“向こう側”での最後の記憶だろう。
そして、あの惨劇から察するに、私の家族はもう……。
だが、ここで疑問が一つ。
五年ほど前から、もしかしたら他の家族も“こちら側”に来ているかもしれないと期待して探してみたが、一向に見つからなかった。
何故、私だけが“こちら側”に来てしまったのだろうか。
まったく以って理由が分からない。
「ハァ……」
小さく溜息をつく。
こんなこと考えてる場合じゃなかったな。
もう支度しなきゃ。
今日は帝との謁見があるし、ちょっと急いだ方が良いだろう。
そう思いながら、私は侍女の人を呼んだ。
side out
ご無沙汰しております。
皆様におきましてはいかがお過ごしでしょうか?
§K&N§でございます。
まず初めに謝罪を。
ほぼ一年もの間ほったらかしてしまい、申し訳ありません。
理由という理由はないです。
単純に、書くことが楽しくなくなったので、しばらく離れていました。
楽しみに待っていた方には申し訳ないことをしてしまいました。
ただ、今は書きたい気持ちで溢れているので、エタることはないと明言させていただきます。
必ず完結はさせますのでエタる心配はないです。
ただし、どのくらい時間がかかるかはわからないですけど。
まあ、こんな駄目作者ですが、まだお付き合い頂けるのなら、よろしくお願いします。
では、また次回でお会いしましょう!