表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真・恋姫†無双〜冷静と情熱の狭間〜  作者: §K&N§
第三章 英傑達の胎動
13/14

~第十二話~崩れゆく巨木、うごめく人々

 だいぶ遅れてしまいました。


 とりあえず、どうぞ!

side 一刀



「やっと着いたぜ……」


 隣で馬に跨がる士陽が疲れた表情を浮かべて呟いた。


 視線の先には、洛陽の城壁がそびえている。


 先の軍議で決まった通り、俺達は、何進との密談及び情報収集のため、洛陽に向かっていた。


 平原を出てから約一週間程経った今、少し時間はかかったが、俺達はようやく洛陽にたどり着くことが出来たようだ。


「まあ、一先ず無事ここまで来れたんだ。とりあえず、城下街の宿屋で一休みしよう。何進の所には明日行けば良い」


「大賛成だな。正直、今日はもう寝てぇからよ……」


 俺の言葉に賛辞を送ると、士陽は大きく伸びをする。


(シェン)もご苦労さん。今日はゆっくり休んでくれ」


 俺はそう言って、俺が乗っている馬の首筋をさすってやる。


 この馬、名は(シェン)と俺が名付けた。


 コイツとはかれこれ三ヶ月程の付き合いとなるのだが、初めてコイツを軍の調教師に連れていった時には大層驚かれた。


 そう、コイツはあの済南の戦場を共に駆け抜けた、あの馬である。


 体も小さく、こんな農業用の馬でよく戦場に居られたと失笑されたが、意外や意外、いざ軍用馬として調教してみると、一月程で軍の中ではどの馬よりも速い馬に見事に化けた。


 これには調教師も目を丸くしていたが、俺は別段驚きはしなかった。


 夏侯惇と張り合ったあの時も、奴の覇気に怯えることなく駆け抜けたところを見るに、コイツは根性がある。


 軍馬として、これ以上ない逸材だ。


 事実、軍の中では一番速いし、体の小ささなど瑣末事でしかないだろう。


「まっ、馬達も休ませなきゃならんし、俺も休みたいし、とっとと行こうぜ?」


 士陽はそう言うと、大きな欠伸をする。


 明日からは大将軍と顔を合わせるっつうのに……やれやれ、呑気なもんだ……。


 そんなことを思いながら、俺は大きく溜息をついた。






 翌日、俺と士陽は早速行動に移した。


 士陽は城下街にて聞き込み調査、俺は城にて何進との面会に臨むため、何進の兵に知らせを出していた。


「北郷殿、大将軍閣下の許可が下りました。どうぞこちらに……」


 護衛の兵がそう言って、俺を誘導する。


 護衛の兵について行きながら、俺はふと辺りを見回した。


 地方の城とは違い、(きら)びやかな装飾品があちらこちらに展示されている。


 壁や柱も、朱色の塗料が塗られ、豪華さが滲み出ていた。


 まあ、腐っても帝の御膝元ということか……。


 そんなことを思いながら、俺は兵の方へ視線を戻すと、兵は大きな扉の前で立ち止まる。


「大将軍閣下! お連れ致しました!」


「……通せ」


 兵が大声でそう言うと、中から何進の声が聞こえた。


「こちらにて大将軍閣下がお待ちです」


「案内、ご苦労様。ありがとう、もう下がって良いよ」


「はっ、では……」


 俺が一言そう言うと、兵は持ち場に戻って行った。


 さて……ここを上手く乗り切らないと、桃香様の夢は実現出来ないからな……。


 やれやれ……責任重大だ……。


 そう思いながら、俺は大きく深呼吸をして気を鎮める。


 …………よし……行くか!


「失礼します」


 扉を開け、俺は小さな戦場に身を投じた。







「平原からここまで、遥々ご苦労だった……と言いたいところだが……何故お主一人しかおらぬのだ? 私は平原太守、劉備 玄徳を呼んだはずだが?」


 不満げな表情で、鈍色の髪を弄る何進。


 まあ、予想はしてたけど……やっぱり怒るよなぁ……。


 ただ、こっちとしても、譲れない部分が大いにある訳で……。


「閣下のお怒りは、至極当然でありましょう。しかしながら閣下、我等とて、何も悪戯にこのような行為をしている訳ではございません」


「ほぅ……(しか)るべき理由がある……。そう、お主は申すのか?」


「肯定……であります」


 不機嫌そうな何進に、俺は首肯する。


「確かに、我等が主君、玄徳は閣下のおかげもあって、平原の太守に任命され、我等は自領を手にすることが出来ました。しかしながら……平原の地は荒れすぎています。この三ヶ月で幾分かはマシになりましたが、それでもまだ、再興するには時間がかかります」


「だから何だ? それは、お主らの問題であろう? 私が知ったことではない。私がお主らに望むことはただ一つ。董卓軍に対抗出来るか否かだぞ? 今回は、その董卓軍に関しての話をしようと私は思っていたのだ。にも拘わらず……しがない小隊長のお主しかおらぬのでは、話にならぬではないか!?」


 語尾を強く強調する何進。


 まあ、そりゃそうだ。


 確かに、何進の言っていることは、何ら間違ってはいない。


 片方はトップがいるのに、もう片方はトップが出て来ないなど、相手を馬鹿にしていると捉えられても致し方ないだろう。


 だが……


「だからこそ……でございます」


「……何?」


 俺の言葉に、何進は怪訝な表情を浮かべる。


「今、我が主君が閣下の下に赴こうものなら、小賢しい張譲共は閣下と我等の関係に気付くでしょう。そして、張譲から連絡を受けた董卓軍も当然我が軍を警戒するはず……。そうなってしまったら、いかに我が軍の将達が強者揃いだとしても、対抗することは厳しいと思われます」


「ふざけるなっ! お前達は私に、董卓軍と対抗出来ると言っただろう! だから領地も与えたのだぞ!? お主はあの場にいたのだから、よもや忘れてはいまい!?」


 椅子から立ち上がり、噛み付いて来そうな剣幕でそう叫ぶ何進。


 その様子に、俺は言葉を選びながら返答した。


「もちろん覚えております。私は何も、対抗出来ないとは言っておりません。少し考え方を変えましょうか……。閣下、冷静に考えて、現時点で我等と閣下が奴らに勝っている点は、どこだとお考えですか?」


「………………」


 俺がそう尋ねると、何進は押し黙る。


 まあ、分かってねぇだろうな。


 正史でもこちらでも、元々何進は軍人ではないし、恐らく兵法等も学んでない。


 大将軍になれたのも、妹である何皇后の威光を借りただけ。


 そんな何進が、この質問に答えられる訳がない。


「お答え致しましょう。それは、“秘匿性”でございます」


「秘匿性?」


「はい、秘匿性です。現時点で、恐らく張譲と董卓軍は閣下と我等の関係性を知りませんから、我が軍に対する対抗策は皆無と言っても良いでしょう。つまり、そこに我等が付け入る隙が生まれるのです。これは、我等にとって好機以外の何物でもない。しかしながら、我が主君がここに来てしまえば、たちまち閣下と我等の関係性は奴らの知るところになる。それでは、意味がないと思いませんか?」


 そう言って、俺は何進の方を見つめる。


 何かを考える素振りを見せる何進。


「ふむ……お主の言いたいことは分かった。だが、私の背後にお主達がいることを奴らに分からせなければ、奴らはいつまでも付け上がり続けるのではないか?」


 俺に向き直ると、何進はそう尋ねる。


「それは……ひょっとして、抑止力のことを言っておられるのですか?」


「おぉ! そうだ! 抑止力だ! その言葉こそ、今私が考えていることにピッタリ合う」


 何進の言葉に、俺は少し感心した。


 なるほど……今回桃香様を呼んだのは、そういう訳か。


 ただただ攻撃一辺倒の人だと思ってたけど……中々どうして、抑止を考える辺りに、賢さが見える。


 もっとお馬鹿な人かと思ったけど、意外と考えてるんだな……。


 ただ……


「……閣下、自らの恥を忍んで言わせて頂きますが……我が軍の規模では、抑止力にはならないと思います……」


「何とっ!? 何故だ!?」


 詰めが甘い……。


 生兵法(なまびょうほう)は大怪我の(もと)とはよく聞くけど、まさにこのことだろう。


「大まかに説明しますと……抑止力というのは本来、自分の兵力が相手より同等か、それ以上でなければ効果を得られません。まあ、兵の質や、装備の差といった要因もありますが、現時点で、我が軍は兵の量も、兵の質も、装備ですらも、董卓軍に勝っているものは一つもありません。こんな状態で我が主君が来たところで、果たして抑止力と成りうるでしょうか?」


「……なるほど。だから、劉備の代わりにお主が来たという訳か。恐らく、劉備の代わりが“お主である”ということも、その“秘匿性”と何か関係があるのであろう?」


 そう言って、何進は俺を見つめる。


 まったく……理解が早くて助かるね、こりゃ……。


「はい。お恥ずかしながら……私は我が軍の将、関羽、張飛、趙雲の三名に比べますと、圧倒的に無名ですから……。こういった諜報活動には向いているのです」


 自分で言っていながら、なんだか虚しくなる。


 別に名声が欲しい訳ではないが、ここに到るまで黄巾賊の将を二人程討っているし、内一人は首も上げている。


 もうちょっと評価してくれても良いんじゃねぇかな、と思うのは贅沢なのだろうか?


 まあ、世論を相手に文句をたれても仕方がないし、こうして大将軍との交渉を任されている段階で、少なくとも桃香様達からは信頼して貰えているのだから、やはりこれ以上期待するのは贅沢なのだろう。


 だからこそ、俺は俺の出来る仕事をこなさなければ……。


 そんなことを思いながら、俺は懐に入れていた書簡を出し、何進の目の前に差し出す。


「……何だこれは?」


「はっ……こちらは、我が軍の軍師、陶応が考えた策でございます。どうか、お目通しを……」


「ほう……奴か……。どれ、寄越してみろ……」


 そう言って、何進は俺の手から書簡を受け取り、内容を黙読する。


 この書簡は、俺達が平原の城を出る前の晩に、義景から渡されたものだ。


 当然、その時に内容の説明も受けている。


「………………」


 無言で策を読み進める何進を見ながら、俺は一抹の不安を感じる。


 別に、義景達の策が悪いって言うんじゃない。


 義景達の策はいつも斬新だし、あの曹操ですら出し抜いたくらいだ。


 信頼してない訳がない。


 ただ、今回の策については、(いささ)か大胆過ぎると個人的には思っている。


 果たして、それに何進が乗って来るかどうか……。


「…………北郷?」


 読み終えたのか、何進は俺に視線を向ける。


 だが、その顔には怪訝さが浮かんでいる。


「…………正気か?」


 その言葉に、俺はビクッと肩を震わせる。


 やっぱり、その言葉が出たか……。


 俺も最初に義景からその話を聞かされた時、正直、反対だった。


 そのリスクが、あまりにも大き過ぎるが故に、正気の沙汰とは思えなかった。


 だけど……


「正気……でございます」


 あの夜、俺は義景達を信じてその策を受諾した。


 故に、腹を決め、何進の目を見てハッキリと言い放つ。


「確かに、我が地位を以ってすれば、奴をこの洛陽に呼び寄せることなどは容易(たやす)いだろう。しかし、しかしだ……いかに奴が世間知らずの小娘だとは言え、仮にも名族の一門に名を連ねているのだぞ? 私はまだ良いとしてもだ……もしこの策が奴の耳に留まりでもしたら、お主らは確実に潰されるぞ?」


 まあ、そりゃそうだろうなぁ……。


 向こうは名族のプライドがあるだろうし、ましてや、俺達みたいなポッと出のルーキーにしてやられたとなりゃ、面目丸潰れだ。


 もしそんなことになれば、奴は躍起(やっき)になって、俺達を潰しにかかるだろう。


 けど……


「閣下…………虎穴に入らずして、虎児を得ることなど、どうして出来ましょうか?」


「…………ほぅ?」


 俺の言葉に、何進は面白いと言わんばかりに口角を上げる。


 俺達は、桃香様の理想のために、やがては漢という大国に刃を向けねばならない。


 その時、どれだけの大義名分をでっちあげることが出来るのか。


 それが、今後の焦点となるだろう。


 それ故に、例えどんな形であれ、俺達は今、洛陽の動向を知る必要がある。


 そこに、安全な道などという逃げ道は存在しない。


 で、あるならば、俺達は拾ってみせよう。


 それが例え、燃え盛る火中の栗であったとしても……。


「…………なるほど。覚悟は出来ている、ということか……。…………良かろう。お主らの策に乗ってやる」


 そう言って、何進はニヤリと笑った。


 俺達と何進の、共同戦線が張られた瞬間であった。










 何進との密談を終えてから、早いことで6日が過ぎた。


 密談を終えてすぐ、俺は義景達に事の顛末(てんまつ)を記した文を早馬で送り、次の指示を待った。


 そしてつい昨日、同じく早馬で義景達から返事が届いた。


 その内容は、当初予定していたこととあまり変わり映えはなかったが、一点だけ、変わったことがある。


 それは……


「しっかし……恐ろしく似合ってねぇな、それ」


「……うっせぇ。んなもん、俺だって分かってるよ」


 世間一般に広まっている、深緑色の文官服を着こんだ俺を、士陽が苦笑しながら見る。


 今俺達は、士陽が拠点としている城下町の宿の一室に集まっていた。


 目的はただ一つ。


 義景達から送られた、次の指示についてである。


「で、何進はそれについて何て言ってんだ?」


 士陽は机に置いた義景達からの文をチラリと見る。


「一応、何進は俺達に協力的だからな。この文官服を貸してくれたのだって、何進だしな?」


「ハッ……随分とすんなりいったなぁ? しかも、お前が何進のお抱え文官って設定まで作ってくれたんだろ?」


 そう言って呆れた表情を浮かべる士陽に、俺は肩をすくめた。


 義景から与えられた指示は、しばらく何進に着き従って、情報収集をせよとのことだった。


 そのことを何進に伝えると、何進から“何進のお抱え文官、王允”という偽名と文官服を貰った。


 何進は俺が宮中で動き易いよう、環境を整えてくれた訳だが……何故そこまで協力的なのか……正直、不気味である。


 だが、俺にとってありがたい状況には変わりはない。


「まあ……何かしら思惑はあるんだろうさ。それが何なのか、俺にはさっぱり分からん。けど、せっかくこんな環境を作ってくれたんだ。精々利用させて貰うさ」


 俺はそう言って、ニヤリと笑う。


 そんな俺につられて、士陽も苦笑を浮かべた。


「まあ、俺の方も引き続き、飲み屋を中心に聞き込むわ。お前の方も、何か分かったらすぐ知らせろよ?」


「おう、お前の方も頑張ってくれ。……怠けるなよ?」


「ハハッ……まあ、善処するよ」


 いたずらが見つかった子供のように、ニヤリと笑う士陽。


 やれやれ……あの様子じゃ、愛紗が近くにいないことを良いことに、サボりまくってんだろうなぁ……。


 まあ、確かめる術はないのだけど……。


 小さな溜息を漏らしながら、俺は士陽の部屋を後にした。










「おーっほっほっほっ!」


 何進の執務室へと繋がる廊下を、甲高い笑い声が響き渡る。


 今俺は、洛陽へとやって来た袁紹を、何進の執務室へと案内していた。


 一応、名目上は、何進の秘書、ということになっているから、こうして侍女のような仕事もしているのだが……。


「ウチの姫がすみません、王允さん……」


 袁紹の隣で、申し訳なさそうにそう言う顔良。


「洛陽に来るのは久方ぶりですけど……やはり、こうしたきらびやかな場所は、気分が良いものですわね! おーっほっほっほっ!」


「姫ぇ……流石にここで騒ぐのはマズイって……」


 何が面白いのか皆目見当もつかないが、何故か高笑いを浮かべる袁紹と、それに注意をするが全く聞いて貰えない文醜。


「ハハハ……お気になさらずとも、私は大丈夫ですよ、顔良殿?」


「うぅ……すみません……」


 俺は苦笑を浮かべると、顔良は涙目で溜息を漏らす。


 ……何だか、顔良も文醜も、大変そうだな……。


 二人に同情しながら、俺は袁紹に目を向ける。


 高笑いしながら、一際目立つ金髪の縦ロールをゆっさゆっさと揺らしている。


 聞いた話だと、袁紹は曹操に対して、強烈な対抗心を向けているのだとか。


 確か、曹操も金髪の縦ロールだったよな?


 あの髪も、一種の対抗心の表れなのだろうか?


 そんなことを考えていると、いつの間にか何進の執務室の前に到着していた。


「閣下、王允でございます! 袁紹様をお連れしました!」


『来たか……入れ』


 扉の奥に向かって、大声を上げると、中から何進が入ってくるよう促す。


 その声に従い、俺達は執務室に入っていった。






「ご苦労、王允。控えていてくれ」


「はっ」


 俺は短く返答すると、何進の隣に静かに(たたず)む。


「さて……この洛陽まで、ご苦労だったな、袁紹よ。相も変わらず壮健そうで何よりだ」


「この袁本初、閣下からのお呼びとあらば、どこからでも参上する次第でございます。それに……閣下も壮健のご様子で、わたくしも嬉しく存じますわ」


 事前に用意された椅子にでっぷりと座り、そう答えた袁紹は、さも当然と言わんばかりに微笑む。


 先程の様子から、もしかしたら礼儀を知らない人なのかと思っていたが……どうやらそうではないらしい。


 まあ、腐っても名門、ということだろうか。


「そうか……。さて、挨拶はここまでにして、早速本題に移ろうか……。袁紹、お主は何故呼ばれたか、見当はついているかね?」


「いえ、存じ上げません」


「そうか……。ならば始めから説明するが……」


 何進は袁紹を見やると、これまでの顛末を説明し出した。


 当然、俺達のことは伏せられていたが、それ以外のことは粗方(あらかた)本当のことを説明している。


「帝が崩御する可能性がある、ですか……。この時期にそれは、随分と穏やかではありませんわね?」


「ああ……しかも、そのどさくさに紛れて、張譲達が協皇子に擦り寄り、暗躍している。恐らく、代替わりを期に、自分達の地位を盤石にするつもりだろう」


「つまり、事実上、宦官が漢の実権を握る、ということですか? そんなことになったら、いよいよ以ってして、この漢はお終いですわ……。……十常侍達を消してしまえば良いのではなくって?」


「それが出来るのなら、とっくにやっている。実はな、十常侍達の筆頭、張譲には背後に董卓軍という強力な軍を持っている。下手に動こうものなら、殺られるのは私だ」

 そう言って、何進は落胆した表情を浮かべる。



 事情を知っている俺からすれば、実に白々しい演技だが、どうやら袁紹はそんなことにも気付かず、一緒にウンウンと唸っている。


「そこでだ、袁紹。お主に一つ頼みがある」


「わたくしに……ですか?」


「うむ……」


 不思議そうな表情を浮かべる袁紹に、何進は更に畳み掛ける。


「もし、董卓軍が攻勢に出た場合、お主の軍で対抗して貰いたいのだ」


 何進の言葉に、袁紹の後ろに控えていた顔良が顔を青くした。


 なるほど……彼女はある程度頭が回るらしい。


 恐らく、何進の言葉が何を意味しているのか、気付いたのだろう。


「頼む、袁紹。こんなことは、董卓軍に匹敵する軍勢を誇るお主か曹操にしか頼めんのだ。お主が駄目なら、もう曹操に頼むしか……」


「お引き受けしましょう!」


 “曹操”というキーワードが出た途端、(せき)を切ったように叫ぶ袁紹。


 その瞬間、何進はニヤリと笑みを浮かべた。


「姫ッ! 今回ばかりはいけませんっ! これは、暗に盾になれと言ってるようなものなのですよ!?」


 真っ青な顔でそう言う顔良に、袁紹は強気な笑みを浮かべる。


「何を言っているのです? 我が袁家は、漢に尽くしてきた名門中の名門。ならば、愚かにも漢に仇なす宦官達と董卓軍から漢を守るのは、名門袁家の当主たるわたくし以外にはいません。違いますか、斗詩さん?」


「そっ、それはそうですけど……。でも、姫は董卓軍がどれ程のものか、ご存知ないのですか?」


「そんなの興味ありませんわ。片田舎から出て来た成り上がりに、名門たる袁家が負けるはずがないでしょう?」


 袁紹の言葉に、とうとう絶句する顔良。


 本当、大変そうだな……。


 まあ、こっちはやり易くて良いけど。


「それに……それなりの褒美は出るのでしょう?」


 期待の篭った表情で、袁紹は何進に向き直る。


「もちろんだ。お主は漢を守る忠臣だ。然るべき待遇を与えることに、何の問題がある?」


 何進の言葉に、袁紹はニヤリと笑う。


「そのお言葉、しかと胸に刻み付けておきますわ。後はこの袁本初にお任せを。こんな大役、あのチンチクリンがこなせる訳がありませんものね? おーっほっほっほっ!」


 高らかに笑う袁紹は、大層ご満悦のようだ。


 だが、その後ろの二人の表情は、どんよりと暗い。


「うぅ……文ちゃん……」


「諦めろ、斗詩。曹操の話が出て来た段階で、姫の答えは決まったようなもんだからな……」


 そう言って、ポンと顔良の肩を叩く文醜。


「「ハァ…………」」


 互いに顔を見合わせ、二人は改めて溜息を漏らす。


 超不遇だなぁ……。


 桃香様がああいう“お馬鹿”じゃなくて良かった……。


 二人を見ながら、俺はしみじみとそう思った。








 その後、軽く談笑し、その場は一時解散となった。


 話を聞いてる限りでは、袁紹はしばらく洛陽に滞在するらしい。


 この後も、城下町に買い物へ出かけるのだとか……。


 いやはや……呑気なもんだな。


 まあ、袁紹自ら、洛陽中に袁家の名前を振り撒き目立ってくれるのだから、俺達にとっては、ある意味、都合が良いと言える。


 むしろ、そのまま泳がせておいた方が良いだろう。


 ……それにしても、噂には聞いていたけど、“あの”袁紹が“お馬鹿”だったとは……。


 正史では、有能な名士だったんだけど……イメージが崩れるというか、何というか……。


 そんなことを考えていると、執務室の長椅子に寄り掛かった何進が俺に声をかけた。


「お主、武官のくせに、やけに文官の姿が板についているな?」


「そうですかね? 自分じゃよく分からないので、何とも言えませんが……」


「ハッ、よく言う……。普通、武官が周りにいれば、袁紹の部下が警戒するだろう? ところがどうだ? 全くお主のことを警戒しておらんかったぞ?」


「いや、あれは……」


 俺を警戒していないと言うより、俺に対して“警戒心を割く余裕がない”と言った方が正しいだろうな。


 あの“お馬鹿”な袁紹のことだ。


 結構やらかすことも少なくなさそうだ。


 だから、あの二人はそのフォローの方に気を割いているのだろう。


 ……つくづく不遇である。


「まあ良い……。とりあえず、しばらくは董卓軍の視線は袁紹に向かうはずだ。それで……次は情報収集……だったな?」


 何進は俺に向き直ると、そう尋ねる。


「はい。今ある私の立場を利用して、帳簿庫に潜入。そしてその場にて、董卓軍の規模を調査します」


 思考を切り替え、俺はそう答える。


「ふむ……だが、董卓軍の規模を調べるのに、何故帳簿庫に行くのだ?」


 不思議そうな表情でそう言う何進に、俺の考えを説明する。


「理由は二つあります。董卓軍が調練を行っている場所は洛陽郊外であり、なおかつあれだけ厳重な警備の中では、見に行くことすらも厳しいということがまず一つ。そしてもう一つ、帳簿庫には、兵糧の量を記した帳簿が必ずあるはずです。私はある程度算術計算が出来ますので、そこから董卓軍の規模を割り出します」


 美玲(みれい)様に教わったことが、ここに来て活かされている。


 本当、美玲様には感謝だ……。


「なるほど……。……それにしても、その説明の素振りは、まるで軍師だな。いよいよ以ってして、お主が武官か文官か、分からなくなってきたぞ?」


「アハハ……お褒めの言葉と捉えさせて頂きます」


 怪訝な表情を浮かべる何進に、俺は思わず苦笑する。


 まあ、俺の場合、日本から来たという側面があるからな。


 日本じゃ、愛紗達のような武人なんてほとんどいないし、命のやり取りなんて物騒なこともない(まあ、俺が知らないだけかもしれないが……)。


 だから、どちらかと言えば、俺は文官タイプだ。


 それに加え、礼儀に関してもじいちゃんからコッテリ仕込まれたから、武人らしい荒っぽさも抜けているかもしれない。


 それが良いことか悪いことかは分からないけど、多分、そういうところが文官っぽいと言われる所以(ゆえん)なのかもな……。


 そんなことを思いながら、俺は何進に向き直る。


「では閣下、私はそろそろ動きます。あまりゆっくりとしてる暇もありませんしね?」


「うむ、良い報告を待っているぞ? ……ああ、そうだ。一つ忠告だ」


「……何でしょう?」


「帳簿庫に行くなら、賈駆(かく)に気を付けた方が良い……」


「賈駆……ですか?」


 これまたビッグネームが出て来たな……。


 そういえば、賈駆って元々は董卓の所にいたんだっけ。


「賈駆は董卓軍の軍師をやっているのだが……奴の知謀は別格だぞ。どういう訳か、奴は帳簿庫によく出入りしているらしい。充分に気を付けろ」


 何進は難しい表情を浮かべそう言った。


 なるほど……。


 どうやら、こちらの賈駆も鬼才の持ち主らしい。


 俺のいた世界でも、賈駆は評価が高かった。


 後に、曹操のブレインとして重用される程だからな。


 何進の言う通り、充分に警戒した方が良いだろう。


「ご忠告、感謝致します。しかと胸に刻んでおきます。……では」


 俺は何進に一礼すると、帳簿庫へ向け歩みを進めた。









 警備兵に一言告げ、俺は帳簿庫に入る。


 ちなみに、警備兵には“大将軍の命令で帳簿庫に来た”と言ったら、すんなり通してくれた。


 大将軍権力様々である。


 俺は早速、保管された帳簿を手当たり次第に読み始めた。


 そう言えば、俺の偽名の“王允”って、俺のいた世界だと実在人物なんだよな……。


 それも、呂布に董卓を殺すように(そそのか)した張本人だし……。


 まさか、そのポジションに俺が入り、なおかつ董卓と敵対する立場になっちまうとは……つくづく人生は何があるか分からない。


 いっそのこと、正史通り、呂布に董卓を討たせようか?


 あっ、貂蝉がいねぇから駄目か?


 彼女がいねぇと『美女連環の計』も出来ないし……。


 って言うか、正史通りになったら、俺、長安で李カクと郭シに処刑されるじゃん。


 あれ、俺ヤバくね?


 そんな阿呆なことを考えながら、次々と帳簿に目を通していく。


 そうしている内に、一つの帳簿に目が止まった。


 これは……董卓が張温と共に黄巾を討った時の帳簿か……?


 時期は……半年前か……。


 時期的にも、これが一番タイムリーっぽいな。


 さて、内容は…………董卓軍七万、張温軍六万、総勢十三万の官兵で、九万の黄巾を討伐……か。


 場所に関しては詳しい記載がないから分からないけど、済南以外にもこんな規模の黄巾があったなんて……。


 ……ふむ、どうやらこの時の戦で、張温が討ち死にしたらしいな。


 その後、残った六万の張温軍と共に、黄巾を破ったとあるが……恐らく、この残った張温軍は、董卓が取り込んだと考えて良いだろう。


 そう考えると、最低でも十万以上の兵数は確保しているだろうな。


 しかも、この時董卓はまだ、洛陽に上京してないから、自分の城から出兵したということだ。


 自分の城を空っぽにして出て来る訳がないから、少なく見積もっても三万人くらいは城に残しているはず。


 そう考えると、最低でも十三万という規模を持つ、大陸でも屈指の軍……という訳か。


 なるほど、こりゃヤバいね。


 加えて、飛将軍呂布や神速の張遼までいるんだろ?


 これに対抗するには……どう考えても俺達だけじゃ無理だし、例え袁紹がいたとしても無理だ。


 そうなると、やっぱ正史通り“反董卓連合”を組むしかないか……。


 ただ、今現在の董卓軍はどうなっているのか、それが見えない。


 まあ、彼等(或いは彼女達か?)が普段この洛陽で消費している糧の量が分かれば良いんだが……多分、その尻尾は賈クが出さないはず。


 今俺が見ているこの帳簿も、恐らく張温の部下から出たものだろう。


 さて……そうなってくると、いよいよ必要な帳簿を探すのがきつくなってきたな……。


 溜息をつきながら、次の帳簿に手を伸ばしかけたその時――


「……アンタ、何してんの?」


 凛とした声が帳簿庫に響き渡り、俺の手が止まった。


 俺はゆっくり振り返る。


 そこには、両手を腰にやり、俺を睨みつける美少女が一人。


 最初に、緑の髪に目が行った。


 それから、全体像を観察する。


 その身形(みなり)から考えて、上級士官であることは間違いない。


 だが、判断材料がこれだけしかないので、彼女の所属までは分からない。


 唯一分かることと言えば、俺に対して相当警戒している、ということだろう。


 赤縁(あかぶち)眼鏡の奥にある瞳には、疑念の感情が映っている。


「聞いてるの? アンタは誰で、ここで何をしてるのよ?」


 眉間いっぱいにシワを寄せ、俺を睨みつける。


 これは……どうする……。


 適当にごまかすか、逆に開き直って正直に、何進の部下です、と言うか……。


 少し、探りを入れてみるか……。


「人に名を尋ねる時には、まず自分から。そう、教わりませんでしたか?」


 俺の言葉に、彼女はピクリと眉を動かす。


「……ボクの名は、賈駆。董卓の下で軍師をしている者よ」


 彼女……賈駆の言葉に、俺は目を細めた。


 この子が、あの鬼才か……。


 なら、下手なごまかしは通用しないだろう。


「……私は、王允」


 俺がそう答えると、賈クは驚いた表情を浮かべる。


「アンタが王允……。確か、大将軍の新しい部下だったかしら?」


「……えぇ、その認識で問題ありません」


 俺はそう答えながら、内心、驚いていた。


 名前を言っただけで、何進の部下だと分かったのか……。


 確か、俺の名はまだ広まっていないはずだから、本来なら彼女は俺が何進の部下だということは知らない。


 にも拘わらず、王允としての俺の所属を言い当てたということは……やっぱり何進の周辺にも、董卓軍の斥候が紛れているらしい。


「で、アンタはここで何をしてんのよ?」


「はて? 文官が帳簿庫にいることに、何の問題があるでしょうか?」


「とぼけんじゃないわよ。ボクはどうして“ウチの帳簿”を見ているのか聞いてんの」


 キッと俺を睨みつけながら、そう尋ねる賈駆。


 やれやれ……やっぱり、ごまかしきれなさそうだな……。


 何進が彼女に注意しろと言うのも頷ける。


「……別に、大した理由はありません。過去の帳簿を調べていたら、“偶然”董卓様の軍の帳簿だっただけですよ?」


「まだとぼける気? “大将軍の息がかかった”アンタが、“偶然”僕達の帳簿を見ていたと? ハッ……冗談も休み休み言いなさい。このボクが、アンタらの動きに気付いてないとでも? わざわざ袁紹をここに呼んで、一体どうする気?」


 中々核心めいたことを聞いてくるな……。


 つまり、かなり調べてる訳か。


 …………仕方ない、通用するか分からないけど、ハッタリでもかましてみるか。


「……分かりました。正直にお話致しましょう。ですが、その前に……フッ!」


 俺はそう言うと、服の袖に仕込んでいた飛刀を二本、帳簿庫に並んだ書棚の影に投げ付ける。


「なっ!? いきなり何を……!?」


「静かに……。いつからそこにいるのかは知らないけど……君にはご退場願おうか?」


 俺の行動に、慌てた表情を浮かべる賈駆を余所に、俺は懐から短刀を取り出し構える。


「まさか、気付かれるとは思ってもみなかったのです……」


 そう言って、書棚の影から出て来たのは一人の少女。


 まるで、くの一の様な格好をした少女は、その背に背負った刀に手を置く。


「ちょっ、ちょっと! 何者よ、アンタ!」


「………………」


 賈駆の問い掛けに、無言で返す少女は、姿勢を低くして、臨戦体制を取っている。


「……賈駆殿、お下がりください。あの者は……恐らくかなり出来ます……」


「はぁ!? 何で僕がアンタの命令に従わなきゃなんないのよ!? 冗談じゃ……」」


「ならばここで死にますか?」


「っ!?」


 俺の言葉に息を呑む賈駆。


 状況を理解したのか、大人しく俺の後ろに下がる。


 さて……賈駆は大人しくなったから良いとして、問題は奴だ。


 恐らく、どこかの諸侯の斥候だろう。


 普通斥候っていうのは、弱々しくて目立たない奴がなるものだが……多分コイツは違う。


 下手したら、夏侯惇クラスか……?


 だとするなら、状況は最悪だ。


 せめて千代桜が手元にあれば良いのだが、刀を下げた文官はいないと思い、部屋に置いてきている。


 今、俺の身を守るものは、この短刀のみだ。


 ……まあ、やるしかないか……。


 心の中でそう呟いて、俺は目の前の少女を見据える。


「さっさと逃げるなら、君のことは見なかったことにしてやる。だが、向かって来るなら……」


 そう言って、俺は短刀の切っ先を少女に向け、姿勢を低く取る。


 瞬間、抜刀した少女がこちらに駆け出した。


 あっという間に、距離を詰め、少女は上段から刀を振り下ろす。


「くっ……!」


 対する俺は、後ろに飛びのき、それをかわす――と同時に、左足で地面を強く蹴る。


 その勢いを殺さず、俺は右手に持った短刀を、少女の首へ突き出した。


「っ!」


 突如の反撃に驚いたのか、少女は目を見開きながら後ろに飛びのく。


 ここがチャンスとばかりに、俺は追撃――もう一度距離を詰め、同じ様に突きを放つ。


 少女は短刀を真横から弾き、俺の間合いから出て行く。


 やっぱり、簡単に弾かれるな……。


 そう思いながら、俺は少女の獲物に目を向ける。


 少女の刀と俺の短刀、リーチという点で、少女の方が圧倒的に有利。


 で、あるならば、むやみやたらに短刀を振り回し、斬り合うことは得策ではない。


 故に、愚直であろうが何だろうが、一点突破の刺突を繰り返すことが、今は一番良い。


 そう思いながら、俺は再び姿勢を低く取る――と同時に、少女が突っ込んで来た。


 痺れを切らしたか?


 まあ良い。


 こっちにとっては、その判断は好都合だ!


 少女が俺の間合いに入った瞬間、俺は一気に短刀を突き出す。


 が、その瞬間、少女は俺の頭上を飛び越えた。


「なっ!?」


 飛び越えただと!?


 ってことは、背後か!


 状況を理解した俺は、すぐ振り返る。


 予想通り、少女は着地と同時に俺へ詰め寄り、突きを放つ。


「チィッ!」


 俺は短刀で少女の刀の切っ先を叩き、軌道をずらす。


 その刹那、少女と視線が交差した。


「っ……」


 その瞳を見て、改めて実感する。


 この子は強い。


 それも、将軍クラスの強さだ……。


 刀と一緒に少女が俺のすぐ横を抜けていく。


 俺はすぐに少女に向き直る。


 ただでさえ不利なこの状況下、少しでも気を抜けば、すぐに斬られる。


 だが、この戦いは意外な形で幕を下ろす。


「侵入者がいたぞ!」


「急げ! 帳簿庫だ!」


 外で警備をしていた兵が、彼女の存在に気付いたのだろう。


 複数人の兵達が走る足音が聞こえる。


「さて、状況が一転したな? どうする? 逃げるなら今しかないと思うけど?」


 臨戦態勢を取りながら、俺は少女に声をかける。


「…………この勝負は預けておきます」


 少女はそう言うと、帳簿庫の奥にある窓へと駈け出し、飛び降りた。


 それと同時に、帳簿庫にわらわらと警備の兵達が入ってくる。


「外に逃げたぞ! 追え!」


「急げ! 逃がすな!」


 外にいた兵達も混ざって少女を追っていくが、恐らく無駄だろう。


 彼女は必ず逃げ切る。


 根拠はないが、何故か俺にはそう思えてならない。


 ふと後ろを見ると、賈駆がホッと一安心した様に溜息をついていた。


「賈駆殿、お怪我はありませんか?」


「平気よ……。それより、これ」


 そう言って、賈駆は懐から真っ白な手ぬぐいを俺に差し出してきた。


「ん? これは?」


「顔! 血、出てるわよ?」


「えっ?」


 賈駆の言葉に、俺は思わず顔に手が伸びる。


 すると確かに、右頬が薄く切り裂かれていた。


「早く拭きなさいよ」


「あっ……すみません。ありがとうございます」


 俺は賈駆から手ぬぐいを受け取ると、右頬にそれを当てる。


 多分、最後の攻防の時だろうな……。


 あの刺突……本当に危なかった……。


「あっ……この手ぬぐい、汚しちゃいましたけど……」


「もうあげるわよ。たかが手ぬぐい一枚程度で、グダグダ言う程、狭量じゃないしね」


 そう言って、賈駆は苦笑した。


 結構きつい子なのかと思ってたけど……何だ、意外と普通じゃないか。


「……お優しいんですね?」


「んなっ!?」


 俺がそう言うと、賈駆は顔を真っ赤にしながら目を見開いた。


 あれ?


 俺、何か失礼なこと言ったかな?


「べっ、別にそんなんじゃない! ダラダラと血を流したまんまだと気味が悪いから渡しただけで……勘違いしてんじゃないわよ!」


「はっ、はい……」


 眉を吊り上げてそう言う賈駆に、俺は思わず返事をする。


 顔を真っ赤にして怒っても、別に怖くも何ともないんだけど……。


 むしろ、何だか可愛らしいな。


 そんなことを思いながら、俺は苦笑した。


「で、さっきの話の続き、聞かせてよね?」


 あー……やっぱそこは見逃してくれないのね……?


 女の子らしい一面もあるけど、そこは流石に軍師殿と言ったところか。


 まあ、さっき考えたハッタリを試してみるか……?


「結論から言いますと、閣下の軍の再編のために、貴女達董卓軍を真似ようとしてるんです」


「私達の真似?」


「はい。これはここだけの話なのですが……閣下は以前、黄巾賊相手に遅れを取ってしまったのですが、ご存じですか?」


「ああ……そんなこともあったわね?」


「実はですね? 閣下はその時のことを相当お気にしてらっしゃるのです」


「でしょうね。あんな無様な負け方、恥以外のなにものでもないわ」


 そう言って、フンッと鼻を鳴らす賈駆。


 よし、ここまでは疑われてないな?


「そこに来て、貴女達が登場してしまった訳ですから、閣下の面目は丸潰れ。でも、貴女達には負けたくない。かと言って、何故貴女達は強いのか、直接は聞きたくない。そこで閣下は私に、貴女達の強さの秘訣を探れと命じられた……という訳です」


 白々しく肩をすくめながら、俺は賈駆に視線を移す。


「じゃあ何で袁紹がここに?」


「彼女の場合は……勝手に来たと言った方が正確でしょう」


「は? どういうことよ?」


 俺の言葉に、怪訝な表情を浮かべる賈駆。


「その……大変言いづらいのですが……彼女はどうやら、董卓様に嫉妬しているようです」


「……そういうこと。袁紹らしいと言えば、袁紹らしいのかしら?」


「そうですね……。加えて、袁紹は閣下に、董卓様に対抗出来ると豪語しており、閣下もその話に乗ってしまった……という訳です」


「ふぅん……何とも情けない話ね?」


 呆れた表情を浮かべ、賈駆が溜息をついた。


「えぇ……ですから、この話はどうかご内密に……」


「分かってる。ボクだって、情報提供者に対して、そこまで鬼じゃないわよ」


 賈駆の言葉に、俺はホッと一息ついた。


 そもそもがハッタリだからという心配もあるが、今の話は何進に対して不敬にも程がある。


 もし、今の話が何進の耳に留まりでもすれば、俺の首はもちろん、桃香様の首も危うい。


 でも、多少のリスクを背負わなければ、賈駆は騙せない。


 目の前にいる少女は、それだけ手強い存在なのだ。


「まあ、アンタの話は、“半分”だけ信じてあげる。立場上、完全に信用する訳にはいかないの」


 賈駆はそう言って、溜息を漏らす。


 まあ、それについては仕方ない。


 軍師って、そういう仕事だしな。


 どうせハッタリだし、半分だけでも信用してくれれば上等だ。


「それともう一つ、アンタに言っておくわ」


「何です?」


 賈駆は俺の目を見つめる。


 ん?


 言っておくこと?


 勝手に董卓軍の帳簿を見るなって話か?


 有り得るな……。


 やっぱり、ちょっと行動が大胆すぎたか?


「アンタの出身は太原、間違いないわね?」


「はい、そうですが?」


 何だ?


 一体何が聞きたい?


 さっぱり話が見えない。


 でも……何だか嫌な予感がする。


「アンタに良いことを教えてあげる。太原生まれの、“本物”の王允は……二年前に死んでるわ」


「っ!?」


 賈駆の言葉に、俺は思考が停止した。


 今、何と言った?


 王允が死んでいる……だと?


「けど、アンタは確かに、王允と名乗った……。さて、アンタは一体何者なのかしら?」


 そう言って、賈駆はニヤリと笑った。


 なるほど、これが狙いか。


 ってことは、最初から俺の名が王允じゃないって分かってて、俺の説明を聞いていたと言うのか?


 …………完全にやられた。


 騙されたのは、俺の方か。


「だんまり? それとも、騙せると期待してた? さっきも言ったけど……このボクをナメすぎよ」


 そう言って、賈駆は目を細める。


 これが、鬼才の持ち主の実力……。


 やっぱ、頭じゃ俺に勝ち目はない。


 じゃあ、どうする?


 このまま、黙り続ける訳にもいかないし……。


 ()くなる上は……斬るか?


 今だったら、さっきの侵入者の所為にも出来る。


「まあ良いわ……」


 そう言って、賈駆は俺に背を向ける。


 良い……のか?


 何故?


 あれ程の証拠を集めておきながら、何で軽々しく良いだなんて言えるんだ?


「何のつもりですか?」


「は? 何が?」


「いや、何がって……貴女が私に聞いてきたんじゃないですか?」


「じゃあ何? アンタ、さっきの質問に答えられる訳?」


「それは……」


 賈駆の反論に、俺は言い淀む。


「見逃してやると言ってんのよ。……さっき、守ってくれた借りがあるからね。これで、貸し借りは無しよ?」


 こちらに背を向けたままそう言って、賈駆は必要な帳簿を掴んで出口へと歩いていく。


 ……守った覚えはないんだけど……まあ、見逃してくれるなら、それに越したことはない。


 そう思いながら、俺はホッと一息つく。


 だが、不意に賈駆の足が止まる。


「アンタがどんな思惑を持って何進に近付いているかは知らない。でも……」


 振り返り、キッと俺を睨みつける賈駆。


「アンタが董卓の敵になると言うのなら……ボクは欠片(かけら)も容赦するつもりはないから。それだけは、覚えておきなさい……」


 そう言い放ち、賈駆は帳簿庫を出て行った。


「……ハァ……」


 思わず溜息が漏れる。


 危なかった……。


 まさか、いきなり賈駆に出くわすとは思わなかった……。


 しかも、見逃すとは言いつつも、あの様子じゃ、絶対に俺のことを調べてくるだろう。


 最悪、俺の周りにも斥候が張り付く可能性がある。


 それに、あの侵入者……“刀”を持っていたな。


 この時代に、刀を打つ技術はないはずだ。


 にも拘わらず、彼女は刀を持っていた。


 ってことは、彼女も俺と同じく、この世界に“送られた”のだろうか?


 まあ、彼女に関しては、不確定要素が多過ぎる。


 現段階で判断するには、まだ早いな。


 とりあえず、今は保留と言ったところか。


 ……それにしても、面倒なことになっちまった……。


 士陽にも説明しなきゃならないけど、多分、ぶつくさ言われるんだろうなぁ……。


「ハァ〜……」


 これからのことを思い、俺は大きく溜息をつくのだった。








side out










side 袁紹



 わたくしが洛陽入りしてから、かれこれ一月が経った。


 その間、洛陽の城下町、(およ)び城内の実状を探ってきましたが……酷いもんですわ。


 城下町は、高級官士の居住区以外はまるで治安維持がなっておらず、城内においては、言わずもがなである。


「おーほっほっほっ! 斗詩さん、猪々子さん? この店はもう良いですわ。次の店に行きますわよ?」


 わたくしはそう言って、悠々と店を出る。


「ちょっ、姫、待ってくださいよぉ!」


「斗詩ぃ……半分持ってくれよ……」


「無理だよぉ! 私だってもう持てないし……」


 後ろから、二人の情けない声が聞こえる。


 ……少し買い過ぎたかしら?


 振り返って見てみると、二人は大荷物を抱え、フラフラと店を出て来た。


 あらら……わたくしってば、あんなに買ったかしら?


 流石に、あんなに持たせて歩き回るのは可哀相ですわね?


「まったく、二人共、情けない声を出すんじゃありません!」


「姫〜、そんなこと言ったってよぉ、これは買い過ぎだろ〜?」


 げんなりした表情でそう言う猪々子さん。


 まあ、確かに買い過ぎだとは思いますが……これにはちゃんとした理由があるのです。


 洛陽の商人は、良くも悪くも、金さえ詰めば、何でも言うことを聞く人間が大半を占め、先程も、また新たな情報を喋ってくれました。


 情報を収集するに当たって、これ程利用価値のある存在はありません。


 おかげで、城内の状況がだいたい見えてきましたわ。


 今、この洛陽の(まつりごと)を取り仕切っているのは、宦官でも、何進でも、帝でもなく、董卓であるということ。


 更に細かく言えば、董卓の軍師である、賈駆という人物が中心になって運営しているらしい。


 ならば何故、ここまで城下町の状態が悪いのかと問われれば、宦官達に一番の原因があるのでしょう。


 いかに董卓達が善政を敷いたところで、それを実行する宦官達があの様なザマでは、良くなるはずがありません。


 むしろ、これ程汚職が蔓延している洛陽で、よくこの程度に治めていると言えますわ。


 賈駆……実に欲しい人材ですわね。


 そう思いながら、わたくしは二人を見据えた。


「仕方ないですわね。一度宿に戻って、荷物を置いてきますわよ?」


 私の言葉に、見違えるように喜びだす二人。


 ……主君の前でこの態度……確かに馬鹿のフリはしていますが、それはそれでどうなんでしょう?


 そんなことを思いながら、わたくしは苦笑を浮かべた。









 荷物を置いた後、わたくし達は城下町の茶屋に来ていた。


 甘味を目の前に、目を輝かせる二人。


 まあ、今日は一日荷物持ちをしてもらいましたから、これくらいのご褒美は、当然ですわね。


 そう思いながら、わたくしは茶屋が用意したお茶に口をつける。


 そういえば、城に残った伸はどうしているかしら?


 我が城にて害虫のあぶり出し作業を行っている伸に、わたくしは思いを馳せる。


 今頃は、調査の最終局面に入っているはず。


 時間はかかってしまいましたが、いよいよ約束の時が迫っていますわね。


 そう思いながら、わたくしは城を出る前に伸と交わした会話を思い起こした。








「大将軍に呼び出されるって……お前何したんだ?」


「なっ、何もしていませんわ!」


 わたくしはそう言って、眉をひそめた。


 伸も最近は慣れたのか、言葉使いが荒くなっている。


「何もしてないなら、一体何だって言うんだ?」


「まあ、文にはわたくしにしか頼めないことがあると記してありますが……」


 そう言って、わたくしは困惑した表情を浮かべる。


「麗羽にしか頼めないようなこと……か。何か心当たりは?」


「…………ありませんわね。そもそも、わたくしが大将軍と遭遇したのは、たった数回に過ぎません。その数回の間も、特にお話したりすることはありませんでしたわ」


「そうか……」


 私の言葉に、伸は考え込むように腕を組む。


 しばしの熟考の末、伸はわたくしを見据え、口を開いた。


「もしかすると、董卓が関係してるかもしれない……」


「あの董卓が?」


「直接って訳じゃない。以前、洛陽に潜入した時に、聞いたことがあるんだ。董卓が十常侍達に気に入られ、その地位を盤石のものにしていると……」


「……だから何進も、切羽詰まってわたくしに声をかけた……。そう言いたいのですね?」


 わたくしの言葉に、コクンと頷く伸。


 なるほど……有り得ますわね。


 今、宮廷内では帝の後継者を巡って、弁皇子か、協皇子か、勢力が二分しているとの情報も上がっていますし……。


 何進は当然、甥に当たる弁皇子を帝にして、その体制を盤石なものにしたいはず。


 ということは、何進にとって邪魔になるのは、十常侍達宦官と董卓。


 だからこそ、その二大勢力に対抗し得る、名声、財力、兵力のある人間を味方につけたかった訳ですか……。


「現段階で、董卓に対抗し得る勢力は、江東の孫堅、許昌の曹操、西涼の馬騰、幽州の陶謙、そして、名門出身の麗羽。この五人だと俺は思っている。その中でも麗羽は、その……馬鹿のフリをしてるからな。操りやすいと思われたんじゃないか?」


「まあ……そうでしょうね……」


 そう言って、わたくしは溜息をつく。


 確かに、自分から馬鹿のフリをしているのですが……そこまで甘く見られると、流石に腹が立ちますわ。


「で、どうする? 行くのか?」


「行く以外の選択肢なんてないでしょう? これで行かなくて、逆臣などと言われたら、堪ったもんじゃありませんわ……」


「そうか……。なら、何進には行くと伝えよう。誰かある!」


 伸が侍女を呼んで、紙と筆を持って来させる。


 その様子を横目で見ながら、わたくしはガックリと玉座にもたれ掛かった。


 まったく……この忙しい時期に、本当、空気の読めない大将軍ですわ……。


 何とかこの状況を利用したいところですが……。


「…………あっ」


 そう考えていると、わたくしは一つの妙案を思い付いた。


「麗羽、紙と筆を用意した。これで文を……って、どうした?」


 わたくしの前に机を置きながら、わたくしの顔を覗き込む伸。


「……妙案を思い付きましたわ」


「妙案?」


「えぇ……この状況を利用する、取って置きの妙案が……」


 そう言って、わたくしはニヤリと笑みを浮かべ、伸へ向き直った。


 案としてはこうだ。


 わたくしが洛陽に上京している間、我が領土における全ての実権を、一時的にだが伸に委ねるのだ。


 そうすれば、我が家を巣くう害虫達は、こぞって伸の下に参上するはず。


 しかも、わたくしが留守の間なら、尻尾どころか、完全に化けの皮が剥がれる。



「これはある意味、千載一遇の好機。偶然とは言え、これ程の好機、そうそうないでしょう?」


 わたくしの言葉に、伸は頷きながらも、難しい表情を浮かべていた。


 ……この案に、何か不備があったかしら?


「……考え自体はかなり良いと思う。ただ……良いのか? 恐らく、この勃海の地は……荒れるぞ? これ以上の横暴は、流石に民が黙ってない。もし、一揆(いっき)でも起きようものなら……」


 皆まで言わず、伸は険しい表情を浮かべる。


 確かに、今一揆を起こされるのは困りますわね……。


 けれど、いずれにしろ、わたくしの留守中に害虫達が暴れ出すことは目に見えていますし……。


 これ以上、民を刺激しない方法は?


 加えて、害虫達が誘われそうな罠とは?


「………………」


 わたくしはその場で熟考する。


「…………ハァ」


「……麗羽?」


 心配そうな伸を余所に、わたくしは小さく溜息を漏らした。


 この二つの条件を満たすためには……最早、己の身を切るしかないですわね……。


 そう決断し、わたくしは口を開く。


「……民からではなく、我が家の財を切り崩しなさい。それなら、民達に被害が行くこともありません……」


「……っ!? おいおい、良いのかよ? これ以上、袁家の財は渡したくないって言っていたじゃないか?」


「もちろん渡したくありませんわっ! ですが……改革には犠牲が付き物。ならば、真っ先に己の身を切らなければ、下の者はついて来ません。今は……耐えるしかないのです……」


 そう言って、わたくしは拳を固く握り締める。


 今、わたくしの中に渦巻くものは憤怒。


 害虫達に対する怒りもあるが、それ以上に、こうすることしか出来ない自分の不甲斐なさに、自己嫌悪しか感じ得ない。


 ごめんなさい、お母様……。


 わたくしが未熟な所為で、また袁家の名に泥を塗り重ねてしまいました……。


 ですが、今はまだ、天罰を与えることだけはお待ちください……。


 袁家を再興し、“彼女”に当主の座を明け渡すその日までは、この麗羽、立ち止まる訳にはいかないのです!


 それら全てが滞りなく終わった(あかつき)には、このわたくしに全ての責と罰を、お与えください……。


 気付けば、わたくしの頬には一筋の雫が流れ落ちていた。


「麗羽……」


 そんなわたくしの手を、伸は優しく握る。


 あぁ……この温もりがある内は、まだ頑張れますわ。


 こんな所で、立ち止まってなるものですか!


 そう思いながら、わたくしはさめざめと涙を流し続けるのだった。










「……めっ……姫っ!」


「っ!」


 わたくしを呼ぶ声に、ハッとなる。


「いっ、猪々子さん? 何ですの?」


「何ですの、じゃないぜぇ、姫? 何回も呼び掛けてるのに、反応ないしよぉ……」


 困惑した表情を浮かべる猪々子さんに、わたくしは苦笑した。


 あの声の大きい猪々子さんの声に反応出来なかったなんて……。


 深く思考し過ぎたかしら?


「あの……大丈夫ですか?」


 心配そうな表情でわたくしを見る斗詩さん。


 要らぬ心配をかけてしまいましたか……。


「大丈夫ですわ! わたくしは今、この後の買物に、思いを巡らせていただけですもの!」


「ゲゲッ!? まだ行くのかよぉ〜……」


「これ以上買ったら、置くところがないですって!」


 わたくしの言葉に、嫌そうな表情を浮かべる二人。


 まあ、その反応は妥当なものですわね。


 ですが、こうしている方が、何進に余計な疑惑を抱かせずに済みますからね……。


 決して、わたくし自身が買物を楽しんでいるという訳では…………ないはずですの……。


「何を言っているのです、二人共? こんなもの、まだまだ序の口ですわ! 甘いものも食べたことですし、この後も張り切って行きますわよ!?」


 わたくしはそう言って、ズンズンと一人街の方へ歩みを進める。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいよぉ〜! 姫ぇ〜!」


「ハァ〜……やれやれだぜ……」


 慌ててわたくしを追う二人を尻目に、わたくしはただただ前へ進む。


 二人共、こんな我が儘な主君で、苦労をかけますわね……。


 ですが、それもあと少し。


 この二年間、馬鹿のフリという屈辱に耐え、ここまでやってきた努力が、いよいよ報われるのです。


 害虫を駆除し、新生袁家で挑む“天下”……。


 必ず、掴んでみせますわ!


 そして、我が袁家に再び栄光を……!


 そのためにも、もう少しだけ、我慢していてくださいね?


「おーっほっほっほっ!」


 そう思いながら、わたくしは今日も、偽りの高笑いを浮かべるのだった。










side out










side 賈駆



「アンタ……またここに来てたの?」


 帳簿庫に入ると、最近ではお馴染の顔になってしまった王允に、ボクは呆れた表情を浮かべた。


「ハハハ……またお会いしましたね?」


「ボクはいい加減会いたくなかったけどね……」


 カラカラと笑う王允に、ボクはげんなりとする。


 コイツに帳簿庫で遭遇するのは、今日で十回を超えた。


 初めてコイツに遇ったのは、今から十日前。


 要するに、コイツは毎日ここに足を運んでるようだ。


 まったく……この男はどこまで神経が図太いのかしら?


 王允は死んでいると、わざわざ教えてやったのにも拘わらず、気にする素振りすら見せない。


 それどころか、このボクを前にして、これだけ飄々(ひょうひょう)としていられると、逆に何だか腹が立つ。


「アンタね……一応、ボクとアンタは敵対関係にあるってことを忘れてるでしょ?」


「あー……そういえばそうでしたね?」


「そういえばって……ハァ……」


 苦笑を浮かべる王允に、ボクは溜息をつく。


 もう……何なのよ、コイツ……。


 十日前、コイツが偽名を使っていると暴いた時、コイツは一瞬、ボクを殺そうとしたはず。


 軍師という職業上、ボクは殺気というものには敏感だ。


 あの後の、侵入者との対決を見て、その予想は確信へと変わった。


 コイツにとって、ボクを殺すことなど、雑作もないことなのだと……。


 まあ、だからなのだろう。


 その翌日から、コイツは堂々と帳簿庫に居座っていた。


 そして、ボクと対面しても、このように実に落ち着いた表情を浮かべている。


「まあ、良いではないですか? 今はまだ、我が主君と董卓様がぶつかっている訳でもないですし……。私としては、貴女とこうしてお話するのも、中々悪くないと思っているのですよ」


「アンタも物好きね? ボクみたいな気難しい女と話したいなんて言う奴なんて、初めてよ? ボクは結構、嫌われているだろうし……」


 まあ、ボク自身、(ゆえ)以外にはどう思われようと気にしないし気にならない。


 そういう姿勢だからこそ、効率重視で周りには少々きつく当たってしまうのだけど……。


「貴女が嫌われている? まさか? 貴女程有能な人間を嫌うことに、どんな利益があるというのです?」


 そう言って、王允は不思議そうな表情を浮かべた。


「利益……ね。確かに、表面上は何とも思ってないように繕っているけど、影じゃ皆、ボクのことをボロクソに愚痴っているわ。まあ、仕事さえちゃんとしてくれれば、別にどうでも良いけどね……」


「ふむ……」


 ボクの言葉に、王允は何か考え込んでいる。


 今の発言に、考え込むような要素があったかしら……?


「……やっぱり、どこにでもいるのですね? そういったくだらない嫉妬心を掻き立てる愚か者が……」


「……同情なら、不要よ? むしろ、アンタに同情されても嬉しくないわ」


 ボクがそう言うと、王允はキョトンとした表情になる。


「いやいや、同情じゃないですよ? ただ、私は解せないのですよ」


「解せない? 何がよ?」


「だってそうでしょう? 貴女のような有能な上司がいた方が、はるかに仕事は(はかど)ります。ましてや……男としては、貴女のような可愛い女の子が上司なら、やる気もうなぎ登りってもんでしょう?」


「んなっ!?」


 王允の言葉に、ボクはカァッと頬が熱くなる。


 この十日間で分かったけど……この男、時たまこういう恥ずかしいことをサラっと言ってくる。


「アンタ……そんなこと言って、恥ずかしくないの?」


「ん? 何がですか?」


 しかも、こんな風に、さも当たり前のことを言ったかのような表情でだ。


 普段、女として扱われていない所為か、こういう時のあしらい方をボクは知らない。


 だから、ただただ恥ずかしい思いだけがボクの中で駆け巡る。


「まったく……とんだ女誑しね、アンタ……」


「えぇっ!? 何でそうなるんですかっ!?」


 しかも、当の本人はまったく以って無自覚なのだから、尚のこと質が悪い。


「ハァ……何で分かんないのよ……」


 慌てた表情を浮かべる王允に、ボクは溜息をついた。


「俺、何か失礼なこと言ったかな? 言ってたならごめんなさい!」


 こちらが感心してしまう程、綺麗に頭を下げる王允。


 口調が変わってるけど、恐らくこれが素なのだろう。


 けど……この状況、ちょっとおいしいわね?


 あの王允が、初めて隙を見せている。


 この状況を利用して、何とか情報を引き出せないだろうか?


 依然として、コイツの出所が分かっていない以上、迂闊なことは出来ないし、それだけは押さえておかないと、後々厄介なことになるだろう。


 ただ、この十日間で分かったこともある。


 コイツ……多分女に対してかなり甘い……。


 侍女達曰く、困っている時にコイツと遭遇すると、十中八九助けてくれるらしい。


 実際、ボクも何度かその場面に立ち会ったことがあるが、どの侍女に対しても、とても優しげだった。


 加えて、敵対関係のボクに対しても、こんな簡単に頭を下げられるのだ。


 恐らく、多少の無礼も許されるだろう。


 それに、恥ずかしい思いもさせられたし……ちょっとだけ、からかってみようかしら?


 不意に生まれた悪戯心に、ボクは微かに口元を歪める。


「ボクの女心が、とても傷付いた……。ひどい……うぅっ……」


 誰でも分かりそうな泣きまねをしながら、ボクは両手で顔を覆った。


「マジかよっ!? いやっ、本当にごめんなっ!? 何のことかは分かんないけど、悪気はないんだよ!」


 立ち上がり、ボクの前に来ると、アワアワと身振り手振りを使って、王允はそう説明する。


 フフッ……面白い状況になってきたわね。


 この男、ただの女誑しかと思ったら、意外に純情君じゃない?


 ちょっぴり、いじめるのが楽しくなってきた。


「ボクだって女なのに……。遠慮がなさ過ぎるわ!」


「やっ、そういうつもりじゃないんだ! うーん……どうしたら……」


 フフフ……困ってる困ってる。


 このボクに恥ずかしい思いをさせたんだ。


 ただじゃ済ませないんだから!


「いや、本当にごめん……! 何でもするから、とりあえず泣き止んでくれないかな?」


「本当に?」


「ホント! ホント! 約束するよ!」


 参ったと言わんばかりの表情で、王允はそう言った。


 おっ?


 面白い証言が取れたわね?


 まあ、ここら辺でそろそろ止めとくか……。


 それに――


「ぷっ……ククッ……アハハハハ!」


「えっ……?」


 ボク自身、もう笑いを堪えることが出来なかった。


 あれ程食えない奴だと思っていた王允が、ここまで面白い奴だったとは……!


「なっ、何を……? えっ? えっ?」


 まだ状況が掴めていないのか、困惑した表情を浮かべる王允。


 こんなに笑ったのは、いつぶりかしら?


 あぁ……面白かった……。


「あー……笑った……。乙女の心を掻き乱した罰よ!」


「なっ!? お前!?」


 ニヤリと笑いながらそう言うボクを見て、王允もようやく状況を察したらしい。


「このっ……騙したな!?」


「フフン! 騙される奴が悪いのよ? それより……何でもしてくれるんだ?」


「はぁっ!? お前っ、んなの無効だろ!?」


「あら? 何? 男が一度交わした約束を違えるの?」


「うぐっ!?」


 言葉に詰まる王允を見て、ボクはさらにまくし立てる。


「ちなみに、暴力を振るおうとしたら、大声出すわよ? 今、この帳簿庫にはアンタとボクしかいないんだから。外の警備兵に聞かれたら、どうなるか……分かるわよね?」


「………………」


 顔を引き攣らせながら沈黙する王允に、ボクはニッコリと微笑んだ。


「……確かに何でもするとは言ったけど……出来る範疇でしかやらないぞ? こっちだって、言えないこともある。騙し討ちのような約束なんだから、それくらい認めてくれ……」


 苦い表情を浮かべながら、王允はそう言った。


 まあ、騙し討ちのように約束を取り付けたことは事実だし、多少は勘弁してあげるか……。


 コイツ、武に関してはかなり実力があるみたいだし、逆上されても困るしね。


「まあ、多少は大目に見てあげるわ。ただし……ボクの仕事を少し手伝ってもらうわよ?」


「……分かった」


 苦々しい表情を浮かべながら、王允は頷く。


 良し……。


 これで、コイツを観察する時間を確保出来るわね。


 何進の情報はもちろんのこと、コイツの出所も、必ず掴んでやる。


 少しの情報だって、逃さないんだから……!










side out










side 一刀



 いやはや……ホント、恐ろしいね、賈駆って女の子はさ……。


 この世界に来て、ここまで綺麗に騙されたのは、多分初めてじゃないかな?


 それにしても……


「ほら、これも持ってきなさい! 男でしょ?」


「あのなぁ……俺にだって持てる限度というものがだな……」


 可愛い顔をして、中身は真っ黒なんだから、つくづく人は見た目じゃ分からないなぁ……。


 俺が騙されてからもう三日が経つけど、その間ずっと雑用まがいなことをさせられた。


 しかも、俺が手伝う時には、必ず側にコイツいるという徹底ぶりだ。


 これじゃ、書類や竹簡の盗み見はまず出来ない。


 ったく……つくづく厄介な奴だよ……。


「うっさいわねぇ……。アンタの持ってる情報を根掘り葉掘り寄越せって言ってる訳じゃないんだから、それくらいやんなさいよ!」


「ハァ……」


 賈駆の辛辣な言葉に、俺は溜息をつく。


 確かに何でもやるとは言ったさ。


 それに、彼女の言う通り、俺が話せないことを直接は聞いてこない。


 だけどさ……こんなに山盛りの竹簡を持たされたら、流石に腹が立つ。


 ちなみに、話し方はもうバレているのでいつも通りのものに戻している。


 っていうか、コイツには敬語を使いたくねぇ!


「お前なぁ……こんなもん、自分で出来んだろ? もっとこう……書類整理の手伝いとか、何かねぇの?」


「ハッ、そうやって董卓軍の情報を得ようって言うんでしょ? 甘いのよ! ボクをナメんな!」


 やれやれ……とことん手厳しいね。


 俺の考えが全部読まれてやがる……。


 流石、鬼才と呼ばれるだけはあるなぁ……。


 ガシャリと音を立てながら、俺は山積みされた竹簡を持ち上げる。


 うっ……重い……。


 勘弁して欲しいよ、まったく……。


 そう思いながら、俺は前を歩く賈駆の背中を追う。


「そういえば……聞いた話じゃ、袁紹が洛陽の街で馬鹿みたいに買い物をしてるみたいだけど……アイツ、ボク達に対抗する気あんの? 随分余裕じゃない?」


 思い出したように、賈駆は俺にそう尋ねる。


「……本人が対抗出来るって言ってんだから、彼女の中ではもう対抗してるつもりなんだろ? 買い物に関しては、よく分からん」


「ふぅん…………敵に塩を送る訳じゃないけど、アレ、完全に邪魔でしょ? 良いの? 放って置いて? あれじゃ、宦官達に、何進が袁紹を呼んで何かしようと企んでるんじゃないかって勘繰られるわよ?」


「んなこと言ったって仕方ないだろ? 俺だって困ってるんだ。何の気か知らんけど、しばらく居座るつもりみたいだし……。閣下は閣下で、帰すつもりはないみたいだしな?」


「面倒なもんを背負い込んだものね?」


「まったくだ……」


 (もっと)も、袁紹を焚き付けたのは俺達だけどな?


 まあ言わんけど……。


「で? そのことについて、アンタの“ご主人様”は何て言ってんの?」


 っ……来た来た。


 コイツ、時たまこういうトラップを仕込んでくるんだよな……。


 しかも、こういう何気ない会話の中に入れてくるもんだから、油断したらポロッと大事なことも言っちまう。


 ホント、恐ろしい娘だよ……まったく……。


「特には何も。“閣下”は袁紹を味方に着けたと思ってるみたいだしね?」


 努めて平静を装いながら、俺はそう答える。


 こういう時は、答えることを拒否しない方が良い。


 変に拒否しようものなら、逆にそこを突かれるからだ。


 上手い手だとは思うが、その手に乗ってやるつもりはない。


「……ふぅん? …………チッ!」


 おい、舌打ちが聞こえてるぞ?


 いや、コイツのことだ。


 多分、わざと聞こえるようにやりやがったな……。


 ったく……可愛い顔をして、やることが陰湿なんだよ!


「ハァ……」


 思わず、俺は小さく溜息をついた。







 そうこうしている内に、帳簿庫にたどり着いた。


「…………よっと!」


 持っていた竹簡を、書棚に置く。


「ふぅ……。とりあえず、今日はこんなもんか?」


 俺は賈駆に向き直りながら、そう尋ねる。


「まあ……そうね。今日のところはもう良いわ」


 そう言って、賈駆はニコリと微笑む。


 ……ん?


 今日のところは?


「あの……一応お聞きしますが……まさか明日も雑用をやれって言うんじゃ?」


「は? 何言ってんの? そんなの当たり前でしょ?」


 さも当然と言わんばかりの表情で、賈駆はそう言い放つ。


 いやいやいや!


 それはおかしい!


「ちょっ、待て! 明日も!? お前、いつまでやらせるつもりだよ!?」


「うっさいわねぇ……。そんなの、ボクの仕事が終わるまでに決まってるでしょ? まあ……当分は終わらないと思うけど……」


 ニヤリと笑う賈駆に、俺の我慢はとうとう限界に達した。


「それってずっとじゃねぇか! ふざけんな!」


「別に、ふざけてなんていないわよ? アンタあの時、期限を指定したかしら?」


「そっ、それは……してねぇけど、物には限度ってものが……」


「限度? ボクにはよく分からない話ね。……まあ、自分の馬鹿さ加減を呪いなさい?」


 とても良い笑顔でそう言う賈駆。


「~~~~っ! ざっけんな! この性悪女!」


「んなっ! 誰が性悪ですって!?」


「お前以外に誰がいるんだ!? この性悪クソ眼鏡!」


「こっ、このっ、言うに事欠いてクソ眼鏡ですって!? ふっざけんじゃないわよ! 馬鹿のくせにぃっ!」


 俺の暴言に反応し、賈駆は顔を真っ赤にして怒る。


 このアマ……また人のことを馬鹿にしやがったな?


 ……もう決めた。


 コイツ泣かす!


「ほぉ~? お前、さっきから人のことを馬鹿だ馬鹿だと言ってはいるけど……その馬鹿相手にムキになっているのは、どこのどなたですかぁ?」


「なっ! ボクは別にムキになんて……!」


「あれれ~? 俺、別にお前とは言ってないんだけど? もしかして、自覚ありですかぁ~?」


「くっ……! ボクはムキになんてなってないもん!」


「もん? もんって何ですかぁ? いきなりぶりっ子ですかぁ?」


「っ!? ぬがあああああああ! ムカつくぅぅぅぅぅぅぅ!」


 地団太を踏みながら、賈駆は金切り声をあげる。


 顔を見ると、真っ赤にしながら半泣きになっている。


 ハッ!


 ざまあみやがれ!


 人のことを散々馬鹿にするから、こういう反撃に遇うんだよ!


 そう思いながら、俺はニヤリと笑う。


 と、その時――





「アンタら……何しとんねん?」


 帳簿庫に響く声が一つ。


 俺は思わず、声が聞こえた方へ向き直る。


 そこには……藤色の長衣を肩から羽織り、袴を穿き、胸にサラシを巻いた女性が、怪訝な表情を浮かべながら立っていた。


「霞!」


 隣にいた賈駆がそう叫ぶ。


 誰だ?


 その佇まいから、侍女には見えないし……もしかして、董卓軍の武将だろうか?


「詠っちの声、外にまで聞こえとったで? 一体何やっちゅうねん? それに……アンタは誰や?」


 女性はそう言いながら、俺に視線を移す。


 っていうか、何で関西弁?


 ……まあ、考えても仕方ない。


 とりあえず、自己紹介くらいはした方が良いかな?


 偽名だけど……。


「……私は、王允という者。以後、どうぞよしなに……」


 俺はそう言って、ペコリと頭を下げた。


「ほう……アンタが詠っちが言ってた王允か……。ウチの名は張遼。董卓軍で将をやっとる者や」


「っ!?」


 この人が神速の張遼!?


 これは……油断出来ないな……。


「貴女が、あの有名な張遼殿ですか。いやはや……遇えて光栄です」


「ワハハハ! 光栄なんて、大げさなやっちゃなぁ? まあ、悪い気はせぇへんけどな?」


 俺の言葉に、照れ臭そうに笑う張遼。


 うん、初対面の相手にしては、中々に良い雰囲気を作れたな。


 俺がそう思っていると、そこに水を刺す者が一名。


「気を付けなさい、霞。コイツ、かなりの女誑しで、頭の足りない狗みたいな奴なんだから」


「は? そうなん?」


 まるでゴミを見るかのような目で俺を見ながらそう言う賈駆に、張遼が意外そうな声を出す。


「まったく違います。黙れよクソ眼鏡」


 即座に俺は否定し、賈駆を睨む。


 いくらなんでも、失礼過ぎだろ?


 多少のことは我慢出来るけど、コイツはやり過ぎ。


 生憎俺は、聖人君子じゃない。


 俺だって、ムカつくものムカつくんだ。


 お仕置きの意味も込め、少しばかり殺気を込めて賈駆を睨む。


「っ……なっ、何よ! 事実でしょ!?」


 キッと俺を睨みながら、賈駆はそう言い返すが、微かに体を震わせている。


 ハッ……ビビってんのが丸分かりだ。


 調子に乗りすぎなんだよ……。


「まあまあ! そう殺気立つもんやないで? 王允?」


 苦笑を浮かべながら、張遼が俺と賈駆の間に分け入る。


「詠っちはちぃとばっかし気ぃが短いからなぁ……。すぐ喧嘩になってまうねん。せやから、あんまり挑発せんといてや?」


 張遼の言葉に、俺は急速に頭が冷えていく。


 何をやっているんだ……俺は……。


 こんなことをして騒ぎにでもなったら、義景達から与えられた任務がこなせないじゃないか!


 この程度の罵倒、あの時親戚達から浴びせられた言葉に比べたら、大したことないだろ……。


 挑発とか……子供か、俺は。


 冷静になれ。


 洛陽に来た目的を思い出せ。


 俺が王允ではないとバレているという、ただでさえヤバい状況なのに、ここでこれ以上余計なボロを出す訳にはいかない。


「……失礼致しました。張遼殿、止めていただき、感謝します」


「かまへん、かまへん! まあ、こないな所で喧嘩されても、ここの警備兵が困るだけやしな?」


 感謝を述べる俺に、張遼はニカッと笑ってそう言う。


 出来た人だなぁ……賈駆と違って……。


 そう思いながら、俺はチラッと賈駆に視線をやる。


「……何よ?」


「別に?」


 視線が合っただけで、賈駆は酷く嫌そうに言葉を吐く。


 コイツ……頭は良いけど、社交能力はあんまりねぇな。


 曹操の所の旬イクみたいだ。


 アイツも酷かった。


 何せ、交渉の初っ端からブチ切れてたからな……。


「アンタら……ホンマ仲悪いなぁ? そもそも、何で喧嘩になっとんねん?」


 呆れた表情を浮かべる張遼。


 まあ、仲介者がいた方が、話は纏まりそうだな。


「実は……」


 俺はそう判断し、今までのことを順に話し出した。


 ちなみに、途中で賈駆がギャーギャー騒いでたけど、全部無視してやった。


 一々相手にしてられるかってんだ!










side out








side 張遼



 詠っち達の喧嘩を止め、ウチは王允の話を聞いていた訳やけど……。


「詠っち……」


「なっ、何よ?」


「そらアカンわ……。分かっとるやろ?」


「………………」


 ウチの言葉に、詠っちは沈黙する。


 まあ、詠っちは頭えぇからなぁ。


 意地張ってるだけやと思うし、詳しく説明せんでも分かっとるやろう。


 それにしても……無期限で仕事手伝わせるとか……しかもタダでやろ?


 それもう扱いが奴隷と一緒やん。


 そら王允もキレるわなぁ……。


 せやけど……


「王允かて、女に対してクソ眼鏡はアカンわ。まあ、元々が強引な約束みたいやけど、約束は約束やろ?」


「えぇ、分かってます。どんな形であれ、約束は約束です。別に、私はそれを無下にするつもりはありません。私は期限がないことに怒っているのです。私だって仕事があるのですから、ずっとなんて手伝える訳がないでしょう?」


 溜息をつきながらそう言う王允に、ウチは納得した。


 なるほど、それがいざこざの原因かい。


 なら、


「……せやったら、あと三日だけやって終わりでえぇんちゃう?」


「あと三日……ですか? そりゃまた何で?」


「そりゃあ、3日後にウチらの主が洛陽に戻ってくるから……」


「霞!」


 ウチの言葉に、詠っちが慌てて止めに入る。


「いきなり何やねん、詠っち?」


「何じゃない! コイツは、何進の息がかかってるのよ!? コイツの前でそれ以上の話は駄目!」


「何や、偽名だけやのうて、何進の息までかかっとるんかい?」


 随分と面倒な奴やなぁ?


 一体いくつ仮面を持っとるんや。


 でも、少し納得したわ。


 主人が大将軍やから、詠っちに対しても堂々としとるわけやな?


 そう思っていると、王允は小さく溜息をついた。


「私は歴とした大将軍閣下の部下です。まるで金で釣られたような言い方は、勘弁願いたいんですが?」


「あー……まあ、どっちでもえぇわ」


 ウチはそう言って苦笑する。


 部下って言っても、偽名使ってる段階で、本当の部下とは言えへんと思うんやけどなぁ……。


 そう思いながら、ウチは詠っちに向き直る。


「まあ、詠っちもそないに心配せんでもえぇで?」


「……は? 何でよ?」


「そりゃあ……」


 そう言いかけて、ウチは王允に向き直る。


 そして――


「っ!?」


 ウチの殺気に、王允は目を見開く。


 ウチは少し本気で威圧した。


 ウチは武人やからな。


 武人は武人らしく、武人のやり方で、王允を計ったるわ。


 それに……


「敵対するなら、ウチが潰すまでやしなぁ?」


 ウチかて、月の武将や。


 月を狙うのなら、容赦はせんで?


 そもそも、ウチはちゃんと名乗っとるのに、偽名で答えるとか……ウチのことナメとるやろ?


 そう思いながら、ウチは王允の目を見つめる。


 対する王允は、何か考えているのか、何も言わない。


「何や? ビビって動けへんか?」


 詠っちに対して随分と堂々としとったから、少しは骨があるのかと思うたけど、コイツも権力だけの詰まらん人間なのか?


 もしそうやったら、とんだ期待外れやなぁ……。


 そう思っていたが、次の瞬間、その思いは見事に打ち砕かれた。


「ご心配なく。“この程度”何てことはないですよ?」


 王允はニヤリと笑ってそう言った。


 同時に、ウチらに対して、中々の殺気を放つ。


「っ!」


「…………へぇ?」


 詠っちは随分びっくりしとるみたいやな?


 けど、ウチは無意識の内に口角が上がっていた。


「胡散臭いだけの奴かと思っとったが……えぇ面構えが出来るやん?」


「まあ、突然殺気をぶつけられたら、誰でもこういう反応になると思いますよ?」


 ウチの目をまっすぐ見て、王允は堂々とそう言い返す。


 何や……出来るやないかい。


 こら、おもろなってきたで……。


「大した殺気や……。けどなぁ、ウチに対して喧嘩を売っておいて、ただで帰れると思っとるん?」


「思ってますけど何か? 別に、私がどう思おうと、私の勝手でしょう?」


 相変わらず勝ち気な笑みを浮かべる王允に、ウチの武人としての魂が疼く。


「ハッ……その度胸は認めてやってもえぇ。せやけどなぁ、自分の腕っちゅうもんを過信し過ぎとちゃうか?」


「別に、過信なんてしてませんよ。なんなら、今ここで試してみますか?」


「…………上等やないか」


 王允の挑発に、ウチは今日一番の高ぶりを感じた。


 そして――


「……フッ!」


 書棚に立て掛けておいた“飛龍偃月刀”を素早く手に取り、そのまま王允の首目がけて横薙ぐ。


 だが……





 ギィンッ



 固いものにぶつかったような感触が、その手に伝わる。


 止めた……やと?


 それも、そんなチンケな短刀で?


 このウチの偃月刀が?


 ……んなアホなっ!?


「ッ!」


 ウチはその事実にただただ驚愕する。


 王允を見ると、その手に持った短刀で、ウチの偃月刀を防いでいた。


 王允はそのまま、グッと短刀を押し込んで、偃月刀の刃を弾く――と同時に、後方に飛び退き、ウチから距離を取る。


「あっぶねぇ……。流石、神速と言ったところか?」


 余裕自体はなさそうだが、その顔には今だに笑みが張り付いている。


 姿勢を低くし、逆手に持った短刀を眼前に構え、ウチを真っすぐ見据える。


 何や、続ける気ィかいな?


「…………おもろいやん」


 ウチはニヤリと笑みを浮かべた。


 コイツ……世辞抜きで強いわ。


 背中がゾクゾクする。


 ああ…………戦ってみたい!


 そう思いながら、ウチは偃月刀を構え直す。


 だが……


「そこまでよ、霞?」


 そう言って、詠っちがウチの前に立つ。


「霞、さっきボクに何て言った?」


 ん?


 どういう意味や?


「ウチ、詠っちに何か言ったっけ?」


「ハァ……。“こないな所で喧嘩されても、ここの警備兵が困るだけやしな”って言ったのは、アンタでしょ?」


 呆れた表情を浮かべながら、詠っちはそう言った。


 ああ……言われてみれば、そないなこと言ったなぁ……。


 ちょっと、頭に血ィ上り過ぎたか?


「すまん、詠っち。忘れとったわ」


 ウチは苦笑を浮かべ、構えを解く。


 それを見た王允も、短刀を鞘に納め、懐にしまう。


「分かってくれれば良いわ……。それと、王允?」


「……何だ?」


 詠っちの言葉に、王允は疲れた表情で答える。


 っていうか、相変わらず詠っちだけにはタメ口なんやな?


 ほんま、仲が良いのか悪いのか、よう分からんなぁ……。


「手伝いは霞の言う通り、あと三日やってくれれば良いわ。それに、今回ボクに無礼なことを言ったことも忘れてあげる。ただし……」


 詠っちは一呼吸置くと、王允に向き直る。


「これ以上、ボク達を詮索するなら、それなりに“対処”するから」


 そう言って、詠っちは王允を睨みつけた。


「……肝に銘じておこう」


 王允はそう言葉を残すと、足早に帳簿庫を出て行った。


 それなりの対処……ね?


 詠っちは、どこまで対処するんやろう?


 場合によっちゃあ、暗殺も視野に入れ取るやろうな。


 ……ウチとしては、ちゃんとした形で王允と戦いたかったんやけど……まあ、しゃあないわ。


 今回ばかりは、月のためやし、我慢やな。


「霞……」


「何や?」


「アイツ……霞はどう感じた?」


「……中々出来るで、アイツ。それに、頭も馬鹿やない。……ああいうのは厄介やで?」


 ウチがそう言うと、詠っちはコクンと頷く。


「しばらく様子は見るつもりだけど……状況次第では殺すこともあるから。その時は……お願い出来る?」


「…………分かった」


 ホンマはこないな汚いやり方、好きやない。


 けど、詠っちは月のためなら、どんなに自分の名を貶そうが構わないと、覚悟を決めとる。


 そんな詠っちの頼みを、断れる訳がないんや。


 ウチはそう思いながら、小さく溜息をついた。











side out




 どうも、§K&N§でございます。


 今回は、物語の中間部分を描きました。


 崩れて行く巨木、その中でうごめく人々。


 そんな感じを出せていたら、嬉しいです。




 さて……気付けば、この小説も、初めて投稿してから早いことで一年が経ちました。


 この一年、皆様に楽しんで頂けるような作品を目指して来ましたが、実際はどうだったでしょうか?


 皆様は、楽しんで頂けましたか?


 まあ、正直、自信はありません。


 様々な叱咤激励を受けながら、少しずつ進んで参りましたが、これからの展開を考えると、少し不安に思う時もあります。


 ですが、一度始めた以上、最後まで終わらすと決めているので、どうか、今後ともお付き合い頂きますよう、お願いします。


 では、また次回で!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ