〜第九話〜黄天、終焉の時
遅れました。
とりあえず、どうぞ!
side 一刀
戦まで、あと数刻と迫った今、俺は桃香様の天幕に向かっていた。
「兄貴!」
そんな俺を呼ぶ声に振り向くと、そこには臙脂の武官服を纏った黒髪の少年、姜維こと、影隼が立っていた。
三週間前、張元小隊で隊長代理を務めた時、副官を頼んだ内の一人が、今目の前にいる影隼である。
あの時は、俺も余裕がなくて気付かなかったけど、姜維と言えば、三国志では諸葛亮の後継者となった程の人物である。
そんな未来の偉人に兄貴呼ばわりされるのは、何だかむず痒いなぁ……。
まあ、本人がそう呼びたがってるから仕方ないとは思うけど、少しだけ複雑な心境だ。
「兄貴、小隊の準備、終わりましたぜ。次はどうします?」
彼のトレドマークであるポニーテールを揺らし、そう言って俺に指示を仰いだ。
「そうだな…………じゃあ、皆に軽食を取るように言っておいてくれ。戦が始まれば、日が暮れるまで飯を食う暇なんてないだろうしね」
「了解です。……ところで、兄貴はこれからどちらに?」
そう言って、影隼は不思議そうな表情を浮かべる。
「俺?俺は今から軍議に出席しなきゃならないんだ。まあ、そういう訳で、俺は行ってくるよ」
「なるほど、了解ッス。ではまた後で」
俺がそう言うと、影隼は納得した表情を浮かべ、北郷小隊が待機する隊舎代わりの天幕へ走っていった。
「さて……俺も急がないと……」
そう独りごちて、俺は桃香様の天幕へ歩む足を速めた。
桃香様の天幕に入ると、主要メンバーは既に全員集まっていた。
どうやら、俺が最後らしい。
「すみません。待ちましたか?」
「大丈夫だよ!皆、ちょうど集まったところだし……」
俺の謝罪に、桃香様は苦笑で答える。
「さて、じゃあ軍議を始めるか。一刀、とりあえず座ってくれ」
「ああ……」
義景に促され、俺は空いた席に座った。
「まずは、君達に伝えなきゃならないことがある。……先程、大将軍何進の使者が来た」
「「「っ!」」」
義景の言葉に、鈴々以外の武官は驚きの表情を浮かべた。
「ぎっ、義景殿?それは、大将軍からの辞令が下ったということですか?」
恐る恐る愛紗が尋ねる。
「まあ、一応そういうことなんだろうが……」
そう言って、義景は朱里と雛里に視線を移す。
義景の視線を感じた二人も、ただただ苦笑するだけである。
「何だよ?何か問題でもあったのか?」
士陽はそう言って、怪訝な表情を浮かべた。
確かに、義景にしては珍しく歯切れが悪い。
何かヤバい問題でもあったのだろうか?
「……いや、特に困るようなことじゃないんだ。むしろ、全く問題ないと言っても過言じゃない」
「ん?どういうことだ?」
俺は思わずそう呟いた。
「まあ、この書状を見てもらえばすぐに分かるだろう」
義景はそう言って、辞令書らしき書状を士陽に渡した。
「ん?…………おい、何だこりゃ?」
士陽は渡された書状を読むと、眉をひそめてそう言う。
「おい、士陽、何て書いてあるんだ?」
「まあ、読んでみりゃ分かるよ」
俺の言葉に士陽はそう返すと、俺に書状を渡す。
俺は受け取った書状に目を通した。
「『貴様らの好きに動け。張角さえ討てれば、手段は問わん。妾は貴様らの後ろで戦況を見守る』……は?」
俺は思わず惚けた声を出した。
「一刀殿、それだけですか?」
「うん……それだけみたい」
驚いた表情でそう言う愛紗に、俺はそう返した。
「見て分かる通り、大将軍何進は進軍しないと明言している。まあ、官軍の大将がこんなに消極的なのは問題だと思うが、本人がこう言っているのだから、仕方ないね……」
そう言って、義景は苦笑する。
「でも、これで私達の策も展開し易くなりました!偶然の産物だと思って、あまり気にしない方が良いと思います」
俺達を見回し、朱里は微笑を浮かべる。
隣にいる雛里もウンウンと頷いている。
「そうだね。悪く考え過ぎるのも良くないし、前向きに捉えよう!」
いつもの笑顔でそう言う桃香様の様子に、天幕の雰囲気も明るくなる。
「あら……随分と楽しそうじゃない?お邪魔だったかしら?」
天幕の入り口から聞こえるその声に振り向くと、いつものように勝ち気な表情の曹操が立っていた。
その両脇には、夏侯淵と荀攸が控えている。
「あっ、曹操さん!お待ちしていましたよ!どうぞ座ってください」
桃香様はそう言って、曹操達に座るよう促した。
曹操達が座ると、早速軍議が始まった。
「さて、まず確認ですが、曹操殿の所にも、大将軍何進からの使者は来ましたか?」
曹操を見ながら、義景はそう切り出す。
「あのふざけた辞令のことかしら?ええ、来たわよ。まあ、おかげで邪魔な部隊に戦場をうろつかれなくて済むけど」
そう言って、曹操は鼻で笑った。
何進、滅茶苦茶なめられてるなぁ……。
一応、大将軍なんだけど、敬う意思まったく見られねぇ。
まあ、それも仕方ないのかもしれない。
大将軍と言っても、何進は実力でその地位にたどり着いた訳ではない。
元々街の肉屋だった何進は、妹の何皇后が皇室に嫁いだため、その権威によって大将軍に任命された。
だが、武人でもない何進が戦場で役に立つはずもなく、実質は部下である皇甫嵩達によって、何とか体裁を保っていた。
当然今は、そんな名ばかり大将軍のメッキは剥がれ、誰もが何進を信用しなくなっている。
「結構。そこまで分かっておられるのなら、問題はないですね。では、今回の私達の策をご説明させて頂きます。朱里、雛里?」
「「はい!」」
義景の言葉に、二人は元気よく答えた。
前回は二人の実力がイマイチ見えなかったけど、今回はきっと本領を発揮してくれるはずだ。
何たって、二人は“臥龍鳳雛”と呼ばれた、後世まで語り継がれる天才軍師なのだから……。
side out
side 陶応
「では、私達の策の概要をご説明します。こちらの地図をご覧ください」
そう言って、朱里は一枚の地図を円卓の上に広げた。
この地図は、黄巾賊の城塞があるこの地の周辺に住む村人に話を聞いて作成した物だ。
「黄巾賊の城塞は、東西南北に一つずつ門があり、それ以外は木製の城壁で三重に囲ってあります。それ故、今までのようにただ前から突撃しても、時間がかかる上に被害も大きくなる恐れがあります。私達としては、ならべく被害は最小限に抑えたいので、あまり戦を長引かせることは出来ません。つまり、比較的速やかに、尚且つ少ない被害で張角を討つというのが勝利条件です。まず、この意識を共有してください」
朱里はそう言って、僕達に真剣な表情を向けた。
「まあ確かに、私としてもいたずらに我が精鋭を失いたくはないわね……。良いでしょう、その意識を共有します。で、それを踏まえてどうするの?」
曹操は納得した表情で頷きながら、二人のちびっこ軍師を見つめながら尋ねた。
「えっと……確かに三重の城壁は脅威ですが、石垣ではなく木製です。そこで、西門に火を放ちます。そして、火が放たれたことによって浮足立った敵兵の隙を突き、一番目の城壁の内側に侵入後、偽の賊兵を放ち、北門を全て開けさせます。後は、軍部によって制圧すれば、被害も少なく勝利条件に至るでしょう」
曹操の問い掛けに、真剣な表情で雛里が答える。
「なるほどね……。一番目の城壁が焼けていると分かれば、敵方は混乱に陥る。その混乱に乗じれば、偽の賊兵は潜入し易くなる。実に効率的ね。でも、どうしてわざわざ西側なのかしら?別に、北側以外ならどの門を焼いても、同じじゃないかしら?」
納得はしたものの、そのことが気になるのか、曹操は朱里達に尋ねた。
だが、その疑問に答えたのは、策を考えた朱里達ではなく、曹操の軍師である荀攸だった。
「より効率を上げるためでしょう? 我々の情報では、集まった諸侯達は、数の暴力を利用して南側の城門を一点突破するつもりのようですし……。そんな状況下で城門を落としたら、張角の首を狙う諸侯達が我先にとなだれ込んで来るでしょう。そんなことになったら、敵方ではなくこちらが混乱してしまう。貴女達の懸念は、そこにあるのではないですか?」
朱里達を見据え、荀攸は微笑を浮かべながらそう言った。
やはり、荀攸は侮れない。
あの短い説明の中で、ここまで正しく理解するとは……。
「まあ、確かにそうですが、それだけではありません。曹操様は、敵の兵糧庫が東側に位置していることをご存知ですか?」
僕はそう言って、曹操に視線を向けた。
「兵糧庫?……ああ、そういうこと」
心底納得した表情を浮かべ、曹操はそう呟く。
「はい、そういうことでございます」
僕はそう言って、微笑を浮かべた。
「おいおい、ちょっと待てよ。何だよそういうことって?」
怪訝そうな表情を浮かべ、士陽がそう言った。
まあ、今の話はかなり抽象的な話だったからな。
士陽が分からないのも無理はないか……。
僕はそう思い、改めて詳しく説明しようと口を開きかけたその時、士陽の横にいた一刀が話し出した。
「いやいや、難しい話じゃないと思うぜ?つまり、兵糧が置いてある東側の方が警備が多いから、警備の薄い西側を攻めるんだろ?そうだよな、義景?」
一刀はそう言って、僕に向き直る。
やはり、一刀はちゃんと理解していたようだ。
まあ、一刀は意外と軍事の知識に明るいからな。
先程の話だけでも、一刀なら充分理解出来るはずだ。
「ああ、そうだ。その方が、こちらの被害も少ないからな」
「ほらな?……あっ、でもさ、被害を少なくしたいなら、西側だけじゃなく東側にも火を放った方が良くないか?」
「どういうことだ?それは、軍を二つに分けて、西側と東側の両方を攻撃するってことか?」
一刀の言葉に怪訝な表情を浮かべて、僕はそう言った。
正直、一刀の言っている意味が分からない。
その方法では、わざわざ警備の薄い西側を狙う意味がなくなる。
一刀は何が言いたいんだ?
「いや、そうじゃなくて、先に東側に火を放てば、必然的に注目が東側に集まるよな?んで、時間差で後から西側に火を放てば、敵はもっと混乱するんじゃないかな、と思ったんだけど……」
そう言って、一刀は苦笑しながら僕を見た。
「…………」
僕は思わず言葉を失った。
僕だけでなく、皆一様に何も話さない。
「あれ……?なあ、士陽。俺、何か間違ったこと言ったかな?」
困った表情を浮かべて、一刀は隣の士陽に話し掛けた。
「いや……間違ってねぇと思うぜ?実際、分かりやすいしな。なあ、義景?」
士陽は苦笑しながら僕に視線を向けた。
「ああ……」
士陽の問い掛けに、僕は生返事をする。
これは驚いた……。
一刀の言う通り、確かにその方がより敵の混乱を誘発出来る。
その発想はなかった……。
「ふむ……実に筋の通った話ですね。陶応殿、北郷殿の案を採用した方が良いかと」
そう言って、荀攸は僕を見た。
「そうですね。朱里、雛里、二人も良いかい?」
「はわわっ!?わっ、私に異論はありましぇん!」
「あわわ!私もでしっ!」
固まった二人に問い掛けると、二人は驚いたようにそう言った。
まあ、二人が固まる気持ちも分からなくはない。
実際、僕も驚いているのだから……。
「では、今回はこの策で行きますので、よろしくお願いします。次に配置ですが……」
僕はそう言って、次の議題に話を移した。
数分後、配置については思いのほか円滑に決まった。
「では、東側に我が劉備軍の北郷小隊が火を放ち、時間差で西側に曹操軍の夏候淵隊が火を放つということでよろしいですね?」
「ええ、構わないわ」
「うん、私もそれで良いよ!」
僕の問い掛けに、曹操と桃香は納得した表情でそう答えた。
「それでは最終確認です。西と東に両軍の部隊を配置し、賊兵の注目が行くようわざと目立つように火を放つこと。その際、北側に待機する我らは、ならべく目立たないようにすること。火が回り、それによって賊達が混乱している隙に、互いの軍から選出した工作員を紛れ込ませ、北側の城門を全て開城させた後、両軍の精鋭によって一気に制圧する……。こういう流れになる予定ですが、こちらもよろしいですか?」
僕がそう言うと、二人は揃って頷いた。
「では、これにて軍議はお開きということで。曹操様、わざわざご足労、ありがとうございました」
そう言って、僕は曹操に頭を下げた。
「別に頭を下げる必要はないわ。それより……」
曹操はそう言うと、一刀に視線を向けた。
「北郷……貴方、私の所に来ない?」
そう言って、曹操はニヤリと笑った。
「なっ、何を言っているのです?私は劉備軍の一員ですよ?」
一刀はそう言って、驚いた表情を浮かべる。
まさか……一刀を引き抜くつもりか!?
「知ってるわ。だからこそ……よ。貴方をここで副官程度にしておくのは勿体ないわ。私の所に来れば、将軍職を用意してあげる。どう?」
「だっ、駄目ですっ!一刀さんは私の軍の一員なんですよ!?そんなの、私が了承しません!」
曹操の言葉に、慌てて桃香はそう言った。
「あら、了承するかしないかは、北郷が決めることじゃなくって?」
余裕の態度を崩さず、曹操はニヤリと笑ってそう言った。
「曹操殿!幾らなんでも勝手が過ぎます!しかも、私達がいる前でそのようなことを……!」
「愛紗、落ち着けよ」
激昂する愛紗をなだめるように、士陽が愛紗の肩に手を置いた。
「何故止める、士陽!一刀殿は、貴様の親友ではないのか!?」
「はぁ……だからこそ、俺達が熱くなってどうすんだよ。最後に決めるのは一刀だぞ?それに、まだ一刀の答えを聞いてねぇ」
愛紗の言葉に、士陽は溜息をつきながらそう答えた。
確かに、士陽の言う通りだな。
「へぇ……貴方、陳登と言ったかしら?随分冷静じゃない」
「ハッ、生憎、俺は人に自分の意見を押し付けない性分でね。一刀が聞かれてんだから、一刀が答えれば良いのさ。で、一刀、どうなんだ?」
曹操の言葉を鼻で笑うと、士陽は一刀に向き直った。
「……曹操殿、貴女様にそのような評価をして頂き、私自身嬉しく思います。ですが……」
一息つくと、一刀は曹操を見据えた。
「私は桃香様にこの命を預けると決めたのです。故に、そのお話はお断りさせて頂きます」
そう言って、一刀は真顔で曹操を見つめる。
「そう……それが貴方の答えなのね?」
「はい。……そもそも、軍が瓦解した訳でもないのに、自分の命を預ける者をコロコロと変えるような者は、馬鹿としか言いようがないでしょう?」
苦笑しながら、一刀はそう言った。
「ふふっ、それもそうね。でも、一つだけ覚えておきなさい。私は、自分の欲しいものは必ず手に入れる。どんな手段を使っても……ね?……流、秋蘭!」
「「はっ」」
「戻ったら、関係各位に軍議で決まった内容を説明しなさい。……じゃ、次は戦場でね、劉備?」
「はっ、はい……」
桃香に一言告げると、曹操は自軍に引き上げていった。
「はふぅ〜……ビックリした。最後の最後で一刀さんを引き抜こうとするなんて……」
桃香はそう言って、疲れた表情を浮かべた。
「まあ、一刀はここに残るって言ったんだから、とりあえず良しとしとこうぜ?」
「まあ……そうだな」
士陽の言葉に、愛紗が同意する。
正直、一刀がどんな判断を下すか、僕もヒヤヒヤしたが、やはり一刀は忠義に厚いようだ。
「でもさ、何で曹操は俺なんか欲しがるんだろうな?武で言えば愛紗や鈴々の方が上だし、知略で言えば朱里や雛里の方が上だろ?俺なんて、まだまだどっちも中途半端だから、イマイチ曹操の考えてることがよく分からないんだよなぁ……」
そう言って、一刀は不思議そうな表情を浮かべた。
「何が中途半端だよ?朱里達が考えた策以上の策をぶち込んだじゃねぇか。お前、軍師も出来るんじゃねぇか?」
呆れた表情で士陽はそう言う。
「朱里達以上?おい士陽、それは間違いだ」
「は?どこがだよ?」
「あのなぁ……あれは、朱里達が考えた元の策があったから、たまたま考えつけただけ。それに、美玲様もよく言ってたからな。敵の裏を突けって」
そう言って、一刀は苦笑した。
そういえば、以前一刀は美玲様から軍学を学んだと言っていたな。
だから先程のような策も打ち出せるのか。
そう考えると、一刀は文武両道の万能型と言えるだろう。
夏侯惇将軍の一撃を弾くだけの実力を持ち、軍事、政治の知識にもある程度明るく、頭の回転も中々早い。
なるほど、これは曹操も欲しがる訳だ。
とりあえず、一刀が曹操の陣営に行かなくて良かった。
親友を殺さなければならない状況なんて、そんなのごめんだ。
……まあ、今はそんなことを考えている場合じゃないな。
今回こそ、僕達軍師陣は仕事をしなければならない。
個人的なことは後回しだ。
そう思いながら、僕は思考を切り替えた。
「皆、聞いてくれ」
僕がそう言うと、全員が振り向く。
「曹操との軍議は終わったけど、僕らの軍議はまだ終わっちゃいない。実は、曹操には話していないもう一つの策がある」
僕の言葉に、朱里と雛里以外の全員が驚いた表情を浮かべた。
「どういうことです、義景殿?」
怪訝な表情で愛紗が尋ねる。
「うん、実はね……」
僕は語り始めた。
もしかしたら、今回の戦でこの策は最も重要な策になるかもしれない。
何故ならこの策は、僕、朱里、雛里の三人で考えた、曹操を出し抜くとっておきの策なのだから…………。
side out
side 曹操
「華琳様……北郷の件、本気でしたね?」
劉備の陣から帰る途中、流はそう言って切れ長の目を細めながら私を見る。
「あの男は優秀よ。それこそ、この私が欲しくなる程にね?」
私はそう言いながら、ニヤリと笑う。
「ふっ……随分と楽しそうですな?」
後ろに控えていた秋蘭が、苦笑を浮かべながらそう言う。
「ふふっ……」
秋蘭の問い掛けに、私は微笑で答えた。
楽しいに決まってる。
何の脅威もない覇道など、歩んでいてもつまらないだけ。
だが、また一人、脅威になり得る人物が現れた。
我が覇道に賛同するならそれも良し、敵対するなら完膚なきまでに叩き潰す。
私はいつだってそうしてきたのだ。
そして、それはこれからも変わらない。
どちらにせよ、貴方達劉備軍には、私の覇道に華を添えて貰うわ。
そのためには、まずはこの戦で、力の差を思い知らせてあげる。
「流?」
私は隣に立つ流に目を向けた。
「何でしょうか?」
「この戦、我が軍の勝利条件は何だったかしら?」
「張角の首をあげることですが?」
怪訝な表情を浮かべながら、流が答える。
「流、私は誰にも張角の首を譲りたくないわ」
そう言って、私はニヤリと笑いながら流を見つめた。
「やれやれ…………劉備を出し抜く策なら、すでに用意しています。あとは華琳様にご判断頂くだけです」
「あら、仕事が早いじゃない?」
「“君主の指示を待っているだけの軍師は二流”と私に言ったのは貴女でしょう?」
苦笑を浮かべながら、流はそう言う。
私の考えを予想して、すでに策を用意しているところは流石だ。
流の行動の早さに満足しながら、私は左隣りに立つ秋蘭に目を向けた。
「秋蘭、今から春蘭達を天幕に呼んで頂戴」
「御意」
そう言って、秋蘭は我が軍の武官が集まっている天幕へ駆けていく。
「流、天幕に戻ったら、その策を聞かせて貰うわよ?」
「承知しました」
流の返事を聞きながら、私は黄巾賊の根城を睨む。
張角の首は、必ず我が軍があげる。
他の者になど、譲ってやるものか。
side out
side 馬元義
「おい、張曼成! 南門に集まった諸侯達が、攻撃を始めたぞ!?」
私は本陣の天幕に入ると、備えられた椅子に座る張曼成にそう叫んだ。
「とうとう来たか……」
張曼成はそう呟くと、立ち上がりこちらに歩み寄る。
「やはり、昨日の内に張三姉妹を離脱させて正解だったな。こんな状況では、離脱させる時期を見誤ってしまっただろう」
「確かにな。まあ、張三姉妹には審配も付いているし、無事袁紹の下までたどり着いてくれるだろう。我等が今すべきことは、目の前の戦に集中することだ」
張曼成の言葉に頷きながら、私は天幕の入口から見える、南門に集まった諸侯達を睨みつけた。
諸侯達は、巨大な丸太の杭を門に打ち付け、強引に突破しようとしている。
まあ、ある程度の頑丈さはあるため、そう簡単には破られないはずだが、あそこまで数の暴力で攻められてしまえば、破られるのも時間の問題だろう。
「……これが、最後の戦になるのだろうか……?」
隣に立つ張曼成がそう呟く。
「……そうなるだろうな。諸侯達の総兵数は約十五万。いくら何でも、これでは我等に勝ち目などない」
小高い丘の頂上に天幕を構えたため、官軍の動きは上から良く見える。
同時に、約十五万人の官軍兵達もしっかり見えるため、自分達の置かれた状況は簡単に理解できた。
恐らく、この戦で我等は死ぬ。
にも拘わらず、どこか他人事のような言葉を吐いた自分自身に、私は苦笑した。
思い返せば、ここまで長い道のりだった。
宦官達に良いように扱われる漢皇室に失望し、同志を集め黄巾党を結成した。
あの時は、一義勇軍として、ただひたすらに天下太平を目指していたな。
それがいつの間にか、規模が大きくなるにつれ、賊に成り下がっていた。
何故こんなことになってしまったのだろう……。
“こんなはずではなかった”
ここ最近、私はこの言葉が頭の中で繰り返されている。
ふと、隣に立つ張曼成に視線を移した。
ギュッと目を閉じ、何かに耐えるような表情を浮かべている。
恐らく、考えていることは私と同じなのだろう。
「申し上げます!」
その時、一人の兵が慌てて本陣に飛び込んできた。
「何事だ?」
突然のことだったが、張曼成は冷静に問い掛ける。
「はっ、東側の城門に官軍が火を放ったようで、それにより兵達に動揺が広がっています」
「何だと?」
兵の言葉に、私は思わずそう呟き、天幕の外に飛び出した。
そのまま東側に目を向けると、確かに一番目の城門から火の手が上がっていた。
「……まずいな」
私は思わずそう独りごちた。
東側と言えば、兵糧庫がある。
もし、その兵糧庫が落とされでもすれば、我等の兵達の士気は確実に下がる。
そうなれば、最早終わりだ。
「どうする、張曼成?」
「どうするもこうするもないだろう?」
そう言って、張曼成は声を張り上げた。
「皆の者! 落ち着け! うろたえるな! 官軍の狙いは我等の混乱だ。南門に注意しながら、東側の兵糧庫を死守するんだ!」
『おおぉぉぉ!』
張曼成の指示に、大きく気勢をあげつつ、兵達は動き出した。
東側の兵糧庫の周りには多くの兵達が集まる。
「よし……。とりあえず、簡単に兵糧庫は落とさせん」
そう呟きながら、張曼成は鋭い視線を東門と南門に向ける。
どうやら、覚悟を決めたらしい。
ならば私は……
「張曼成、私は前線に出て直接指揮を執る。こちらは任せたぞ?」
「……大丈夫なのか?」
張曼成は私の失った左腕に心配そうな視線を移す。
「ふっ、私を侮るな。この程度、何の問題もない!」
「……そうだな。全体の指揮はこちらに任せろ」
お互いに軽く微笑むと、私は南門に向かおうとした。
その時、
「申し上げます! 西門からも火が!」
先程とは別の兵が、慌ててやってくると、西門を指差してそう叫んだ。
「何だと!?」
私も西側に視線を向けると、確かに西門から火の手が上がり始めていた。
「ちっ! 奴らめ、東を囮にして、西から攻めるつもりか!?」
「待て、馬元義!」
舌打ちをしながら西門に向かおうとする私を、張曼成が止めた。
「何だ! 今は西側がガラ空きなんだぞ!?」
苛立ちを顕わにしながら、私は怒鳴る。
「落ち着け! ここで慌てても、官軍の思うつぼだ!」
「そんな悠長なことを言ってる場合か!」
「だからこそ落ち着け! 兵糧庫を守る東側の兵は絶対に減らせん! 北側の兵を半分西側に連れていけ!」
ふむ……確かに、張曼成の言う通りか……。
「……分かった。おい、お前、今の話を聞いていたな? 北門の兵長に、今の話を伝えてこい」
「はっ!」
私は近くに控えていた兵にそう命令すると、西門に目を向けた。
門の先には、“曹”の旗がはためいている。
あれは確か……曹操か?
ということは、この奇策は曹操のものか。
なるほど……。
確かに曹操は、力ずくで南門を抜くことしか能のない他の諸侯とは違うな。
曹操ならば、この奇策に打って出るのも頷ける。
だが、そう簡単にはやらせんぞ!
そう思いながら、西門に向かおうとしたその時……
『おぉぉぉ……!』
北側から、突如怒声が鳴り響く。
何だ?
「申し上げます!」
先程伝令を頼んだ兵が息を切らせながら、慌ててそう叫んだ。
「今度は何だ!?」
流石に張曼成も苛立ちを隠せない様子でそう怒鳴る。
「きっ、北側の3つの門が……」
それを聞いた瞬間、鳥肌がたった。
まさか……。
私は天幕の後ろ、北門がある方向を見た。
「馬鹿な……」
そう呟いた私の視線の先には、“曹”と“劉”の旗を掲げた軍勢が、開け放たれた門を堂々と突破し、我等の兵を次々に薙ぎ倒している光景が広がっていた。
どういうことだ?
何故北門が開いている?
私は突然の出来事に、呆然と目の前の光景を眺めていた。
「……悪いが、西門の兵長に伝令を伝えてくれ。西門にいる兵全てで以って、北門の援護に回るように、とな」
「はっ!」
張曼成がそう言うと、先程の兵は再び西門へ駆けていった。
「……馬元義……」
「何も言うな。分かっている……」
兵がいた先程まで、毅然とした態度を貫いていた張曼成だが、兵が去った所為か一気に気落ちしている。
無論、私とてそれは同じだ。
篭城戦において、門を破られることは敗北に等しい。
そして今、我々は四方の門の内、理由は分からぬが北門を破られた。
そうなってしまえば、これからの展開など容易に予想できる。
つまり……最期の時が、いよいよ秒読みとなったのだ。
「張曼成……私はもう行くぞ」
「……そうか」
私の言葉に、張曼成は一言だけそう呟いた。
「……泰山地獄でまた会おう」
私はそう言うと、何とも言えぬ無常感を抱きながら、北門へ向かって駆け出した。
side out
side 曹操
流の策は見事に成功した。
つまり、劉備を出し抜く策のことだ。
北門が開くと同時に、春蘭率いる夏侯惇隊の半数で以って突撃、北門の前を五千の兵で埋め尽くし、劉備達が入る隙を完全に潰した。
さらに、門の前を埋め尽くしたあと、単騎で春蘭に丘の頂上、つまり、張角の下に向かわせた。
ここから頂上まで、ザッと見た感じでは二万程の賊兵が確認できるが、春蘭ならこれを突破できるはずだ。
春蘭は我が軍の将であり、その武は天下に匹敵するものだと私は思っている。
故に、春蘭ならきっとやり遂げてくれるだろう。
そんなことを思いながら戦場を眺めていると、後方から流が私の馬の隣に彼の馬を横付けした。
「華琳様、夏侯淵隊の帰還を確認しました。いかが致しますか?」
流はそう言って、私の隣に控える桂花に視線を向けたあと、私を見つめる。
なるほど、そういうことね……。
「そうね……桂花、貴女なら、これからどう動くべきだと考えているのかしら?」
いきなり私に話し掛けられた桂花は驚いた表情を浮かべるが、ひと時の思案の後に答えた。
「今、前線では春蘭に代わり、進宗が指揮を執っていますが、彼ではこのまま前線を維持し続けることは厳しいでしょう。ですが、秋蘭が戻ってきたとのことですので、彼女には弓兵隊を率いて進宗の援護に回ってもらいます。その際、劉備軍もやっきになって戦闘に参加すると思われますが、すでに春蘭が先駆けていますので、特に問題はないでしょう。華琳様直属の部隊は、最後の一撃を見舞う要ですので、期を見て動いた方が良いと思います。……とりあえず、こんなところでしょうか……」
不安げな表情を浮かべながら、桂花はそう言って私を見つめる。
「だ、そうだけど、流、どうかしら?」
そう言って、私は流に視線を向けた。
「それで問題ないかと。むしろ、文句の付けどころがありません」
微笑を浮かべながら、流はそう答えた。
「そう、ならその策でいきましょう。桂花、やればできるじゃない」
「あっ、ありがとうございます!」
私は桂花の頭を撫でてやりながらそう言うと、桂花は嬉しそうに微笑んだ。
ふふっ、可愛いわね……。
そんなことを思いながら、傍にいた兵の一人に前線の進宗へ伝令を伝えるよう命令していると、後方から秋蘭が傍にやってきた。
「華琳様、我が隊の隊列の組み直しが完了しました。いつでも行けます」
「そう、ご苦労。今、前線は進宗が指揮を執ってるけど、あの子だけではちょっと厳しいものがあるわ。夏候淵隊は援護に回って頂戴」
「御意」
そう言って、秋蘭は自分の隊に戻っていった。
「桂花、貴女はいつ私が突撃すべきか、私と共にここで時期を計りなさい」
「御意」
桂花の返事を聞きながら、私は流に視線を向ける。
「流、一応聞くけど、戦後処理の手順はもう考えてあるかしら?」
「準備自体はもう完了しています。あとは、この戦の結末に合わせて幾つか変更すれば、問題はないと思われます」
そう言って、流はニヤリと笑った。
「よろしい……」
現段階で、問題事はないようね……。
ふと、前線に目を向けると、早くも秋蘭の部隊が援護に入り、進宗達も盛り上がっている。
僅かな隙を突いて劉備軍も前線入りしたようだが、春蘭を張角の下へ向かわせるという当初の目的は達成されているのだから、さほど問題はないだろう。
まあ……我が軍が劉備軍の前を塞いだ時、何の抗議もしてこなかったことは気になるが……。
「華琳様? いかがなさいました?」
桂花が心配そうな表情でそう尋ねた。
……表情に出てたかしら?
君主が戦場で不安げな表情を見せることは、下の者に不安を与えることになる。
それは即ち、軍の士気に関わってくることだ。
「何でもないわ。それより、賊の動きに注意しなさい。追い詰められた鼠は、時として信じられないような行動を取るものよ?私の軍師なら、どんな事態が起ころうとも、瞬時に判断できる器量を身につけなさい」
「はい! 華琳様!」
そう言って、桂花は戦場に向き直る。
私も気を入れ直さねば。
偉そうに桂花にそう言った手前、私が判断を誤る訳にはいかない。
そう思っていた刹那、
「……何?」
斥候の一人から報告を受けていた流が、訝しげに声を上げた。
「どうかしたの?」
気になって、私は流に尋ねた。
「少々気になる情報が入りました」
そう言うと、流は眉間にシワを寄せる。
流のこの表情……厄介事かしら……?
「先程、我が軍の夏候淵隊が帰還したのと同じように、劉備軍の北郷小隊が帰還したようなのですが…………今現在、北郷小隊の中に、隊長である北郷の姿が見当たらないそうです」
「……何故? 負傷でもしたということ?」
「その辺りの事実関係は、目下調査中です。ですが、もしこれが陶応の策と関係しているとしたら……」
「厄介なことになる……かしら?」
私がそう言うと、流は真剣な表情で頷いた。
なるほど……。
確かに、これが陶応の策なのだとしたら、私達にとって良くないことが起きる可能性がある。
だが……一体何をしてくるのだろうか?
皆目見当もつかない。
「華琳様、きっと大丈夫です! 例え、陶応がどんな策を用いようとも、兄様がそれを上回る策を考えだしてくれます。だから……今は目の前の戦場に集中しましょう」
そう言って、桂花は真剣な表情で私を見つめた。
「…………」
驚いた……。
桂花が私にそんなことを言うなんて。
以前の桂花なら、すぐ私に判断を求めていたのに……。
……桂花も、少しずつ変わり始めているってことなのかもね。
ふと、流に視線を向けると、流もこちらを見て微笑を浮かべていた。
「桂花の言う通りですね。この件は私に任せて、華琳様はご出陣に集中なさいませ」
「……少しでも情報が入ったら、すぐに知らせて頂戴」
「御意」
そう言って、流は後方の陣へ戻っていった。
「……っ!? 華琳様、出陣のご用意を! 賊達の隊列に乱れが見られます。突撃を食らわすなら、今です!」
桂花の声に反応し、私は戦場に目を向けた。
戦場では、劉備軍の将軍、関羽と張飛が大暴れしており、賊の隊列は完全に乱れている。
確かに、攻め込むなら今だ。
「ありがとう、桂花。下がってなさい」
「……ご武運を」
そう言って、桂花は流のいる本陣まで下がっていく。
それを見ながら、私は微笑を浮かべた。
やはり、私の目に狂いはなかった。
桂花はもっと化ける。
つい先日と比べて、尋常ならざる成長速度だ。
ああ……彼女の将来が楽しみで仕方がない!
まあ…………それを見るためには、まずは目の前の敵を蹴散らさなければ。
「全軍、聞け! 今、賊軍が崩壊しかけている。攻め込むならば今だ! さあ、狩りの時間だ! 私に続け!」
『おおぉぉぉぉ!!!』
我が精鋭達の雄叫びを聞きながら、私は馬の腹を蹴り駆け出した。
side out
side 夏候惇
「邪魔だ!どけぇぇぇ!!!」
私は二万の賊共の中、敵本陣がある丘の頂上を目指し、丘の斜面を駆け昇っていた。
賊共は私の覇気に恐れをなし、次々に逃げていく。
おかげで、頂上までは楽に行けそうだが、武人としては実につまらない。
まあ、華琳様のためなら己の楽しみなど二の次だが、それでも釈然としないのは致し方ないだろう。
まったく……根性なし共め!
……まあ良い。
私が今すべきことは、張角の首をあげること。
華琳様は、私に信頼していると言ってくれた。
ならば、私はその信頼に応えるだけだ!
丘の頂上を睨みつけながら、私は馬の駆ける速度を速める。
だが、その瞬間、事は起きた。
私の前方、少し離れた所にいた賊兵達が、突如として東側から現れた一人の騎馬兵に吹き飛ばされたのだ。
「何だっ!?」
私は思わず叫んだ。
同時に、現れた騎馬兵を見つめる。
騎馬兵は進路を丘の頂上に向け、駈け出した。
背中に十字の紋章のついた焦げ茶色の長衣を着こみ、頭に黄色の頭巾を被っている。
賊の騎馬兵だろうか。
張角への伝令でもあるのか、かなり急いでいる様子だ。
だが、いくら急いでいたとしても、普通に考えて、味方を躊躇なく吹き飛ばすことに違和感を感じる。
それに、あの長衣……どこかで見た気がする……。
そんなことを考えながら、前方の騎馬兵の背中を追っていると、騎馬兵に異変が起きた。
騎馬兵は頭に付けていた頭巾に手をやると、それを脱ぎ捨てた。
その瞬間、私は目を見開いた。
頭巾を脱ぎ捨てたあと、風になびいている茶色の髪。
時折長衣の裾からチラつく、透き通った小豆色の太刀の鞘。
ああ……そうだ。
私は“奴”を知っている。
先日、我が剣、七星餓狼の一撃を弾き飛ばしたあの男。
忘れるはずがない。
奴は……!
「北郷ォォォォォォォ!!!」
side out
side 一刀
「北郷ォォォォォォォ!!!」
背後から聞こえる絶叫に、俺は戦慄した。
何で夏候惇がすぐ後ろにいるんだよ!?
しかも、ものすごい形相でこっちに近付いてくるぞ!?
「くそっ……!」
焦る気持ちを必死に抑えながら、俺は先程の義景達との会話を思い返していた。
曹操を出し抜く。
義景がそう言った時、正直驚いた。
あの曹操を、そして荀攸を、出し抜くことなんて本当にできるのだろうか?
あの場にいた俺達は、そんな不安を抱いた。
まあ、このまま何もしなければ、手柄が曹操に持っていかれることは皆分かっていた。
だが、今回俺達の目的は、桃香様の名を広めること。
故に、曹操に手柄を持っていかれる訳にはいかなかった。
恐らく、曹操の性格なら、俺達に手柄を譲ることはしないだろう。
策を講じて、確実に張角の首を狙いにいくはずだ。
だからこそ、俺達も策を講じる必要がある、と義景は言っていた。
義景曰く、その要が俺なのだそうだ。
俺は義景の指示通り、曹操にバレないよう、工作員として賊の根城に潜入し、北門の開場に成功した。
ちなみに、賊達には“張角様のお告げ”と言ったら、簡単に信じた。
黄巾賊達にとって、張角は崇拝する神様のようなものだ。
故に、彼等にとって、張角の命令は絶対的なものだった。
どんな命令であっても、“神のお告げ”である限り、それは絶対的な正義であり、絶対遵守のものである。
これが今現在の彼等の認識であり、そこに疑問を覚える者はいない。
これは俺のいた世界でも同じだけど、宗教絡みで洗脳された者は、良い意味でも悪い意味でも、騙され易い。
そして、洗脳された者の末路は、いつの時代も悲惨なものであり、今回もまた、彼等は自分で自分の首を絞めることとなった。
まあ、彼等にとっては気の毒な話ではあるが、己の目的のためにその要因を作った俺達に、それを哀れむ権利などない。
故に、その気持ちを抑え、俺は淡々と偽情報を流し続けた。
その結果として、北門が開け放たれ、今の現状に至る。
恐らく、今北門では愛紗達が暴れ回っているだろう。
当然、愛紗達が北門にいることにも意味がある。
朱里と雛里曰く、愛紗達は俺達の軍の将軍クラスだけあって、かなり目立つ。
そして、目立つからこそ、敢えて曹操の目の前で暴れさせることにより、曹操の注目をそちらに向かわせるのだそうだ。
やっぱり、臥龍鳳雛、徐州の怪物と言われるだけあって、あの三人は天才だ。
こんなの、絶対俺じゃ考えつかない。
俺にできることは、軍師達からの命令を、全力で遂行することだけだ。
だからこそ、俺は馬を全速力で走らせ、張角のいる丘の頂上に向かっている訳だが……。
「待てェェェ! 北郷ォォォォ!」
気付けば、そう叫びながら走り寄ってくる夏侯惇が、間近に迫っていた。
「チッ……!」
その現状に、俺は舌打ちをする。
夏侯惇が乗っているのは、完璧に調教された軍馬、片や俺は、賊達の馬舎から盗んできた農作業用の馬。
どちらが速いかと言えば、自明の理である。
「北郷! 貴様、何故ここにいる!?」
とうとう俺の右隣りに並んだ夏侯惇はそう言って、俺を睨む。
「……張角の首を狙っているのが、曹操だけだと思っているのか?」
俺はそう言って、夏侯惇に視線を向ける。
「貴様も狙っているという訳か……。だが、私がそれを許すと思っているなら、とんだ思い違いだぞ?」
夏侯惇は目を細めてそう言うと、その背に背負った大剣を抜く。
なるほど……。
邪魔するなら斬るって訳か。
この状況下で戦闘か……。
ちょっとキツイな……。
そう思いながら、俺は馬の手綱を左手だけで持つと、腰の千代桜に手をかける。
夏侯惇の鋭い視線から、彼女が本気で俺を斬ろうとしているのが分かる。
クソッ……こんなところで時間を食ってられないのに……!
舌打ちをしながらそう思っていると、夏侯惇が動いた。
「……ハァァッ!」
「ふっ!」
間合いを掴んだのか、夏侯惇は左手に持つ大剣を横薙ぎに振るい、対する俺も、千代桜を抜刀し、横薙ぎに振り抜く。
二人の刃が交差する。
ギンッ
弾ける火花、響き渡る金属音。
「ぐっ……!」
俺は体勢が崩れそうになるのを必死で堪えながら、夏侯惇に視線を戻す。
それを好機と見たのか、素早く体勢を戻した夏侯惇は、手首を捻りながら押し込むように突きを放つ。
先程の初撃で受け止めることは不可能と判断した俺は、放たれた突きを大剣の真横から叩き、軌道をずらす。
「チッ、この……!」
舌打ちをしながら、俺は夏侯惇から距離を取った。
やっぱり、あの時は本気じゃなかったんだ。
バランスの取りづらい馬上にも拘わらず、夏侯惇の一撃は、まるでコンクリートの塊を打ち付けられたかのような重さがある。
これが、魏の猛将の本気か……!
そう思いながら、俺は右手に持つ千代桜を握り締め、警戒を強めた。
今まで俺が闘ってきた者達の中でも、夏侯惇は間違いなくトップレベルに位置する。
ましてや、正直、俺は馬上での剣術は苦手だ。
たった二合、されど二合打ち合っただけでも、俺は夏侯惇との実力差を痛感した。
だが、だからといって、夏侯惇に張角を討たせる訳にはいかない。
義景達は、俺を信頼してこの策を授けてくれたのだ。
その期待を裏切る訳にはいかない。
「どうした! その程度か!?」
勝ち誇った笑みは崩さず、しかしその眼光は鋭いまま、夏侯惇はそう叫ぶ。
クソッ!
せめて、地に足をつける暇があれば、少しはマシになるのに!
そう思いながら、俺はギリリと歯を食いしばり、再度夏侯惇に接近する。
それに気付き、夏侯惇は左脇を締め、大剣の切っ先を俺に向ける。
まるでフェンシングのような刺突の構え。
先程の刺突が頭を過ぎる。
俺は意を決して突撃した。
空間ごと抉るかの如く繰り出される刺突――それに合わせて横薙ぐ千代桜。
互いの刃が再び弾けた。
だが、今度は先程とは違い、互いに次の行動に移る。
弾かれた勢いを強引に抑えると、俺は千代桜を上段から振り下ろす。
対する夏侯惇は、それが分かっていたかの如く大剣を水平にして千代桜をガッシリと受け止めた。
互いの刃が擦れ、ギリリと悲鳴を上げる。
「随分必死だな? あの時の澄ました顔はどうした?」
「生憎、馬上での戦闘に慣れてなくて……ねっ!」
夏侯惇の言葉にそう返すと、俺は連続して上から斬り掛かる。
左右に斬り分け、俺は夏侯惇の体勢を崩しに掛かるが、夏侯惇はそれら全てを冷静に対象する。
「脇がガラ空きだ!」
そう言って、夏侯惇は強烈な横薙ぎを繰り出す。
俺は慌てて脇を締め、右脇の前に千代桜を引き戻す。
ガキンッ
強烈な一撃。
思わずのけ反り、落馬しそうになるのを、俺は必死に馬にしがみつくことによって回避する。
だが、俺がバランスを崩すことによって、俺を乗せた馬が大幅に減速した。
その瞬間、夏侯惇は馬の腹を蹴り、一気に加速した。
「貴様はそこで指を啣えているが良い! 張角の首は、私が頂きだ!」
そう言って、夏侯惇は俺の前方を駆け抜けた。
やられたっ!
このままじゃ……!
俺は夏侯惇の背中を見つめながら歯噛みする。
だが……神は俺を見捨てはしなかった。
side out
side 夏侯惇
北郷を抜いた後、私は一気に頂上を目指した。
三番目の城門を突破した後、周辺はやたら静かだった。
まあ、南門、北門に兵力を集中させているのだろう。
だが、迂闊だったな。
兵の集中する所さえ突破してしまえば、あとは私を邪魔する者はいない。
唯一の邪魔者である北郷も、以前、激情に任せた時は遅れを取ったが、平常心でいればこんなもの。
やはり、私に不可能はないのだ!
そう思いながら、私はニヤリと笑った。
その時、前方に一人で佇む男を視認した。
何だ?
後方から聞こえる喧騒にそぐわない、その不自然な情景に、私は眉をひそめた。
よく観察すると、男は左腕を失い、右手のみで二尺程ある直刀を持っている。
見た目だけならひ弱そうに見えるが、その男から放たれる覇気は、ただ者ではないことを表していた。
直感的に感じる不気味さに、私は思わず馬を止めてしまう。
男との距離は三丈(約9m)程。
目の前に私がいるにも拘わらず、男は微動だにしない。
「貴様ッ、何者だ!?」
私は声を張り上げ、男を睨みつける。
ここに来て初めて、男が私に視線を向けた。
「……我が名は、馬元義。黄巾党が将の一人。貴様は、曹操の将だな?」
そう言って、男……馬元義は目を細める。
やはり、将だったか……。
クソッ、こんな所で時間をかけている暇はないというのに……。
「如何にも。曹孟徳の剣、夏侯 元譲とは私のことだ!」
焦る気持ちを抑え、私は名乗ると、背負った七星餓狼に手を掛ける。
「そこをどけ! 今ここで、貴様が退くなら見逃してやろう。だが、向かってくるのであれば……斬る!」
眉間にシワを寄せながら、私はありったけの殺気をぶつける。
「大した殺気だ……。だが、それはできない相談だ。私は、貴様を止めるためにここにいるのだからな……」
そう言って、馬元義は直刀の切っ先を私に向けると、静かに腰を落とす。
厄介なことになった……。
このままでは北郷に先を越される……!
そう思っていると、後ろから馬が駆ける音が聞こえた。
そして、一切速度を落とさず、私の横を一頭の馬が通り過ぎた。
その刹那、馬上の男……北郷と視線が交錯する。
必死な表情で私を一瞥すると、そのまま駆け抜ける。
馬元義の一丈程前方まで速度を落とさず駆けると、そのまま大きく跳躍、馬元義の頭上を飛び越えた。
対する馬元義は、まるで初めから誰もいなかったかの如く、冷静な表情でそれを見過ごす。
北郷は馬元義の後方で着地すると、そのまま勢いよく頂上へ向かった。
「くっ……!」
私は思わず歯噛みした。
先を越された……!
このままでは、北郷に張角の首を奪われる……!
「貴様……何故今の男を見逃した?」
私は馬元義を睨むと、そう言って拳を握り締める。
「言っただろう? 私は貴様を止めると。それに、貴様は張角様を守る将が私一人だと思っているのか?」
そう言って、馬元義は私を睨み返す。
なるほど、そういうことか……。
つまり、この先で北郷も足止めを食らっている訳だ。
納得した瞬間、焦っていた気持ちが一気に冷める。
張角を討つ好機はまだある。
ならば、今私がやることはただ一つ。
「貴様、私を止めると言ったな? つまり、私を討つ気でいるのか?」
「ああ、その通りだ」
「そうか……」
馬元義の返答を聞き、私は静かに呟くと、馬を飛び降りる。
着地と同時に、右手に握った七星餓狼を馬元義に向けた。
「ならば、臆せずかかって来い!」
覇気をたぎらせ、私は咆える。
「元よりそのつもりだ……!」
そう言って、馬元義も表情を険しくする。
一瞬の沈黙。
だが、次の瞬間、両者共に地面を蹴った。
side out
side 一刀
「あと少し……!」
そう呟き、頂上に建つ一際大きな天幕を見据えながら、俺は逸る気持ちを抑える。
それはそうと、俺は一つ気になることがあった。
先程夏侯惇と対峙していたあの男……賊の将だろうか。
俺が目の前を飛び越えても、身動き一つしなかった。
俺が目の前を飛び越えたことに驚いていたのだろうか?
……いや、違う。
アイツのあの目……驚いて動けなかった奴の目じゃない。
意図的に“動かなかった”んだ。
何故?
夏侯惇に集中していたからか?
まあ、夏侯惇を目の前にすれば、彼女に集中する気も分かるが……。
それにしたって、反応の一つや二つあってもおかしくないはず。
あれはむしろ、俺一人先に行っても、全く問題ないかのような反応だった。
ということは……この先に、将が控えているということか。
そう思いながら、俺は警戒を強め、丘の頂上まで一気に駆け抜けた。
頂上に着くと、俺は馬を下りた。
馬は疲れたように、鼻を鳴らす。
「ここまでよく頑張ったね。ありがとう」
俺はそう言って、馬の鼻頭を撫でる。
まあ、元々何の調教も施されていない馬だ。
ここまで頑張ってくれただけでも感謝すべきだろう。
ふと周りを見る。
「……妙だな」
恐らく、あの天幕に張角がいるのだろう。
だが、天幕を守る護衛兵が一人もいない。
おかしい……。
いくら賊の集まりの軍とはいえ、トップの護衛ぐらい付けるはずだ。
一体、どうなってるんだ?
そう思いながら、俺は一歩ずつ天幕に近付く。
その時、天幕の入口を覆っていた垂れ幕が開いた。
中から一人の男が出てくる。
その手には、刃渡り70㎝程の、まるで蛇の如く波状に曲がった剣、蛇剣を持っている。
筋骨隆々の大男は、俺をギロリと睨みながら口を開いた。
「貴様は何者だ?」
覇気をたぎらせながらそう尋ねる男に、俺は警戒をより一層強める。
「劉備軍、北郷小隊隊長、北郷一信だ」
そう言って、俺は視線だけを周りに向ける。
あの感じからいって、奴は只者じゃない。
もし、奴が張角だとしたら、やっぱり護衛が一人も見当たらないのはおかしい。
となれば、奴は……。
「そうか……。私は、黄巾党が将の一人、張蔓成」
男……張蔓成はそう言って、より一層厳しい目つきで俺を睨む。
やっぱりそうか……。
予想していたとはいえ、いざ実際に現れるとなると、少々厄介だな。
競争相手だった夏侯惇はまだ下の方で足止めを食らっているが、こちらに来るのは時間の問題だ。
ならば、俺はどうすべきか。
答えはすでに出ている。
こちらに夏侯惇が来るより先に、俺が張蔓成、張角を討ってしまえば良いだけ。
ここまで必死こいてやってきたんだ。
今更、躊躇なんてしてられるか!
気持ちの高ぶりを感じつつ、俺は千代桜を抜き放つ。
「その天幕の中に、張角がいるんだな?」
「…………」
「答えろ!」
俺は千代桜を構えながらそう叫んだ。
「……なるほど。わざわざ策を打って他の諸侯を出し抜く辺り、よほど張角様の首が欲しいと見受ける。だが……残念だったな」
「……どういうことだ?」
張蔓成の言葉に、俺は嫌な予感がした。
「何、簡単な話だ。張角様は……もうこの地にはいないということだ」
そう言って、張蔓成はニヤリと笑った。
「………………何?」
嫌な予感程良く当たるとはよく言ったものだが……。
俺はあまりの衝撃に、脱力せざるを得なかった。
side out
side 夏侯惇
「貴様……今何と言った?」
私は馬元義の言葉に目を見張った。
「信じられぬか? まあ、無理もない。貴様は張角様を討つためにやって来たというのに、その張角様がいないとなれば、さぞ脱力したことだろう」
そう言って、馬元義はニヤリと笑った。
「馬鹿な……。つまり、我等がここを攻め始めた時にはすでに……?」
「ああ……。張角様は、三日前にはすでにここを出ている。まあ、それを知っている人間は、私を含めて二人しかいないがな?」
ギリリと私は歯噛みする。
全くの予想外。
ここまで来たことが無意味だったという事実を認められない。
「どうする? まだ続けるか? まあ、貴様が闘う理由は最早なくなった訳だが」
勝ち誇った表情で馬元義はそう言うと、再び刺突剣を構える。
奴の話が本当だとするなら、確かに私が闘う理由はない。
だが……手ぶらで華琳様の下に帰る訳にはいかない。
それだけは、私の武人としての誇りが許さない。
ならば……
「目の前に黄巾賊の将がいる。闘う理由は、それだけで充分だ」
私はそう宣言すると、七星餓狼を構え直す。
「ほう……張角様がいないことが分かれば、気勢が落ちると思っていたが……大したものじゃないか。だが、この私を前にして、はたしてその虚勢がいつまで続くかな?」
そう言って、馬元義は刺突の構えを取る。
「虚勢? ふっ、馬鹿め。貴様ごときに虚勢を張る必要などない。そんなものに頼らなくとも、私の勝利は揺るがない。それどころか、貴様は私に触れることすら叶わないだろう」
「驕るなよ、小娘。まだ尻の青い小娘が、この私に勝利だと? 妄言も大概にしろ」
「妄言ではない。動かぬ事実だ。今ここで、証明してやろう」
「ふっ……抜かせっ!」
馬元義はそう言い放つと、走り出す。
私との距離を一気に詰めた馬元義は、突進の勢いを殺さず突きを放つ。
私はから七星餓狼を振り上げ、刺突剣を弾き飛ばす。
が、馬元義はそれを予測していたのか、弾かれた勢いを利用し体を捻ると、私の頭を目掛けて左回し蹴りを放った。
私はとっさにしゃがんだが、それが狙いだったのか、馬元義は回し蹴りの勢いそのままに、上段から刺突剣を振り下ろす。
その動きが見えていた私は、膝を使って跳ね上がる勢いを利用して、下段から七星餓狼を振り上げた。
ギィンッ
鉄を打ち付けた音が響く。
「刺突剣をそのように振り回したところで、ものは斬れないと思うが?」
「何、貴様の頭を割る鈍器にはなるさ」
「チッ……!」
軽く舌打ちしながら、私は鍔ぜり合いの状態から馬元義を突き飛ばす。
「クッ……」
よろめく馬元義。
その隙を見逃す私ではない。
「ハァァァァッ!」
咆哮を上げ、私は馬元義に袈裟斬りを放つ。
馬元義は一歩後ろに下がりかわすが、それは予想済みだ。
構わず、二撃三撃を左右から放つが、これも馬元義は器用にかわす。
「このっ……!」
軽々とかわされることに苛つきながら、私は一歩踏み込み、下段から逆袈裟に斬り上げた。
が、馬元義はこれを七星餓狼の横っ面を真横から弾き、そのまま流れるように刺突の構えに移行する。
「っ!?」
堪らず私は飛び退き、一旦距離を取った。
「……解せぬな」
思わず私は呟いた。
「……何だと?」
そんな私の呟きが聞こえたのか、馬元義は怪訝な表情を浮かべた。
「貴様、そこまでの実力を有していながら、何故賊の将などやっている? 別に、快楽殺人者という訳でもあるまい?」
そう言って、私は馬元義を見つめる。
「賊の将……か」
自嘲ぎみに苦笑しながら、馬元義が呟く。
「私とて、賊に落ちるつもりなどなかった……。だが、今更それを言ったところでどうにもならん」
「……どういう意味だ?」
「言葉では語り尽くせぬ思いがあった、ということだ」
そう言って、馬元義は会話を打ち切った。
言葉では語り尽くせぬ思い……か。
どういう意味かは分からぬが、重い言葉だ。
それに対して、ある程度の敬意を表さねばならぬ、と私の武人としての魂が言っている。
「……一つ訂正しよう。私は今から、一人の武人、馬元義と闘う」
これが、私なりの敬意の示し方。
これ以上の敬意を払うつもりはないし、これがちょうど良い。
「武人として……か」
馬元義は一瞬驚いた表情を浮かべるが、すぐに表情を引き締める。
「良いだろう……。次で最後だ」
そう言って、馬元義は腰を落とし刺突の構えを取る。
対する私は、腰を落とし、右手で持った七星餓狼をこめかみの横まで持って行き、軽く手首を捻り刃を天空に立て、左手はそっと刀身に添えた。
構えの形は違えど、馬元義と同じ刺突の構え。
決着をつけるなら、これが相応しい。
互いに狙うは一撃必殺。
これまでにない緊張感が、辺りを包む。
先手を打ったのは馬元義だった。
「オォォォォ!」
咆哮を上げながら、一気に距離を詰め、低い姿勢のまま右手に握られた刺突剣を抉るように突き出す。
「ハァァッ!」
それに合わせて私は声を上げ、一歩だけ踏み込み、体を斜めに傾け、絞った弓から矢が解き放たれるかの如く、右手に持った七星餓狼を一気に突き出す。
その直後……私と馬元義の影が交差した。
ドスッ
鍬を地面に突き刺した時のような、鈍い音が辺りに響く。
ポタリ、ポタリと、両者の真下の地面に、深紅の雫が染みを作る。
「見事だ……馬元義。よもや、この私が遅れを取るとはな……」
そう呟きながら、私は自嘲気味に苦笑する。
「ふっ……だから私は驕るなと言ったんだ」
そう言って、馬元義も苦笑した。
「ああ、確かに少々驕っていたようだ……。一歩間違えれば、やられていたのは私だったかもしれん」
私はそう言って、視線を左側に向ける。
私の顔のすぐ脇に、馬元義の刺突剣が突き出る。
刺突剣は、私の左頬を薄く斬り裂いていた。
一方、私の七星餓狼は、馬元義の胸に深く突き刺さっている。
ズブリッと音をたてながら、私は七星餓狼を引き抜いた。
「ぐぅっ……!」
苦悶の表情を浮かべながら、馬元義が崩れ落ちる。
「ゴホッ、ゴホッ……ふっ……刺突勝負で、私が敗れるとはな……」
地に伏し、咳込みながら、馬元義はそう呟く。
「私の驕りが、頬に傷を受ける結果になった。だが、それでも私の勝利は揺るがない。華琳様がそれを求め続ける限り……な」
私はそう呟くと、七星餓狼を振るい血を飛ばす。
「……見事だった……夏侯元譲……。この首……持っていけ……」
笑みを浮かべながら小さな声でそう言うと、馬元義は静かにその瞳を閉じた。
どんな理由にせよ、馬元義が賊に堕ちた事実は変わらない。
だが、命を懸けて闘った私なら分かる。
そこで静かに眠る馬元義は、確かに武人として誇りを持っていた。
「馬元義……貴殿と闘えたことを、私は誇りに思う。ゆっくり眠るが良い……」
私はそう語りかけると、馬元義の遺体に一礼し、その首目掛けて七星餓狼を振り上げた。
side out
side 張蔓成
「そんな情報、聞いてないぞ?」
そう言って、目の前の青年……北郷は眉をひそめる。
「当然だ。この情報は私ともう一人の人間しか知らないのだからな」
私は北郷を見据えてそう言うと、北郷は忌ま忌ましそうに舌打ちをする。
だが、数秒で真剣な表情に切り替わると、私を見据えて口を開いた。
「この期に及んで、どうして張角は逃げたんだ? 大平道の教主は、信者を捨てるのか?」
「…………」
北郷の問い掛けに、私は思わず黙る。
下手なことを言えば、張三姉妹の足取りが捕まれる。
それは、何としても避けたかった。
「何も答えないのか?」
険しい表情を浮かべながら、北郷がそう言う。
「だから何だと言うのだ?」
「何……?」
私の言葉に、北郷が怪訝な表情を浮かべる。
「我等の目的は、今の腐りきった漢朝廷を倒すこと。そのためならば、多少の犠牲は厭わない。今、張角様に死なれる訳にはいかんのだよ」
私はそう言って、北郷を睨みつける。
「……その犠牲の中には、お前ら黄巾賊に襲われた、罪のない者達も含まれているのか?」
怯まず、北郷も私を睨み返す。
耳の痛い話だ。
北郷の言う通り、暴徒化した党員を止められなかった責任は我等にある。
だが……
「……変革に犠牲は付き物だ。一部の党員による略奪行為で犠牲になった者には申し訳ないが、致し方ないとしか言いようがない」
そう言って、私は溜息をついた。
「……けんな……」
「何?」
「ふざけんなっ!」
拳を握り締めながら、北郷が叫んだ。
「変革には犠牲が付き物? 致し方ない? お前、本気で言ってんのか?」
私を睨みつけながら、北郷はそう言う。
本音を言えば、本気でそんなことを思っている訳がない。
だが、張三姉妹のことを思えば、今は泥を被るしかないだろう。
「一部だろうが何だろうが、ソイツらの所為で、どれだけの人が涙を流したと思っている? どれだけの人が亡くなったと思っている?」
拳を握り締め、咆える北郷。
今、私がかなり無責任なことを言っていることくらい分かっている。
北郷の怒りも尤もだろう。
だが、自分の粗を尤もらしく他人に突かれることは、誰しも不快なもの。
張三姉妹のためとはいえ、ここまで言われると腹が立ってくる。
「腐った漢朝廷を倒す? 笑わせるな! いくら朝廷が腐っているとはいえ、少なくともお前らのように大掛かりな略奪はしない」
黙れ。
分かっている。
「そもそも、朝廷以上に腐っているお前らに、そんな権利なんてない!」
黙れ。
それ以上喋るな。
「どんなに崇高な理由を並べても、略奪行為をした時点で、お前らは…」
「黙れっ!」
北郷の言葉を遮って、私は叫んだ。
もう我慢ならん!
「貴様が我等の何を知っている!?」
口をつぐんだ北郷に、私は怒鳴り散らす。
「何も知らない部外者が、知ったような口を利くな!」
北郷を睨みつけ、私は拳を握り締める。
我等とて、こんな現状など望んでいない。
だが、仕方ないではないか!
こうするしかなかったのだ!
「…………知ってるよ」
「……何?」
「お前らが、元々は官軍の将軍だったことも、初期の黄巾党が義勇軍のような集団だったこともな」
北郷の言葉で、沸騰していた頭が一気に冷える。
「……貴様、どこからその話を……?」
世間的には、賊としての我等の印象が強い所為か、初期の我等を知る者はほとんどいない。
にも拘わらず、北郷は初期の我等の姿を知り、我等幹部勢のほとんどが、元官軍の将であったことも知っていた。
何故?
一体誰から聞いたというのだ?
「どこから聞いたかなんて、今は問題じゃない。俺が聞いているのは、お前らだって最初は高い志だったにも拘わらず、何故賊に堕ちたのか、ということだ」
北郷はそう言って、私を見つめる。
「……そこまで知っているのなら、理由など想像がつくだろう?」
苦笑を浮かべながら、私は北郷に尋ねる。
「……党員が増えすぎて、収拾がつかなくなったってところか……?」
一時の考慮の後、北郷はそう答えた。
「その通りだ。さらに付け加えるならば、指揮官不足なのにも拘わらず、広範囲で党員が増えてしまった。監視する者がいない部隊などは、真っ先に略奪行為を働いていたらしい。我等がそれを知ったのは、党を発足して半年が過ぎた頃だった。その時には、もうすでに収拾がつかない状態に陥っていたのだ」
あの時の絶望、後悔、一年経った今でも忘れない。
「最早、全てが手遅れだった。我等がどうにかできる範疇などとっくに超えていたのだ。そうだな……無責任なのは分かっている。だが、ここまで来てしまった以上、散って逝った同胞や、犠牲になった者達のためにも、我等は歩みを止める訳にはいかないのだ」
私はそう言って、北郷を見つめる。
北郷は、複雑そうな表情を浮かべていた。
「何だよそれ……。誰も救われないじゃないか……。民も、お前らも……」
民だけでなく、敵である我等にも同情しているのか?
……中々面白い男だ。
私はそう思った。
「……今の状況、分かってるんだろ? もう降伏すべきだ。お前らに勝ち目はない。少しでも犠牲は減らした方が良い」
北郷はそう言って、真っすぐ私を見つめる。
「悪いが、それはできない相談だ」
「どうして!? これ以上続けたって、お前らが苦しむだけなんだぞ!?」
本来優しい性格の男なのだろう。
甘い考えだとは思うが、そういう奴は嫌いじゃない。
だが……
「言ったはずだ。立ち止まる訳にはいかないと。それは、絶対的不利なこの状況下でも変わらない」
私はそう言って、北郷に鋭い視線を向ける。
その時――
バリバリバリッ
南方から響く大きな音。
それと同時に、大勢の人間の咆哮が聞こえた。
振り向くと、とうとう南門が破られ、多くの諸侯達がなだれ込んでいた。
「少々語り過ぎたようだな……。だが、時間だ」
私はそう呟くと、北郷に向き直る。
「北郷……本気で我等を止めたくば、剣を抜け」
私はそう言って、右手に持つ蛇剣を構える。
「……最早、言葉は不要ってことか……」
「そういうことだ」
諦めたようにそう言う北郷に、私は一言で返す。
「……残念だ」
北郷はそう言うと、腰に下げていた太刀を抜き、静かに構える。
我が生涯における大一番が、今始まりを告げた。
side out
side 一刀
張蔓成を前にし、俺は千代桜を正眼に構える。
隙はないかと観察するが、張蔓成に隙は見当たらない。
先程交わされた会話の中で、俺は張蔓成達の絶望と後悔を見た。
もちろん、俺が感じたものはほんの一部だろう。
だが、それらを通して、彼らの覚悟は確かに感じた。
最早、彼らに“降伏”の二文字は存在しない。
ならば、闘うしかない。
この世界に来て一年、俺はたくさんの人に支えられ、その覚悟を身につけた。
故に、こんなところで負けられない。
俺は、彼らが間違っていると思うから。
言葉で通じなかった以上、斬り伏せる。
その想いを胸に、俺は駆け出した。
それと同時に、張蔓成も動き出す。
俺は刀身を右側にずらし、右中段から横薙ぎに千代桜を振り抜く。
対する張蔓成は、上段から叩き付けるかの如く、蛇剣を振り下ろす。
ギィンッ
互いの刃が弾かれる。
が、それは互いに想定内。
先に動いたのは張蔓成だった。
弾かれた勢いを利用して、張蔓成は体を捻り、横回転しながら蛇剣を横薙ぎに振り抜く。
俺は後ろに飛び退きそれをかわすと、着地と同時に右足で強く地面を蹴り、一気に距離を詰める――それと同時に両脇を締め、張蔓成の喉元目掛け突きを放つ。
が、それを張蔓成は下から斬り上げ、千代桜の切っ先を弾いた。
互いに構えは上段。
そして、互いにそのまま振り下ろした。
ガギィッ
まるで互いの剣が吸い寄せられるかの如く、鍔ぜり合いになった。
ギリギリと鉄の擦れる音が響く。
「やるな……北郷!」
「お前こそ……な!」
張蔓成の言葉にそう返すと、俺は強引に張蔓成を突き飛ばす――と同時に、俺は一気に接近し、上段から千代桜を振り下ろした。
が、張蔓成はこれを後ろに跳躍してかわし、俺との間に距離を取る。
俺は間合いを取らせないよう即座に接近し、左下段から斬り上げる。
それに合わせ、張蔓成は右中段から横薙に蛇剣を振り抜く。
ギンッ
互いの斬撃が相殺され、左右に弾ける。
そうなることを予想していた俺は、ここぞとばかりに右足で張蔓成の腹部に前蹴りを放つ。
「チッ……!」
それによって、張蔓成は呻きながら体勢を崩し、大きく後退する。
俺との距離は6m程。
今、張蔓成は大きな隙ができている。
決めるなら、今だ。
そう判断し、俺は決断した。
ダンッ、と強く踏み込み、蛇歩を発動――それと同時に、張蔓成へ一気に接近する。
「っ!?」
俺のスピードの変化についていけていないのか、張蔓成は驚愕の表情を浮かべる。
それに構わず、俺は急加速の勢いを利用して、左下段から蛇剣目掛けて千代桜を振り抜く。
キィンッ
張蔓成の手から弾かれ、宙を舞う蛇剣。
「オォォォッ!」
そのまま、無防備になった張蔓成に、上段から袈裟目掛け一気に千代桜を振り下ろした。
ザンッ
この手に伝わる、確かな手応え。
「ぐっ……がぁっ……」
呻く張蔓成は、驚愕の表情のまま、仰向けに倒れ伏した。
「…………ふぅ……」
一息つくと、俺は倒れ伏す張蔓成を見ながら納刀した。
二撃必殺の剣、奥義“双閃”。
じいちゃんから教わった、ただ一つの奥義のおかげで、何とか今回も勝利を手にすることができた。
「グフッ……! ハァ……ハァ……」
地面に血溜まりを作りながら、張蔓成は咳込む。
そんな彼の姿に、俺はギュッと心が締め付けられる。
やはり、人を斬ることは慣れない。
その時、張蔓成が俺に視線を向けた。
「まだまだ甘いな……北郷。勝者がそのような顔をするな……」
苦しげながらも、苦笑を浮かべながら張蔓成が呟く。
「………………」
そんな張蔓成の姿に、俺は何も言えない。
「北郷……一つ、覚えておくと良い……。我等のような結末を迎えたくないのなら、現実と結果から目を逸らすな。そうすれば、我等のような失敗は犯さない」
そう言って、張蔓成は穏やかに微笑む。
「後悔……してるか?」
俺は思わずそう尋ねた。
「どう……だろうな……。今となっては……どこで間違えたのか……それすら分からん……」
苦笑を浮かべ、もう長くない命の火を燃やしながら、張蔓成は小さくそう答えた。
そんな張蔓成を見て、俺は気付いた。
張蔓成は、心まで賊ではなかったのだろう。
だからこそ、これまで苦悩し続けてきたに違いない。
「ゴホッ、ゴホッ……ああ……これが終焉……ゴホッ、ゴホッ…………蒼天も…………たまには悪くはないものだ……な……」
視線を空に向け、張蔓成は力無くそう呟き、静かに息を引き取った。
その後、俺は張蔓成の首を傷が付かないよう、丁寧に布で包み、馬の背にくくり付けた。
正直、張蔓成の遺体にこれ以上傷を付けたくなかったが、手ぶらで帰る訳にはいかない以上、申し訳ない気持ちを抑えて首を斬った。
結局張角を討つこともできず、本来の目的は全く果たせなかったと言っても過言ではない。
だが、これ以上俺にできることはなかったということも、また事実だった。
ふと、視線を周りに向ける。
南門では、なだれ込んだ諸侯達と賊達との激しい戦闘が続いている。
だが、賊達が全滅するのは時間の問題だろう。
数の暴力を利用した諸侯達の囲い戦術が、かなり効いているようだ。
一方北門では、曹操軍と桃香様達によって、ほぼ賊達の殲滅が完了していた。
曹操軍が精鋭なのは予想通りだが、それに負けず劣らずの活躍をした桃香様達はやっぱりすごい。
俺の世界の劉備達は英雄だが、こちらの世界でもやはり英雄に足りうる存在なのだろう。
それに比べて俺は……張曼成に言われた通りだ。
まだまだ甘い。
敵将にあんなことを指摘されるなんて、未熟もいいところだ。
…………今考えても仕方ないな。
まずは、桃香様達に戦果報告をしなければ。
そう結論付けた俺は馬に跨る。
「悪いけど、もうちょっとだけ一緒に走ってくれ」
俺は馬にそう声をかけると、腹を蹴り走り出した。
side out
side 審配
済南を出てから、今日で三日目。
俺と張三姉妹は今、冀州の楽陵という地まで落ち延びた。
「ちょっと、審配? まだ目的地に着かないの? ちぃはもう疲れた!」
そう言って、張宝様は顔をしかめながらその場に座り込む。
「ちょっと、ちぃ姉さん! いつ官軍が追い付いてくるか分からないのよ? こんなところで休んでる暇なんてないわ!」
張宝様を睨みながら、張梁様がそう言い放つ。
「でもぉ……お姉ちゃんもちょっと疲れちゃったかな?」
「天和姉さんまで!?」
張角様も座り込み、張梁様は呆れた表情を浮かべた。
まあ、二人がこう言うのも無理はない。
何せ、済南の本拠地からここまで、馬を使わず歩きで来たのだ。
武人である俺ですら疲労を感じるのに、張三姉妹が感じない訳がない。
ちなみに、馬を使わないことには理由がある。
俺達は、極秘裏に袁紹に匿ってもらう密約をしている。
故に、袁紹軍に合流するまでは、誰にも姿を見られてはならない。
派手な格好など以ての外だし、官軍の斥候を警戒して馬などに乗ることも極力避けたかった。
だからこそ、彼女達の服は町娘が着る一般的な服だし、俺の服も旅商人が着るような地味な服だ。
「まあまあ、張梁様。お二人がお疲れなのは、致し方ないでしょう。それは、貴女だって例外ではないでしょう?」
「まあ、それはそうだけど……」
「ですから、ここいらで一旦休憩しましょう」
俺はそう言って、苦笑を浮かべた。
その時、
ガサリッ
「「「「っ!?」」」」
目の前の茂みが動く。
「なっ、何!?」
張宝様が怯えた声を上げる。
「お三方は私の後ろへ!」
そう言って、俺は三姉妹を守るように俺の後ろに下がらせる。
辺りに緊張が走る。
俺は腰に下げた二振りの胡蝶刀に手を掛けた。
だが、茂みから出てきたのは、俺の知っている人物だった。
「顔良将軍……?」
「やっと見つけました……。お久しぶりです。審配さん」
俺の言葉に苦笑すると、顔良将軍はそう言って溜息をついた。
「大丈夫です。袁紹軍の将の方でした」
俺が振り向きそう言うと、三姉妹はホッと息をつく。
「それで、何故顔良将軍がここに?」
俺は突然現れた顔良将軍に尋ねる。
「姫の命ですよ。今日、貴方達がこの辺りに現れるはずだから、探して来いと言われたんです。最初は半信半疑でしたが、まさか本当に現れるとは……」
そう言って、顔良将軍は苦笑を浮かべた。
「そうだったんですか……。何はともあれ、助かりました。私はともかく、張角様達の体力は限界に近かったので」
俺はチラリと三姉妹に視線を移しながらそう言った。
「では、すぐに馬車を用意させましょう。ちょっとここで待っていてください」
顔良将軍はそう言って、来た道を戻っていった。
「審配! もう歩かなくて良いの!?」
「はい、そのようです。皆さん、本当にお疲れ様でした」
「やったぁ!」
俺の言葉に、張宝様は嬉しそうに笑う。
それに釣られるように、張角様と張梁様も安心したように微笑んだ。
とりあえず、何とかなったな……。
俺はそう思いながら、はしゃいでいる三姉妹を横目にホッと溜息をついた。
その夜、三姉妹とは別れ、俺は袁紹の天幕に呼び出されていた。
今、この天幕には俺と袁紹の二人きり。
故に、本来の性格の袁紹が目の前の玉座に座っている。
「まずは、遥々(はるばる)ここまで御苦労でしたね」
そう言って、袁紹は穏やかに微笑む。
「いえ……わざわざ迎えを用意して頂き、本当にありがとうございます。張三姉妹の体力が限界に近かったので、正直助かりました」
俺はそう言って、先程の気遣いに対する感謝を述べた。
「大したことではありませんわ。それより……貴方は今の済南の状況を御存じかしら?」
「今の済南……? 分かりませんが……何か変化がありましたか?」
袁紹の言葉に、俺は疑問で返す。
何だ?
嫌な予感がする……。
「先程、我が軍の斥候が帰って参りました。彼らによると……官軍によって、済南が落とされたそうです」
「っ!」
嫌な予感が的中した。
「そう……ですか……」
済南が落とされた。
つまり、張曼成将軍と馬元義将軍は……討たれた、ということか……。
「貴方は帰るところを失った形になる訳ですけど、どうするつもりですの?」
「……どうしますかね……。何も考えてないです」
俺は済南に戻るつもりだった。
だが、済南が落とされた以上、俺に帰る場所はない。
「……これは、私宛に届いた、張曼成からの文です。読んでご覧なさい」
そう言って、袁紹は一枚の紙切れを俺に渡す。
俺はそれを受け取ると、そこに書かれた内容に目を通した。
『この度は、我等の望みを聞いて頂き、心から感謝する。
しかし、申し訳ない話だが、実はもう一つだけ、我等の望みを聞いて頂きたく思う。
それは、審配のことだ。
審配達がそちらに着く頃、恐らく我等は、官軍による総攻撃を受けるだろう。
そして、その総攻撃に、我等は耐えられないと予想している。
つまり、その時が我等の散る時になる訳なのだが、そうなると審配の帰る場所が無くなってしまう。
故に、貴殿の軍で、審配の面倒を見て欲しいのだ。
ちなみに、能力の面で、審配は全く問題ない。
頭脳、武、その両方共極めて高く、必ず貴殿の役に立つはずだ。
だから、頼む。
私と馬元義にとって審配は大切な弟子だ。
我等と一緒に散らすには、あまりにも惜しい人材なのだ。
以上の内容を、貴殿の器の大きさに免じて、心より願い訴える。~張曼成~』
俺はこの文を読んでいる途中から地面に跪き、涙が頬をつたっていた。
そして、全てを理解する。
だから、俺が張三姉妹の護衛に抜擢されたのか。
将軍達は初めから、俺も一緒に撤退させるつもりだったんだ。
自分達が生き残れないと、悟っていたから……。
でも……
「俺は……最後まで貴方達と共に在りたかった!」
俺はそう呟いて、文を抱きしめた。
今更ながらに師の愛情を感じ、悔しい気持ちがあふれる。
「私は、貴方の師達の願いを聞き届けようと思います。貴方は、どうしたいですか?」
優しい声色で、袁紹が尋ねる。
「俺は……一度賊に堕ちた身です。そんな俺が貴女の下に仕えても良いのでしょうか?」
そう言って、俺は袁紹を見つめる。
「……人は、間違える生き物です。ですが、それを反省し、己の糧とできるのもまた人の姿。それは、貴方も例外ではありません」
袁紹はそう言って俺の目の前に跪き、俺を見つめる。
「もし、貴方が道に迷っているのなら、私が貴方を正しい道へと導きましょう。だから、私の下においでなさい」
そう言って、袁紹は優しく微笑んだ。
ああ……この人は、本気でそう思ってくださっている。
この人の下なら、俺は強くなれるかもしれない……。
なら……
「よろしく……お願いします……袁紹様」
「麗羽、です」
「え?」
「私の真名です。貴方の名を、もう一度教えてくださいますか?」
「……審配 正南、真名は伸と申します」
俺はそう言って、頭を下げた。
「そうですか……」
そう言って、袁紹……麗羽様は、優しく俺を抱きしめた。
「麗羽様……?」
突然の出来事に、俺は驚き固まる。
「伸……今回は、さぞお辛かったことでしょう。師を亡くし、帰る場所を無くし……貴方はどうすることもできなくなった……。ですが、これからは私が貴方の帰る場所となりましょう」
麗羽様の言葉の一つ一つが、ストンと胸に落ちてくる。
同時に、再び瞳から涙があふれる。
「だから、今の内に悲しい気持ちを吐き出しておきなさい。そして明日から、新たな一歩を踏み出すのですよ?」
優しい声で、麗羽様はそう締め括った。
「ぐぅっ……うっ……ああっ………」
その一言で、堪えていた気持ちが一気にあふれ、俺は麗羽様の腕の中ですすり泣いた。
同時に、一つ決心する。
この人の力になろう。
この人のために、この命を懸けよう。
そう心に決め、俺は泣き続けるのだった。
どうも、ご無沙汰です。
§K&N§でございます。
まず、三か月も更新できず、大変申し訳ない。
まあ、色々理由はあるのですが、あえてここでは話しません。
さて、今回を持ちまして、黄巾編が終了致しました。
どうだったでしょうか?
まあ、とりあえず内容の解説といきましょう。
まず、義景達の策について。
策を一から自分で考えることが、こんなに大変なことだとは思いませんでした。
この策を考えていた時間で、全体の七割です。
いやはや、大変だったなぁ。
まあ、この策はおかしいだろって思う方は、じゃんじゃん感想のほうにどうぞ。
次に、張曼成と馬元義の強さについて
まあ、元々馬元義は呂布の襲撃を食らっても腕一本無くすだけで済みましたからね。
弱い訳がないんですよ。
また、張曼成は馬元義より少し劣る程度なので、今の一刀でも倒せました。
最後に、我等が麗羽様について。
ウチの麗羽様は少々熱い人なんです。
まあ、どう化けてくかは今後のお楽しみということで。
こんなところですかね。
それにしても、相変わらず、文字爆発を起こしてますねwww
多過ぎれば良いってもんじゃないのになあ。
さて、次回からは新章に突入します。
お楽しみに!
では!