あご
自分の名前が書いてある、窓際の席に座ると治は外を見た、、
1年生の教室は学校の一番奥の少し小高い場所にあり4階建ての4階部分になっていた。
2年生が3階部分、3年生は別棟。
治の席から窓の外を見ると、高校のほぼ全体が見えた、
巨大なビルの校舎が3棟見えて、横には青い屋根の立派な体育館が見えた。
各校舎や体育館等をつなぐ廊下であろう道には「天井」が付いていて、
なんだか秘密基地みたいに治は感じた。
その先に中学の10倍はあろうかと思える広いグラウンドが有って、
そのグラウンドを取り囲むように大きな木がきれいに並んでいる、
その木の横には綺麗な道路が有って、学生服を着た生徒がまだ大勢歩いていた。
並木の終点が校門になっている。外に出るとバス停が有ってその先は道路を挟んで海。
なんだか、、テレビで見た世界のように治は感じた。
しかし、、治の教室から見える海は、、はるか遠くの海であった。
村の中学校は木造の古びた2階建て、もちろん村には3階建ての建物自体存在しない。
中学時代は教室の窓から狭いグランドを挟んですぐに海が見えた。
学校から見える海の300メーターぐらい沖合に、村の「定置網」があり、朝と夕方に、
網を「揉んでる」小舟が見える、、
村の大人たちが20人ほど乗って、船の片側から定置網を船の中に手繰り寄せて上げて行く。
定置網とは分かりやすく言うと、お椀をひっくり返したような形の巨大な網を海の中に仕掛けておく、
仕掛ける場所は大体潮の流れが緩やかな場所、そういった場所は魚の通り場所でもあるから、
魚が間違えて、、定置網に入って出れなくなってしまう。
出れなくなった魚を逃がさないように(一度入った魚は出れないのであるが)
2か所か3か所から、船で一斉に上げて行くのである。
まぁーいわゆる「原始的な漁法?」である、似たような漁法は世界のいたるところでもやっている、
それこそ、アフリカでも南米でも、、太平洋の名も無い孤島の原住民でもやっている。
たまには信じられないほどの大物も網に入っていたりする。
治の村の、大人たちは殆どが定置網に乗っている、ヒロちんの親ももちろん治の親も乗っている。
しかし、同じくほとんどの大人は、当然、ヒロちんの親も、治の親も、小さいけれど自分の船も持っている。各々が、それで漁に出て、それで生計を立てている。
それとは別に朝夕は定置網をするのである。
定置網は村の漁協が管理している。定置網でとれた魚の殆どは、、村の食卓に回る。
早い話が、、売り物になるほどの魚はあまり取れないと言う事だ。
だから、治の家でも毎日ご飯のおかずは「魚」中心である。
治だけではなくおそらく村の子供全員が
「魚恐怖症」であったはず、、と治は思っていた。
余談ではあるが、治が子供の頃に村では、、「太刀魚」は「食べない魚」であった、、網に掛かっても全部港で捨てる。
野良猫でさえ見向きもしない、治は大学生になって都会に出て太刀魚を食べると聞いて、びっくりした。
定置網を上げてる事を治の村では「揉む」と言う。
雨の日も風の日も冬の寒い日も波の高い日も、大人たちは定置網を「揉みに海に出る」
その姿が、中学校からはよく見えた。
冬になると、「トビウオ」がよく獲れる、、冬に学校から見ていると、、
トビウオが大量に獲れるとすぐにわかる、、そうすると治の村の子供たちは、殆どが顔をしかめる。
何故なら、トビウオは治の地方では「あご」と呼ばれて、塩漬けにして干して乾燥させて。
「出汁」にしたり「焼いて」食べたりする、保存食である。
勿論村を出て都会で仕事をしている家族への「田舎の香り」の送り物の代表格でもある。
事実、集団就職で田舎を出て盆正月に里帰りした「都会人」達は皆「あご」が嬉しいと言う。
その「あご」の塩漬けは大体の家庭で、子供の仕事である。
獲れる季節は冬、、大量に獲れた「あご」が村の各家庭に配給される、、
配給された「あご」は家の前に無造作に置かれ、、子供の帰りを待っている。
子供たちは家に帰ると、まず「ゾッ」とする、、
それから大量の「あご」を一匹一匹水道の水で手洗いしながら、どこの子供も器用に包丁で内臓を取って行く。
基本的に「うろこ」は取らない(取っていたらおそらく、発狂するだろう)
寒い冬、、指がちぎれそうになる。
水洗いが終わったら、今度は、大きな樽に頭を突っ込んで、これまた一匹一匹円を描くように並べて行く。
一段並んだら、その上に塩をまいて、またその上に円を描くように並べて行き塩をまく。
その作業を延々としなければいけない。
そして、数日置いて、天気のいい日に取り出して天日に干すのである。
干すための網の上に、樽ごと「ドッ」とひっくり返して適当に並べるだけだから、干すのは簡単に終わる。
そしてまたまた、数日後適当に乾いた「あご」を縄で綺麗に並べて編んで軒下や屋根裏に干す、これで完成。
この一連の作業が「子供の仕事」だ。ひと冬の間にこの作業が「大量」に待っている。
だから治の村の子供は全員「あご」が憎い。
中学校から見ていて、「あご」が獲れたと感じた日は。
みんな男も女も帰り道の歩く速度はいつもの半分以下、、
途中で大人と会うと、大人もその辺はわかっていて、
「こらーうんどんや、何んばしょっとかーはよ帰らんかー」とほとんどの大人に怒られる。
子供としてみれば、、「怒られる」=「あご」が待っている=「死刑宣告」みたいなものであるから、、
怒られても、走るのは一瞬、、大人が視界から消えると、、歩く速度は一段と遅くなる。
それこそ、「道端の草花の研究」でもしているがごとく、みんなジグザグに道を歩く。
しかし、、所詮は、、「あご」の世話をする羽目になるのだが、、
そんな、憎い「あご」を都会に出て行った人たちは「嬉しい」と言う。
つい数年前までは、、憎しみの存在であったはずなのに、、
もちろん治たち子供も全員将来は、、
「懐かしい田舎の香り」
となることは間違いないのだが・・