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驚嘆

治の報復事件は、瞬く間に高校中の噂となった。



入学して約一月、治の居る1年1組の前を通る人の「層」が変化した。

あの事件までは、どちらかと言うと「学業の優秀な生徒」が学年問わず通っていたが、

事件後は、俗にいう「不良」っぽい生徒が通るようになる。


どちらの「層」にしても、上級生達は、「生意気な1年生」を見に来たのであるから、廊下を凄んで歩く、



だから、クラスの女子生徒などは怖がって昼休みなどは廊下に出ない。

治もその事にはジィに聞いて知っていた、知っていたがどうしようもないのである。

自分が出て行ってもどうしようもないからだ。


5月のある月曜日の数学の時間、いつもは治を無視している数学の担任の「水野」が珍しく声をかけた、


治の席まで来て「伊藤この問題を解けるか?」と3枚のプリントを机の上に置いた。

置いたと言うより投げ捨てたと言う方が良いかもしれない。


治は水野の顔も見ずにそのプリントを手に取ってみた、数学の問題が書かれていた。


水野は投げ捨てると前に戻って、授業を始めた。


授業をしながら、一番後ろの席の伊藤治を見ていた、伊藤は最初の15分ぐらいは一生懸命何か書いていたが、

授業の途中で気が付いたら窓の外を眺めていた、水野は内心「ニヤり」とした。


「これで少しは、天狗の鼻が折れただろう」と。


数学の授業が終わり、水野が「伊藤、さっきのプリントここに持って来い」と声をかけたが、

治は全く聞こえないのか、無視して教室を出て行ってしまう。


水野の怒鳴り声が聞こえたが、治は無視した。何故なら、学校の先生に命令されるいわれはないと思っていたから。


水野は治の前の生徒に治の机の上に伏せて置いてあるプリントを持ってこさせた。

プリントを自分の教科書の間に挟み職員室に戻りながら、治に対する怒りで、プリントの事を忘れてしまった。


夕方になり全ての授業が終わり、水野は職員室の自分の机に座り、何時ものようにタバコに火を点けて「ふぅー」と一息ついた。


くわえ煙草で机の上を何気なく見た水野は、教科書の間に挟まれたプリントに目が止まった。


「あぁ~伊藤にさせたやつか、、」と呟く、それと同時に午前中の伊藤の横暴な態度を思い出してまた腹立たしくなっていた。


「どうせ奴は途中であきらめていたからな」とニヤリとしてプリントを教科書から抜き取って見た。


そこには、びっしりとボールペンで書かれた数式が並んでいた。水野は少し驚きながら、2枚目3枚目とプリントを見て今度は声が出ないぐらいに驚いた。

全ての問題に解答欄が足りない程の数式が書き込んであった。


慌てて、机の引き出しから


「昭和49年度第一回全国統一模擬試験、③解答、解説」の文字の書かれたプリントを取り出した。


水野は狼狽した様子で解答とプリントを見比べる、しかし治の書いた数式が理解できない、でも最後の答えは合っている。

一枚目も二枚目も三枚目も全て書き込まれている回答は、途中式は理解できなかったが最後の解答は全問正解である。


水野は頭を抱えてしまい、3年生数学担当の若い先生に声をかけて、そのプリントを見せた。

その若い先生も、水野と同じでまったく途中式が理解できない。

若い先生は「水野先生これは誰が解いた解答用紙ですか?」と聞いてくる、しかし水野は答えなかった。


水野は今年50歳になる、、体が弱く召集令状は届く事無く、旧制中学の教師に就いた20歳の年に終戦となった。

その後県立高校の教師となり25年になる、その間大勢の生徒に数学を教えてきた。

中には東大の医学部(理Ⅲ)に現役で合格した生徒もいた。数学においては教師としての「自信も自負」もあった。


しかし目の前のプリントの解答式が理解できない、家に帰り食事を済ませた後でもう一度眺めるが、

全くと言っていいほど理解が出来ない。

理解できない理由の一つにバールペンで書かれた数字の「字」の読み辛さにもあった。読み辛い上にびっしりと書き込まれているから余計に判別できない。

その日はあきらめて寝てしまった。


翌日の朝水野が職員室に入ると3年生の数学担当の若い先生がやって来て

「水野先生もう一度昨日の解答用紙見せてもらえませんか」と言うので鞄から取り出して渡すと、

その先生は立ったまま見て、そして


「水野先生分かりましたよ、これは公式をまったく使用してないのですよだから解答用紙も足りない程になってしまったんですね」

「昨日帰ってこの回答思い出して、はっと気が付いて参考書だして調べて気が付いたんですがね。」と水野に伝える。



その後若い先生は、

「でも全部の問題を公式を使わなかったって事はこれを解いた人は公式を知らないって事になるな」

「公式を知らずにこの問題を全問正解するって事は、時間はどれぐらい掛かったんだろう」

「それにボールペンで書かれている所を見ると、別の紙で解いてこちらに清書したんだな」と独り言を言いながら見ている。


その時、水野は3月の終わりに校長室に呼ばれて、学校始まって以来の秀才が入学してくると言う話を聞いた時の事を思い出していた。

特に数学の能力は並外れているらしいと言う話を聞いた時に内心「中学時代に満点ぐらいの生徒はいくらでもいる」と校長の話を聞き流していた。

実際過去の教え子の中にも天才は数名いた。大学受験の頃のその子たちの聡明さや、優秀さを見てきた。


しかしこの回答用紙を書き上げたのは小汚い恰好をした、まだ15歳の少年である。

それも反抗的な、田舎の「ガキ」である。


だが、過去の優秀な天才たちも水野自身の理解の範疇を超えることは無かった。

彼らの思考は少なからず水野にも理解できた。


でもこの回答は理解できなかった、目の前の若い先生に言われて「あっ」と感じるのがやっとであった。


目の前の先生に「これは誰が解いたんですか」と聞かれた声で水野は我に返った、


「1年1組の伊藤治」とだけ言うのがやっとだった、


若い先生は「あの伊藤ですか、自宅でやらせたんですね」と聞くから

「いや、昨日の授業中にやらせた、奴はたぶん30分かからずに解いていたと思う」と半ば呆然と答えた。


「えっ、30分ですか。信じれませんね」と言うと水野は

「私の目の前で30分かからずに解いたんだよ」と自分では気が付かないほどの強い口調になっていた。

若い先生はびっくりして「そうでしたか、すみませんでした」と言って自分の席に戻って行った。


この話は職員室でその日のうちに話題となっていた。


数学の水野先生が1年生の伊藤治の鼻を折ろうとして、逆に折られた、、的な話題になっていた。

若い先生たちの間で水野は煙たがられていたのであろう。



約2週間後、治の受けた高校3年生の第1回模擬試験の結果が出た、

全国平均37点この高校の最高成績は82点であった。



水野は伊藤治と言う生徒に自分のプライドを傷つけられたような気がした。



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