GWの迷子
ゴールデンウィーク。世の中は大型連休で浮かれているが、俺の生活はほとんど変わらない。
母さんは看護師だ。カレンダーの赤い日は関係なく、シフト通りに夜勤に入る。「GWは急患が増えるのよ」と苦笑いしながら出かけていった母さんの分の弁当を作り、冷蔵庫に入れておくのがいつものルーティンだ。
連休3日目。朝の9時に目が覚めて、洗濯物を干して、昼飯を作って、ソファでごろごろしていた。テレビではどこかのテーマパークの混雑情報が流れている。行く予定もないし、行きたいとも思わない。
「そうくん! 暇でしょ!? ひなたも暇!」
ノックもなしに玄関が開いた。ひなたは俺の家の合鍵を持っている。幼稚園の頃、母さん同士が非常用にと交換したやつだ。非常用のはずが、ひなたにとっては日常用になっている。
ひなたは手にゲームのコントローラーを2つ持っていた。うちのだ。いつの間に持ち出したんだ。
「暇だけど、お前それうちのコントローラーだろ」
「えへへ、昨日借りてったの。忘れてた?」
「忘れてたじゃなくて、言ってから持っていけよ」
「そうくんいなかったんだもん。じゃ、やろやろ!」
反省の色が一切ない。まあ、いつものことだ。
ひなたが持ってきたのは格闘ゲームだった。俺とひなたはリビングのソファに並んで座り、テレビに向かってコントローラーを握った。ひなたは操作が適当で、必殺技のコマンドを全く覚えないくせに、なぜか勝率は5割を超えている。連打の暴力だ。
「やった! ひなたの勝ち!」
「連打すんなって。技使え、技」
「ボタンいっぱい押した方が強いよ?」
「格ゲーの概念を根底から否定するなよ......」
そのまま夕方まで対戦して、夜は2人で買い物に行って、適当に晩飯を作った。ひなたはキッチンで俺の隣に立ちたがるが、包丁さばきが危なっかしいので基本的に盛り付け担当だ。
「そうくんの作るご飯、お店みたい!」
「そこまでじゃねえよ」
「じゃあお店の95点くらい!」
「点数の基準がわからん」
連休4日目も5日目も、だいたい同じような過ごし方をした。ひなたが来て、ゲームをして、買い物に行って、飯を作る。穏やかで、平和で、変わり映えのしない連休だった。
* * *
GW最終日。
冷蔵庫の卵が切れていたことに昼過ぎに気づいた。明日から学校だし、弁当の卵焼きが作れないのは困る。
ひなたは今日に限って家族で出かけている。「おばあちゃんちに行くの! そうくんにお土産買ってくるね!」と朝から嬉しそうだった。
一人でコンビニに向かう。5月の風はもう夏の匂いを含んでいて、半袖でちょうどいい気温だった。
コンビニまで徒歩5分の道のりの途中、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
黒髪のストレートロング。腰まで届く髪が、風に揺れている。私服姿は初めて見るが、白いブラウスにネイビーのスカートという組み合わせは、制服の時と印象がほとんど変わらない。隙のないコーディネートだ。
ただし、歩いている方向がおかしい。
住宅街の奥に向かって、明らかに迷っている足取りで進んでいる。立ち止まって、左を見て、右を見て、また左を見る。学校の廊下で見たのと全く同じ動きだ。
「秋月?」
声をかけると、秋月がぱっと振り返った。目が合った瞬間、ほんの一瞬だけ驚いた顔をして、すぐにいつもの無表情に戻る。戻るのが速いのも相変わらずだ。
「......藤宮」
「こんなとこで何してんだ?」
「......散歩」
「散歩ね」
俺は周囲を見回した。ここは俺の家から3分くらいの住宅街で、コンビニどころかまともな店は一軒もない。散歩コースにしては地味すぎる。
それに、秋月の家は駅の反対側だったはずだ。学校からの帰り道で途中まで一緒に歩くようになって、別れる分岐点は覚えている。ここは秋月の家とは完全に逆方向だ。
「秋月、コンビニ行こうとしてたか?」
「......散歩」
「コンビニの方向、家と逆だぞ」
秋月の眉がわずかに動いた。
「......知ってる」
知らなかっただろ。今の間でわかる。
でもまあ、ここで追及しても秋月は絶対に認めない。それはもうわかっている。
「ちょうど俺もコンビニ行くとこだったんだよ。一緒に行くか」
秋月は2秒くらい黙って、それから小さく頷いた。言葉ではなく、頷き。秋月にしては珍しい反応だった。
並んで歩き出す。学校の帰り道とは違う、休日の住宅街だ。車の音もほとんどなくて、どこかの家の庭から風鈴の音が聞こえる。
「GW、どっか行ったのか?」
「......別に」
「ずっと家?」
「......散歩してた」
散歩。さっきからその単語しか出てこない。散歩にしてはずいぶん遠くまで来ているし、方向感覚が死んでいるのに散歩というのは無謀すぎないか。
ただ、聞き方を変えてみたくなった。
「一人で?」
「......一人で」
その答え方が、妙に引っかかった。
GW最終日の午後。一人で散歩。秋月の私服姿はきちんとしていて、近所にふらっと出たという雰囲気ではない。どこかに行こうとして、辿り着けなかったのだろうか。
それとも、ただ外に出たかっただけなのか。
「コンビニで何買うんだ?」
「......特に決めてない」
「じゃあ散歩のついでか」
「......そう」
コンビニに着いた。俺は卵のパックを取り、ついでに明日の弁当用の食材をいくつかカゴに入れた。秋月は飲み物の棚の前で立ち止まっている。
棚をじっと見つめている秋月の横顔が、何かを選んでいるというより、選び方がわからないという感じに見えた。
まあ、気のせいだろう。コンビニで飲み物を選ぶのに困る人間はいない。
会計を済ませて外に出ると、秋月が小さなペットボトルのお茶を一本だけ持っていた。
帰り道。俺は秋月を家の近くまで送ることにした。放っておいたらまた迷子になるのは目に見えている。
「こっちだ」
「......わかってる」
「わかってないから言ってんだよ。さっき反対方向に歩いてただろ」
「......たまたま」
出た。たまたま。秋月の鉄板フレーズだ。
帰り道の秋月は、いつもより少しだけ口数が多かった。多いといっても、返事が「そう」だけじゃなくなった程度の変化だ。
「......藤宮は、GW何してたの」
「ほとんど家だな。ゲームしたり、飯作ったり」
「......一人で?」
「いや、ひなたが来てた。毎日のように」
「......そう」
短い沈黙が落ちた。秋月の歩く速度がほんの少しだけ遅くなった気がしたが、すぐに元に戻った。
「藤宮は、料理が好きなの」
「好きっていうか、必要だからやってたら得意になった感じかな」
「......そう」
「秋月は料理するのか?」
「......しない」
また「しない」が出た。秋月の返答は否定形が多い。しない、知らない、違う。でもそれは拒絶じゃなくて、事実を述べているだけだということに、最近ようやく気づいた。
分岐点が近づいてきた。ここを右に曲がれば秋月の家の方向だ。
「ここまで来ればわかるか?」
「......わかる」
今度は本当にわかっているらしい。見覚えのある道に出たからか、秋月の足取りに迷いがなくなった。
「......ありがとう、は言わない」
秋月がぼそっと呟いた。こちらを見ずに、前を向いたまま。
「言ってるようなもんだろ」
俺が笑うと、秋月は一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を逸らした。耳が赤い。5月の日差しのせいだろうか。いや、耳だけ赤くなるのは日差しのせいじゃない気がする。
「......じゃあ」
「おう。明日から学校だな」
「......うん」
秋月は背を向けて歩き出した。真っ直ぐに、迷わずに。分岐点から先は間違えないらしい。
小さくなっていく後ろ姿を見ながら、俺はコンビニの袋を持ち直した。
GWの最終日。卵を買いに行っただけなのに、なんだか妙に印象に残る夕方だった。
明日の弁当は卵焼きにしよう。甘めのやつ。隣の席のあいつにも、一つだけ分けてやろうか。
まあ、それは明日考えればいい。




