一つだけ
4月も2週目に入ると、クラスの中にグループができ始める。
誰と誰が仲良くて、誰が一人で過ごしていて、昼飯はどこで食べるか。そういう配置が少しずつ固まっていく。俺の配置は去年と変わらない。桐生が向かいの席を占領して、ひなたが隣のクラスから遠征してくる。いつもの三角形だ。
その日の昼休み。俺は弁当箱を開けた。
唐揚げ、ほうれん草の胡麻和え、プチトマト、卵焼き。今朝は少し甘めに味付けした卵焼きと、しっかり味の唐揚げ。我ながらバランスがいい。
「蒼太の弁当マジでうまそう。一個くれよ」
桐生が向かいの席から箸を伸ばしてくる。こいつの弁当は母親の手作りだが、毎日白飯とウインナーとブロッコリーの三種の神器で構成されている。本人曰く「母ちゃんは料理のレパートリーが3つしかない」とのことだが、毎日作ってくれているだけありがたいだろう。
「どれだよ」
「唐揚げ! 唐揚げ一択!!」
「一個だけな」
「うめー!! なんでお前の唐揚げこんなうまいんだよ!!」
桐生が大声で叫ぶ。教室の半分くらいが振り向いた。声量を調整する機能がこいつには搭載されていない。
ふと、隣から視線を感じた。
秋月が自分の席でコンビニのサンドイッチを開けている。卵サンド。透明のパッケージに入ったやつ。視線はサンドイッチに向いているが、食べる手が止まっている。
いや、正確にはサンドイッチと俺の弁当を交互に見ていた。サンドイッチ。弁当。サンドイッチ。弁当。メトロノームみたいな規則正しさだ。本人は無自覚だろうが、視線の動きでわかる。料理をやっていると、素材の状態を見る癖がつく。人の目の動きも同じだ。
「秋月、食うか?」
俺は唐揚げを一つ、箸でつまんで差し出した。
秋月の視線がサンドイッチから俺の箸先に移動する。それから俺の顔を見て、また唐揚げを見る。
1秒。
2秒。
3秒。
「......一つだけ」
秋月が小さく呟いて、唐揚げを受け取った。箸から箸への受け渡し。指先は触れなかった。秋月の箸さばきは意外と丁寧で、唐揚げを落とすことなく自分の席に運んだ。
秋月は唐揚げを一口で食べた。咀嚼する間、表情は変わらない。あの無表情のまま、もぐもぐと口が動いている。飲み込んで、2秒の間があった。
「......美味しい」
小さな声だった。聞こえるか聞こえないかの境界線くらいの音量で、でも確かにそう言った。
「だろ」
俺はそれだけ返して、自分の弁当を食べ続けた。
秋月は何事もなかったようにサンドイッチに戻った。ただ、食べるペースが少しだけ上がった気がする。気のせいかもしれない。
「そうくーん!」
教室のドアが勢いよく開いて、ひなたが入ってきた。今日はオレンジのヘアピンだ。
「今日のお弁当なに? ひなたも見たい!」
「唐揚げ。ほら」
「わあ! 美味しそう! ひなた、卵焼きもらってもいい?」
「いいぞ」
ひなたが俺の向かいに座って、嬉しそうに卵焼きを頬張る。「甘くて美味しい!」と声を弾ませた。
ひなたはこうだ。遠慮なく距離を詰めて、遠慮なく笑う。幼馴染の特権というか、俺との間に壁がない。壁を作ろうとしたこともないし、壁があるという概念すら持っていないのだろう。
俺の視界の端で、秋月がひなたを見ていた。一瞬だけ。食べかけのサンドイッチを持ったまま、ひなたが俺の弁当を遠慮なくつまんで、俺がそれを当たり前のように許している光景を見ていた。
すぐにサンドイッチに視線を戻す。
何を考えているのかは、俺にはわからなかった。ただ、秋月がサンドイッチを食べるペースが少しだけ落ちた気がした。
* * *
ひなたが自分のクラスに戻った後、教室に一人の女子が近づいてきた。
ウェーブのかかった茶髪にハーフアップ。少しだるそうな目つきだが、嫌味のない顔立ち。白河つぐみだ。バドミントン部のラケットを背負っている。
「ねー、秋月さん」
つぐみは秋月の隣にしゃがみ込んだ。秋月が目だけで振り向く。
「一人でお昼? こっちおいでよ。あたしたちあっちで食べてるんだけど」
つぐみが教室の後ろの方を指さした。女子が4人くらいで机をくっつけて食べている。
秋月は1秒だけつぐみを見て、後ろのグループを見て、もう一度つぐみを見た。
「......結構です」
「えー、堅いなあ。敬語いらないよ、同じクラスなんだし」
「............」
「まあ、気が向いたらでいいからさ。席あけとくね」
つぐみはあっさりと引いた。押して駄目なら引く、ではなく、押しすぎないで一歩引いて待つ。しつこくないところが、この子のいいところだと思う。人との距離感のセンスがある。
秋月はしばらく何かを考えているようだった。サンドイッチの最後の一切れを口に入れて、咀嚼して、飲み込んで。パッケージを丁寧に畳んでゴミ袋に入れてから、立ち上がった。
「......少しだけ」
秋月がつぐみの方に歩いていった。つぐみが「お、来た来た」と笑って椅子を引く。
秋月はグループの端に座った。会話に加わるというよりは、その場にいるだけだった。でも、拒否はしなかった。
桐生が俺の肩を叩いた。
「秋月さん、白河と仲良くなんのかな」
「さあな」
「つーか蒼太、お前さっき秋月さんに唐揚げあげてたよな? あれ何? 仲良いの?」
「別に。桐生にもあげただろ」
「そりゃそうだけど......なんか違くね?」
「何が」
「わかんねえけど、なんか」
桐生の語彙力には期待しない方がいいことを、俺は去年学んだ。
教室の後ろでは、つぐみが何か話しかけて、秋月が「......そう」と小さく答えていた。つぐみは「そっかー」と笑って、別の話を振っている。
秋月の周りに人がいる光景は、始業式の日には想像できなかった。壁はまだ厚いが、つぐみはその壁を気にしていないようだった。
まあ、いいことだと思う。隣の席の奴が昼飯を一人で食っているのは、なんとなく気になるものだ。
弁当箱を片付けながら、俺は明日のおかずのことを考えていた。秋月が「美味しい」と言ったのは唐揚げだったが、甘い味付けが好きなのか、しっかりした味が好きなのか。
いや、別に秋月の好みに合わせようとしているわけじゃない。
弁当は自分のものだ。たまたま味付けのバリエーションを増やしたいだけだ。
たまたま。
──最近、この言葉を使いすぎている気がする。




