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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME


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3/5

たまたまじゃなかった

始業式から4日目。3時間目の体育のために、男子が教室で着替えていた。

 俺は体操服に袖を通しながら、ポケットの中でスマホが震えたのに気づいた。マナーモードにしてあるから音は出ない。桐生(きりゅう)からの「体育だるい」スタンプだろうと思って、着替えを終えてから画面を開いた。

 桐生(きりゅう)ではなかった。

 秋月(あきづき)(りん)

 昨日、職員室に案内した帰りに、念のためLINEを交換していた。「また迷った時に連絡しろ」と俺が言ったら、秋月(あきづき)は6秒くらい黙って、無言でQRコードを差し出した。あの沈黙は抵抗だったのか迷いだったのかわからないが、結果としてQRコードを出したのだから了承なのだろう。

 秋月(あきづき)のアイコンは初期設定のまま。プロフィール名も本名そのまま。飾り気がないというか、LINEに興味がないのがまるわかりだ。

 メッセージは一言だけだった。


 『......体育館』


 三点リーダーから始まるLINE。テキストでも秋月(あきづき)秋月(あきづき)だった。

 体育館。男子は体育館でバスケ、女子はグラウンドで陸上のはずだ。つまりこれは場所の報告ではなく、体育館がどこかわからないというSOSだろう。女子の集合場所はグラウンドだから、秋月(あきづき)が体育館を探す理由はない──いや、グラウンドと体育館を間違えている可能性もある。どっちにしても迷っていることに変わりはない。

 俺は桐生(きりゅう)に「先行っててくれ」と言って、教室を出た。


 * * *


 体育館は校舎の東端にある。渡り廊下を進んで突き当たりを左に曲がれば着く。シンプルな一本道だ。

 だが、秋月(あきづき)は反対方向にいた。

 西棟の廊下の突き当たり。窓際に立って、きょろきょろと左右を見ている。体操服姿の秋月(あきづき)を初めて見た。白いTシャツに紺のハーフパンツ。長い黒髪をポニーテールにまとめている。

 こっちに気づいた秋月(あきづき)が、一瞬だけ目を見開いて、すぐにいつもの無表情に戻る。もう慣れたが、この切り替えの速さは毎回すごいと思う。秋月(あきづき)の表情には初期値があって、何かに反応して動いても、0.5秒以内にリセットされる。感情のオートセーブ機能でもついているのか。


秋月(あきづき)、体育館は逆」

「......知ってる」

「知ってたらなんでこっちにいるんだ」

「......確認してた」

「何を」

「......こっちが体育館じゃないことを」


 消去法で目的地を探すタイプらしい。校舎のすべての行き止まりを潰していたら、授業が終わる。


「ついてこい」


 俺が歩き出すと、秋月(あきづき)は半歩後ろをついてきた。昨日と同じ距離感だ。足音がほとんどしない。ポニーテールが歩くたびに左右に揺れる。

 渡り廊下を抜ける。窓の外に桜が見えた。もう散りかけだ。

 体育館の入口が見えた。女子の何人かがストレッチを始めている。秋月(あきづき)が行くべきだったのはグラウンドだが、まず体育館を探していた時点で、そもそもの目的地を間違えている。だが今さらそれを指摘する気にはならなかった。


「ここ。ちなみにお前の集合場所はグラウンドな。体育館の裏を抜けた先だ」

「............」


 秋月(あきづき)の耳がかすかに赤くなった。目的地自体を間違えていたことに気づいたのだろう。


「......ありがとう、とは言わない」


 秋月(あきづき)は俺を見ないまま、小さくそう呟いた。声量はいつもの半分くらいで、廊下の反対側にいたら聞き逃していたと思う。


「言ってるようなもんだろ」


 秋月(あきづき)の足が一瞬止まった。それからすぐに歩き出して、グラウンドの方へ消えていった。背中が見えなくなるまで5秒。振り返ることはなかった。


 * * *


 その日の5時間目、理科の授業があった。理科室は2階の中央棟にある。移動教室だ。

 授業開始の5分前、スマホが震えた。


 『......理科室』


 またか。

 俺は教科書を持ったまま廊下に出た。秋月(あきづき)は3階の階段前で立ち尽くしていた。上に行くか下に行くか迷っているらしい。今いるのが3階で、理科室は2階だから、普通に下りればいい。


「下だ」

「......わかってた」

「じゃあなんで上を見てたんだ」

「............」


 12点の沈黙。秋月(あきづき)の辞書に「素直」という単語はないらしい。

 秋月(あきづき)を理科室まで送り届けた。到着すると秋月(あきづき)は何も言わず、すっと教室に入っていった。後ろ姿を見送って、自分の席に戻る。


 6時間目。音楽室。


 『......音楽室』


 今日3回目だ。

 音楽室は4階にある。秋月(あきづき)は当然のように1階にいた。この校舎は4階建てだが、秋月(あきづき)にかかると8階建てくらいの迷宮になるらしい。

 黙って案内して、黙って自分の席に着いた。


 * * *


 昼休みの時点で、桐生(きりゅう)が異変に気づいた。


「お前、今日スマホばっか見てね?」

「別に」

「えー、なんか気になるなあ。もしかして彼女できた?」

「できてねえよ」

「だよなー。お前にできるわけないもんなー」


 桐生(きりゅう)のこのナチュラルな失礼さには定評がある。俺は「うるせえ」と流して、弁当の残りを片付けた。

 午後の授業は移動教室が2回。その度にスマホが震えて、その度に俺は秋月(あきづき)を迎えに行った。もはやルーティンになりかけている。

 放課後。俺は荷物をまとめて教室を出ようとした。


「......藤宮(ふじみや)


 声が聞こえたのは、隣の席からだった。

 秋月(あきづき)が俺を見ている。窓からの夕日が秋月(あきづき)の横顔を照らしていて、黒い髪が少しだけ赤みを帯びて見えた。


「どうした」

「......あなた、笑わないのね」


 唐突な言葉だった。秋月(あきづき)の表情は相変わらず読みにくいが、いつもの無関心とは違う何かがあった。


「何が?」

「......私が迷っても」


 ああ、そういうことか。

 確かに、今日だけで3回も道に迷った奴を案内するのは、普通なら笑うのかもしれない。からかうとか、面白がるとか。


「笑うとこないだろ。困ってんなら助けるし」


 俺にとっては、それだけの話だった。道に迷っている奴がいたら案内する。重い荷物を持っている奴がいたら手伝う。そこに笑うとか馬鹿にするとかいう発想が出てこない。

 秋月(あきづき)は俺を見ていた。いつもは視線が合うと逸らすのに、このときだけは逸らさなかった。透明な瞳の奥に、何か小さな波紋が広がったように見えた。静かな水面に石を投げた時の、最初の一波みたいな。

 3秒くらいだったと思う。長い3秒だった。秋月(あきづき)は視線を落として、鞄を持って立ち上がった。


「......変な人」


 それだけ言って、秋月(あきづき)は教室を出ていった。

 変な人。褒められているのか貶されているのかわからないが、昨日の「たまたま」よりは正直な言葉だと思った。

 窓の外では、桜の花びらが風に吹かれて舞っていた。

 たまたまじゃなかった。秋月(あきづき)の方向音痴は筋金入りだ。そして俺は、それに毎回付き合うことを、別に面倒だとは思っていない自分に気づいていた。

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