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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME


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2/6

迷子の天才

始業式から3日が経った。

 隣の席の秋月(あきづき)(りん)について、俺が知ったことはほとんどない。朝は俺より少し遅れて教室に来る。昼はコンビニのサンドイッチかおにぎり。放課後は誰よりも早く帰る──と思っていたが、たまに教室に残っている。窓の外を見ている。

 それだけだ。

 話しかけても「......そう」か「......別に」しか返ってこないので、会話が成立しない。桐生(きりゅう)は「攻略難易度SSだな」とか言っていたが、ゲームじゃないんだから攻略とかない。

 まあ、隣の席だからといって仲良くならなきゃいけない法律はない。俺はいつも通り弁当を作り、いつも通り授業を受け、いつも通りの日常を過ごしていた。


 * * *


 その日の放課後、俺は教室に体操服を忘れた。

 明日は体育がある。取りに戻らないと詰む。ひなたに「先に帰ってていいぞ」と伝えて、昇降口から引き返した。

 2年3組の教室がある3階に上がり、廊下を歩く。放課後の校舎は部活に行く生徒の声が遠くに聞こえるくらいで、この階はもう静かだった。

 教室の手前で、足が止まった。

 廊下の真ん中に、人が立っている。

 黒髪のストレートロング。制服のスカート丈は膝ぴったり。腰まで届く髪が、窓からの西日に照らされている。

 秋月(あきづき)だった。

 立ち止まって、きょろきょろと左右を見ている。左を見て、右を見て、もう一度左を見る。それから天井を見上げて──いや、天井に何の情報もないだろう。

 明らかに迷っていた。

 自分の教室まであと20mもない場所で。


秋月(あきづき)?」


 声をかけると、秋月(あきづき)がこちらを振り向いた。一瞬だけ目が大きくなって、すぐにいつもの無表情に戻る。戻るのが速い。

 秋月(あきづき)は俺を見て、それから廊下の先を見て、もう一度俺を見た。何かを言おうとして、口を開いて、閉じる。


「......」


 沈黙が5秒くらい続いた。

 俺は待った。急かしても秋月(あきづき)の口は開かないだろうと、なんとなくわかっていた。


「......職員室は、どっち」


 小さな声だった。視線は俺の肩のあたりに向いていて、目は合わせない。

 職員室。ここからだと1階の東棟だ。まっすぐ行って階段を2つ降りて右に曲がれば着く。説明は簡単だが──秋月(あきづき)の様子を見ると、口で説明しても辿り着ける気がしなかった。


「案内するよ。俺もこっちに用事あるし」


 嘘だ。体操服を取りに来ただけで、職員室に用事はない。でも「道がわからないの?」と聞くのは、なんとなく違う気がした。


「......いい。場所を教えてくれれば」

「この廊下をまっすぐ行って、突き当たりを右に曲がって、階段を降りて──」

「......右」

「そう。突き当たりを右。それで階段を──」

「......突き当たりというのは、どっちの突き当たり」


 今いる場所から見て、廊下の突き当たりは一つしかない。

 俺は悟った。これは口頭での説明が通じるタイプの人間ではない。


「やっぱり案内する」

「......別に、一人で行ける」

「いや、行けないだろ」


 秋月(あきづき)が俺を睨んだ。睨んだというか、わずかに眉を寄せた。秋月(あきづき)の表情変化としてはかなり大きい方だと思う。


「......行ける」

「じゃあ職員室がどっちの方角にあるか言ってみろ」

「............」


 12点の沈黙。新記録だ。

 秋月(あきづき)は視線を逸らした。それから小さく、本当に小さく、唇だけで言った。


「......案内、して」


 俺は黙って歩き出した。秋月(あきづき)が半歩後ろをついてくる。足音がほとんどしない。靴底が床に触れるか触れないかくらいの歩き方だ。猫みたいだな、と思った。

 階段を降りる。1階に出て、東棟へ向かう。放課後の廊下は人が少なくて、俺と秋月(あきづき)の足音だけが響いていた。

 沈黙が重い。いや、秋月(あきづき)にとっては普通なのかもしれないが、俺は無言で歩くのがあまり得意じゃない。


「今日、暑かったな」


 我ながら最悪の話題の切り出し方だと思った。天気の話。これ以上つまらない話題があるだろうか。


「......そう」


 やっぱりそうなった。知ってた。

 でもまあ、沈黙よりはましだろう。


「4月なのに25度超えてたらしいぞ」

「......そう」

「明日はもっと上がるって天気予報で言ってた」

「......そう」


 3連続の「そう」。会話のキャッチボールというより、壁に向かってボールを投げている感覚に近い。

 職員室の前に着いた。「ここだ」と言うと、秋月(あきづき)は俺の横を通り過ぎて職員室のドアの前に立った。

 振り返る。


「......藤宮(ふじみや)

「ん?」

「......このことは、誰にも言わないで」


 秋月(あきづき)の目が、初めてまっすぐ俺を見た。透明な瞳の奥に、かすかな緊張が見える。これは頼んでいるのではなく、念を押している目だった。


「何を?」

「......私が、道に迷ったこと」


 言い切るまでに2秒くらいの間があった。「道に迷った」という言葉を口にすること自体が、秋月(あきづき)にとっては相当な譲歩なのだろう。

 俺は少し考えて、答えた。


「別に、誰にも言わねえよ。言う理由もないし」


 秋月(あきづき)の肩から、わずかに力が抜けた。本当にわずかだ。見間違いかもしれない。


「......そう」


 今日何回目かの「そう」だったが、これだけは少し柔らかく聞こえた。気のせいかもしれないが。

 秋月(あきづき)が職員室のドアに手をかけたところで、俺はつい聞いてしまった。


秋月(あきづき)ってさ、方向音痴なのか?」


 秋月(あきづき)の手が止まった。

 振り返った秋月(あきづき)の表情は、もう無表情に戻っていた。


「......違う」

「いや、だって職員室──」

「......今日は、たまたま」


 それだけ言って、秋月(あきづき)は職員室の中に消えた。

 ドアが閉まる。

 たまたま。

 自分の教室から20m離れた場所で立ち尽くしていたのが、たまたま。

 まあ、本人がそう言うならそういうことにしておこう。


 * * *


 体操服を回収して昇降口に降りると、秋月(あきづき)がまた立っていた。

 今度は昇降口のど真ん中で、下駄箱の列を見回している。自分の下駄箱の場所がわからないのだろうか。それとも出口がわからないのだろうか。どっちにしても重症だ。

 声をかけようか迷ったが、秋月(あきづき)が先にこっちに気づいた。目が合う。


「............」


 秋月(あきづき)は何も言わず、さっと視線を逸らして、真っ直ぐ──下駄箱とは反対の方向に歩き出した。逃げるような足取りだった。

 3歩で壁にぶつかった。行き止まりだ。

 秋月(あきづき)はゆっくり振り返って、俺を見た。無表情のまま。だが、耳がかすかに赤い。


「......たまたま」


 いや、もう無理がある。

 俺は何も言わず、秋月(あきづき)の下駄箱の場所を指さした。秋月(あきづき)は黙ってそちらに向かい、靴を履き替えて、俺を見ないまま校門の方へ歩いていった。

 小さな背中が夕日に照らされている。腰まで届く黒髪が、歩くたびに揺れている。

 曲がらなくていい道を右に曲がりかけて、立ち止まって、戻ってきて、正しい方向へ歩いていった。

 たまたま。

 本人がそう言うなら、そういうことにしておこう。たぶん、明日も明後日も。


 帰り道、合流したひなたが「遅かったね。何かあった?」と聞いてきた。


「いや、別に。体操服取りに戻っただけ」

「ふうん? そうくん、なんかちょっと笑ってない?」

「笑ってねえよ」


 笑ってない。たぶん。

 ただ、隣の席のあいつが「たまたま」を連呼しながら壁にぶつかっていた光景が、なんとなく頭から離れなかっただけだ。

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