こどもの日の大人
GW明け最初の月曜日。
教室に入ると、桐生が黒板の前に仁王立ちしていた。チョークを握り、でかい字で「5月5日 桐生遼 誕生日(祝え)」と書いてある。その下に花丸が3つ。自分で描いたらしい。
5月5日は連休中だったから、こいつは休み明け初日を祝賀会に充てるつもりらしい。
「皆の者! 先日5月5日は日本国が定めたこどもの日であると同時に、この桐生遼の17回目の誕生日であった!」
「朝から声がでかい」
俺が席に着くと、桐生が食い気味に顔を寄せてきた。
「蒼太! 祝え!」
「こどもの日は子供を祝う日だろ。ちょうどいいじゃん」
「俺は大人だ! 大人の誕生日だ!」
「黒板に花丸描いてる時点で子供だろ」
桐生が「ぐっ」と言葉に詰まった。反論できなかったらしい。
まあ、祝ってやる気がないわけじゃない。昨日のうちにコンビニで買っておいたシュークリームを鞄から出した。
「ほら、誕生日おめでとう」
「蒼太ーー!! お前最高だなーー!!」
桐生が俺に抱きつこうとしたので、手のひらで額を押さえて止めた。暑苦しい。
* * *
昼休み。
桐生の誕生日を祝おうという話になり、クラスメイト数人が集まった。つぐみが「じゃあ皆で乾杯しよ」と紙コップにジュースを配っている。手際がいい。
桐生は満面の笑みで、両手に紙コップを持って乾杯の音頭を取った。
「桐生遼、17歳! 抱負は──」
「抱負はいいから早く飲もう」
「つぐみちゃん厳しい!」
わいわいと騒ぐ輪の中心に桐生がいて、つぐみが仕切り、俺は少し離れた場所で紙コップのオレンジジュースを飲んでいた。
ふと、窓際を見た。
秋月が自分の席に座って、本を読んでいる。いつもの光景だ。輪には加わらず、かといって帰りもしない。ただ、そこにいる。
つぐみも同じものを見たらしい。ジュースの配り終えたつぐみが、秋月の席に向かった。
「凛もおいでよ」
つぐみは秋月の腕を掴んで、ぐいっと引っ張った。秋月は本から顔を上げ、少し困惑した目をしている。
「......いい。私は関係ない」
「関係なくないよ。同じクラスじゃん。はい、立って」
つぐみの勢いに押されて、秋月が立ち上がった。つぐみに引っ張られるまま輪の近くまで来たものの、明らかに居心地が悪そうだ。視線が泳いでいる。
秋月が俺の横に来て、小声で話しかけてきた。
「......何をすればいいの」
声が小さい。俺にだけ聞こえるくらいの音量だった。
「おめでとうって言えばいいだけだよ」
「......それだけ?」
「それだけ。難しくないだろ」
秋月は2秒ほど黙ってから、桐生の方を向いた。
桐生はクラスメイトと騒ぎながらシュークリームを食べている。秋月が近づいていくのに気づいていない。
秋月が口を開いた。
「......桐生くん、誕生日おめでとう」
声は相変わらず小さかった。だが、ちゃんと届いた。
桐生の動きが止まった。シュークリームを口に運ぶ途中で、腕ごと固まっている。
「......え」
桐生が秋月を見た。秋月は無表情のまま、ただ立っている。
「......秋月さんに、祝われた......」
桐生の目がじわじわと潤んできた。おい、泣くな。
「俺、今日死ぬかも......」
「大げさだろ」
「蒼太、聞いたか!? 秋月さんが! おめでとうって! 俺に!?」
「聞いた。つーか目の前にいるから」
桐生が感動のあまり両手を天に突き上げた。「最高の誕生日だ!」と叫んでいる。クラスメイトが笑い、つぐみが「よかったね桐生」と拍手する。
秋月は俺の横に戻ってきて、小さく呟いた。
「......変な人」
「まあ、桐生はああいうやつだからな」
「......藤宮の友達は、みんなああなの」
「みんなではないと思いたい」
秋月の口元が微かに動いた。笑ったのかどうかは、わからない。ほんの一瞬だったから。
桐生が俺のところに来て、握手を求めてきた。シュークリームのクリームが手についていたので断った。
* * *
祝いの空気が落ち着いた頃、俺は弁当を食べながらふと思いついて秋月に聞いた。
「そういえば、秋月って誕生日いつ?」
秋月がこちらを見た。
「......教えない」
「なんでだよ」
「......教える理由がない」
理由がないと言われると、まあそうかもしれない。クラスメイトに誕生日を教えるかどうかは個人の自由だ。
でも、少し気になった。
「祝ってもらいたくないのか?」
「............」
長い沈黙だった。秋月の視線が、一瞬だけ桐生たちの方に向いた。さっきまで賑やかに誕生日を祝っていた輪の方に。
「......期待しないようにしてるの」
声が小さかった。俺に聞かせるつもりがあったのかどうかもわからないくらい、小さかった。
期待しない。その言葉の奥にあるものを、俺は掴みきれなかった。転校を5回繰り返してきた秋月にとって、誕生日を祝ってもらうことは当たり前じゃなかったのかもしれない。祝ってもらえると期待して、叶わなかった経験があるのかもしれない。
でも、それは俺の想像でしかない。
「まあ、教えたくなったら教えてくれよ」
「......たぶん、教えない」
「たぶんってことは、可能性はゼロじゃないな」
「......ゼロ」
断言された。
でも、秋月の「ゼロ」が本当にゼロだった試しを、俺は知らない。「結構です」と言いながら唐揚げを食べ、「いい」と言いながら隣を歩いている秋月だ。言葉と行動が一致しないのは、もう見慣れた光景だった。
いつか教えてくれるかもしれないし、教えてくれないかもしれない。
どちらでもいい。ただ、その時が来たら、ちゃんと祝ってやりたいとは思った。
「......藤宮」
「ん?」
「......桐生くん、嬉しそうだった」
「ああ。秋月のおめでとうが効いたんだろうな」
「......私が言ったくらいで?」
「秋月が言ったから、だろ」
秋月が俺を見た。透明な瞳が、ほんの少しだけ揺れた気がした。
「......変なこと言わないで」
秋月は本に視線を戻した。だが、ページをめくる手が少し遅くなっているのを、俺は見逃さなかった。




