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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio SASAME


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1/6

隣の席の秋月さん

俺の朝は、卵焼きの焼き加減で決まる。

 甘すぎず、しょっぱすぎず、巻きが均一で、焦げ目がほんのり。これがうまくいった日は、大体いい一日になる。

 今朝は我ながら会心の出来だった。フライパンから箸で持ち上げた瞬間の重量感で確信する。断面も綺麗に渦を巻いているだろう。

 まあ、毎朝作ってりゃ嫌でもうまくなる。

 俺──藤宮(ふじみや)蒼太(そうた)は、目玉焼きではなく卵焼き派だ。弁当に詰めやすいし、冷めても味が落ちにくい。母さんが夜勤で朝いないことが多いから、弁当は自分で作るのが当たり前になった。ついでに母さんの分も作って冷蔵庫に入れておく。これも毎日のルーティンだ。

 2つの弁当箱を鞄に収め、玄関で靴を履く。

 壁の時計を見ると7時15分。いつも通りの時間だ。

 いつも通りの朝。いつも通りの通学路。いつも通りの──と、思っていた。


 * * *


 4月。高校2年の始業式。

 クラス替えの結果が昇降口に貼り出されている。俺は人混みを避けて遠くから確認した。2年3組。去年と同じ棟の、同じ階の、隣の教室だ。わかりやすくていい。

 教室に入ると、まだ人はまばらだった。窓際の後ろから2番目──ここが俺の席らしい。位置は悪くない。

 鞄を置いて座る。机の上に出席番号と名前が書かれた紙が貼ってある。隣の席の紙をちらっと見た。


 秋月(あきづき)(りん)


 名前に見覚えがあった。正確には名前というより、去年から校内で何度か聞いた単語だ。学年一の美少女。近寄りがたい氷の女王。誰とも群れない孤高の存在──みたいな、大げさな噂。

 まあ、噂は噂だ。俺には関係ない。


蒼太(そうた)ー! お前2年3組!? 俺もだわ!!」


 教室のドアを蹴るように開けて入ってきたのは、桐生(きりゅう)遼。去年同じクラスだった唯一の男友達だ。朝から声がでかい。

 桐生(きりゅう)は俺の席まで駆け寄ってきて、隣の机に貼られた名前を見た瞬間に目を見開いた。


「──お前、隣秋月(あきづき)さんじゃん。やば」

「やばって何がだよ」

「何がって、学年一の美少女だぞ? お前の隣に? この距離に?」


 桐生(きりゅう)が俺と隣の席の間を手で測る。机一つ分。30cmくらい。


「近い。近すぎる。俺だったら毎日緊張して胃に穴があく」

「お前の胃の話はどうでもいい」

「つーか席替えまでこれだろ? お前マジで──」


 桐生(きりゅう)の声が途切れた。

 教室のドアが開いて、一人の女子が入ってきたからだ。

 黒髪のストレートロング。腰まで届く髪が、歩くたびに揺れている。切れ長の目は前だけを見ていて、周囲の視線を一切気にしていない。制服の着こなしに隙がなく、スカート丈は膝ぴったりだ。

 教室の空気が一瞬だけ変わったのがわかった。男子も女子も、ちらちらと視線を向けている。だが誰も声をかけない。

 秋月(あきづき)(りん)は真っ直ぐに窓際の席──俺の隣──まで歩いてきて、音もなく椅子を引いた。鞄を机の横にかけ、窓の外に視線を向ける。


「......」


 それだけだった。

 おはようもなければ、よろしくもない。ただ、窓の外を見ている。

 桐生(きりゅう)が俺の袖を引っ張った。小声で「やば」ともう一回言った。

 うるさい。


 * * *


 始業式が終わり、HRで担任の花園(はなぞの)千歳(ちとせ)先生が自己紹介をした。28歳、国語担当、趣味は読書と恋愛映画鑑賞。最後の一つは余計だと思ったが、口には出さなかった。

 午前中の授業は半分がオリエンテーションで、すぐに昼休みになった。


「そうくん! お弁当一緒に食べよ!」


 廊下から駆けてきたのは柚木(ゆずき)ひなた。隣のクラスの2年2組に配属された幼馴染だ。栗色のショートボブに、今日はピンクのヘアピンをつけている。

 ひなたは俺の幼馴染で、家が隣同士だ。幼稚園の頃からの付き合いで、昼飯を一緒に食べるのはもう習慣みたいなものだった。


「おう。今日は唐揚げだぞ」

「やった! そうくんの唐揚げ大好き!」


 ひなたが俺の向かいの席に座る。俺は弁当箱を開けた。今朝の卵焼きは見た目も綺麗に仕上がっていて、我ながら満足だ。


「......」


 隣から視線を感じた気がして、ちらっと横を見る。

 秋月(あきづき)が、コンビニのサンドイッチの袋を開けていた。視線はサンドイッチに向いている。気のせいだったか。


「ねえそうくん、秋月(あきづき)さんって隣の席なの?」

「ああ、そうだけど」

「すごいね! 学年一の美少女が隣なんて!」


 ひなたの声は、教室中に響くくらいでかい。

 秋月(あきづき)の手が一瞬だけ止まった。それから何事もなかったようにサンドイッチを食べ続ける。ただ、その目がほんの一瞬だけ、ひなたの方に向いた気がした。

 俺はひなたの声量をもう少し何とかしてほしいと思いながら、唐揚げを口に運んだ。ふと思い立って、隣に声をかけてみた。


秋月(あきづき)。よかったら、一緒に食うか?」


 深い意味はなかった。隣の席の奴が一人で飯を食ってたら、一応声くらいかける。それだけのことだ。

 秋月(あきづき)が俺を見た。窓の外を見る以外の表情を初めて見た気がする。暗いわけでも怒っているわけでもない。ただ、透明な目だった。


「......結構です」


 それだけ言って、秋月(あきづき)は視線を窓に戻した。

 断られた。まあ、そういうこともある。

 俺は特に気を悪くすることもなく、弁当の続きに取りかかった。桐生(きりゅう)が自分の弁当を持ってこっちに来て、「おい蒼太(そうた)、今の勇気すごかったな」とか言っていたが、別に勇気とかそういう話じゃない。


 * * *


 放課後。

 荷物をまとめて教室を出ようとした時、ふと振り返った。

 秋月(あきづき)がまだ席にいた。窓の外を見ている。朝と同じ姿勢だ。

 桜がちょうど満開の時期で、窓から校庭の桜並木がよく見えた。秋月(あきづき)は何を見ているのだろう。桜なのか、空なのか、それとも──何も見ていないのか。

 少しだけ気になったが、それ以上の感情は浮かばなかった。


 帰り道、ひなたが隣を歩いている。


「ねえそうくん、秋月(あきづき)さんってクールだよね」

「そうか?」

「だって誰とも話してなかったよ。ちょっとかわいそう」

「まあ、初日だしな。これからだろ」


 ひなたが「そうだね!」と笑った。

 春の風が吹いて、桜の花びらが一枚、ひなたの髪に落ちた。俺がそれを取ってやると、ひなたは「えへへ」と嬉しそうに笑った。

 いつも通りの帰り道。いつも通りの日常。

 隣の席に学年一の美少女が座ったところで、俺の毎日は何も変わらない──と、この時は本気でそう思っていた。


 なんて言っておきながら。

 今朝の卵焼きは完璧だったのに、いい一日になったかどうかは、正直よくわからなかった。


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