足手まといは必要ない
魔の谷の入り口は、霧が濃く立ち込め、足元から黒い影が這い上がるように蠢いていた。
シャドウハードの群れが増殖しているというギルドの報告通り、谷の奥からは不気味な唸り声が響いてくる。
ジェプティが剣を抜きながら、振り返った。
「ここまでありがとう。」
ネヴィルが斧を肩に担ぎ直し、冷たく言い放つ。
「お前は付き合う必要はない。気をつけて帰れよ。」
レックスはひ弱そうな肩をすくめ、小さな目を細めた。
二人に問いかける。
「えっ? 何か、向こうにいっぱいモンスターいますけど、僕、もう必要ないんですか?」
その抜けた言葉にネヴィルは大きくため息をつき、苛立ちを隠さず答えた。
「あぁ、お前みたいなヤツは俺達の足を引っ張る事になるからな。足手まといがいない方が気楽に戦えるってもんだ。」
ジェプティとネヴィルは、最初からレックスに何の期待も抱いていなかった。
この依頼はギルドの規定で最低3名のパーティ編成が必要だったため、たまたま受付近くにいたひ弱そうなレックスに声をかけただけのことだ。
二人はこれまで何度も魔物討伐をこなしてきた。
ジェプティの剣技とネヴィルの斧捌きが阿吽の呼吸で噛み合う連携――それだけで十分だった。
魔の谷に足を踏み入れ、霧の中から這い上がるシャドウハードの黒い影を見た瞬間、改めて確信した。
彼は必要ない。
二人の呼吸だけで、すべて片がつく。
レックスは小さく頷き、すぐに次の言葉を続けた。
「ありがとうございます。そしたらね?この場合、ギルドの規定の方で、報酬はこの場でジェプティさんから頂く形になるので、今、頂いてもよろしいでしょうか?」
ジェプティが慌てて振り向いた。
困惑した顔でネヴィルを見やる。
「ちょ、ちょっと待て。ギルドの規定ってどういう事だ……?俺たち知らないんだけど……」
レックスは表情を変えず、説明を続ける。
「あの〜、僕、これ契約終了の形になりますよね?この場合はギルドとの契約者であるジェプティさんに、僕への報酬支払い義務が発生しますので、現地でお支払い頂く規定になっています。」
ネヴィルは舌打ちをし、財布から金貨を掴み出してレックスに向かって投げつけた。
コインが地面に転がる音が、霧の中で小さく響く。
「ちっ、面倒くさい奴だ。ほら、これで充分だろ。さっさと行け。」
レックスは落ちた金貨を拾い上げ、丁寧にポケットにしまうと、すぐに次の動作に移った。
「あ〜、ありがとうございます。そしたらね……? ちょっと申し訳ありませんが、こちらの契約終了届にもサイン頂いてもよろしいでしょうか?」
彼はローブの内側から一枚の羊皮紙を取り出し、ジェプティに差し出した。
紙には細かい文字がびっしりと並んでいる。
ジェプティは眉をひそめ、渋々受け取って目を通した。
「契約終了届……?今度は何だ? 一体、何を書けばいいんだ?」
レックスは静かに指を紙の空欄に添える。
「えっとですね……僕の名前はもう書いてあるので、そちらの空欄の所あるじゃないですか?そこ、今回のパーティの代表のジェプティさんのお名前書いて頂きたいです。」
ネヴィルが声を荒げた。
彼のイライラが頂点に達している様子だ。
「本当、面倒臭いヤツだなぁ!? 金は渡したんだから、とっとと帰れよ!?」
レックスは申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。
「これが終わったら、もう僕、帰らせて頂きますから、本当、申し訳ないけど、お願いします。」
ジェプティは舌打ちを繰り返し、ペンを握った。
「チッ、面倒臭ぇ……だから、無能なヤツ入れるのは嫌だったんだよ!」
彼は苛立ちを紙に叩きつけるようにサインを入れた。
レックスは困った顔をして答える。
「いや、これ書かないと本当にマズいですよ?書かないと、ギルドの調査費やら、なんやらかかって、最悪違約金発生したり、ブラックリストに乗りますよ?ちょっと一筆書くだけだから、本当お願いします。」
ジェプティが顔を上げた。
彼の声が震える。
「何だと!?」
レックスは変わらぬ調子で、ただ事実を述べる。
「まぁ、最悪のケースですし、それも一筆書くだけで、そうはなりませんのでお願いします。」
もしこの契約終了届にサインをしなかった場合、ギルドはジェプティ達のパーティがレックスの報酬を横領した可能性を疑うことになる。
その結果、ギルドはレックスへの保証として依頼総報酬の33%を自動的に充てる義務が発生する。
さらに、調査・仲裁の手数料として総報酬の20%がペナルティとして課され、それに加えて契約違反の違約金として総報酬の50%が追加徴収される規定により、最終的に、ジェプティ達のパーティの取り分は−3%となる。
つまり、彼らは報酬ゼロどころか、追加で3%分をギルドに支払わなければならない借金状態に陥るのだ。
ジェプティがその事を知る由もないが、彼は渋々ペンを取り直し、契約終了届にサインを入れた。
霧の向こうで、シャドウハードの影がゆっくりと近づいてくる。
ジェプティとネヴィルは、まだ呆然としたまま立ち尽くしていた。




