陰と陽 ⑦
陰陽寮の校庭。
司馬巻が立っていた。
片手には丸い鳥――トト。
「遅いのだよ」
「ちょっと! 私のトトになにするの!」
司馬巻はトトを握り潰すように力を入れる。
トトが震える声で叫んだ。
「ねこさまー!」
「才能のないお前が、先生に気に入られていたのが癪なのだよ」
司馬巻の言い方は整っていて、だからこそ怖い。
「出来ない者が名を得るのは筋が通らない」
「陰陽寮の形が崩れる」
数珠が淡く光る。
風が校庭の中心へ集まる。
「これから決闘なのだよ。断れば、この鳥を殺す」
音子の視界が一瞬、赤く染まった。
腹の底が冷える。
その代わり頭だけが冴える。
「……受けて立つよ」
「トトは絶対に返してもらう」
司馬巻が吐き捨てる。
「その歪みが、許せないのだよ!」
風が鳴った。
空気が刃になり、息が吸えない。
音子は弾き飛ばされ、白砂を転がった。
肋が軋み、血の味がする。
(立て)
(トトを返す)
音子は水晶を握りしめた。
冷たいはずの結晶が、手のひらの奥で熱を返す。
袖の中で、形代が鳴った。
昼に動かなかった紙だ。
(……遅れて、来た)
音子は息を切り、勝ち筋を探す。
(あいつの術は、数珠の回転で“続いてる”)
(続いてるなら、術者を揺らせば折れる)
「なめんなぁあ!」
音子は形代を放った。
数が多い。
散らして視界を奪い、狙いをずらす。
紙の端が頬を掠め、熱い線を残した。
司馬巻が目を見開く。
「今日は一体も動かせなかったはずだろう! しかも数が……!」
音子は裂ける紙を無視して、術者へ札を叩き込む。
司馬巻の集中が揺れ、風の形が乱れた。
「操ってるなら、術者が要だろ!」
司馬巻が苛立ち、数珠を一気に回す。
「生意気な……!」
風が増す。
校庭の空気が薄くなる。
護符が唸り、結界柱が震えた。
石畳の隙間から砂が踊り、巨大な輪郭が夜空に立ち上がる。
十メートル級の圧が、校庭を押し潰す。
風神。
司馬巻の目が据わった。
「……潰せ」
次の瞬間、司馬巻の声が割れる。
「くたばれぇええええ!」
拳が落ちる。
世界が叩き潰される。
ドオォンッ。
地面が沈み、石灯籠が砕けた。
衝撃で耳がきいんと鳴る。
司馬巻は勝利を確信する。
「やったか」
「鋼鉄すら切り裂く風だ。生きて――」
次の瞬間。
ズシャアアアアア!
音が遅れて届いた。
風神の巨腕が、肩から斜めに断たれていた。
砂煙の裂け目から、ひとりの男が歩き出す。
刀を片手に提げ、刃には血も泥もない。
あるのは静けさだけだった。
司馬巻の声が悲鳴になる。
「誰だ!! お前は!!」
音子は膝をつき、見上げる。
(夢の影の人)
鎖骨の下が、また熱を帯びた。
男の瞳が音子を一瞬だけ見て、司馬巻を見る。
「……ゼロ。主を守る式神だ」
司馬巻が吠える。
「まとめて始末してやる!」
風が集まる。
だがゼロの一歩が、風の理屈ごと踏み潰した。
「無駄だ」
風が届かない。
風神の輪郭がほどけて消える。
消える直前、ゼロの輪郭がほんの僅かに揺れた。
足音が、乾いた木みたいに鳴った。
音子の水晶が熱ではなく、空っぽみたいに冷える。
(削れた)
(消した代償だ)
それでもゼロは止まらない。
狙うのは人ではなく、術の塊だけ。
司馬巻が一歩引いた。
――今なら斬れる距離だ。
だがゼロは踏み込まない。
刀を僅かに下げ、音子の横へ影のように立った。
(前に出るのは、私)
(守りはゼロ)
音子は息を吸う。
胸の痛みを、怒りへ変える。
「いつもクラスでバカにしてくること!」
「トトをさらったこと!」
「陰陽師失格って言ったこと!」
「……あと全部!」
形代が舞う。
ゼロは何も言わずに道を空ける。
守る位置だけは崩さない。
前に出るのは音子だ。
「急急如律令――形代吹雪!」
空が紙で埋まった。
景色が消えるほどの吹雪。
司馬巻が風をぶつけようとしても、術の筋が乱れる。
そこへ形代が降り注ぐ。
司馬巻の叫びが夜に沈み、最後は音もなく倒れた。




