西の魔女グレイシヴ6
幸いにも研究所へ着くまでに翔君が目を覚ますことはなかった。
目を覚まして下手に暴れられても困るし、また隕石を落とされても面倒だ。
夕食は家で作ろうと思っていたのに外食してしまったため、グレイには何を作ってあげようか思案している間に、馬車は研究所へと辿り着いた。外はもう暗いが、侯爵家の馬車は辻馬車と比べて速度が段違いだった。
「それじゃ、グレイを呼んでくるからそいつ連れてきてください」
「あ、あの、会っていきなり変な魔法を掛けられたりしませんよね?」
「心配だったら外で待っててもいいですよ。多分、見たくない光景を見せられるから」
護衛騎士たちは青い顔をしてコクコクと頷いた。執事だけは傍にいなくてはということで、一緒に中へ入ることになった。
研究所に入ると明かりはついておらず、室内は暗い。どうやらグレイは寝ているようだ。
「グレイー! 連れてきたぞー」
部屋の明かりをつけると、机に突っ伏して寝ているグレイの姿があった。
肩を揺すってみるが簡単には起きそうにない。そういう時はエサで釣るのが効果的だ。
ファルちゃんから貰ったお土産を、寝ているグレイの顔の近くに寄せる。
「ほうら、グレイ、王都でしか味わえない高級チョコレートだぞ~」
ピクリッ。と反応があった。
「高級なお土産だから二つしか貰っていなくてさ~、起きないなら食べちゃうぞ~? ……あ」
次の瞬間、俺の手からチョコレートが消えていた。
よく見るとグレイの指先だけがこちらを向いていて、顔を伏せたまま口元がもぐもぐと動いていた。こんなことで魔法を使うなよ。
「起きてんじゃん。ほら、転生者連れてきたから薬飲ませてくれ」
「…………」
「コーヒー淹れてやるから」
「…………」
「転生者君、いろいろとやらかしてくれたから、グレイの好きにしてもいいんだぞぉ?」
「…………めんどう」
こいつ俺の面倒を一言で片づけやがった。ここまで譲歩して他に何をしろと?
いや、もしかしてこいつ――。
「……残りのチョコもあげるから」
「合格よ」
バッと顔を上げたグレイは、スッと手をこちらへ差し出してきた。視線は俺が持っているチョコに釘付けだった。
王都なんて滅多に行かないし、こんな高級チョコも買えないというのに、俺は食べられないのか。この甘味大好きモンスターの前でチョコをちらつかせたのが間違いだったか。
「……はい」
ここで機嫌を損ねて転生者をほったらかしにされても困るから、仕方なく差し出された手のひらにチョコを乗せた。
「何しているのかしら?」
「まだなんかあるの?」
チョコを渡してもまだ何か要求してくる西の魔女。
「コーヒーを淹れてくれるのでしょう?」
「……そうだったね」
コーヒー淹れている間に全部終わらせてくれねぇかな?
当然終わらせてくれるわけもなく、コーヒーを淹れ終わったとき、ソファに気絶した翔君を寝かせたまま、高級チョコの香りを楽しんでいるグレイの姿があった。
執事は西の魔女を前に緊張しているのか身動き一つしないし、外の護衛騎士たちは様子を見に来ることもない。
「こいつ、中身はとんでもない奴だったよ。引きこもりでニートだし、ロリコンでファルちゃんに手を出そうとしていたし、散財したことや元のケイン君に謝罪する意思もない。挙句の果てに乗っ取られる方が悪いんだってさ」
「……そう。それは、久々の上客ね」
グレイには花街であったことや、翔君の行動を伝えると、ニヤリと笑って棚から色とりどりの小瓶を集めてきた。
「これとこれは外せないわね。これも試しに使ってみようかしら?」
ぶつぶつと呟きながら怪しい笑みを浮かべるグレイの前にコーヒーを置いた。
「はい、コーヒー。飲みながらでも仕事はしてくれよ」
「分かっているわよ。好きなことをしながら好物を食べる時が一番美味しいのだから」
グレイはコーヒーを一口飲んで、ゆっくり指先を振った。すると、気絶していた翔君がいきなり目を覚ました。
「う、うぅ……、オレは、いったい?」
「目が覚めたようね、さっそくだけど、お薬の時間よ」
グレイが指を再度振ると、机に並べていた小瓶がカタカタと揺れ始め、端から順番に蓋が開いていく。その数は十を超えていた。
ちなみにグレイの薬は効果を重要視しているため、味は度外視だ。つまりクッソまずい。
「は? 薬? というかこいつら誰?」
「私は西の魔女、グレイシヴ」
グレイが薄ら笑いを浮かべながら自己紹介すると、翔君はグレイの身体をじろじろと見た後鼻で笑った。
「なんだよ、貧相な身体付きの奴だな。もう少しマシな奴に接待させられねえのかよ」
あれだけのことがあっても、性懲りもなく俺のことを睨む翔君にはもう、救いはないのかもしれない。
「あ、あの、魔女様、どうか後遺症は残らない程度にお願いいたします」
執事さんがハンカチで汗を拭きながら懇願するが、グレイの口はピエロのように持ち上がる。グレイが怒る時って静かに仕返しが来るからな、どうなっても知らね。
「安心して、ここにあるお薬は、すべて“後遺症が残らないようにする”ためのお薬よ。……一つ目、綺麗に魂を引き剥がすお薬。……ジッとしていなさい」
「は? あがッ⁉」
口を開いたまま全身を魔法で固定された翔君は、天井を見上げるように顎を持ち上げられ、上から黒い小瓶が傾いてくる。
「あ、あ……」
いくら魔力を放出しようが、魔女相手にはどうしようもない。その程度簡単に打ち消されてしまい、抵抗は無駄に終わる。隕石を落とそうにも発動前に潰されては意味がない。
ゆっくりとこぼれてきた液体は密のように黄色くとろりとしていて、時間を掛けて口の中へ吸い込まれていった。
「ゴ、ゴポッ オォッ⁉」
グレイの魔法によって吐き出すことも出来ず、呼吸が苦しくなり、飲み込むととてつもない苦味ですでに涙目だ。これがあと十数本。いつの間にか追加されていた一本については見なかったことにして、……頑張れと思わず応援したくなる。
「二本目、働きたくなる意欲が湧くお薬」
「三本目、ペドフィリアを治すお薬」
「四本目、引きこもりに罪悪感を覚えるお薬」
不気味な色をした液体が小瓶から順番に流れていく。翔君の苦しむ様子を見ながらメモを取るグレイは、まさにマッドサイエンティストそのものだった。
味はガン無視、なんなら副作用も酷いものでなければ放置している薬を、ためらいなく流し込む。翔君はすでに気絶寸前でびくびくと身体が跳ねているが、グレイは容赦なく次々と小瓶を傾けていく。
「ただただ苦いだけの液体」
え? 何それ、嫌がらせじゃん。追加の一本ってそれかよ。
「ゴポッ、あ、あう」
「坊ちゃま! 坊ちゃま! お気を確かに!」
いくら中身が違うとしても、外面は大事な坊ちゃまだし、今後の生活のことを考えたらこんなに薬を飲まされるのは不安だろうな。
合計で十六本の薬を無理やり飲まされた翔君は、グレイの魔法によって気絶も許されず、涙と鼻水をだらしなく垂らしながら呻いていた。
すべての薬を飲ませて満足したのか、グレイはお皿にちょこんと置いていた高級チョコをぱくりと頬張り、たっぷり味わってからコーヒーを啜った。
「そろそろ効果が効き始める頃ね。ああ、早く逃げ出したいところ悪いけど、辛いのはここからよ?」
「あ? ――ガッ⁉」
「坊ちゃま!」
薬の苦味で頭がふらつき、鼻の機能も怪しくなった頃、効果の表れは同時に副作用も彼を襲う。
「副作用は……なんだったかしら? あまり人体に影響がないからって覚えてなかったわ」
「一本目の薬は頭痛、二本目は足の痺れ、三本目は一次視力の低下、四本目は感度上昇……、これで人体に影響がないわけないと思うんだけどな?」
「そう? 歯が抜けるよりはマシではないかしら? 痛み止めもあるけれど、それは尿路結石ができやすいために却下したのよね」
「あれはマジでつらかった。グレイの魔法で取り除いてもらわなかったらヤバかったな」
慣れた光景……と言うと外道扱いされるだろうが、グレイの薬に慣れて信用していれば、これくらいどうってことはない。
今頃、翔君はこの世と元の世界の狭間で引っ付いた魂の剥離が始まっていて、精神的な苦痛に苦しんでいることだろう。しかし、苦しそうにしていた表情も時間が経つにつれ、徐々に落ち着いてくる。
「あ、……あぁ」
気絶を封じられているにも関わらず、翔君の瞼がスッと閉じた。どうやら魂の剥離が無事に出来たらしい。
グレイが飲ませた薬のほとんどが、元の世界でも効果が効くようにできているため、こちらの記憶が無くなったとしても、彼のロリコンや、引きこもりは回復に向かうだろう。どうしてそんなことが分かるのかは難しい実験結果を聞かなくちゃいけないらしいから、そういうもんだと思っている。
「ぼ、坊ちゃま……」
先ほどから坊ちゃまbotと化していた執事さんは、後遺症が残らないか不安なのだろうか、必死にハンカチでケイン君の顔に付いた涙と鼻水を拭いていた。
時間的にほとんどの副作用が収まる頃だ。
「今日のコーヒーは格別に美味しいわね」
「豆は同じだけどな、それと、夕飯作るからお菓子は少しにしておけよ。執事さんにちゃんと薬の後遺症がないか説明してあげて」
「めんどうね。ユキヒロから説明しなさい。助手でしょう」
「本人から聞きたいことだってあるんだよ……て、もうリラックスタイムに入ってやがる」
仕事が終わったことで呑気にコーヒーを啜るグレイは、ストックしてあるクッキーまで手を付け始めている。
溜息を漏らし、二人の元へ近づく。
どうやらケイン君は意識を取り戻したようで、軽い頭痛に頭を押さえていた。脚の痺れに苦痛の表情を見せ、視力の低下に戸惑っている様子だ。
「ウルルガ侯爵子息様、おはようございます。西の魔女、グレイシヴの助手の“ヴェル”と申します」
「あ、あぁ、そうか、なるほど。わたしは転生者症候群に罹っていたようだね」
乗り移っていたあいつとは違って知的な雰囲気がある。俺と同い年とは思えない貫禄があった。そして、俺が西の魔女の助手を名乗っただけで状況を理解してくれたのはありがたい。
「そうです。本来は東の魔女様に依頼されるのですが、今回は少々やっかいな魂に乗り移られてしまったようでして、西の魔女グレイシヴが対応させていただきました」
「西の魔女か、正直、薬の副作用については怖いものがあったが、こうして助けてもらったからにはお礼をしなくてはならないな」
「甘いお菓子なら喜びますよ」
「ほう、なら後日、王都の菓子をいくつか見繕うではないか」
正直現金をポンと出してくれた方が嬉しいけど、そんなこと言えるわけねえよな。だからといっていらない物送られても場所に困るから、先手を打ってお菓子を提案しておけば、魔女への贈り物に困らせることもない。
「それで、今回使用した魔女の薬の副作用についてですが、半日もあれば体中の痛みは治まります。転生者が患っていた病気に効く薬も処方しましたが、ウルルガ様の体調にマイナスの影響はありません」
「そうか、まだ頭痛と脚の痺れに、視界がぼやけている。これらが副作用であると?」
「はい」
俺は頷いた。グレイの薬は効果がはっきり表れてくれるが、その分副作用も強い。すべての副作用が収まるまでは日常生活に問題が生じるだろうが、すべての副作用が収まれば、健康は前よりむしろ良くなっている。
「はい。グレイの薬は確かに効果を重視して、副作用は後遺症が残らなければ採用してしまったものばかりです。ですが、西の魔女は薬の天才です。“魔女の秘薬”とも呼ばれる数々の薬を作り上げた彼女の腕を信じていただけたらと」
「いや、信じていないわけではない。『西の魔女が作り上げる秘薬にはとんでもない副作用がある』なんて噂を耳にしてからは偏見を持っていたが、こうして薬を処方してもらい、命を救ってもらった。感謝と共に謝罪せねばなるまい」
ケイン君は、ソファで寝転がりながらコーヒーを飲んでいるグレイに向かって頭を下げた。グレイはこちらを見もせずクッキーを齧った。
「ああ見えて感謝されるのは嫌いじゃないんで、聞こえていると思います。……いでッ⁉」
額に見えない何かが飛んできて軽く腰が浮く。首を大きく捻ってしまった。
よく見るとグレイの手がデコピンの形を作っている。空気の塊を飛ばしてきたようだ。
「はは、これ以上の感謝は菓子折りでさせてもらうとしよう。そうでないとヴェル殿の首が取れてしまいそうだ」
執事の手を借りて立ち上がるケイン君は、足元がおぼつかない。視界不良に気を付けて欲しい。
こちらから何か言えた義理はないが、転生者が花街で散財したことについては頑張って名誉挽回してほしい。何か手助けが必要ならばグレイを引っ張ってでも力になろう。
「わたしが乗っ取られている間に何があったかは後日、手紙で知らせてくれると助かる」
「はい。分かりました。あ、でも俺が知っているのは今日一日のことだけですので、さらに詳しいことは……現場で話を聞いてもらえればと」
「現場? ちなみにどこだね?」
「えっと……花街です」
「はっはっは! なるほど、だから西の魔女の世話になったわけか」
ケイン君は怒ると思いきや、納得したとばかりに元気よく研究所を後にした。扉が閉まるまで、外で待機していた護衛騎士たちの心配する声が喧しいくらいに聞こえた。




