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転生者症候群8

 肌寒いと思うほど涼しい風が木々を揺らし、俺の胸元で泣く夏美の長い髪を揺らした。


「落ち着いたか?」


「……うん」


 あまり顔を見ないようにして夏美と離れる。ポケットからハンカチを渡すと、思いっきり鼻をかまれた。新品だったんだけどな。


 涙も拭いて、だけど真っ赤になった目元はどうしようもなくて、夏美をベンチに座らせた。


「グレイちゃん、嫌い」


「悪かったわ。兄妹の喧嘩を初めて見たものだから、思ったより変わった喧嘩理由に堪え切れなくなったのよ」


「反省してない!」


「グレイ、一言余計だぞ」


「……悪かったわ」


 これでいい? と俺のことを見るグレイにため息を漏らし、俺は夏美とグレイに席を詰めるように言って、端っこに座る。夏美は真ん中に挟まれている。


 俯いた夏美の頭にポンと手を置いて撫でた。


「ありがとうな。俺の事、好きでいてくれて」


「家族だもん。お母さんもお父さんも、お兄ちゃんがいなくなって元気がなくなったし」


「それは夏美も同じだろ。夏美がこのまま帰って来なかったら、母さんたち、もう立ち直れなくなるかもよ」


「……でも、帰りたくない。お兄ちゃんいないもん」

 先ほどから夏美の口調が幼くなっているが、可愛らしいから指摘はしないでおく。


「どうしたら帰ってくれる?」


「どうして私を帰したがるの? この世界にいちゃいけないの?」


 上目遣いに返されて、俺は言葉に詰まった。理由ならある。身体の持ち主に悪いとか、両親が心配しているとか。だけど、それは夏美の心には響かない。


「お兄ちゃんが帰ってきてくれるなら、帰ってもいい」


「俺はもうこの世界の住人だ。魂は定着しているし、もし帰ったとしても、もう死んでいる」


「分かってるよ! 分かっているけど……、それでも、もしかしたら何か方法があるかもしれないじゃん!」


「ナツミ、残酷なようだけど、ユキヒロはこの世界から出る方法はないわ。魔女である私が断言するわ」


「グレイちゃん、なんで」


 転生者の魂について俺から語れることはない。ただ、専門としているグレイが絶対にないと断言するのであればそうなのだろう。


「やっぱり、そうなんだな」


「え? お兄ちゃんも知らなかったの?」


「ああ、俺はグレイに、元の世界へ帰るための方法を探してもらっていたからな。だけど、もう絶対に帰れないなんて初耳だ」


「ユキヒロには残酷かと思って伝えていなかったわ。定着した魂を引きはがすのは魔女の総力を挙げても不可能だったわ。私からお願いして黙ってもらっていたけど、数年前に研究は打ち切っているわ」


 目を瞑る。心のどこかで分かっていたはずだ。いつからか、グレイが研究の進捗を話さなくなったことから気付いていた。


 本当に二度と帰る事が出来なくなった世界に思いを馳せる。夏美が高校生なら、一緒にバスケをやってきたあいつらはもう大学生か社会人か。すっかり置いていかれたな。


 結局思い出せなかったバスケ部で起こった問題の、当事者たちは前を向けただろうか、俺が守ろうとしたやつらは、俺が死んだことで気に病んでいないだろうか。


 俺の心が弱くなければ、しっかり体罰に対して声を出していれば――。


「お兄ちゃん、泣いているの?」


 夏美に言われて目頭が熱くなっていることに気付いた。頬を伝う涙が手の甲に落ちた。


「え? ああ、……そうか、俺、こんなに帰りたいって思っていたんだな」


 たとえ覚えていなくとも、傷を刻まれた魂が悲鳴を上げていた。胸の奥から痛みが込み上げてきた。


「ユキヒロ、あなたの本当の願いを叶えられなくて申し訳ないわ。そしてナツミ、あなたにも謝罪をするわ。あなたの兄を、救ってあげられなくて、ごめんなさい」


「グレイちゃん……」


 頭を下げたグレイは、ナツミに頭を上げてと言われるまでそのままだった。


「少し冷たいようだけど、私は魔女よ。転生者の対応をして、元の世界へ帰せなかったとなれば、私は国から罰が与えられるわ。罰金で済めばいいけど、最悪魔女の称号を剝奪されるわ」


 もしグレイが魔女でなくなれば、俺たちはこれまで通りの暮らしは出来ない。夏美の気持ちを尊重したい気持ちもあるが、俺は多分、元の世界に帰せなかった罪悪感に押しつぶされる気がする。


 誰も幸せになれない選択は、俺には選べない。


「ナツミ、元の世界へ帰りなさい。私は魔女として、ナツミのこれからが好転することを保証するわ」


「……そっか。私は、この世界の人じゃいられないんだよね」


 夏美はベンチから立ち上がると、俺の手を引く。一緒に立ち上がると、夏美は俺の後ろに回って首に腕を回してきた。


 強く拘束されているわけではない。だけど、まるで人質のような、そんな体勢。


「夏美、なんのつもりだ?」


 首元に回された夏美の手が青白く光り始めた。


「なんのつもりかしら?」


「最後の抵抗だよ。私に元の世界へ帰ってほしかったら、私をどうにかしてよ。もう、こんなことしかできない壊れた私をどうにかしてよ!」


 キーンと音を立てて振動を始めた夏美の腕は、間違いなく転生者の魔法だ。振動による切断。俺の首なんて一瞬で吹っ飛ぶ。


「愚かね。そんなことをして何の意味があるのかしら?」


「もういいの。お兄ちゃんが帰ってこないなら、私はここで終わってもいい。だから、……お兄ちゃんを助けて」


 俺の後ろで夏美がまた泣いている。言動も意味不明で情緒が不安定になっている。


 俺は夏美の魔法に手で触れれば簡単に打ち消せる。だけど、ここまで感情がごちゃまぜになっている状態で魔力を逆流させたら危険だ。


「夏美、落ち着けって、こんなことしても意味がない!」


「お兄ちゃんは黙ってて! 私はグレイちゃんに選択を委ねたの!」


「くっ……グレイ! 夏美を止めてくれ!」


 俺の呼びかけに、グレイは冷静な態度だった。ポケットから青い小瓶を取り出すと、真っ直ぐこちらへ放ってくるのをキャッチした。


 何の薬かは分からない。だけど、こちらに渡してきたのだから、何か意味があるはず。


「ねえ、ユキヒロ。あなたは、ナツミにこの世界に残っていて欲しいと思っているかしら? それとも、私たちの平穏な日々を守りたいかしら?」


「なんだよ、その選択肢は。それより魔法で夏美を止めてくれ」


「もし私よりナツミが大事なら、その薬を飲みなさい。あなたは楽にこの世界から去れるわ」


「――ッ!?」


「だけど、ナツミより私との日々を選ぶのなら、……私を信じなさい。ユキヒロにはその状況を打開することが出来るわ」


「俺は……」


 首元に突き付けられた青白い魔法の手は、夏美自身も震えているのか状態が不安定だ。


 俺は、夏美もグレイも大事だ。でも、気持ちに正面から立ち向かって答えを出すのなら、俺の選択は決まっていた。


「お兄ちゃん、何を――!?」


 俺はグレイに渡された薬を地面に投げ捨て、夏美の腕を掴んでいた。


「俺は、グレイを選ぶよ。だって、グレイが好きだから」


 研究が第一で、偏食で、甘い物ばかり食べて、家から出ないグレイだけど、ずっと一緒に過ごしてきて、俺の心はいつの間にかグレイに奪われていた。


突如魔法が解除されて状況が理解できていない夏美を抱きしめる。これでもう魔法は使えない。


 不思議なことに魔力の逆流は起きず、夏美は吐き気を催すことがなかった。


「夏美、帰ろう。あっちの世界に俺はもういないけど、夏美はまだ生きている」


「お、お兄ちゃんがいないのに、どうやって生きていけば――」


「甘えるな! もう高校生だろ。……グスッ、今こそ兄離れする時じゃないか!」


「なんでお兄ちゃんが泣くの? お兄ちゃんこそ、高校生になっても妹離れできなかったくせに!」


「兄は妹を可愛がるものだ! だけど、妹は兄離れしなくちゃいけないんだ!」


「なにそれ! 意味わかんない!」


「俺だって分かんねえよ。だけど、夏美が前を向くためには、今ここで兄離れをしなくちゃいけないんだよ」


 優しく諭すように伝えたいことを伝えると、俺たちの傍にグレイがやってきた。


 俺の手に三本の小瓶を握らせると、ナツミの頭を撫でて「さよなら、ナツミ」とグレイらしく淡白に声をかけて離れていった。


 グレイに渡された小瓶は、どれも見覚えがあった。赤い小瓶は転生者を元に戻すための薬。紫の小瓶は魂を剥がしやすくする薬。そして最後のピンク色の小瓶、これは、いい夢が見られる薬。グレイなりの餞別なのだろう。


「帰ろう、夏美」


「……やだ」


「この期に及んでまだ嫌か?」


「兄離れしたくないもん」


 嬉しいこと言ってくれるが、……そうか、俺も妹離れしないとだめなのかもな。


「夏美、俺さ、好きな人がいるんだ。だから、もう夏美に構っていられないんだよ」


 俺の妹離れの意思を感じ取ったのか、夏美は口元を震わせながら俺の目を見た。


 そして、決死の覚悟をしたのだろう、俺の望んだ言葉を口にした。


「お兄ちゃんなんて……、だ、ダイキライ!」


 心に来るなぁ。でもこれでよかった。心はスッキリしていた。


「それじゃ、……お別れだ。これを飲んで」


 俺はピンク色の小瓶の蓋を開け、夏美に飲ませる。最初は躊躇いを見せたが、俺とグレイのことを何度か視線で往復した後、覚悟を決めて一気に飲み干した。


「……苦い」


「その代わり、効果はしっかり発揮するからな」


 二本目、紫の小瓶を飲ませる。こちらは味がしなかったようで逆になんとも言えない顔をしていた。


 そして、最後の一本。これは俺が飲ませるのを躊躇った。


「お兄ちゃん?」


「ごめんな。何度も謝ったけど、謝り切れなくて。俺には何が正しくて、何が間違っていたのか分からないんだ。今が最後の答え合わせを出来る時なのに、俺は回答を出すことが出来ないんだ」


「格好良かったよ」


「え?」


「だから! お兄ちゃんのやってきたことは格好良かったよ! それだけ!」


「夏美……あっ」


 夏美は俺から最後の赤い小瓶をひったくると、蓋を開け、一気に飲み干した。苦みに顔を顰めながら、最後は白い歯を見せて笑った。


「じゃあね! お兄ちゃん」


「夏美!」


 次の瞬間。目を閉じた夏美の身体は力が抜けたように崩れ落ち、その前に抱き留めた。


 もう夢を見ているのだろうか、顔はとても穏やかだった。


「結局、妹離れできなかったな」


 夏美の魂を失ったメイドさんの身体をベンチに横たえ、俺は、涙を隠すように満天の星空を見上げた。

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