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転生者症候群6

ヒロイン視点

「だって、こうなるからよ」


 誰もが寝静まった夜更けに、私はぱちりと目を覚ました。


 むくりと上体を起こすと、肩まで掛けていた毛布が膝あたりまで捲れていることに気付いた。


 私は寝相がいい。前に部屋の温度調整を間違った時以外、毛布を蹴飛ばしたことはない。


「ナツミは……、でしょうね」


 隣のお客様用に準備した布団はもぬけの殻になっていて、ナツミの荷物は全て無くなっていた。


 そっと布団に触れてみるとまだ温もりがわずかに残っている。出て行ってからそんなに時間は経っていない。


 ベッドから降り、寝間着を脱ぎ捨てる。いつもの魔女の制服に着替え、面倒だから手櫛で髪を整えた。


 まだ少し残る眠気は魔法で出した水で顔を洗って吹き飛ばした。


「一応飲んでおこうかしら」


 ベッドの下に隠してある薬の小瓶を取り出し、一本飲み干す。効果は魔力の増強、副作用はなし。自信作。


 部屋を出ると、当然ながら廊下は暗闇。窓から覗く見慣れた夜空の星は瞬いているが、天文学は専門外だ。可能なら星の砂で薬を作ってみたい程度にしか興味はない。


 玄関を出て外へ出ると、生温くはあるがそれなりに心地よい風が肌をなぞる。


 やはり太陽の光よりも、私には月明りの方が合っている。空を見上げれば、三日後が満月だ。


「そろそろ追いかけましょうか」


 指を振る。対象はナツミ、目印は足跡、魔法は私の両目に付与。


 追跡魔法、少々細かい設定は必要だが、はっきりとした対象がいればそんなに難しい魔法ではない。


 研究所を出た後はどこに進んだかを魔法で見分けるわけだが、どの方角へ向かったかは魔法を使わずとも検討は付いていた。


「やはり南の方角ね」


 現在、魔女は南の地区だけが不在となっている。理由はただ南の魔女が歳だからだ。現在は引退して隠居している。それに南方面には山があり、一時的に隠れるにはそこしかないのだ。


 私の視界の中で青白く光るナツミの足跡は、田園地帯をまっすぐ進み、やはり山の方へ向かっていた。


 足跡を追うように、私も歩き出す。研究所周りの散歩以外で、隣に誰もいないのに外を歩くなんて数年ぶりだ。いつも隣にはユキヒロがいて、文句をいいつつも私を連れて行ってくれた。


 田園地帯を抜けて、目的の山の麓まで来た。足跡はずっと舗装された階段の上まで続いていて、今からここを登るのかと思うと気が滅入った。


「空を飛ぶ魔法とか、キィリスが作ってくれないかしら」


 実用性のある魔法を多く発表している友の顔を思い浮かべる。今頃旦那様と一緒に寝ているのだろう。


 急ぐ必要はない。見えている足跡は徐々に色が濃くなっている。ナツミは間違いなく頂上にいる。


 疲れを吹き飛ばす薬を飲む。副作用は若干の眠気。だが、その程度どうってことはない、ほら、欠伸一つ漏れない。


「……ふあ」


 どうしてかしら? 欠伸という単語は思い浮かべるだけで欠伸が漏れる。何か薬に応用できないかしらね。


 今日はなんの薬を作ろうか思案しているうちに、頂上が見えてきた。足跡も頂上に続いている。


 ここまで薬を何本か消費したが、このことをユキヒロに話せば、運動不足と笑われるのが目に見える。


 頂上に足を踏み入れると、そこはちょっとした広場のような展望台になっていた。転落防止柵の向こうに隣町が見える。ここらへんは面白い物がない田舎だから、眺めていてもすぐに飽きるけど。


「ああ、やっぱりここにいたわね」


「え? ……グレイちゃん。どうして」


 ナツミは頂上に設置してあるベンチで黄昏れて遠くを見ていた。私が声を掛けると驚いた表情でこちらへ振り返った。


「追いかけてきただけよ。不思議なことはないわ」


「グレイちゃん魔女だもんね。私のこと追いかけるくらいどうってことないか」


 肩をストンと落として溜息を漏らしたナツミは、また遠くを眺めた。


 ナツミの隣に移動して腰かける。しばらく無言が続いた。


「一カ月、逃げようと思ったのよね?」


 動物も寝静まった静寂を先に破ったのは私。あまり時間は残されていないから。


「元の世界が嫌い? それとも、この世界を気に入ったのかしら?」


「どっちも、かな。元の世界はなんか生きづらい、兄貴もいないし」


「無理しなくていいのよ」


「……なんで、我慢しているのに、そんなこというかなぁ」


「ナツミのように、転生したことを隠して逃げた女を知っているからよ」


 下唇を噛んで感情を押し殺そうとしているナツミに、私は昔あったことを話した。


「その女はこの世界にやって来てたった三日で最愛の人を見つけて、駆け落ちしたわ。家族や元いた婚約者は激怒したし、大魔女様も捜索に加わったほどよ」


「…………」


「転生者の魂が定着するまでの一カ月、その女は見事に逃げ切り、田舎に家を借りて駆け落ち相手と子どもをつくったのよ。それが一つ目の後悔」


「え?」


「似ていなかったのよ。腹を痛めて生んだのに、子どもは女にも男にも似ていない。つまりこの世界での母親似だったのよ。元の世界の自分とは似ても似つかない、せめて父親に似ていればよかったのに」


 脚を投げ出す。足先を両足でぶつけて気を紛らわしながら、続きを話した。


「母親に虐待されて育った子どもは、碌なものを食べさせてもらえず、全身に痣を作り、やがて一つを除いて味覚を失ったわ」


「……一つって、何が残ったの?」


「甘味よ。その子どもは甘い物しか味わえず、他の物がまともに食べられなくなってからはやせ細り、余計に虐待が激しくなったわ」


 視界に入ってきた髪を耳に掛け、自分の腕を掴む。山の頂上は少し肌寒い。


「女に幻滅した男はさっさと出て行き、残された女はついに子どもを山に捨てた。そして、大魔女様に見つかった女は、取り調べで半狂乱に子どもを山に捨てたことを自白し、子どもは命が尽きる前に保護されたのよ。まあ、二つ目以降の後悔は語らなかったけど、後悔がいくつあったかは数えきれないでしょうね。……知りたいかしら?」


 首を横にぶんぶん振ったナツミを観察しながら、軽く指を振った。ナツミが“持っていてはいけない物”を回収しておく。


 全員が全員、この世界に残って後悔したわけじゃない。だけど、転生した時点で罪を背負っていることを忘れてはならない。


 この世界に残るという事は、身体の本来の持ち主を殺すこと、家族や友人に恨まれる事、生活水準の違いや容姿の差など、受け入れなくてはならないことが多すぎる。


 それに――。


「ナツミ、あなたの家族が心配しているわよ」


 転生したという事は、元の世界では寝たきりになっているということ。魂がこちらの世界に定着してしまえば、ナツミは家族を悲しませることになる。


「ユキヒロに続いて、ナツミまで。あなたのご両親は立ち直れるのかしら?」


「で、でも……」


 言い淀んだナツミは、手をふらふらとさせて、持ち出した荷物の中へ突っ込んだ。しかし、そこにお目当ての物はない。


「探しているのは、これかしら?」


「なっ! いつの間に」


 ナツミが座る場所とは反対側の手に持っていた物を見せる。


 月明りにギラリと輝いたそれは、ユキヒロが愛用している包丁だった。危ないから刃の部分を魔力でコーティングし、切れないようにしておいた。


「これで私を殺すつもりだったのでしょう?」


 ナツミが一カ月間逃げようとしているのであれば、一番の障害となるのは私だ。私を排除しなければ一カ月の逃亡は不可能に近いことは分かっていたのだろう。そして、彼女は間違いなく混乱していた。ユキヒロの包丁を盗み出し、私の布団を剥がして包丁を構えたところまでは想像に難くない。


あまりにも愚策であるのは間違いない。一応防護の魔法は発動させていたが、ナツミは包丁を持ったまま私を刺さずに研究所を飛び出していた。


 包丁をそっとベンチに置いた私は、ナツミに聞いた。


「ナツミは、好きな人はいるのかしら?」


「好きな人……、恋愛的な意味で、だよね? だったら、……いないかな。グレイちゃんは、兄貴のこと、好きなの?」


 問われて、私は少し口の端を持ち上げた。


「ええ、好きよ。彼との子どもを産みたいと思うほどに」


「そ、そうなんだ。好意的だと思っていたけど、そこまで」


 ユキヒロを好きといっただけなのに少し引かれる。どうしてかしらね。


「きっかけはなんだったの?」


「彼の料理よ。ユキヒロの料理は、とても美味しいわ」


「確かに美味しかったけど、……あれ? グレイちゃん、味覚は?」


 あの女の子どもが私とは言っていないが、ほぼ確定的なことだ。元から隠す意味はなかった。


「味なんてものは昔から諦めていたわ。食感的にも苦手だった野菜は今も食べたくないけど、ユキヒロが出したサラダは味がしたのよ」


「兄貴の料理だけ、味がした?」


「ええ、ユキヒロが手を加えたもの、また、彼から手渡された物は味がしたわ。彼のどこに惚れたかと言えば、胃袋を掴まれたことよ。それに、彼の生きる理由の半分は私だと言ってくれたわ」


「…………」


 黙り込んだナツミをちらりと見ると、ぽかんとして口を開けていた。


「なにかおかしなことを言ったかしら?」


「あまり感情を表に出さないなって思っていたけど、グレイちゃんって、結構乙女?」


「失礼ね、しっかり年頃の乙女よ。ユキヒロになら私のすべてを捧げてもいいわ」


「流石に重いよ! でも、そんなに好きなんだ。兄貴には味覚のこと、伝えているの?」


「いいえ、分からないのにこれまで食べ続けてきたなんて、教えたところで困らせるだけよ。なんで隠してきたんだと問われても、……今更恥ずかしくて言えないわ」


「しっかり乙女だった」


 ユキヒロは私の事はなんとも思っていないだろう。たまに色仕掛けをしてからかいもするが、私のために毎日世話をしてくれるのが嬉しくて、今のままの関係が心地よいのだ。


「さて、私のことはこれくらいでいいかしら。そろそろナツミの帰りたくない理由について、話してもらうわ。……まだ、帰りたくない?」


「うん。迷惑かけるし、私を含め誰も幸せになれないのはグレイちゃんの話を聞いて納得したけど、……それでも帰りたくない」


 指先を振るう。事前に頂上付近に“張っていた結界を解いた”。


「少しずつでいいわ。帰りたくない理由を話しなさい。彼に」


「え?」


 ナツミが突然聞こえた足音に振り返ると、そこには、息を切らせて膝に手を付くユキヒロの姿があった。

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