転生者症候群1
三章スタート
夏の暑さが激しさを増し、研究所内に置いていた家庭用扇風機だけでは凌げなくなってきた今日この頃。
だらだらと滝のように垂れてくる汗をタオルで何度も拭き取りながら、冷たいお茶を飲む。
クーラーを動かすための魔力はほぼ全てを研究に注ぐ発言をしたグレイによって研究所内はとんでもない熱気が籠っていた。今はただ本を読んでいるだけなのだからクーラーに魔力を分けて欲しい。
窓を全開にしても逃げない熱気に、そろそろ魔力の補充が必要な扇風機。グレイが倒れないように必死に冷凍庫から氷を運ぶ俺。そろそろ倒れてもいいですか?
「グレイ~、そろそろクーラーに魔力を補充してくれよ~。流石にこれは死ぬよ~」
せめて俺に魔力があればよかったのだが、俺に出来るのは転生者の魔法を打ち消して魔力を逆流させるだけ。このギフトに魔力は必要とはしないため、きっと神様は『魔力なんて必要ないっしょw』とか言ってくれなかったに違いない。
「暑いなら脱げばいいじゃない」
「上は脱げるけどさ、グレイみたいにスカートじゃないから、下は蒸れるんだよ」
「ズボンなんて脱いで晒してしまえばいいじゃない。私は気にしないわ」
「俺が気にするんだよ! それと、グレイの格好も……、なんというか」
「なに?」
グレイは、コーディネートとか面倒だからと、普段は学生服に似た魔女の制服を着ているが、流石に室内が暑いことに堪えているのだろう、かなり薄着になっている。
魔女の制服に白衣といういつもの格好ではなく、珍しく私服姿だ。
ノースリーブの白シャツに膝丈のプリーツミニスカート、いつもは黒タイツを履いているのに今は素足だ。髪も後ろで一まとめにしているためうなじがまぶしい。
シャツも胸元を開け、適度に風を送っている。グレイにしては珍しく、今時の女子みたいに、肌色面積が多くて目のやり場に困るのだ。
本人はあまり気にしていないだろうが、いつもより少し短いスカートで素足、それでソファにうつ伏せだと、見えそうで見えないそのギリギリ感に視線が誘導される。スカート越しにくっきり形が見えている臀部と、白いももの裏。というか太もも細いな。もう少し食べさせないと。太ももは太い方が健康的でいい。
「何かユキヒロの性癖を感じるわね」
「な、なにを言っているんだ?」
「動揺しているあたり、図星ね。昨今の若者の流行りである部屋着で興奮されたら、女の子は夏場に何を着ればいいのかしら?」
「それって同じ部屋に異性がいない場合の時だろ。ほら、もう少しだけ丈の長いスカートとかはどうだ?」
「暑いじゃない、私は涼しくありたいのよ」
「じゃあクーラーに魔力補充しろよ」
「……仕方ないわね」
グレイが指先をクーラーに向けて軽く振ると、魔石は魔力が充填されたことを示すように緑に光り出した。魔石が赤く光り出したらまたグレイに補充をお願いしなくてはならない。
ゴーっと音を立てて冷たい風を吐き出し始めたクーラーの下へ移動する。ここが天国だ。
「女性の服の話をしておいて、感想も何もないのかしら?」
「似合ってるよ。すんごい可愛いぜ」
「そ、そう。……ありがとう」
クーラーの涼しさに何か口が滑った気もするが、グレイのことだし、あまり気にしていないだろう。
というか最近の流行りとかどこで情報を仕入れているんだ? 部屋から出ていないのに、なんだかんだグレイは女性の流行りに敏感だよな。人気のお菓子とか、俺の耳に入る前にグレイは把握している。
キィリスさんに薬の材料を注文した時もそうだ。いつの間に注文したのだろう? たまに届く荷物もいつ注文したのか分かっていない。
「なあ、その服とか、薬の材料とか、いつ注文しているんだ? いつの間にか情報を集めているし、俺の知らないうちに外に出ているのか?」
「そんな面倒なことはしないわ。大体は北の大魔女様にお願いしているだけよ」
「どうやって?」
「こうやって」
グレイは指を振ると机の引き出しから二枚の紙を呼び寄せた。それぞれ赤と青の色紙だった。
見た感じ何の変哲もない色紙だが、グレイが赤い紙に魔力を込めるとそこに文字が浮かび上がった。内容は普段よく作っている薬の材料の仕入れをお願いする文言だ。
「この紙に、私の魔力で依頼を書くの。そして書いた紙を――」
――ボッ!
「うわ! 燃えた」
「私の魔法で燃やすことで、大魔女様の所にある赤い方の紙に私が書いた文字が浮かび上がるのよ」
電気で動く機械がないこの世界では、魔法がある程度機械の代わりを務めている。扇風機やクーラーも同じく、魔力を込めることが出来る石に魔力を込めると動き出す仕掛けになっていて、最近では馬車を魔力で自動化出来ないか研究が進められている。電気を使わない分エコになっている。
俺がいた世界では当たり前のように存在していたものが、この世界にはない。誰もが魔法を扱えるのが当たり前だけど、俺は使えない。そんなちぐはぐに不満がないわけではないが、ないならないで死ぬほどには困らないのがこの世界だ。
「遠い所へ瞬時に送れるなんてメールみたいだな」
「メール?」
「詳しい仕組みとかは知らないけど、文字を自由に送れる機能のこと。容量がパンクしない限り制限なくいくらでも文字を相手に送ることができるんだ」
「やはりユキヒロがいた世界は進んでいるのね。魔法がない世界なんて想像できないわ……あら、もう返事が返って来たわ」
グレイが手元に残っていた青い紙を見ると、特に何かしたわけでもなく徐々に文字が浮かび上がってきた。
俺からすれば科学で説明できない現象が蔓延っているこの世界の方が未だ受け入れ切れていない。
「こうやってやり取りをしているわ。取り立てに来ない限り、料金は年に一度の魔女集会で支払っているから安心して」
「グレイでも家を出る理由になるあの集会か」
「まるで私が引きこもりみたいに言うのね」
「この国を代表する引きこもりだろ」
「否定はしないわ」
いつか運動不足で歩けなくなるんじゃないかって思うほど家から出ないからな。得意げに肯定されても困るのだが、グレイを知る者なら誰もが頷くだろうから仕方がない。
グレイは文字が浮かび上がった青い紙を読み込んでいた。ちらっと見た限りかなりの長文だ。適当に送ったメッセージへの返事にしては長すぎる気がした。
一体何が書いてあるのだろうかと気になるが、グレイはやけに真剣な表情で読んでいるから、盗み見するのは憚られた。
「これは、どうしたものかしらね」
「どうしたんだ? 大魔女様から仕事でも依頼されたか?」
「ユキヒロ」
名前を呼ばれたから続きを待つが、グレイは何を言わないままそっぽを向いてしまった。
本当に何がかいてあったんだと気になるが、俺が読む前にその紙はグレイの魔法によって燃えて消されてしまった。
「マジでどうしたんだ? 何か不都合なことでも書いてあったのか?」
「ねえ、ユキヒロ。あなた、自分の過去を知りたいとは思わないかしら?」
「え? 突然なに?」
変な薬でも飲んだのかと茶化そうと思ったが、グレイの真剣な表情は未だ顕在で、俺も真剣に答えなくてはならない気になった。
「転生する前のことはあまり覚えていないから、知りたいと言えば知りたいよ。でも、正直怖い。知らないままの方がいいとも思ってる」
「それはどうしてかしら?」
「グレイは何度も俺の記憶を取り戻そうと尽力してくれただろ。この前飲んだいい夢が見られる薬もそうだ、あれは王宮からの依頼ついでに俺に過去を思い出させようとしてくれた。結局見た夢は思い出せなかったけど、俺は泣いていた。そして、いい夢じゃなかった、そう思った」
だけど、と続けて。
「もし失っている記憶を思い出せるなら、俺は知りたいと思う」
「……そう、分かったわ。今返事をするから、明日には来ると思うわ」
グレイが紙を持って魔法で文字を起こしだす。
「誰が来るんだ?」
「魔女同士の会話で、人を送るのなら誰か決まっているでしょう?」
真剣な表情から少しだけ口元を綻ばせた。
「転生者よ」
グレイが摘まんでいた赤い紙が、ぼうっと音を立てて綺麗に燃えた。




