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ユキヒロ4

 カウンターテーブルの奥側にキィリスさんが座り、反対側の席に俺とエスが一つ間を開けて座っている。


 三角形を形成するような感じに座った俺たちは、キィリスさんが作ったサンドイッチを頬張るエスの食事が終わるのを待った。


「美味しそうに食べるのね。パンにハムと卵、レタスを挟んであるだけなのに」


「た、卵を使っているのか⁉」


 エスが目を見開いて手元のサンドイッチを凝視した。


「え? そこ驚くの?」


「だ、だって、卵って高級品だろ?」


「エスちゃんの世界とは価値観の違いがあるようね」


 食事からでも得られる情報はあるようだ。エスはサンドイッチに挟んであるのが卵と知って、それからはゆっくり味わうように噛み締めた。


「……美味かった」


「それはよかったわ。はい、紅茶でよかった?」


「こうちゃ? お茶って、あの臭いやつだろ、だったらいらねぇ」


「エス、たぶんだけど、君の知っているお茶とは違うと思うから、一口飲んでみなよ」


「…………」


 やはり胃袋を掴んだおかげか、何もしていない俺の言葉にも従って紅茶を一口飲んでくれた。


 彼女がいた世界とこちらでは、何もかもが違うという事は紅茶を飲んだ反応で分かる。


「臭くない⁉」


「たぶん、葉っぱが違うのよね。エスちゃんのいた場所だと、お茶ってお薬だったりしない?」


「そ、そうだ。お茶は怪我を治すために飲む。臭くて苦いものだから、こんな美味しくない」


 楽しそうに微笑んだキィリスさんは、テーブルの下に手を伸ばし、赤い小瓶を一つ取り出した。


 その小瓶は研究所にもある、転生者症候群を治す薬だ。


「さてと、エスちゃんはこのお薬を飲めば元の世界へ帰れるわ」


「そうなのか? なら早く――」


「待って。実はこれ、まだ完成してないの」


「じゃあはやく作れ! あたしは早く帰らないと」


 焦った表情を見せるエスはキィリスさんから小瓶を奪い取ろうとする勢いだった。キィリスさんが手のひらで制してエスを椅子に座らせた。


 小瓶の蓋を開けたキィリスさんは、右手の人差し指を小瓶の縁に添えた。


「うんうん、すぐに作るから、そのために必要なお話を聞かせてね?」


「は、話? 帰れるならすぐに話す!」


 一体何をするのだろうか? 俺はグレイが薬を作っているところしか知らないから、他の魔女が薬を作る方法を始めて見る。


「ここはエスちゃんが生きてきた世界ではないの。本は読んだことはある? その本の中の世界は現実にはないよね? だからここはエスちゃんにとって本の中なのかもしれない。ちょっとした病気で本の中へ入り込んでしまったの」


「本の中? それが異世界?」


「そう。だから黒猫は悪さをしないし、カラスも悪魔の使いみたいにむやみに人を襲ったりしない。ちゃんとお世話をしてあげれば人と一緒に生活することも出来るの」


「し、信じられない! たとえここが本の世界だとしても、あの化け物たちと共存するなんてありえない!」


 小瓶の縁を人差し指でくるくると撫でるキィリスさんは、ニコリと笑い、決してエスの言葉を否定しなかった。


「信じられなくてもいいよ、でも、とてもつらい毎日を送っていたんだね。誰かを殺さないといけないほど、つらい世界なんだね」


 キィリスさんが諭すように語りかけると、エスは少し肩を落とし、溢すように自身の状況を語った。


「……そうだよ。城壁の外は悪魔の使いが蔓延り、壁内も金儲けのために女子どもを攫う外道ばかりだ。あたしは、弟のために盗みを働き、攫いに来る大人を何人も殺した。水がもったいないから返り血を浴びない殺し方も覚えたし、騙されないよう読み書きと金の使い方も覚えた」


「じゃあ、あなたを追いかけていた三人の騎士はエスが殺したのか?」


 エスは俺のことを睨むように見て頷いた。


「別に怒っているわけじゃないって。でも彼らは君に害を与えようとしたわけじゃないってのは、理解して欲しい。それで少しでもいいからごめんなさいって謝ってあげてほしいんだ」


「……そうだったのか。知らなかったとはいえ、悪かった」


 素直に頭を下げたエスは、拳を強く握りしめていて、歯もギリギリと強く噛み締めていた。


 小瓶の縁を撫でていたキィリスさんが、弾くように小瓶を叩くと、子気味良い音がして、それはエスの罪を許すような優しい音だった。


「後は薬を軽く混ぜて、少し時間をおいたら完成かな」


「あたしは、なんでこの世界にいるんだ……、弟は無事なんだろうか」


 もうすぐ帰れるとなると気が緩んだのか、エスはぽつりとこぼすように不安を口にした。


「もしかしたら、エスちゃんは大きな怪我をしたのかもしれない。それか寝込んじゃうような病気、何か覚えていない?」


「よくは覚えていない。だけど、たぶん、病気だな。大きな怪我をするなら多分殺されてるし、多分、腹が減って適当な物を食べたかもしれない」


 エスの話を聞いて、キィリスさんは小瓶の縁をそっと叩いた。もしかして、薬にリアルタイムで魔法を編み込んでいたのか?


 薬の出来が良かったのか、満足気に頷き、小瓶をエスの前に置いた。


「これを飲めば元の世界に帰れるわ。エスちゃんの大切な弟のいる世界へ」


「助かる。……でも、元の世界へ戻ってもあたし、ぶっ倒れてんだよな?」


「それなんだけど、病気とか怪我とか、回復が早くなる魔法を編み込んだから、すぐに治るよ」


 エスはだいぶ警戒心を解いてくれたのか、キィリスさんの薬を迷わず飲もうとしてくれていた。流石は転生者症候群の依頼を多く解決してきた東の魔女だ。


 エスが食べて空になった食器をまとめて、キッチンへ運ぼうとキィリスさんが背中を向ける。


 小瓶に手を伸ばそうとして、じっと固まっていたエスは、俺の方を見て一言、疑問を口にした。


「……魔法?」


「ああ、キィリスさんは有名な魔女なんだ。元の世界へ帰るための薬も魔法をいくつも編み込んで作っているんだ」


 そういえば、エスが転生した際に授かったギフトって何だったんだろうな? まあ俺の出番がなくてよかった。話し合いで済むなんて俺一人じゃなかなかないからな。


 とりあえずこれで一段落だなと一息吐こうと思ったその時、俺の身体は直感によって動き出していた。


 視界の端でエスの姿がブレたからだ。


 “エスのギフトは身体強化”!


「――――ッ⁉」


 俺は思考がまとまる前に、右手をキィリスさんとエスの間に限界まで伸ばした。俺の“直感”が危機を察したのだ。


 次の瞬間、俺の右手の平に肉厚のナイフが突き刺さって貫通した。


「え?」


 椅子がガタンと音を立てたことで気付いたキィリスさんは、とっさに魔法で張ったシールドによって、エスのナイフは届かなかった。


 ナイフが通用しなかったとみるや、パッと手を離し、殴りかかろうとしたところにキィリスさんの魔法がエスを拘束した。


 テーブルにガツンと身体を打ち付けられても、エスはキィリスさんへ襲い掛かろうとする。


「え、エス! どうして――」


「殺す! 魔女殺す!」


「エス……ちゃん?」


「魔王の手下め! あたしの親を殺したくせにのうのうと生きてんじゃねえよ‼ 死ねよ! 殺してやるからさっさと死ねよおぉおおおおお!」


 エスの呪怨に何も答えられず、動けない俺の右手はナイフが刺さったまま、だらだらと赤い血が流れ続けた。


「魔王も! 魔女も! 魔女の手下も! 悪魔の使いも! あたしは全てを許さない!」


 拘束されて身動きできないはずなのに、魔法を振りはらんばかりに暴れるエスは、もう先ほどのエスとはまるで別人だった。


 涙を振りまき、俺たちに呪いの言葉を延々とぶつける。それは声が枯れてもなお叫び続けた。


 ギフトである身体強化の魔法をフルで使われているせいか、キィリスさんの魔法を上回ろうとしている。


 俺がエスに触れれば身体強化は解かれる。だけど、ここまで精神が不安定な相手に、これだけの魔力を送り返せば、最悪、身体の持ち主であるグリン嬢へ影響が出てしまう。


 仲良くなりかけていただけに、エスの暴れる姿が信じられないのだろう。俺もキィリスさんも、明らかに狼狽えた表情で、呪いの言葉を吐き続けるエスを見ていることしか出来ずにいた。


 俺はテーブルに転がっていた赤い小瓶を手に取り、キィリスさんへ突き付けた。それでやっと自分に出来ることに気付いたのか、そっと瞼を伏せた。


「あ、……ごめんね」


「俺はもう、この状態の彼女には触れられないから」


「うん。分かっているよ。……あとは任せて」


 キィリスさんは小瓶を受け取ると、指先を振ってエスの拘束を強化した。


「ガッ⁉ う、あ、アァアアアア!」


 強引に口を開かれ、睨むことしか出来なくなったエスの口に薬を流し込んだ。


「私は悪い魔女じゃない……って、信じられるわけもないけど。どうか、あなたに幸多き未来が訪れますように」


「あ、あぁ……、あぅ」


 最後はあやされた赤子のように、ゆっくりと意識を失ったエス。夢の中で魂が引き剥がされ、元の世界へ帰るだろう。どうか彼女には長生きしてほしい。


「もう、大丈夫。ギフトは発動していないし、魂もちゃんと剥がれてくれたよ」


「よかった……、と言っていいのかな」


「どうだろうね。幸い、エスちゃんは私たちの事、この世界の事を忘れるから。弟さんに元気になった姿を見せられるなら。それとヴェル君はじっとしていてね――」


 キィリスさんが俺に向けて何か魔法を放つと、俺の身体は痺れはじめ、満足に力が入らなくなった。


「な、なにを」


「右手、忘れてない?」


「あ、ナイフ」


 右手の平から貫通して刺さったままのナイフの存在のことをすっかり忘れていた。アドレナリンが出ていたからか、痛みはあまりなかった。


 テーブルは自分で引くほど海のように血が広がっていて、ぽたぽたと粘っこく床に垂れていた。


 神経が麻痺しているのか触られても何も感じない状態で、ゆっくりナイフを引き抜かれ、あふれ出す血を魔法で抑えられる。棚から取り出した小瓶の中身を傷口に塗って止血すると、がっしりと幾重にも包帯を巻かれた。


「応急処置ね。数日で傷は塞がると思うから、痛み止めのお薬も出しておくね」


「やっぱり、魔法ってすごいな」


「どうしたの、急に?」


「あー……いや、普通こういう怪我って数日で治るものじゃないじゃん? 魔法を正しく使えば怪我を数日で治すことは出来るけど、エスのいた世界はその逆で、魔法を悪用する輩がいるわけだから……」


「数日で治る怪我でも魔法で殺すことは可能な世界ってことね」


 キィリスさんは落ち込んだ様子で、肩を落としていた。


「人々にとって魔女が悪い存在である世界なんて、考えたこともなかったわ」


「俺が、キィリスさんは魔女だって言わなければ」


「いいえ、私が魔法という言葉を口にしたのだもの。初めからさっさと薬を飲ませてあげればよかったのかなぁ」


 いくら考えても正解は出てこない。これが後悔ってやつだ。答えのない過去に囚われて、引きずる。俺が元の世界へ帰りたいのかどうかはっきりしていないのと同じだ。


 右手の肘から先以外の麻痺が消えた。ありがたいことに痛みはない。


「キィリスさんって、毎回こんなに真摯に話を聞いて薬を作っているの?」


 少し、嫌味に聞こえてしまっただろうか、キィリスさんは苦笑いをして空の小瓶を摘まみ上げた。


「まあね、転生者症候群って、どうしようもなく巻き込まれるわけだから、素直に帰ってくれるならそれなりのお礼を、と思って祝福の魔法を掛けているんだけどね」


「うちの強制送還とはまるで違うな」


「ふふ、グレイシヴはいわば必要悪よ。もちろんいい意味でね。あの子がいるから私は安心して祝福の魔法を使えるの」


「悪い転生者が来る度に大量の薬を飲ませてデータ取っているけどね」


 転生者が苦しむ姿を見てお茶菓子を口に出来るグレイは、間違いなくサディストだ。いつかマッドサイエンティストにでもなって違法な人体実験でもするんじゃないかってたまに思う。


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていたグリン嬢の顔を綺麗にしてあげたキィリスさんは、彼女をお姫様抱っこして客室へと連れて行った。目が覚めればベッド傍に置いてあるベルを鳴らすように紙に書いておいたとのこと。


 これで本当に一段落かと思ったらどっと疲れが出てきた。血を多く失い、疲れも出たことで眠気が襲ってきた。


「ヤバい、すごい眠いや」


「部屋に案内するから、付いてきて。今日はお疲れ様でした、疲れたでしょ?」


「ああ、人生のトップ5に入るくらい疲れた」


「それと、ありがとうね。命を救われたわ」


「……うん、無事でよかった」


 しばらくはナイフを見るだけでエスの事を思い出しそうだ。ナイフが刺さった瞬間の痛みも思い出しそうで口元がひきつった。


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