西の魔女グレイシヴ1
新作です。今作もまた、あなた様の暇つぶしになれば幸いです。
懐かしい声に呼ばれた気がして、これが夢だった事に気付いた。
「あぁ、もう目覚めたのね。もう少し観察していたかったのだけれど」
全身に汗を掻いた俺に、タオルと水を渡してくれた灰色の少女は、ピンク色の小瓶を片手に摘まみ、俺を見下ろしながら怪しげに笑った。
毛先が膝に届きそうなほど長く伸びた灰色の髪。不健康だと思うほどの白い肌。
薬品の香りが充満する薄暗い一室で、白衣を着た彼女はまるでマッドサイエンティストのような怪しい笑みを浮かべた。白衣の下は学生服のようなシャツとブレザースカートで、脚は黒タイツに覆われている。ほどけかけの首元の青いリボンと外したボタンからは魅惑的な鎖骨が覗いていた。
そして先ほどまで夢を見ていた俺は、そんな怪しげなサイエンティストの少女の膝に頭を預けている状況が理解できずにいた。
「ここは……?」
「記憶の混濁ね、少し効き目が強すぎたかしら、寝言がすごかったわよ」
「うぅ……、ああ、思い出してきた」
少女の平坦かつ低い声に俺の記憶が一気に甦る。それに伴い軽い頭痛に顔を顰める。
彼女の名前はグレイシヴ。この研究所の主で、俺は彼女の助手をしている。
歳は俺と同じで、身長は俺の方が高い。日銭稼ぎ目的に花街で下働きをしていたところを彼女にスカウトされ、そのまま助手をやらせてもらっていた。
「グレイ、俺はなんで君に膝枕してもらっているんだ?」
「あら、男の子はこういうのが好きだと思ったのだけど、違ったかしら」
「嫌いじゃないけど……、もう少し肉食えって。足細すぎだろ」
「ユキヒロってば、照屋さんなのね」
「ちげぇよ! 健康を心配したんだよ」
身体を起こすと少しだるい。頭痛もあり、喉が渇いてカラカラだった。
タオルで額を拭き、シャツの裾から手を入れて手の届く範囲で汗を拭いた。
「それで、いい夢は見られたかしら?」
俺は貰った水を一気に飲んでから答えた。
「夢は多分見れたよ。でも、もう内容は覚えていない。起きたらしばらく記憶が混濁して、身体を起こしたら頭痛と倦怠感があった」
「そう……、ならこの薬は失敗ね。王宮に納品なんてとてもじゃないけど出来ないわね」
グレイは机に置いてあった紫色の小瓶を指先で叩く。チンッと子気味良い音がした。
「また改良が出来たら飲んでもらうわ」
これが俺の助手としての仕事の一つ。被検体とでも呼ぶべきか。俺は彼女が作成した試薬を飲み、効果を確かめる。幸い俺は毒に強い体質で、そう簡単に薬でくたばることはない。
薬の被検体となる以外にも他の仕事はいろいろあるが、毎日することと言えば、主にグレイの身の回りの世話をすることだった。
不規則な生活になりがちな彼女のために、決まった時間に朝は起こして、バランスよくご飯を作り、女物だろうが気にせず洗濯をして、部屋の隅々まで掃除をする。
普通の人なら誰もが保持している魔力を俺は持たず、そのせいで薬を作ることが出来ないから、グレイの世話と資料をまとめることで最低賃金のお給料をもらっている。
あともう一つ大きな仕事があるのだが、それはなかなかやることがない。収入としては一番大きいから、たまに来ていないかなと依頼の手紙をポストに確認しに行く。
「グレイ、試薬をいっぱい作るのはいいけどさ、今月もう赤字だからね? 今月あと三日、納品した分のお金が国から入ってくるまで、なるべく節約してよ」
「べつに食費を削ってもいいのよ。私は甘い物さえあれば生きられるもの」
「その嘘を昔信じた結果、過去にぶっ倒れた人がいたからな。朝昼晩と、しっかり飯は作らせてもらうぞ」
グレイは引きこもりで、陽に当たらないから不健康なのは変わらないが、栄養バランス位は考えて作らせてもらう。ただでさえ脚は細いし胸もないのだから、少しは食べさせないと。
研究が行き詰った時に、グレイは気分転換で家の周囲を歩くことはあるのだが、その程度で運動不足は解消できない。
「資金面に関しては問題ないわ。はい、お仕事よ」
いつの間にポストを見に行ったのだろうか、グレイが一通の封筒を指先で叩くと、封筒はふわりと宙に浮き、ふらふらと俺の手元へやってきた。
「“魔女”へ仕事の依頼か。ありがたいけど、面倒じゃなきゃいいな。差出人は……、ドゥエム子爵?」
読まずともなんとなく内容は分かっているが、手紙に目を通せば、やはり子爵領で問題が起きていることが記載されていた。
「面倒ね」
「魔女なんだから仕方ないだろ」
グレイはこの国では三人しかいない“魔女”の一人だ。
魔女はただの魔法使いでは真似できないほど高度な技術を要求され、その中でも魔女にふさわしい魔法を扱える者だけに送られる称号だ。グレイは魔法の扱いと研究の成果が評価されて魔女の称号を賜っている。
西の魔女グレイシヴ、東の魔女キィリス、そして北の大魔女様。国から依頼があったということは、それは魔女でないと手に負えない仕事だということだ。
一応、魔女の他に上から聖女、魔術師、魔法使いと並んでいるが、基本的に魔法は女性が強く効果を発揮出来るため、男性の最高位は魔術師までとなっている。男女共に大体は魔法使い止まりだ。女性だけが貰える聖女の称号も国に五十人もいない。
子爵領からの依頼ではあるが、実質は王宮からの命でもある。封筒から手紙を取り出し、詳しい内容を確認する。押印もされていて、報酬金額も申し分ない。これだけあれば数カ月は研究資金に困らないだろう。ただ、内容は――。
「グレイ、中身は読んだの?」
「読んだわ。また好き勝手やっているのね」
「まあ、金持ちのボンボンに転生したなら、多少はハメを外したくなるもんだよ」
「ここ最近増えてきたという噂よ。“転生者症候群”。しばらくはそちらが優先になりそうね」
異世界からの転生者。魔女とは、その転生者を元の世界へ帰す力を持つことが最低条件とされている。
「被検体が現れたからといって、今度は変な薬とか飲ませないでよ」
「あら、心外ね。確実性を重要視している私が効果を高めるために手を施すのは当然じゃない」
「飲ませる気満々じゃねえか!」
西の魔女グレイシヴと、その助手である俺、ユキヒロ。俺たちは、魔法使い達からの印象はとにかく最悪だった。
詳しいことは数話後に出ます。




