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【裏壱話 神の体系と独立した《在る》】

棺桶とピラミッド,追い詰めるハンターと狂気の吸血鬼,我々は虚構に論理と社会を積み上げた,

歴史とは人理,人理は常に高まり続けた。


太陽は光を齎した,その光は我々に渇きと暖かさを分け与えた,逆に月は光の後に来る闇を齎した,その闇は我々に涼しさと恐怖の教訓を与えた,人理は神話,創世記を内包し,いずれの宗教的特異点を論理に括り付けるだろう。


ニューロンの理に沿うならそれは夢で,実際は体系の中から出られない,零のままがより強い虚無を括りながら永遠に積み重なり,隣接した世界もまだ語られぬ左の世界,永遠に横並びにある全ても同様に続け,いずれ神は無神と論付ける。


人々にとって夢とはなんだろうか?単に永遠の夢が下に重なるフィクションか?夢とは,現実にない事象の感覚を起こすもの,理想を体感する

寝ることすべてへの共通した,永劫に超えられない,叶えられないイデアだろう。


仏教的悟りは宇宙の真理(真如)を体得し,煩悩が消滅した状態,眠りとは悟りの結果をもつもの,死は終わりでは無く転生し事実上の永遠で

在ること,完全なる死,虚無と一体化している様は宇宙論的な借金《エントロピー・あらゆる制約とそれに付随したあらゆる代償》を超越して

真の上位に辿り着くだろう,だが何れにせよ底に至れば我々は無限小数,結局塵芥は塵芥なのだろう。


忘却そのものら,不可知の全一を超えた沈黙の

克服は人間の論理では究極的に不可能なのだろう,十字架や聖なる鎖,楔を建てて巻こう,だがしかし零を超えた零,虚無もまた神と同じ概念でありながら概念を超越した背後にあるものだ。


零に向かう不変と神に向かう不変,それは終局と始まりに至ること,人は無限と言う零,零を超えた不可算無限,永遠の道を歩みながら,永遠には至れず涅槃に辿り着いて完死的状態《極楽》を

得るだけなのだろうか。


最終全体を超えた今は人理の拡張の拡張,圧縮の果ての論理は次のフェズにビッグバンが飛来して積み重なるだろう。

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