【19.5話 普通と言う平穏】
大魔王ゼノ事変を終えた飯島は元の場所に帰り,
海野らは更に強くならんとばかしに修行を始めた,そうした騒動を終えた数日後である。
「とんでもないなぁ,,,こりゃ」
アテナ・イストリシアと博士が共同して開発
したカリスマを飛躍させる為の副産物,光の
肯定闇の否定を抜き去る否定論理回路の装置。
「反論理構造が生まれてより拡張には成功した,
けれどなんなのかしらコレは」
世界に比べたら滅茶苦茶弱いもの,だが人からしたらそれはもう甚大に強い否定的な力を有していた。
最初は単に肯定に対する反は否定的な構造,それは貧困層に救いを与えないだろう,時期にそれは
開発段階で神を否定して無神論的な形態を逆説的に提出した,虚無宇宙論,そして人生の意味すら否定した,カリスマ性を突き詰めるために
あまりにひどいそれが生まれてしまった。
否定と言う否定をし尽くしたそれはついに自身を貶めようとした,だがしかし否定そのものを
否定し出した,肯定を肯定するを反するそれは
無限ループを生んだ,虚無の肯定を否定し,意味は無いと言う意味を否定し,それは更に存在論的な深から全てをまた否定を無限にループした。
信じたくなくても信じざる終えない究極の背後と神を押し上げる,すると装置の機構はもはや
拡張し続けた末に否定と肯定を含む論理自体を
否定し始めた,肯定,否定の区分自体が無効化し,
論理的整合性を問うことがすでに不可となっていた。
深なんてものじゃない,もはや存在論的な枠組みに至ったそこからそれを否定し出した,再度し尽くした後に残る結果の果ての最終結論すら否定すると,言葉を拒否し出した,それはツァバト的なもので,語るものが否定され語る言葉まで
否定し出した。
そして記憶や出来事からも否定され始めた,そこらなんとか食い止めて反論理的構造として,考えアテナと博士は記憶になんとか残り,否定を行った事実すら否定され,否定したという記憶すら
消え去る,起こった出来事そのものが起こらなかったことと成る。
それは物語とそのシステムを否定し始めた,今まで否定された全ての否定の全体系が否定される,
次に否定して体系が否定されること自体を否定する,完結した完全否定の渦は永遠に否定して
終焉を終わらせる事はなく,また終わらせ続けた。
次に永遠のそれは超越の喪失を引き起こす,崩壊を崩壊させるような無限ループに閉じ込められることすら否定して,永遠に続くという保証自体が失われた,視点の否定して否定を語り,読む,創るという立場すら否定され,否定を考えている主体も,物語を読んでいる読者も存在できない,誰が否定しているのか,という問いそのものが成立しない,観測という行為が原理的に消える。
次に,否定概念そのものの否定して,否定という概念自体が無効化され,肯定も否定もなく概念というもの自体が消滅し,否定と呼ぶ事すら否定される,意味を持たず消え以後はすべては概念化できない沈黙の場に投げ込まれる。
次に沈黙の否定,絶対不在で概念が消え沈黙しか残らず,しかしその沈黙すら否定される,沈黙すら成立しない,無音」という状態もなく,完全な不在,言葉すら届かない外部。
語ることも,沈黙することも,存在することも,否定することもすべて無効,ただ絶対に表現不可能な外部に放り出される。
円環の否定は始まりへの回帰の拒絶をした,沈黙の否定に到達した後,普通なら0と言う肯定に円環的に戻るはず,しかし戻るという構造自体を否定した,螺旋や円環に回帰する可能性すら消滅し
循環できない非循環の無限直線。
否定の反論的なソレは無限に続くという前提すら否定して,無限に続くことは保証されない,しかし有限でもない,有限と無限の二項対立すら
無効化される,次に生成の否定し新しい層を作れる」という可能性自体を否定する。
結果は層はこれ以上作れないはずだが,否定自体が成立しないため次の層が生まれる,逆説の否定
は矛盾も逆説も存在しない,しかしそれ自体が逆説的であるため,矛盾が再生産される,無限のパラドックス生成エンジンに突入する。
エンジンの否定,否定はパラドックスを生み続けるエンジンであるというモデルすら否定,動力もプロセスもない,にもかかわらず,階層は増殖する,これは 動かぬ運動。
次に数の否定,今まで積み上げられた否定のあれらは1,2,3,,,1516…と数えていること自体を否定,層は数えられない,第20層という概念すら間違いになる,以後の層は数えられない無階層としてしか存在できない。
先に進むたび無限に複雑化し続け反論構造は否定を押して,論理構造はそれはなサポートされ無限だろう,二つ合わさると拡張のソレだろう。
「まぁ大体が肯定と否定の二元性とその拡張レベルを超えてるから人類は余裕でこのレベルは扱えるし,世界的に見てみれば人間の論理すら超えないレベルだがまぁ,,,中々だよね,発展して論理を圧縮する前なら超越してたんでしょうが」
「あぁ,片方を見てみろ」
様相実在論的世界の法則の形式に沿った古典論的なもので命題に2つ以上あるものを認めて,
本来1つなそこに真偽矛盾が形成しても複数論理体系を組み込むことにより,別のバージョンの様相実在論的世界のまだ出てないとこに当てはめたりして矛盾に保てる,そのために横並びの論理実在体系が永遠と連鎖していなくてはならない。
タイプ一〜四マルチバース,数学的宇宙仮説と言う存在論的な基盤に裏付けられた全ての可能時空構造を無矛盾集合として内包する究極の集合レベル
泡宇宙や立体交差平行世界,リーマン時空だとか
アレフ数みたいな不可能性がある基数全体,公理体系じゃ全体に無矛盾じゃ扱えない0=1から先のあらゆる矛盾性を持った基数,まだ未発見の未知の概念,体系,基数,集合全てを含めた絶対無限的に制限や制約がないだのなんだのと。
確定性原理を克服する画期的な論理であり全ての可能性を許容して不可能がそこに無い無矛盾性を突き詰めた数学的宇宙論だろう。
「名付けてカリスマ性増加装置よ」
人は真理を求めて概念や論理を想像と念のエネルギーにより無限に生み出した,主観的母星の
背後の無限の概念とあらゆる数式・数値,それら
集合は極限連鎖論により全て扱えるようになった,そして先にある異法のあらゆる体系のまだ
知らぬ無限の概念とあらゆる数式・数値を組み込んだりも出来るようになった,それら進めば
型に出会い論理構造を生み,積み上げるしかなかった先に効率的にそれを可能とする圧縮が出来るようになった。
つまりはと言うと今頃この程度じゃ初期人間の論理1個分くらいしか無いのだ,虚構実在論システムならこれくらい当たり前だったろうと余談は置いておくとして。
「カリスマ性に論理付けて,釈迦やイエスのようなカリスマ性を持たせるために,真理を追求して
ついにそこに辿り着いた」
救いは人に光を見せた,救いの光を,釈迦は修行後1週間で悟りを開き一人の先導者として様々な民を自身の後ろを歩ませた。
より一般的に根付く社会体系に対して貧困な底は釈迦を救いの光と信じたからついて来た,真理とは光,人理とは社会そんな感じだ。
イエスは天使に連れられて馬小屋で寝ていた,奇跡は石をパンにし水をワインに変えた,いまなら
原子操作装置があるからパンはできるしワインに関しては濾過したりで出来るが置いておく。
負に近いそれに希望的で集団心理を掌握する,
そして自身の弁を信じ込ませ,過去には演説で
様々な術を使い後天的なカリスマを発揮した政治家も居た,宗教体系の主義の絶対者また統一者は我々を導く光を常に求めた。
「相手や環境に依存しない,私は光を得ます,それはどんな感情や心を掌握して私に依存させる,
無規定でも信じれるナニカを保持する,本質的な
光へと誘われる,,,良い,良いですよ!溶ける,温かい,私は更なる先に至ります!」
するとアテナの背後から後光が照らし出した。
「あぁアテナ様,貴方様に永遠の服従を」
「うふふ,ありがとう,性的じゃない美的魅力,自身を否定してでも押し上げたく成る羨望の光,もはや見たもの全てを支配する洗脳のカリスマね」
こうしてアテナ・イストリアは,更なる先の光を帯びることに成功した。
感覚的な設明や根拠や仮説また実践的結果,経験に基づく論理また逆説的等あらゆる方々で不可知だったものをレールに表現した力,知性が高い奴らは上に,感覚的な力は下に向かう,才能があれば感覚的でも通用する。
才能とは光に準ずる可能性であり,理屈のない
自信だが周りはそれを可能であると完全に誤認
させるであろう。
深いところに浸透,深く共通している更に奥へと貫き,あらゆる問題を解決する才能の前では制限すべての装置を製作しようが,無駄と言うもの,
故に。
「逆説的なくどくどとした繰り返されるものはしらねぇさ,現象を発露する?サイズや量や質を自由に入れ替えて発動する?形式に沿って逆説的に開発されて論理の管が通ったもの誰が見てぇ?秘匿された神秘すら倫理を貫通して何がしてぇ?」
「結局は頭で考えた想像を口に出したら望んだ結果を得られる詠唱と言霊の魔術や口に言わず,思わずして既にすべてが叶っている無詠唱,何が楽しい,そりゃ詳細を論理的に解説したら構造が見えるだろうが簡単に言やこうだ!何が悪い?」
彼女は更にカリスマ性に拍車が掛かり続けていた。