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才能と時間

「先生?聞こえていますか?」

「え?」

先生はぼんやりと顔を上げる。

「……ああ、もう一杯はいいよ。ありがとう。」

「……やっぱり、全然聞いてなかったんですね?」

パシッ。

軽い手刀が、先生の頭にコツンと当たる。

「……っ!」

驚いた先生は、思わず左右を見回した。

そして、すぐに落ち着いた態度で自分を軽く叩いた編集者の女性を見つめた。

「ところで、労災申請できますか?」

「目が覚めたなら、さっさと仕事してください。」

「はい……」

先生は深々とため息をつく。

「今日ここに来てもらった理由、覚えていますか?」

——ああ、そうだった。

編集者に促され、先生はようやく思い出す。

「……講演内容について、でしたね?」

その話題に触れた瞬間、先生は頭痛を感じた。

そもそも来るつもりはなかった。

だが、どうせ家に押しかけられて小言を言われるくらいなら、自分から出向いた方がマシだった。

「覚えていてくださって何よりです。」

編集者は皮肉気に微笑む。

「それで、成果は?」

「申し訳ありません。」

先生は深々と頭を下げ——

勢い余って、机に「ゴン!」と頭をぶつけた。

「……」

「……」

沈黙。

「え?この場合、普通は怪我してないか心配するんじゃないですか?」

「あれから一週間も経ちました。」

編集者の声は冷静だった。

「私たちのいくつかのプロジェクトは、先生のために延期されているんですよ。今すぐ答えをください。」

「はい、すべて私の責任です。」

先生は頭を上げ、USBメモリを編集者に差し出した。

彼女はほとんど奪い取るように受け取り、素早くノートパソコンに差し込む。

数十秒の沈黙。

そして——

「……どうして、もっと早く出さなかったんですか?」

編集者は、深いため息をつきながら画面を見つめた。

「内容が空虚でつまらないんです。」

先生は、肩をすくめる。

「感動もなければ、考えさせるものもない。まるでただの宿題提出みたいな内容なんですよ。」

「……確かに、つまらないですね。」

「ですよね?」

先生は、自嘲気味に笑う。

「だから迷っていたんです。これが最初で最後のバージョンでした。」

「新しい内容を考えつかなかったんですか?」

「全然思いつきませんでした。」

先生は、少しだけ目を細める。

「あの少し面白い新人と、何年も居座ってるライバルたち、彼らはいつでも俺を蹴落とそうと狙ってる。」

「そんな中、心から彼らを鼓舞するなんて無理ですよ。むしろ、消えてくれればいいのに。」

「……先生、ネガティブ感情が出ちゃってますよ。」

「ハハ、確かに。」

先生は、目元を擦りながら苦笑した。

「すみません。最近よく眠れなくて、情緒管理が少し甘くなりました。」

大きなあくびをしながら、先生は顔を支え、ノートパソコンの画面を不機嫌そうに見つめた。

それを見た編集者は、すっとノートパソコンの画面を閉じる。

「……そういえば、同窓会はどうでした?」

先生は、一瞬だけ視線を上げた。

「普通……うん、ただの普通。」

先生は、言葉を選ぶように続ける。

「昔の友人と食事して、おしゃべりして、帰ってきただけさ。」

「昔の彼女を探しに行ったりは?」

「そんなゴシップ好きだったんですか?」

先生は、乾いた笑いを漏らす。

「残念ながら、当時の俺には彼女を作る能力すらなかったよ。」

「まるで泥のような男だったんだ。」

話題を変えたくなった先生は、編集者が何か言う前に言葉を続けた。

「次回のコンテストでは、もうあの作家を探す必要はありません。」

「彼が戻ってくることはないと確信しています。」

沈黙。

「……もちろん、取引がなくなる分、費用が発生しますけど。」

編集者は、無言で頷く。

「了解しました。上に報告しておきます。」

「では、もう帰ります。」

先生は、椅子を引いて立ち上がる。

「今の俺は、本当に寝たいんだ。」

「どうせ、また眠れないんでしょ?」

編集者の声が、静かに響いた。

先生は、一瞬だけ足を止める。

そして、軽く笑った。

「ハハ、そうさ。」

「それでも、どうにかして元気を取り戻さなきゃならない。」

「それが、大人ってもんだろ?」

編集者は、静かにメガネを直し——

椅子を回して、先生に向き直った。

「何があったのかは分かりませんが。」

彼女は、冷静な声で言う。

「仕事も時間も、待ってくれません。」

「適応できない者は淘汰され、歯を食いしばってでも進み続けるしかない。」

「それは——先生が一番よく分かっていることでしょう?」

「ハハ、まるで俺が戦士か何かみたいだな。」

先生は、自嘲気味に笑う。

「でも確かにそうだ。」

彼は指で机をトントンと叩きながら続ける。

「人気がなければ、金はない。」

「金がなければ、作品の価値もない。」

「どんなに綺麗な言葉で飾っても、慰められても——現実は変わらない。」

先生は、少し目を細める。

「そして、今の俺には、この道しか残っていない。」

「だから、大人としての責任を果たし——ひたすら働き続けるしかない。」

「その通りです、先生。」

編集者は、冷静に言い切る。

先生は、少し肩をすくめた。

「……これって、俺を励ましてるのか?」

「むしろ、先生を殴って目を覚まさせたいですね。」

「ハハ、ひどいな。」

編集者は、そっと机上のノートパソコンを撫でる。

その動作は柔らかく——だが、どこか力強さを感じさせた。

「先生。」

彼女は静かに言った。

「以前、なぜこの仕事をしているのか尋ねましたよね。」

「仕事を探していたら、たまたまここを見つけた。それが理由です。」

先生は、少しだけ目を細める。

「ああ、覚えている。」

「先生。」

編集者は、ゆっくりとメガネを押し上げる。

「私が自分の才能を探して発揮することを、応援してくれますか?」

——意外な質問だった。

先生は、一瞬、彼女の顔を見つめる。

そして、脳裏にある人物の姿が浮かんだ。

「……それは、君が現状を変えたいかどうか次第だな。」

「変えるつもりはありません。」

「即答か?」

先生は、少し眉を寄せる。

「なら、どうしてこの話を切り出した?」

編集者は、少しだけ目を伏せ——そして、静かに言った。

「誰もが、それぞれの才能を持っていると思います。」

「ただし、それを見つけるには時間がかかります。」

「どのくらいかは——誰にも分かりません。」

「十年、二十年、もしかしたら死ぬまで見つからないかもしれません。」

「……」

「たとえ見つけたとしても——その時には、もう五十歳で。」

「若いうちに才能を発見した人たちと比べれば、十分な活力や創造力が失われている。」

「どんなに才能があっても、時間には勝てません。」

先生は、彼女の言葉を静かに聞いていた。

「運よく若い頃に才能を見つけたとしても——競争相手がもっと才能があり、もっと努力していたとしたら?」

「私はそんな負けるリスクの高い賭けには出たくありません。」

「自分を養わなければならないからです。」

編集者の声は、淡々としていた。

「それが、普通の人としてこの仕事を選んだ理由です。」

先生は、じっと彼女を見つめる。

「うん。」

編集者は、軽く息をついた。

「たとえ普通の人であっても。」

彼女は、静かに言葉を続ける。

「私は、自分の仕事をしっかりこなしています。」

「それを誇りに思っています。」

「だから——」

「才能と時間を持つ天才たちは、どうか自分を哀れむのをやめてください。」

「休憩が終わったら、また立ち上がって——進むべき道を進んでください。」

「それが、夢を諦めた普通の人々にとって、ほんの少しの慰めになるのです。」

沈黙。

先生は、ふっと笑った。

「編集者さんは——私たちをそんな風に見ていたのか。」

「でも、その言葉は——まるで何発も殴られた気分だな。」

編集者は、静かに微笑んだ。

「ご理解いただけると幸いです。」

「普段はこんなこと言いませんが——」

「本当に殴れるなら、喜んでやりますよ。」

「……それだけは勘弁してくれ。」

先生は、苦笑する。

「少しは気が楽になりましたか?」

先生は、軽く肩をすくめる。

「……うーん、多少はな。」

編集者は、軽く笑い——机の横に置かれていた紙袋から封筒を取り出し、先生に差し出した。

「これは?」

「ある男性が、先生の連絡先を知らないため、私たちのところに来て、この封筒を預けていきました。」

「……ファンか?」

「内容を確認しましたが、確かにファンと言えるでしょう。」

「……と言える?」

先生は、封筒を開けた。

中には住所と、歌唱レストランの割引券だけが入っていた。

「……すみませんが、この手紙の意味がまったく分かりません。」

「その男性はここを見つけただけでなく——元々働いていたレストランにも頼んだそうです。」

「それでも不安だったので、こちらまで来られたようです。」

先生は、ぼんやりと封筒を見つめる。

「編集者さん、一緒に行ってくれませんか?」

「すみませんが、私は残業しなければなりません。」

編集者は、冷たく笑う。

「誰かさんのおかげでね。」

「ハハ、了解。」

先生は、封筒を手に取った。

そして、去り際——

ぼんやりとある人物の姿を思い浮かべた。

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