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天使の条件  作者: 水無月
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最終章-7

 二人は長い道のりを、無言でただ風をきって走っていった。

 今まで止まっていた時を取り戻すかのように、まっすぐに先を見て急いて自転車のペダルをこいでいる。

 大会の開かれている体育館に着く頃には、軽く息を切らせていた。

「じゃ、行ってくる!」

 秋人は自転車を停めるなりそう言って、バッグをつかんで走り出す。

「頑張って!」

 遠ざかっていくその背に、原島さんは初めて聞くような大きな声で言葉をかけた。

 秋人は振り返らず、ただ軽く手を上げて応えると人込みの中へ消えていく。それを見届けてから、原島さんはようやく流れ落ちる汗をハンカチで拭った。

 この暑さの中、ずっと走りっぱなしだったのだから相当疲れているに違いない。

 でも、彼女の表情は今まで見てきた中で一番穏やかだった。

「秋人さん、試合頑張ってくださるといいですね!」

「大丈夫!コートに立った時の秋人はすごいんだから!」

 私を見上げているシリルに、自信たっぷりに答える。

 だって、私は知っているから。秋人がバスケに対してどれだけ努力してきたか知っているから、試合に出てくれたなら何の心配もないのはよくわかっている。

 そんな私を見て、シリルは嬉しそうに微笑んでいた。

「さぁ、行きましょう!」

 歩み始めた原島さんの後に続き、私達も会場に入っていく。

 二階の観客席に足を運ぶと、もう試合は始まっていた。

 秋人はまだ着替えなど支度をしている最中なのだろう。試合中のコートに姿はない。

 得点を見ると、うちの高校が負けていた。

 下を覗き込むと、板垣くんが少しいらいらした表情でベンチに座っている。

 ぎゅっと唇をかみ試合を見ていたかと思えば、後ろや観客席を見上げたりと落ち着きがない。

 きっと秋人を待っているんだ…。

「板垣くん!」

 大きな歓声の中で原島さんが二階から声をかけると、板垣くんは勢いよく立ち上がって上を見上げる。その瞳には、期待の光が宿っていた。

 彼女は彼の想いを肯定するかのように、力強く頷いた。

 その瞬間に、板垣くんの目が嬉しそうに輝く。

そして、すぐさま監督のもとへ駆け寄っていった。

 彼が監督と数人の選手と話してしばらくすると、通路のドアが勢いよく開いた。

「遅れてすみません!」

 よく通る秋人の澄んだ声が響く。

 一瞬後には、秋人は板垣くんやベンチにいた選手たちにもみくちゃにされていた。

 観客席からも、歓声が起こる。

「すぐにいけるか?」

「はい!」

 秋人の返事に監督は頷き、彼の肩を力強く叩いた。

 気合の入った表情にかわる秋人。

 ボールが外にこぼれ試合が止まると、監督は選手の交代を告げる。

 秋人と板垣くんが入るようだ。

「しっかりやれよ?」

 秋人の肩に手をかけ、にやりと笑って告げる板垣くん。

「当然。アコが見てるのにかっこ悪い姿なんかみせられるかよ」

 いつもの秋人らしい返答に、嬉しそうな笑顔を浮かべて板垣くんはコートに入っていく。

 秋人は小さく深呼吸をし、ポケットから何かを取り出した。

 彼の手の中にあったのは私があげたお守り。

 秋人はそのお守りにそっと口づけをすると、再びしまいコートの上に立った。

 彼の瞳が変わる。

 ただ試合のみに集中する、真剣な瞳。

 そんな秋人が、私は一番大好きだった。

 私の横で、原島さんは祈るような表情でじっとコートの上の秋人を見つめていた。

 試合が再開する。

 キャプテンから秋人にボールがわたった。

 彼はすぐさま鮮やかなドリブルで切り込むと、ゴールに向けてふわっとボールをあげる。

 シュートより少し短めのボール。

 同時に板垣くんが宙を飛んでいた。

 彼は空中で秋人からのパスを受け取ると、そのままダンクでゴールに叩き込む。

 交代した彼らがいきなり決めたアリウープに、わぁっと歓声が上がる。

 普段は派手なプレーはあまりしない二人だけど、悪い流れを払拭するには十分なプレーだった。

「かっこいいです!」

 シリルが今のプレーにはしゃいだ声を出す。

「うん!」

 やっぱり、バスケをしている時の秋人が一番かっこいい。

 今のプレーに浮かれることなく、彼はもう集中した表情でプレーしている。

 まだまだ、秋人の実力はこんなものじゃない。

「秋人くん、頑張れーー!!」

 力いっぱい叫ぶ聞き覚えのある声がして、私は辺りを見回した。

 女子バスケ部の団体が目に入る。

 そしてそこに、手に私の大きな写真を持って秋人の応援をしている弘美の姿があった。

「亜沙子も見てるよ!頑張って!!」

 涙を拭いながら、声援を送る弘美。

 私の死に加え、秋人の憔悴ぶりにきっと心を痛めていたに違いない。

 秋人らしい姿を見て少し救われたような表情をしているのは、私の思い過ごしじゃないと信じたかった。

 原島さんも、嬉しそうな表情で彼を見つめている。

 板垣くんも、チームのみんなもさっきよりも活き活きとした表情だ。

「みんなが待っててくれたんだよ、秋人。だから、頑張れ」

 そんな想いが通じたのかもしれない。

 今日の秋人のプレーは、何週間も部活を休んでいたとは思えないほど冴えていた。

 美しい弧を描き、ゴールリングに触れることなくぱさっとネットの音だけたてて決めるスリーポイントを何本決めたことだろう。

 努力の積み重ね故の、正確無比のシュート。

 気がつけば、点差はとっくに逆転していた。

 そして、試合終了のホイッスルがなる。

 秋人に嬉しそうな笑顔が浮かぶ。

 私の心に暖かいものが広がっていった。

 横を見ると、原島さんが穏やかに微笑み、そしてその瞳には喜びの涙が浮かんでいた。

 彼女はそれをそっと拭い、静かに会場を後にする。

 来たときとは違いゆっくりとした足取りで、自転車置き場に向かう彼女。

 その後を、軽快な足音が追ってきた。

「原島!」

 原島さんは勢いよく振り返る。目の前に、ユニフォーム姿の秋人が立っていた。

「井沢くん…」

「ありがとう」

 まっすぐに見つめられ、彼女は少し頬を赤らめる。

「原島が来てくれなかったら、試合に出れなかったと思う。きっとアコにも会えなかった。ほんとに色々とありがとな」

 原島さんはそっと首をふる。

「今まで、私はもっとたくさん井沢くんに助けてもらったもの。お返しにはまだまだ足りないくらい」

 彼女の言葉に、秋人ははにかむように笑った。

 でも、次の瞬間には真剣な表情で言葉を続ける。

「俺、原島のことずっと尊敬してた。周りに心を開かないことは心配だったけど、自分で決めたやるべき事を、妥協せずに努力を続けてきた原島をすごいと思ってる。だから、原島の気持ちは嬉しかったよ」

 原島さんは墓地での告白を思い出したのだろう。恥らうようにうつむいてしまった。

「でも、俺はやっぱりアコが好きだ。きっと、これから先もずっと。悲しみが思い出に変わっても、いつか他の誰かを好きになることがあっても、それでも俺はずっとアコを愛してる。だから…」

「わかってるわ」

 言葉が途切れてしまった秋人に、原島さんは顔を上げて答えた。

「井沢くんは藤崎さんをずっと忘れない。だから、それを知ってる私を友達以上に思ってくれることはこの先ずっとない。よく、わかってる」

 穏やかに笑む原島さんの瞳には、うっすらと涙がたまっている。

「でも、ちゃんと伝えたかったの。自分の正直な気持ちを。藤崎さんにも隠さずに、ちゃんとね。そうしないと、私も先に進めないと思ったから」

「原島…」

「私からも、ありがとう。試合中の井沢くんはやっぱり素敵だったよ。私も勇気をもらえた。だから、きっと藤崎さんも…」

 原島さんはとても綺麗な笑顔を浮かべ、潤んだ瞳で秋人を見上げた。

「藤崎さんの所へ行くんでしょう?私からの言葉も伝えて。ごめんなさい。そして、ありがとうって」

「…わかった」

 秋人は優しく微笑むと、停めてあった自転車に駆け寄りそれにまたがる。

 そして、もう一度原島さんを振り返った。

「原島…。ずっといい友達でいてくれるよな?」

 微笑む原島さんを見てそれを返事と受け取ったのか、秋人は安心した表情を浮かべ自転車のペダルを漕ぎ出した。

「あー、着替えもせずに行っちゃうし…」

 突然背後で声がして、原島さんはびくっとして振り返る。

「藤崎のことになると、ほんとにマイペースだな。秋人は」

 ふぅっと溜息をつきつつも、嬉しそうな表情で立っていたのは板垣くんだった。

「でも、よかった」

 去っていく秋人の姿に再び目をやりながら、原島さんは呟いた。

「まーな。とりあえず、これでもう大丈夫だろ。心の傷は消えないだろうが、秋人も先に進める」

 そして、板垣くんはにこっと笑い原島さんの肩をばしばしと叩く。

「いやぁ、お手柄お手柄!客席に来た原島を見て、俺は天使かと思ったね!!」

「何、それ…」

 原島さんがくすっと笑う。

 初めて見る表情に板垣くんがちょっと驚いた顔をしたが、原島さんはそれに気付かない。

 楽しそうにくすくす笑っている。

「…そんな顔できれば失恋なんてなんのそのだな」

「聞いてたの!?」

 ぼそっと言った板垣くんの言葉に、原島さんは頬を赤らめる。

「聞こえたの。でも、そんなにへこんでないようで安心したよ」

「…井沢くんが元気でいてくれるなら、友達で十分だもの」

「健気だねぇ」

 そう言って原島さんを見つめる板垣くんの瞳はとても優しげだった。

「ま、いつもそんな感じでいれば、すぐにいい恋が見つかるさ」

「え?」

「クールな原島もいいけど、笑ってる方がすげーかわいい」

 とたんに原島さんは耳まで真っ赤になってうつむいた。

「な、な、何言って…」

 あまりの動揺ぶりに、板垣くんは肩を震わせて笑っている。

「…からかってるのね!」

「いやいや、ほんとほんと」

 その後も楽しげに会話をする二人。

 秋人が元気になって嬉しいからか、それともまた別の感情が生まれつつあるのか、笑いあう二人はとても幸せそうだった。

 私も、そんな原島さんを見て嬉しく思う。

 原島さんの笑顔が見れて、本当によかった。

 心からそう思ったとき、私の体は光に包まれていた…。

 



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