最終章-2
自宅につくと、物憂げな表情のまま、彼女は扉を開けた。
と、慌てた声がして、キッチンの方から妹さんが駆け足で玄関に現れた。
いつもと違った雰囲気に、原島さんは首を傾げる。
「ただいま。どうしたの?」
「おかえりなさい。あのね、新聞屋さんからお電話があって、一週間お休みしていいって言ってたよ」
「え…?」
原島さんはきょとんとした顔で妹さんを見つめる。
「う、嘘じゃないよ!ほんとに、お電話あったの!あとね、あとね、今日はお姉ちゃんお夕飯作らなくていいから、お部屋でお休みしてて!!」
慌てた表情の妹さんは、靴を脱いだ原島さんの背を押して彼女を部屋に追いやる。
なにがなんだか分からないまま原島さんは部屋の中にいれられ、扉を閉められた。
「呼ぶまで出てきちゃ駄目だからね!」
そう言って、小さな足音が去っていく。
原島さんはしばらく呆然と立っていたが、再び首を傾げてからようやく着替えはじめる。
そして椅子に腰掛け、伏せてあった秋人の写真を立て、それをしばらく見つめていた。
写真の中で、バスケットをしている秋人。どんな時よりも輝いて見える。
何よりも大好きで、努力を続けてきたバスケットを続けてほしかった。
「……」
少しすると、原島さんは落ち着かない様子で写真を再び伏せ、立ち上がるとそっと扉を開けた。足音をしのばせ、少し騒がしいキッチンを静かに覗く。
そこには、見ていてはらはらするような手つきで料理をしている三人の姿があった。
「あぁっ!何やってんだよ、母さん!」
「だってぇ…」
「お、美味しくできるのかなぁ?お姉ちゃん、喜んでくれるかな…?」
「大丈夫!恵ちゃんならまずくても美味しいって言ってくれるわ!」
「母さん楽観的過ぎ!姉ちゃんに無理させちゃ意味ないじゃん!」
「そうだよ~。元気になってもらうために頑張ってるんだよ!」
「ま、まぁ、なんとかなるわ!母さんにまかせなさい!」
そんな三人のやりとりを少しの間そっと見つめていた原島さんは、静かに部屋にもどっていった。
「よいご家族ですね」
「うん」
悲しみに満ちた心に、温かいものが流れ込んでくる。
元気のない姉を思いやる、家族の心。
私の何倍も、彼女の心を暖かく包み込んでくれたに違いない。
少し潤んだ瞳が、それを物語っているようだった。
「お姉ちゃん、ご飯だよ!」
しばらくして、妹さんが部屋に迎えに来る。
原島さんが食卓の席に着くと、不揃いな野菜が沢山のカレーライスと、太さがまちまちのキャベツの千切りとつぶれ気味のトマトのサラダが並べられていた。
「僕達が作ったんだ、食べてみて!」
「いただきます」
三人の視線に見守られながら、原島さんはカレーライスを口に運ぶ。
ゆっくりと愛情のこもった料理を味わう原島さん。
「おいしい…」
「ほんと?お世辞じゃない?」
「無理してない?お姉ちゃん」
心配げに覗き込む弟と妹を、原島さんは優しい眼差しで見つめる。
「本当においしいよ。ありがとう」
ぱぁっと二人の表情が明るくなる。
「じゃ、私も食べよーっと」
母親の明るい声に続き、二人も食事を取り始める。
とても暖かい雰囲気の食卓に、原島さんの表情は和らいでいた。
食事が終わると、片付けも自分達でやるからと原島さんは再び部屋に追いやられた。
困ったような、嬉しいような表情を浮かべながら彼女は部屋に戻る。
少しして部屋がノックされ、彼女が扉を開けると母親が立っていた。
「なに?」
「新聞屋さんからの伝言。恵ちゃんはほっとくと無理しすぎるから、こちらから勝手に休暇を与えさせていただきます。ゆっくり休ませてやってくださいって。誰にも気付かれてないと思ってたかもしれないけど、最近の恵ちゃんを心配して見守ってくれてる人は沢山いるのよ。まぁ、こんな私が今更言えた義理じゃないけど、恵ちゃんを大切に思ってる人は沢山いるんだからね。一人じゃないのよ。もっと、周りを頼ってもいいんだからね」
ちょっと照れたような顔をした母親を、原島さんは驚いた表情で見つめていた。
「じゃ、じゃーね。私、そろそろ仕事行くからっ」
照れを隠すかのようにそそくさと立ち去る母親の後姿を呆然と見つめた後、原島さんは椅子に坐り机に顔を伏せた。
泣いているのを隠しているようだった。
彼女にとっては、思いがけない優しさだったのかもしれない。
思いつめていると気付くことが難しい。でも、優しさはこんなにも沢山自分のそばにあるのだと、気付いてくれたことが嬉しかった。