第8章-2
土曜日の午後、原島さんは自宅から少し離れた公園にいた。
弟さんと妹さんが元気に走り回っている姿を、ベンチから見守っている。
遊びながら姉に笑顔で手をふる二人を見つめる瞳は、いつもよりずっと穏やかだ。
「あの二人は、原島さんに愛されてることをわかってるから、あんなにいい笑顔をむけられるんだね」
たとえ微笑を浮かべなくても、原島さんの優しさや愛情を感じ取っているからこそ、彼らは姉を慕っている。
なんだか、無邪気な笑顔に教えられた気がした。
原島さんの愛情の形。そして…。
「原島さんは笑わないんじゃない。笑えないのかもしれないね…」
お互いに愛情を注ぎあう相手にも、笑顔を見せない彼女。
ずっと冷たい人だと思っていた。
でも、最近感情を表に出せるようになった原島さんを見ていると、それが間違いだったとわかる。
ほんとは、とても繊細で優しい人。
子供の頃の大きな傷が彼女から笑顔を奪い、人との係りを絶ったのかもしれない。
自分の壊れそうな心を守るために。
「でも、きっと笑えるようになりますよ!」
シリルが笑顔で私の顔を覗き込む。
「亜沙子さんや秋人さんや、板垣さん。それから今までに出会った方の優しさが、原島さんの冷たい氷で覆われてしまった心を、きっと溶かしてくれます!今も少しずつ、原島さんの中で何かが変わりはじめておられますよ」
確かに、原島さんは二人を見ているようで、何か他の事を考えているようだった。
その瞳は、過去を見ているようでもあり、未来を捜し求めているようでもあった。
不安や、希望の入り混じる彼女の横に、私はすとんと座る。
板垣くんが言ったことを思い出していた。
私が原島さんに残したもの…。
彼は、原島さんを良い方向に変えてくれるものだと言ってくれた。
でも、私は彼女に何もしてあげてない。
ずっと、誤解したままだった。
それは、彼女のせいだけじゃない。
私自身のせい。
彼女は自分を悔いているのに、私の為に勇気を出そうとしてくれているのに、私は何もしないで、何も伝えないままでいいはずがない。
「はっきりと言葉は伝わらないのはわかってる。でも、気持ちは伝わると信じてるから、聞いて。原島さん」
突然口を開いた私を、シリルは一瞬きょとんとした顔で見つめ、そしてとても嬉しそうに微笑んで静かに私の言葉を聞き始めた。
「私、あなたの事ずっと誤解してた。最初からじゃない。でも、秋人を好きになってから、素直な目で見れなくなってた」
高校に入ってからの出来事が、頭の中を駆け足で通り過ぎていく。
「あなたも秋人が好きだと知って、無意識に警戒心を抱いてた。秋人があなたをとても信頼しているのを知って、どこかで嫉妬していた。綺麗で、なんでもできるあなたに私も憧れていたから。私の知らない昔の秋人も知っているあなたが、いつか秋人を奪ってしまうかもしれないって、どこかで不安だった」
自分の本当の気持ちをさらけ出すのは、とても難しいこと。
自分の見たくない弱さも汚さも認めなくてはいけない。
「冷たい人を秋人は好きにならない。だから、あなたを冷たい人だと思っていたかったのかもしれない。あなたのまっすぐな瞳が怖くて、自分の心に保険をかけてた。相手を否定することで、自分を安心させたかった。私も、そんな綺麗な心の持ち主じゃないよ」
でも、それを認めることによって、強くなれる。優しくなれる。
「自分が死んだとわかった時も、あなたを責める私がいたの。幸せや不幸の大きさなんて、ほんとは誰と比べることもできないのに、自分の方が不幸だといって…。ごめんなさい。私も、気付くのが遅かった。生きている時に、本当の原島さんの心に気付きたかった」
同じ人を好きになってしまったから、分かり合えなかった私達。
でも今は、同じ想いだからこそ、同じ願いがある。
「最初で最後になってしまったけど、一緒に歩める機会があってよかった。誤解したまま終わらなくてよかった。だから、原島さんも気付いて。私はもう、あなたを恨んだりしてないよ」
柔らかな風が吹き、彼女の髪を後ろになびかす。
彼女の横顔がはっきり見える。
先程よりも希望の光が多く見えた気がするのは、私の思い過ごしではない事を祈った。