第7章-2
原島さんは深呼吸をしてから、ゆっくりと秋人に歩みよっていった。
「井沢くん」
声をかけると秋人は一瞬目を上げ、そして再びうつむいてしまう。
そんな秋人を見て、原島さんは悲しげに目を伏せ、その場に立ち尽くす。
「秋人…」
私は秋人に駆け寄り、その前に跪いて彼の手をとった。
触れることはできない。温もりは伝わらない。
でも、気持ちだけはきっと伝わるはず…。
「悲しみの中にいても、人との係わりを絶たないで。秋人の事を大切に思ってるのは、私だけじゃないよ…」
ぼんやりとした秋人の瞳に一瞬光が差す。
「なんで…」
小さく呟き、秋人はゆっくりと顔を上げて原島さんを見た。
「なんで原島がこの場所を知ってるんだ?」
原島さんは戸惑うような表情を見せる。
確かに原島さんの生活圏の中にある場所ではないし、私達がここで会っていた事を知っているはずはなかった。
「それは…」
原島さんは口ごもり、少し考えてから静かな声で答える。
「…たぶん、藤崎さんが教えてくれたの」
秋人の瞳が揺れる。
「井沢くんに話したいことがあって、探したいけどどこにいるかわからなくて立ち尽くしていたら、誰かに呼ばれた気がしたの。優しくて、そして少し悲しい空気が、ここに導いてくれた。井沢くんがいる場所がわかるのは、藤崎さんしかいないでしょう?」
苦しそうに眉をひそめ、秋人はまたうつむいてしまう。
私はこの表情を知っている。
泣きたい気持ちをこらえてるんだ…。
原島さんはそんな秋人を辛そうに見つめ、さらに一歩近づく。
そしてベンチに座ろうとしたが、彼女はその動きを止める。それは、私の心がぎゅっと痛んだのを感じたのか、秋人がびくっと反応したからかはわからなかった。
それとも、彼女自身が気付いたのかもしれない。
そこは、私の居場所だったのだと…。
原島さんは悲しそうな表情で、再び一歩下がる。
「ごめんなさい」
うつむく秋人に彼女はそう声をかけた。
今、座ろうとしたことに対してだろうか?
秋人は動かない。
「わざとなの。藤崎さんにボールをぶつけたのは…」
僅かに震える声…。
秋人はゆっくりと顔を上げた。
「もちろん、あんなに強くぶつけるつもりはなかった。でも、彼女のそばに打とうと思ってた…」
どうして?
言葉にはしないが、秋人の瞳はそう言っていた。
原島さんにもそれは伝わったのだろう。彼女は言葉を続ける。
「あまりに幸せそうに微笑んでたから…。だから、それを邪魔したかった」
原島さんは一度言葉を切った。
深く息をつき、秋人の視線をしっかりと受け止めて、原島さんはゆっくりと話し始める。
「藤崎さんは私の欲しい物を全て持ってると思ってた。素直で優しい心も、誰からも好かれる笑顔も、多くの友達も、素敵な恋人も…。きっと、ご両親からも愛されて育ったんでしょうね。私の描く幸せのイメージ、そのものの人だった」
そして、原島さんは少し目を伏せる。
「私、藤崎さんに憧れてた。でも…羨望は、時に妬みになって、抑えきれない嫌な感情を彼女にぶつける時があったの。その度に、藤崎さんは少し困ったような顔で私を見て…。でも、怒ることは決してなかった。とても温かい人…」
秋人はじっと動かずに彼女の言葉を聞いている。
「もしあの時、私がボールをぶつけたりしなかったら、あの時間に帰宅することもなくて、藤崎さんは事故にあわなかったかもしれない。私が…あんな馬鹿なことしなければ……。私の…せいで……」
原島さんの声がだんだんか細くなっていく。
「大切な人を奪ってしまって、怨まれても仕方ないと思ってる。でも、本当のことを言っておきたかったの」
消え入りそうな声で、彼女の懺悔が終わる。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。