第6章-3
翌日は朝から雨だった。
私が死んだ日のように、雨は夕方になるにつれて激しさを増していた。
「今日も秋人さん、いらっしゃらなかったですね…」
放課後になり、身支度を整えて学校をでる原島さんの後についていきながらシリルが呟いた。
「うん…」
一人でどうしているのか心配だった。顔が見たいと思った。
秋人………。
「わっ!?」
物思いにふけっていて前を見てなかった私は、突然立ち止まった原島さんにぶつかりそうになる。
間近で見る綺麗な彼女の横顔。その瞳は驚愕で見開かれていた。
私は彼女の視線を追い、そして心臓がドクンと跳ね上がった。
視線の先は、私が事故にあった場所だった。
そしてそこには、激しい雨の中、傘もささずに佇む人影があった。
遠くからでもわかる。
「秋人っ!!」
思わず走り出す。
原島さんも少し急ぎ足で秋人のもとへ向かう。
足音に気付いてか、うつむいていた秋人がわずかに顔を上げた。
「……!?」
秋人の瞳を見た瞬間、全身の力が抜け、私は彼の少し前で地面に座り込んでしまった。
「亜沙子さん!?」
シリルが心配気な声をあげ、そばに駆け寄ってくる。
その間に原島さんは私の前を通り過ぎ、秋人の目の前に立っていた。
「井沢…くん?」
秋人を呼ぶ彼女の声がわずかに震えていた。
その気持ちが、よくわかる。
少しやつれた頬。そして、光の燈らないうつろな眼差し。
優しく暖かい、あの雰囲気はかけらもない。
これが、秋人…?
驚きが、苦しいほどの悲しみに変わっていき、私は身動きが取れなくなる。
原島さんは、ぼぅっと彼女を見ている秋人に傘を差し出した。
「風邪…ひくよ」
差し出された傘に、秋人は入ろうとしなかった。
何も答えずに、視線を足元の花束に落とす。
原島さんは傘を戻そうとせず、雨に打たれてずぶ濡れになってゆきながら、秋人と同じものを見つめた。
秋人の代わりに、彼の傘に守られている花束…。
「井沢くんが供えたの?」
彼女の質問に、秋人は静かに瞳を閉じた。
「…アコの好きな花を買おうと思ったんだ」
秋人は小さく呟く。
「でも、わからなかった。好きな食べ物はすぐにわかったのにな…」
花束のそばに、私の好きなチョコレートとミルクティーが置いてあった。
「アコが好きな物なら大抵の事は知っているつもりだったのに…。本当はほんの少ししか知らなかったのかもしれない」
少しかすれた、力ない悲壮な声。
「でも、もう何一つ知ることはできないんだ。好きな花すらも…」
秋人は再び目を開き、雨から守られながら懸命に咲き誇るオレンジ色のガ―ベラを見つめた。
私の頬を涙が伝い落ちる。
「私の…一番好きな花だよ……」
「え…?」
シリルが驚いた表情で花束の方を見る。
「ガーベラが…オレンジ色のガーベラが一番好きだったの…」
知らなかったはずの私の好きな花。
お店に置かれる多くの花の中で、その花を選んだ秋人…。
「亜沙子さんのこと…とてもわかっていらっしゃったんですね…」
嬉しさと切なさで、胸の中が埋め尽くされる。
誰よりも愛してくれた。その想いの大きさが、今は彼の悲しみを深くしている。
こんなにも愛しいのに、もう彼を癒すことすらできないなんて…。
「秋人……」
雨にうたれる秋人を見つめる。
彼の頬を伝う雫が、雨なのか、涙なのかわからなかった。
「…なぁ、原島。死んだら人はどこに行くんだろう」
ポツリと秋人がつぶやいた。
原島さんは少し困ったように秋人を見つめる。
「昨日…アコに呼ばれた気がしたんだ」
秋人の言葉に、私ははっと顔を上げる。
昨日の言葉が、届いた…?
「お墓にも、アコの家にも行ったけど、アコはいなかった。感じなかった。だから、ひょっとしたらまだここにいるんじゃないかと思ったけど…違うみたいだな」
そう言って秋人は天を仰いだ。
「もう…会えないんだな」
泣きそうな秋人の声。
私は思わず駆け寄っていた。
秋人の目の前に立つ。
「ここにいるよ!」
頬に触れようとした手がすぅっと通り抜ける。ズキッと胸が痛んだ。
涙があとからあとから零れ落ちる。
「秋人…私はここにいるの…」
こんなに近くにいるのに感じられない温もり。
決して合うことのない視線。
なんて近くて遠い存在なんだろう…。
「アコ…」
その呼び名が今は胸を苦しくする。
付き合い始めた時に、自分だけの特別な呼び方をしたいと言った秋人。
愛しい人だけの私の呼び名…。
「…きっとまだいるよ」
ずっと黙っていた原島さんが口を開いた。
「藤崎さんは大切な人がそんな顔をしていたら、きっと放っておけない」
秋人はゆっくりと原島さんの方に顔を向ける。
私越しに、秋人と彼女の視線が合う。
「井沢くん。昔、私の父が亡くなった時に言ってくれたよね」
凛とした彼女の声。
「そんな顔してるとお父さん心配するぞって。元気出して、安心させてやれって」
「………」
秋人の瞳がわずかに揺れる。
「藤崎さんも……きっとそうだよ」
秋人はしばらく黙ったまま原島さんを見つめ、そして、視線をそらした。
「……ごめんな」
静かな秋人の声。
「井沢くん…?」
当惑気な彼女。
「俺…何にもわかってなかったな。そんな単純なものじゃないのに…」
「えっ…」
「大切な人を失うって、こんなに辛いものだなんて知らなかった。知らないから、そんな事言えたんだな」
「……」
原島さんは何も言葉を返さず、ただ悲しそうに秋人を見つめていた。
泣いているようにも見えた。
「元気だせなんて…。簡単にできるわけないのにな……」
「……秋人」
彼女はそんな気持ちで言ったんじゃない。原島さんは秋人の言葉で救われたから、それを伝えたかったはずなのに…。
でも、閉ざされてしまった秋人の心にそれは届かない。
「どうして、悲しみは人の心をこんなにも変えてしまうの…?」
二人の間で泣き崩れる私を、シリルが両腕で包み込む。
優しい温もり…。
無言で立ち去る秋人の背中をただ見つめながら、私は願った。
冷たく閉ざされた彼の心にも、どうか温かな優しさが届きますようにと…。