第6章-1
現世に戻ると、日が僅かに傾きはじめていた。
そんな中、原島さんは自転車で夕刊を配っていた。
「頑張っておられますね」
「うん」
私は淡々と仕事をこなす彼女の後姿を、複雑な心境で見つめていた。
彼女を幸せにする事。私の大切な人にしてあげたい事。
彼女のそばでその答えを見つけることができるのだろうか…。
原島さんの仕事ぶりを静かに見つめ、しばらくすると見覚えのある道に差し掛かった。
と、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「聞こえてんだろ!いつまでも逃げてんじゃねーよ」
彼女とともに角を曲がると人影が見えた。秋人の家の前だ。
原島さんは自転車を下り、歩をゆるめる。
「引きこもってたら何か変わんのか?藤崎が帰ってくんのかよ!えぇ!?おい、なんか言ってみろよ、秋人!!」
秋人と同じくらいの身長に、黒い短髪のつんつん頭。意志の強そうな漆黒の瞳を持つその横顔は、見慣れた人のものだった。
秋人と小学校からの幼馴染の板垣くんだ。
「大会までには引きずり出してやるからな!近所迷惑だろうと毎日くるぞ!ストーカーの如くっ!!」
秋人の部屋に向かい、びしっと指をさして宣言する板垣くん。相変わらず熱い人だ。
「秋人、学校に行ってないんだね」
その事実に、胸が締め付けられる。
「そのようですね。かれこれ、こちらの時間では亜沙子さんがなくなって二週間ほど経っておりますが…」
シリルも心配そうな眼差しで秋人の部屋を見上げる。
原島さんは秋人の家の少し前で、足を止めていた。
「また明日来るからな、秋人っ!」
最後の一言を放ち、立ち去ろうとした彼の視界に原島さんが映り、彼ははっとした表情になる。彼女は気まずそうに視線をそらした。
「原島……」
板垣くんは彼女のそばまで歩み寄る。
「あーえーっと、とりあえず、お疲れ」
二人とも秋人と同じ、小学校から今まで一緒の学校に通っている。でも、高校ではほとんど話したことがないのだろう。話しかけたものの、どことなくぎこちない。
「…どうも」
無視するかと思ったけれど、原島さんは小さく言葉を返した。
荷物を積んだ自転車では、すばやく彼の横をすり抜けるわけにもいかないからだろうか。
少し間があり、彼は再び口を開く。
「原島は、秋人と話したか?」
彼女は首をふる。
「だよな…。葬式のあとから一歩も外出てないみたいだし…」
板垣くんは小さくため息をつく。
「電話も出ないし、メールしても返事は来ない。落ち込むのはわかるんだけどな…。でも、どんなに頑張っても変えられない事実はありのまま受け入れるしかないと思うんだ、俺は。引きこもって悲しみに浸ってるだけじゃ、いつまでたっても抜け出せないだろ」
彼女にも当てはまる言葉だったからだろう、原島さんの表情がわずかに曇る。
「…それでも、時間が必要なこともあるわ」
「じゃ、原島はあとどのくらい時間があれば逃げるのをやめるんだ?五年か?十年か??」
「逃げてなんかっ!」
目線をあわせようとしなかった原島さんが、板垣くんをきっと睨む。
が、思いがけず優しげな瞳に出会い、すぐにその視線をそらした。
「ただ時間が過ぎればいいわけじゃないのは、原島が一番よくわかってるだろ。傷を何もせずに放っておくのと薬を塗るのとじゃ、同じ時間でも治り具合も違うし傷跡も残らない。時間の過ごし方が大切だ」
原島さんは切なげな表情でうつむいている。
「でさ、もうすぐバスケの大会があるんだよ。俺は参加させたい。藤崎もそれを望んでると俺は思う」
もちろんだった。秋人が一番好きな事をして輝いてる瞬間。それがバスケをやっている時だから…。
「だから、何?」
「俺は大切な人を亡くした事がない。秋人の気持ちも、俺が思っているよりもっと辛いものなんだと思う。正直、なんて言っていいのかよくわからない」
そこでいったん言葉を切り、彼は原島さんをじっと見つめる。
「原島…。同じように大切な人を亡くしたことのあるお前なら、秋人に何か言ってやれるんじゃないか?俺よりもっと、秋人の心に届く言葉を…」
原島さんの瞳が揺れる。
板垣くんは静かに原島さんの言葉を待っていた。
「同じじゃ…ないわ」
しばらくして、原島さんはぽつりと呟いた。
「藤崎さんは不幸な事故だもの。誰からも、愛されていたもの。私の父は自ら命を絶った。そして犯罪者よ…。同じなんかじゃない」
静かな声だった。
板垣くんは、きゅっと眉間にしわを寄せる。
そしてがっくりとうつむき、ぽりぽりと頭をかく。
「あー…久々に話したついでに言わせてもらうけどな…」
「何も言ってもらわなくて結構よ。仕事の続きがあるから」
何かを言おうとした板垣くんを冷たく制し、彼女は彼の横を通り過ぎようとする。
板垣くんは動かずに、彼女を視線だけで追った。
…このまま、彼女は行ってしまっていいのだろうか?
ずっと昔から避けて通っている道を、また見て見ぬ振りをしようとしている。
一瞬、今の秋人と彼女がダブった。
一人、悲しみに沈んでいる姿が…。
差し伸べてくれる優しい手を取れないでいる、寂しい姿が…。
「行っちゃダメ!」
思わず叫んでいた。
聞こえたはずはないだろう。でも、彼女はぴたりと足を止めたのだった。