第1章-2
「ホントにごめんなさい」
遠くで誰かの声。
「わざとじゃないんだろ。それに、謝るなら俺じゃなくてアコに」
「うん…」
だんだんと声が近くなる。
二番目に聞こえた声は、秋人。じゃあもう一つのしおらしい声は…。
「養護の先生が戻るまで俺がついてるから、原島は授業戻っていいよ」
やっぱり…。ということは、さっきの衝撃の原因は原島さんなのだろうか。
「…うん。じゃあ…」
扉の開閉音がし、足音が遠ざかっていく。部屋の中が静かになった。
目を開けようとすると、暖かくて少しごつごつとしたものが頬に触れる。
秋人の手だ。次の瞬間には、唇に柔らかいものが優しく触れた。
唇が離れるのを待って、私は目を開く。目の前にとび色の瞳で心配そうに私を覗き込んでいる秋人の顔があった。
「あれ、気がついてたんだ」
私と目が合うと、ちょっと照れたように微笑む秋人。
「お姫様は王子様のキスで目が覚めるものでしょ?」
「ばーか」
秋人は笑顔でそう言うと、起き上がった私の茶色がかった髪を優しく撫でた。背中まである、ゆるくウェーブのかかった髪が揺れる。
「痛くない?」
「ちょっとね。ところで、何がどうなったの?」
「簡単に説明すると、俺に見惚れてたアコに、原島の強烈なアタックがダイレクトにヒットしたと…」
苦笑いを浮かべながら告げる秋人。
「ま、原島もわざとぶつけたわけじゃないし、おかげで今二人っきりになれたことだし、許してあげろよ」
「…うん」
きっとわざとなんだと思う。でも、秋人にそんな事は言えなかった。秋人は彼女の事を人として信頼している。悪く言って、嫌な女だと思われたくなかった。
「どした?」
秋人は僅かに表情の曇った私の瞳を覗き込む。
「なんでもないよ。大丈夫」
微笑んで見せるが、心配そうに秋人は見つめている。
「今日は大事を取って、部活休んで先帰るんだぞ」
「えー。一緒に帰りたいよ」
「その分、授業サボって今一緒にいるから」
そう言って、秋人は私を優しく抱きしめる。その温もりに、心の中の陰りが消え去っていく。
「秋人…」
「ここが保健室じゃなきゃなぁ」
秋人がぼそっと呟く。
「なければ?」
「もっといい事できるのに」
「…ばか」
ぎゅっと抱きしめあったまま、二人でくすくす笑う。
平凡な日常。でも、とても幸せだった。