第5章-2
「亜沙子さん」
私の涙が少し落ち着くと、シリルが耳元で優しく名を呼んだ。
「ご自分を責めることはないです。当然の感情です。それに、僕は安心しました」
「…どうして?」
シリルの胸に顔を埋めたまま私は呟く。
「亜沙子さんのもう一つの気持ちを聞けて」
「…もう一つ?」
「誰でも、美しい気持ちと醜い気持ちを持っているものです。どちらかだけなんて方はいません。どちらも、本当の気持ちなんですよ。たとえそれが相反していたとしても」
シリルは抱きしめていた腕を解き、私の瞳をまっすぐに見つめる。
「闇が在るから光を求め、混沌が在るから平和を愛し、死が在るから生は輝くんです。どちらか一つしか存在しないのなら、それは輝きを失います。もちろん、悪いことは無いに越した事はないんですけどね」
シリルは切なげに微笑む。
「でも、それが世界の理です。相反するものがあってこそ、その存在はさらに確固としたものになるんです」
「…でも、それじゃ…私のこの気持ちはどうしたらいいの?消えなかったら、条件を果たせないでしょう?」
「そこから、新たに生み出される気持ちもありますよ」
穏やかに、シリルは述べる。
「男と女も似て非なる、相反する存在ですが、そこから新たな生命が誕生します。それと同じように、愛と憎しみの間から、さらに新たな気持ちがうまれます。それは、さらに大きな愛になるか、深い憎しみになるかはその方しだいですが」
「…憎しみになるかもしれないよ」
私は、シリルから視線をそらす。まっすぐな瞳がまぶしかった。
「いいえ。亜沙子さんは大丈夫です!」
シリルは即座にきっぱり言い切る。
「亜沙子さんは、ご自分の中の負の感情をちゃんと認めておられます。そして、それを良くないことだと思ってらっしゃる。それは、優しさへの第一歩です」
「…そんな事、ないよ」
「僕が保障します」
「……」
「人は、悲しみや苦しみを知るほどに、本当の優しさを得るんです。強くなれるんです」
そう言うと、シリルはうつむいたままの私の手をとる。
とても暖かい、小さな手…。
「もちろん、簡単なことではありません。生きている時ならば、遊んだり好きな事に没頭したり、他の事で重くなった心を軽くすることもできます。でも、今の亜沙子さんにはそれすら与えられていない。死という重圧も計り知れないものです。一人で抱えきれるものではないでしょう」
つぅっと、止まっていた涙が再び流れ落ちる。
「だから先程、心の中に鬱積したものを僕に言ってくださって安心したんです。その気持ちを一人で抱えていたら、心は病んでいくばかりですから。人は一人では生きられない、とても弱い生き物です。苦しみも、誰かと分かち合うことで少しは軽くなるはずです」
シリルは片手を伸ばし、私の頬の涙を拭う。
「亜沙子さん。だから僕はここにいるんです。頼りないかもしれないけど、僕は亜沙子さんの力になりたい」
私はゆっくりと顔を上げる。
シリルの優しい瞳が目の前にあった。
私は一人じゃない。
そう思うと、心の闇にほんの少し、光が差し込んだ気がした。