第5章-1
私はまた白い空間にいた。
静かに泣き続ける私の横で、シリルはずっと私の手を握っていてくれた。
「だめだね、私」
溢れる涙と共に言葉が零れ落ちる。
「前向きに頑張ろうと思ったのに、もう立ち止まってる。ううん、後ろ向きになってる」
握り締めていたシリルの手が離れ、俯いた私の頬に優しく触れた。
「頑張れない時は、無理に頑張らなくていいんですよ。立ち止まることも、後ろ向きになるのも悪い事じゃない。それもまた、心を育てるために大切な事です」
そしてシリルは穏やかに微笑む。
「それに亜沙子さんはそのままではいけないと思ってらっしゃる。それはまた新たに前に進む準備ができているという事ですよ」
優しい言葉。
それはとても暖かく光り輝いて、自分の中の影がよりいっそう濃く映し出される。
「でも私、シリル君みたいに優しくなれない」
顔を上げると、澄んだ青い瞳と目が合う。
「原島さんがどんな人か、前よりずっとわかったよ。彼女を幸せにする意味もわかった気がする。それでも、心から彼女を幸せにしたいと思えないの」
私は一度言葉をきる。シリルは静かに、私の次の言葉を待っていた。
「私、きっと彼女を嫉んでる。どんなに辛くても、生きてる彼女の方が幸せだと思ってる」
溢れ出す言葉は止まらない。
「私、やりたい事がいっぱいあったよ。大学いったり就職したり、結婚したり…。当然のようにくる未来だと思ってた。いつかは叶えたい夢も数え切れない程あったよ。でも、もう一つも叶うことはないんだよね。大切な人達の笑顔を見る、そんなささやかな幸せすらも得ることはできないんだよね…。当たり前の日常がどんなに尊いものだったか、今ならよくわかるよ。
天国って幸せなところなのかもしれない。生まれ変わりもあるのかもしれない。けど、藤崎亜沙子としての人生はもう二度とおくる事ができないんだよね。
でも、原島さんは生きている。今までも、今も苦しんでいたとしても、彼女にはまだ未来がある。いつか、幸せを手にできる可能性が限りなくある。恋人ではなくても、秋人と一緒にいられる。生きている限り、彼女が望めば、彼女が勇気をだせれば、幸せを掴めるんだよ。
私にはもう出来ないことが、彼女にはできるの。私が望まなくても、手を貸さなくても、彼女はいつか幸せになれるんだよ。それだけの時間が彼女にはあるんだよ。
今は彼女の方が恵まれた立場にいる。そう思ったら、彼女の幸せを願えないの。秋人や他の大切な人ならともかく、ただの同級生でしかなかった彼女をそこまで想えないのっ」
心の奥底にしまわれていた感情を叫ぶように吐き出した。
それでもまだ、私の醜い感情が残っていた。
それをも口に出していいのか、ほんの少し迷いがあった。
でも、シリルの深く澄んだ瞳の前には見透かされているような気がした。
隠していてもしょうがない。
ここまで言ったら、全てさらけ出してしまおう。
「それに、どこかで彼女を責めている自分がいるの。もし、彼女があの時私にボールをぶつけなければ、私は死ななくてよかったかもしれないって。そしたら、みんなをあんなに悲しませる事はなかったのにって。私は、まだ秋人のそばにいられたのにって」
私は、いったん息をつく。
「よそ見をしていた私も悪かったのはわかってる。彼女がボールをぶつけた気持ちもわかる。そんなに酷い事をしたわけでもない。それに、彼女が何もしなくても、私の運命は変わらなかったかもしれない。でも、そう思ってしまうの。もし、あの時彼女がって…。彼女さえ、何もしなかったらって…。誰かを責めても過去は変えられないのに、どうしてもそう考えてしまうの…」
私は、力なく俯く。
「私って、なんて心が狭いんだろうね…。最低だよね。頭ではわかってるのに、彼女が許せないなんて…」
支離滅裂になりながらも、全てを吐き出した。
涙が、新たに溢れ出てくる。
全てを失った悲しみ。自分の中の醜い感情への嫌悪。
何がなんだかよくわからなくなっていた。
ただ、話し終えた私を小さな体で抱きしめてくれたシリルの温もりが、私の壊れそうな心を支えてくれていた。