第4章-3
「きゃっ!」
再び景色がぐらっと揺れ、違う風景に変わる。
今度は校舎の中。生徒が学生服を着ているということは中学校だろう。
すぐそばに胸に赤い花をつけた原島さんがゆっくりと歩いているのが見えた。
どうやら卒業式の時の記憶らしい。
「原島!」
呼ばれて、原島さんは素早く振り向く。呼んだのは秋人だ。
「井沢くん…」
「帰るの早いな」
走ってきたのだろう。秋人は軽く息があがっている。
「別にする事ないし…」
「まぁな」
秋人は苦笑いする。卒業式の後、ホームルームが終われば確かにする事はないが、みんなで話をしたりするものだ。
彼女は中学でも一人だったのかもしれない。
「わざわざどうしたの?」
秋人に話しかける時は、彼女の声に温かみがある。
「ん。挨拶しとこうと思って」
「挨拶?」
彼女が問いかけると、秋人は飛び切りの笑顔を浮かべる。
「高校行ってもよろしくな!」
「あ…」
差し出された手を、彼女は驚いて見つめる。そしておずおずその手を握り返した。
「よ、よろしく」
顔が赤くなるのを隠すかのように、彼女はうつむいている。
「こんなんで引き止めて悪かったな。じゃ。気をつけて帰れよ!」
「うん…」
うつむいたままの彼女にもう一度微笑みかけると、秋人は再び教室の方へ戻っていく。
原島さんはその後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。
秋人が角を曲がると彼女は再び歩き始め、昇降口で靴に履き替えようとしてふと動きを止めた。そして鞄の中を確認すると、脱ぎかけの上履きを履きなおして教室の方向へ戻っていく。どうやら忘れ物をしたらしかった。
階段を上がり廊下を曲がろうとした所で、話し声が耳に入る。
「じゃ、よろしくな」
秋人の声だ。原島さんは角を曲がる前に歩を止める。
さっき別れの挨拶をしたばかりで顔を合わせづらいのかもしれない。
「OK。秋人に言われなくても、俺はわざわざ原島の事なんて言うつもりもないけどな」
自分の名前を出され、原島さんの体が硬直する。
「一応な。他のみんなにも頼んどいたし」
「…そこまでしといてさ、ほんとに原島に惚れてないのか?」
「違うって。そんなんじゃない」
冷静に即答する秋人。原島さんを見ると、深くうつむいてしまっている。
知らないとはいえ、秋人の少し残酷な言葉に胸が痛んだ。
「嫌なんだよ。原島自身の事じゃないのにいつまでも言われてるの」
「…確かに、未だにそんな事言ってるバカも多いな」
どうやら、原島さんのご両親の事を言っているみたいだ。
「でもさ、あいつ自身の問題でもあるだろ?秋人みたいに手を差し伸べた奴がいないわけじゃない。友達を作るきっかけもあったさ。でも、原島自身がそれを受け入れなかった」
原島さんはきゅっと唇をかむ。
「原因は両親にしろ、抜け出さなかったのは自分の選択さ。周りのせいだけじゃない。秋人が動いても、それは変わらないんじゃないか?」
「そうかもしれない。でも、きっかけを作りたい」
優しい秋人の声に、原島さんは顔を上げる。
「わかっていても、自分ではどうしようもない時があるだろ。誰もが強いわけじゃない。高校行って、両親の事を知っている人が少なくなるのはいいきっかけだと思うんだ。それを、邪魔したくない」
ふと思い出す。秋人が話している相手は同じ高校の板垣くんだ。
姿は確認できないが、この良く通る声は間違いないだろう。
ということは、秋人は同じ高校に行く人全員に、原島さんの両親の事を口外しないように頼んで回ったという事だろうか…。
「歩くのは原島自身でも、立ち上がるのくらい手伝ってやったっていいだろ?」
少し、間が空く。と…
「秋人っ!天然記念物的なその優しさが俺は好きだ!!」
ここかららは見えないが、熱血な板垣くんならがばっと抱きしめていそうだ。
「こ、輝汰…」
「了解。原島の親のことは言わないし、会ったら普通に挨拶するよ」
「さんきゅ」
「しかしまぁ、お前も好きな女じゃないのによく頑張るよなぁ」
私も、そう思う。どうしてそこまで親切にできるのだろうか。
「原島って、兄弟想いの優しい奴なんだよ」
「へぇ?」
「知らないだろ?俺、家近くてさ。原島、小さい弟たちを親代わりにすごくよく面倒みてる。俺一人っ子だから尊敬してるんだ」
原島さんの目にうっすらと涙がたまる。
「いい奴なのに、それを誰も知らないのってもったいないじゃん」
「…そんな台詞をさらっと言えるお前にかんどー。俺は恥かしくて言えねー」
「な、なんだよっ!」
二人のたわいないやり取りが続く。でも、原島さんはもう聞こえていないだろう。両手で顔を抑えて、静かに泣いている。
秋人の言葉は彼女の乾いた心にどれだけ染み渡っただろう。
一人で色んなものを背負い、誰に頼る事も褒められる事もせずに生きてきた彼女にとって、その努力を知り、尊敬し、見守っていてくれる存在がいた事がどんなに嬉しいか…。
それが、好きな人だったらなおさらだ。
彼女の中で、秋人の存在がどんなに大きいか、すごくよくわかった気がした。