第4章-1
白い空間から現世に移動すると、辺りは暗かった。夜というよりは明け方のようだ。
「あちらにいます」
シリルが私の後方を指す。振り向こうとすると、ふわっと風が横切った。
見ると、自転車に乗った原島さんが私を追い越していく。
「こんな朝早くから…」
どこにいくのか?
その問いは、考える前に見て分かった。
かごに積まれた新聞紙。どう見ても新聞配達に違いない。
「勤労少女ですねぇ」
横でシリルが呟いているが、私は言葉が出ないほどびっくりである。
知的で美人で冷めている原島さんが、新聞配達?
「意外な一面発見ですか?よいことです」
シリルはニコニコ笑いながら彼女の後を追う。というか、意思と関係なく彼女に引き寄せられていた。
「意外というかミスマッチ…」
「そうですか?」
「だって、原島さんて勉強は影で努力してそうだけど、汗をかくような事はしなさそうで」
運動はできるが、それは才能であって努力してという感じではなかった。部活もしていないし、体育祭でも全力で頑張ってはいない。あくまで文系です!という感じで、朝早起きして新聞配達をしているなんて、誰が想像つくだろう?
「ただでさえ謎な人物なのに、さらに謎が深まったわ…」
次々と配達を終えていく彼女を見て私はつぶやく。
「これからよく知っていきましょう!」
「…そうね」
〈秋人を好きな知的で美人な冷たい人〉というイメージに〈勤労少女〉が付け加えられる。彼女についていたら、あとどれだけ増えるのだろう。少しだけ彼女への興味が持てた。
「あ…」
原島さんが見覚えのある家で立ち止まり、二階の一部屋を見つめた。
「お知り合いの家ですかね?」
「秋人の部屋だよ」
「あぁ…」
彼女はしばらく秋人の部屋を見上げていた。
いつも、こうやって彼の部屋を見つめていたのだろうか?
どんな想いでいつもここを通るのだろう。
私は彼女に手をのばしかけ、途中で止める。
彼女の気持ちを知る勇気はまだなかった。
私も彼女のように、秋人の部屋を見上げる。
あそこに、秋人がいる。数日前までは私もよく一緒にいたあの部屋。
今、秋人はどうしているのだろう?
「きゃっ!」
突然視界がぐらっと動く。
見れば原島さんは自転車で遠くに走り去っている。
あぁ、彼女から離れられないんだっけ…。
「彼女についていれば、秋人さんにもまたお会い出来ますよ」
シリルが慰めるように声を掛ける。
「うん。きっとそうだね」
会えるのは嬉しい。
でもそれは、それだけ原島さんが秋人のそばにいるという事。
私はもう話すことも触れることも出来ない彼のそばに…。
切なさで胸がきゅぅっと苦しくなった。
それからの彼女の一日はさらに意外な事でいっぱいだった。
まずは彼女が家に帰ると、小学生の妹と弟がいた事に驚いた。あの人付合いの悪さは絶対に一人っ子だと思ってたのに…。
彼女はまず朝食の支度をし、彼等を起こす。登校の準備をさせ、朝食をとらせ学校に送り出すその様はまるで母のよう。笑顔を見せないあたりが私の知っている原島さんだったが、面倒みのよさは意外だった。学校ではその片鱗も見せないのに。
「人って分からないものね」
思わずつぶやく。
死んでから気付いては遅いけど、彼女へのイメージが目まぐるしく変わっていく。
「行ってきます」
彼女は仏壇に向かってそう告げ、学校に向かう。写真は父親のようだった。
学校では私の知っている原島さんだった。淡々と一日の授業をこなしていく。
友達と談笑することもない。ただ、たまにに彼女が見つめるのは主のいない席。
となりの教室の花の置かれた私の席。そして、からっぽの秋人の席だった…。
授業が終わると彼女はすぐに学校をでて、制服姿のまま手早く買い物を済ませると、家に戻る。既に帰宅していた妹たちにおやつをあげると、彼女は着替えて家を出た。
ひょっとして…と思っていたら、予想通り夕刊の配達。
他にもバイトいろいろあるのに…。
そして、彼女は朝同様、秋人の家の前で少し立ち止まる。部屋の明かりは燈っていない。
「秋人さん、学校にきてらっしゃいませんでしたね」
シリルが、私もずっと気にしていた事を呟く。
秋人はどうしているのだろう?部屋にいるのだろうか?
「うわぁ!」
感傷に浸る間もなく、朝同様、出発した原島さんにひっぱられる。不便な身の上だった。
彼女は帰宅するとすぐに夕飯の支度にとりかかった。弟と妹に食べさせていると、けだるそうな女性がふらりと食卓に入ってくる。
「恵ちゃん、今日の御飯なーに?」
「見れば分かるでしょ?」
「つめたいなぁ、もぅ。お母さんかなしー」
私は驚いて凍り付く。このいかにもお水な女性が原島さんの母親?
確かに美人な所はそっくりだが、甘えた雰囲気やちょっとだらし無い所など似ても似つかない。
「さっさと食べて。片付かないから」
「はーい」
母親が食事をしている間に、彼女は妹たちを順に風呂に入らせ、自分は食事の片付けをする。そして食事を終えた母親がふらりと部屋を出ていくと、小さな溜息を付いて彼女の食器も片付けはじめた。しばらくして、妹達がお風呂から上がり、彼女は二人を寝かし付ける。それらが全て終わるころ、化粧をし、いかにもな服に着替えた母親が顔を出した。
「じゃーあとよろしくね~」
夜のお仕事なのだろう。子供達を残し、母親は出ていった。
彼女は戸締まりをし、自分の部屋に行く。そして、深い溜息をついた。
私は少し悲しくなる。
彼女は今日一日、一度も微笑みすら浮かべなかった。