第1章-1
あの時、私はこの幸せがずっと続くと信じていた。
失う事なんて、考えもしなかった。
でも、その時は突然やってきた。
目の前が、真っ暗になった。
藤崎亜沙子、十七歳。
私は、死んだ……。
六月下旬。梅雨の長雨に気が滅入りそうな季節。
今日も朝から雨が降り続いていたが、私の心は晴れ渡っていた。
体育館での授業。隣のコートで男子がバスケットの試合を行っている。
私の視線はその中の一人に集中していた。
「ナイッシュー!」
鮮やかにスリーポイントを決め、チームメイトに囲まれる彼、井沢秋人。およそ百八十センチの長身をかがめ、汗に濡れた柔らかな焦茶色の髪をくしゃくしゃと撫でられている。
そして、ディフェンスに戻ろうとした彼の視線がふと動くと、女子が試合をしているバレーコートの片隅に座っている私を捉えた。目が合うと、秋人は笑顔で軽く手を上げる。
暖かい物が、私の中いっぱいに広がっていった。
「ラブラブねぇ」
「!?」
しまりのない顔で手をふっていた私の耳元で、友達の佐藤弘美がそう囁き、私は驚いて
息をのんだ。
「びっくりしたぁ」
「秋人くんに見惚れてるからよ。それと、さっきから睨まれてるよ、亜沙子」
弘美の視線の先には、バレーコートで試合中の原島さんの姿があった。
確かに、冷たい視線がこちらに向けられている。
正直、私は彼女が苦手だった。彼女も秋人を好きだから…。
私が秋人と出会うずっと前から、彼女は秋人を好きだったらしい。
それなのに高校から知り合った私が秋人と付き合い始めてしまい、彼女が私の事をとても嫌っているのは周知の事実。この学校で気付いていないのは秋人くらいだろう。
彼と付き合って一年経つのに、彼女の冷たい視線は変わらない。
「でも、好きな人を目で追っちゃうのはしょうがないでしょ?」
「まーね。わかるけど、また何かされるよ?」
「うー…」
しかたなく、男子コートに背を向けて座りなおす。
あからさまではない、でもちょっとした嫌がらせをこの一年受けてきた私としては、これ以上被害を増やしたくはなかった。
今年は彼女とは合同体育の時しか一緒ではないので、少し辛抱しておこう。そう思いながら、外の天気のようにすっかりじめっとした気分のまま、女子の試合をぼーっと眺めはじめた。
原島恵。かわいいと言うよりは、少しきつめの美人顔。長い睫毛と黒曜石のような瞳は
見惚れてしまうほど美しく、背中まであるストレートの黒髪も艶があって羨ましいほど綺
麗だ。すらりとのびた手足、スレンダーなボディーはモデルのよう。運動神経もよいし、勉強も出来る。
あとは性格がよければ完璧…だと思うけど、人間そこまで完全ではないらしい。
彼女が心から笑っているところを見たことがないのは、私だけではないはずだ。
いつも、どこか冷たい瞳をしている。人と付き合うのもいつも距離を置いている。そんな感じの人。
その彼女の視線が、ふと試合中のコートからそれる。つられて私も同じ方向を見ると、そこには秋人がいた。
ドリブルで一人、二人と鮮やかに抜き去っていく秋人。あっという間にゴール下に行き、美しいフォームでレイアップシュート。ゴールと同時に試合終了のホイッスルが響いた。
思わず見惚れてぼうっとする。バスケをしている時の秋人が一番素敵だ。好きな事をしている時は、やっぱり輝いてる。
コートを後にしながら、秋人は私に微笑みかける。と、急にその瞳が驚きで見開かれた。
「亜沙子!」
後ろでは弘美の叫び声。
何?と思った瞬間、側頭部にすごい衝撃が走る。
目の前が真っ暗になり、ふぅっと意識が遠くなっていく。
遠くで秋人の叫ぶ声を聞きながら、私は完全に意識を失ったのだった。