3 明かされない過去
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私は意を決して玄関のドアを開けた。その瞬間に、例えようも無い寒気が背中を襲った。体中から汗が吹き出していた。膝は恐怖のために痛みを感じるほど震えていた。
「だれか、誰かいるのか?」
室内は庭園とは打って変わって手入れが行き届いていて、今にも人が出て来そうな雰囲気である。
一体、これはどういう事なのだろう。まさか……。
そんなはずはない。あいつらが生きているはずは……。
私は怯えながらも中に入って行った。どうしてもやり遂げねばならない事があったからだ。
そう、そのために私は、この辺鄙な村へ舞い戻って来たのだ。
館内は十年前と寸分違わず、独特の薄気味悪さを醸し出していた。
私は確かに怯えていたが、しだいに冷静さを取り戻していくのも確かだった。
十年前、この館には五人の住人がいた。
この家の主人、苅部 武。その妻、美紀。一人娘、尚美。そして使用人の鍋島治郎。その妻で、家政婦の和恵。
いずれも奇々怪々な人物たちだった。たった一人を除いては……。
私の足は自然と、階段を上って真ん中の部屋……尚美の部屋へと向かっていた。
この十年間、片時も彼女の事を忘れる事はなかった。彼女は私の初恋の女性であり、また女神でもあった。
ドアは見すぼらしく壊れていて、向かいの壁にはどす黒い色のシミがベットリとこびり付いていた。
十年前の悍ましい事件を如実に物語っていた。目を背けたが、消し去りたいはずの記憶が瞼の中に蘇ってきた。
思考を振り切るように目を移すと、室内には古臭い学習机があり、その上に一冊の赤い本が見えた。
尚美がどんな本を読んでいたのか興味がわき、早速その本を手に取った。
『D・I・A・R・Y』
それは、彼女の日記だった。
私は尚美の日記を途中まで読んで、ほとんど瞬きをせずに読んでいた事に気づいた。瞼が乾燥してピリピリと痛かった。
カタン……
ドアの方から微かな物音が聞こえた。
ビクリとして振り返ると、ドアの前に、私の思いもよらない人物が立っていた。
私の背筋に、驚愕と戦慄の電撃が走った。
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小窓を覗くと、外はもう暗くなっていた。
そろそろ帰った方がいいと思い、部屋を出ようとしたが、彼女が慌てて僕を止めた。
「だめよ! 和恵さんと治郎さんが帰ってきたわ」
彼女は小窓を覗きながら言った。
「和恵さんと治郎さん?」
「うちの使用人たちよ。意地が悪いの」
僕が尋ねると、すぐに彼女がそう答えた。
「僕の声、聞こえるの?」
彼女はしまったとばかりに『あっ』と声をあげた。
「……ごめんなさい。悪気があったわけじゃないの」
彼女は俯いて、上目づかいに僕を見た。
「とにかく、見つかると大変だわ。どうしよう」
彼女の慌てぶりに、得体の知れない恐怖を感じた。
「もし見つかったら、どうなるの?」
「殺されるかも知れないわ」
彼女は顔を背けて呟いた。
殺されるかも知れない? この家に入っただけで? どういう事? 僕は自分が置かれている状況を理解する事が出来なかった。
この【ふわふわ館】には部外者が立ち入るのを厳格に禁止するような、知られてはならないような秘密が隠されているのだろうか。はたまた、あの使用人たちは部外者を極力嫌う、残虐な殺人鬼なのだろうか。
「いやだ!」
僕は思わず彼女にしがみついた。彼女は一瞬びくりとしたが、優しく私の頭を撫で、ゆっくりと言った。
「たすけてあげる……」
何を思ったのか彼女は僕の顎を引き、紅く熱い唇を僕の唇に重ねた。口の中で鋭い痛みを感じた。それと同時に、口一杯に鉄の味が染み渡った。それは彼女の唾液と微妙に絡まって、何かしら幻想的な味がした。
階下で扉が閉まる音が響いていた。残虐な使用人たちが帰って来たのだ。
▽
「君は……?」
彼女は私の問いには答えず、ゆっくりと唇を重ねた。僅かに鉄の味がする唾液が私の舌に絡まった。うっすらと目を開けてみたが、近づき過ぎて彼女の顔は分からない。
彼女は名残惜しそうに唇を離すと、おもむろに手首を差し出した。
「さあ、飲んで……」
私は彼女の勧めるがまま、その柔らかく熱い手首に唇をあてた。
……やはり私は吸血鬼になっていたのか?
真っ赤な液体を貪るように吸っている自分自身に失望感を抱きつつも、その行為を中断する事が出来なかった。
「だめだ……死なせてくれ」
その言葉とは裏腹に、なおも私は吸い続けている。もう、私の意志は通用しないのだ。
私は化け物になってしまった。もはや理性の制御は受け付けなかった。
血を吸うごとに勢いよく動いていく鼓動に、私は諦めに似た感情を抱いていた。
「もう、大丈夫ね……」
女性はゆっくりと私の唇から手首を離すと、再び唇を重ねてきた。血を私に与え過ぎ、ふらついているのか、倒れるようにのしかかってきた。そして私の口から溢れ出した血液を、少しでも取り入れようとするのだった。
私は女性の長い髪を優しく撫で、ぼうっとした感覚のまま呟いた。
「君は……尚美? ……なのか?」
女性は一瞬びくりとしたが、やがて唇を離し、俯き加減で言った。
「そう、わたしは尚美よ。あなたに復讐するために蘇って来たの」
私は十年前に起こった世にも恐ろしい出来事を思い出していた。
それは二〇一三年の三月二日から三日にかけての出来事だった。
私は……私は十年前のあの日、あの【ふわふわ館】にいた化け物たちを虐殺したのである。
苅部 武、苅部美紀、苅部尚美、鍋島治郎、鍋島和恵の五人を。
彼らは人間ではなかった。人間の皮を被った、身の毛もよだつ吸血鬼だったのである。
私は幼いながらも奴らの攻撃をくぐり抜け、結果的には奴らを思う存分に蹴散らしてやった。しかしそれが、後々私の人生を狂わせる切っ掛けとなってしまうとは、思いもよらなかった。
私は死のうとしていたのかも知れない。しかし、尚美やこの私が生き残っていると分かった今、容易に死ぬわけにはいかなくなった。
尚美を殺し、この私も自殺する。これが私に与えられた使命なのだ。
それは私の正義感から来るものではない。吸血鬼という汚らわしい存在を、この世から抹殺するためであり、自分自身が過去に起こした虐殺事件を、一般大衆に悟られないようにするためなのである。




