タイムリミットは、夜明け前
「ねぇ見て? 月が遠いなんて誰が決めたの?ほら、わたし月をつかまえたよ」
君が無邪気に、夜空に向かって両手の指で丸を作ってこちらを振り向く。
僕たちを、ひんやりした夜の空気が包む。
※
君は無邪気なようで、どこかに本音をそっと隠したような不思議な発言をする人だった。僕の考えすぎかもしれないが、にこにこしながら意味深にも聞こえるような独特な言葉のチョイスでふんわり話す。そのなかに散りばめられたヒントをかき集めたくなる、答えを導きたくなる。
君を、もっと知りたくなる…
※
車の時計、無機質なデジタル表記は【1:40】
少し夜更かしした人も眠り始めるころ。僕たちの待ち合わせはいつもこんな時間。むしろ今日は少しだけ早かった方だ。
「お疲れさま、今日は少し早かったね」
ほら、案の定助手席に乗り込んでくる君も少し嬉しそう。
こんな深夜だからどこへ行くでもないし、そもそもどうせ人目につくこともできない。行き先の相談などなく、僕たちはただいつものドライブルートを走る。君が好きなオレンジ色の街頭が多い道を通り、なんとなく海まで行って引き返してくる。
会話をしたり、しなかったり。君との沈黙は気にならないし、君も静けさをも楽しむタイプなのでそんなことに気を遣わない空気が落ち着く。沈黙さえ貴重な、少ない僕たちの時間。
ストレスがない時間というのは、あっという間に過ぎ去る。ほら、少し急がないと空が明るくなってきた。
僕たちのタイムリミットは、夜明け前。
人々が動き出す前には、お互いの日常へ。
名残惜しさをまだ暗さが残る夜に包み隠し、いつもできるだけさっぱり「じゃあね」と車を降りていく君。僕も引き止めたい気持ちを飲み込み、「じゃあね」とアクセルを踏み込む。
※
ふと気付いたときにはもう、君の世界のとりこだった。それが何の脈略もない天性の無邪気なのか、それとも君の手のひらに僕が乗ってるのか。
どちらだったとしても、行き着く結論は1つとわかっていても、永遠にそんなことを悩む時間さえ愛おしい。
無邪気なようで、どこか大人っぽい。何も考えてないような雰囲気をまとい、全てを悟ってる瞳をしてる。つかまえられそうで、つかまえられない。
でもきっとどちらかが正解ではなく、そのどちらも君なんだと僕は気付いてる。君に惹かれているのは、僕と似てるから…まるで僕を見てるようで放っておけない。だけど僕がいなくたって、君はどうせ自由に生きていくだろうことも知ってる。
だって、僕たちは似てるから…。
※
「ねぇ見て?月が遠いなんて誰が決めたの?ほら、わたし月をつかまえたよ」
君が無邪気に、夜空に向かって両手の指で丸を作ってこちらを振り向く。
振り向いた君は、思ったよりすぐ後ろに僕がいたことに少し驚いた。君が次の言葉をなにか言う前に、珍しく僕は君に触れた。なにも言わせない空気で、後ろから夜風に少し冷えた君の肩を抱きしめた。
「僕が何も言わないなんて、誰が決めたの? ほら、やっと今日は君をつかまえたよ」
僕たちを、ひんやりした夜の空気が包む。