第93話-2 美優vsメドゥーサ
第93話-2
その声で、翔太の呼吸が少し戻った。
視界がはっきりする。
手の震えが止まり、足に力が入った。
心の闇の渦に呑まれる寸前だった。
荒い息を吐く。
そうだ。
また、あれだ。
体が先に怯えて、頭が遅れて追いつくやつ。
……でも、戻れた。
いつも美優は、そうだ。
的確に自分のことを把握してくれる。
そして救ってくれる。
何か、手はあると教えてくれる。
じゃあ、美優は何をしようとしているのか。
それを確認しようとして、翔太は驚愕した。
その美優が向かったのは、
──あろうことか、メドゥーサの真正面だった。
メドゥーサは折られた肘をもう一方の手でゴキゴキと動かしている。
そして──ハマった。折られていたのではない。関節が外れていただけだ。
「あ、あなた、鏡なんかで、私を、倒せる、と、思った?」
そのメドゥーサへ向かって美優は走る。
翔太の手を引いて。
「これだけ、囲まれているのに、往生際が、悪い、のね」
「そうかしら?」
見ると、いつの間にかメドゥーサは、自分の石化も解いている。
ちょっと目を離していた隙に。どうやって──?
(これは──呪いの解除、その手順……この化け物、隠し持っているわね)
だが、その詮索は今じゃない。
今は攻める時。
美優はメドゥーサの目前でいきなり、低くしゃがんだ。
そのまま体を軸に伸ばしきった左脚で回し蹴りを放つ。
メドューサの脚を刈るつもりだ。
しゃがんだのは視線を合わせないため。
まぶたを上げる前に、攻撃を当てるため。
そしてこの、美優の攻撃の速度は、メドゥーサを完全に上回っていた。
メドゥーサも、さっきの手鏡を警戒し、簡単に二人を攻撃できないでいた、そこが隙だった。
美優の回し蹴りは見事、メドゥーサの両脚を跳ね上げた。
あの、怪物が。
ギリシャ神話で知らぬ者はいないであろう、メドゥーサが。
たった一人の、ただの人間の少女によって、弾き飛ばされる。
それはまるで、神話が上書きされたような光景だった。
「今よ!」
そして、美優は翔太を引いて、メドゥーサの横をすり抜ける。
またしても、奇襲。
戻ってくるはずがないと思ったところで、正面突破。
だが、それにも理由がある。
このメドゥーサの背後には、デルピュネーがいる。
──デルと合流さえすれば、また何か策があるはず。
そう思っての、計算づくの正面突破だった。
だが、敵は神話上の怪物だ。
転ばされたメドゥーサ。
その美しく長い髪。
それが、
髪が蛇に変わり、一匹が跳んだ。
美優の肩を狙って、口を開く。
速い。
牙から滴る毒が地面を焦がす。
まだ美優は気づいていない。
蛇が大口を開け、美優の肩を噛もうとする。
しかし。
「させない!」
翔太の手が先に動いた。
ぐしゃり、と蛇の首が潰れる。
さっきまでの恐怖が、一瞬で反転した。
美優を傷つけるものだけは、許せない。
弱さが逆向きになる。
守るための強さに変わる。
その目には、再び、力が宿っている。
美優も思わず、その場に止まった。
翔太の手に血管状の光が走っていた。
イーナリージア。
魔術回路が燦然と輝いている。
翔太の目がうすく光ったように見えた。
「翔太くん!」
「ごめん、また俺、どうかしてた」
「ううん、それより」
「分かってる。まずはここから……」
だが、毒蛇の髪の群れは次々と伸びてくる。
いつの間にかメドゥーサは、頭髪すべてが蛇となっていた。
伝説上の姿を取り戻している。
翔太の目がさらに力を帯びた。
「怒り」「憎悪」
美優を傷つけようとしたことが、許せなかった。
「……飛ぶぞ」
「え?」
「掴まれ。落とさない」
美優は、何のことか分からない。
だが翔太に変化があったことは分かる。
「行くぞ!」
イーナリージア全開。魔術回路がはち切れんばかりに脈打つ。
翔太は呻いた。
──痛い……!
神経が焼ける。魔術回路が痛覚そのものに巻き付いてくるような痛み、激痛。
これがリスク。
修行不足の自身のミス。
──それでも!
冥船の呼吸、夜の冥府を船で渡る太陽神ラーの力を取り入れるあの儀式。
四拍吸い、十二拍で肺を凍らせ、六拍で吐く。
その循環が、魔術回路の痛みを和らげてくれる。
まだこの訓練を始めて間もない。だから真の力は1000分の1も発揮されない。
だが──
やる。
やれる。
耐えられる。
行く!
もう、
(美優に、助けられてばかりの自分じゃ、嫌だッ!)
バンッ!
踏み込みでアスファルトにヒビが走る。
二人の体が、持ち上がった。
いつの間にか、翔太は美優を抱き上げている。
突然のことに美優は、翔太の体をがっしりと掴むしかなかった。
「え……わ……翔太くん、これ……」
「いいから、しっかり、しがみついてて!」
変わった!
さっきとは別人だ!
その言葉に美優は翔太の首に腕を回した。
まるで空を飛んでいるかのよう。
その高さは十五メートルほど。
(これ……翔太くんの力……?)
いつの間にか、これほどの力を操れるようになっていた。
これには、美優も驚く。
毎晩の修業の成果──それが、確実に、
(──出てる!)
すかさず追う毒蛇も、とても届かないほどの高さ。
「速……い……?」
メドゥーサもこれには驚く。
さっきまで、翔太の美味しそうな恐怖がこの空間に満ちていた。
それが、一気に掻き消えたのだ。
「ま、まだ、私の、邪眼、が……」
そして、再びまぶたを開けようとするも。
その頃には翔太と美優の背は、
すでに、夜の闇の中へとかき消える。
目で追えない。
邪眼そのものが空を切る。
メドゥーサは、そこで立ち尽くすしかなかった──
◆ ◆ ◆
一方、下降に入る翔太と美優。
夜空から林へ。林が結構な範囲で燃えている。
「な、何あれ?
「何か、何かがあったんだ!」
背後を見ると、天使像が二人を追随している。
矢の先から白い蒸気が尾を引く。
だが矢の軌道は届かない。
すでに林の木々直上に二人の姿はある。
風がゴウゴウと鳴る。着地まで、あと数秒。
林の中に入りさえすれば、この天使像からも、姿を隠せる!
次の瞬間、二人は林へ突っ込んだ。
ガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサ!
翔太は体を丸め、必死で美優が傷つかないよう守る。
枝が、木々が。
バキバキッ! バキバキッ!
ザザザザザザ! バキッ、ザザザ――枝が肌を掠める。
「きゃああああああああああああああ!」
この衝撃に叫ばずにいられない美優。
だが。
翔太は美優を抱えたまま、見事、無事に着地した。
なのに、聞き慣れない音。
バリン!!!
土を踏みしめたとは思えない、何かが割れる音。
(え……?)
──土がガラス化している……!
よほどの高熱でもなければ、こうはならない。
周囲にも熱が残っていて、そこに立っているだけで、肌が痛い。
周りの木は黒く炭になっていた。
虫の声もない。
「な、何、この熱気……?」
炭になった周囲の木々の内部から、まだ真っ赤な熱源が光っているのが分かる。
「美優、無事か?」
美優は、翔太の腕から降りながら答える。
「さすがに着地の瞬間は、痛かったけど……体は、どこも痛めていないわ」
「良かった……」
翔太は腕に特殊なイーナリージアを流し込み、それがクッションになるよう変化させていた。
うまくコントロールできたようだ。
「何が……あったのかしら……」
「分からない。分からないが……」
翔太と美優は、周囲を見渡す。
デルピュネーはどこにいるのだろうか。
そして、ペルセウスは……?
「デルの身にも何かあったのかもしれない……」




