剣の国【再生篇】
その国は領土の大半が墓標であり、弔いのように突き立てられた剣の下でいずれ目覚める《剣》たちが、今は静かに眠っているのだという。
春一番に吹く風が、空にとどまっていた雪雲を、まとめてどこかへ散らしていった。
「あ…目を覚ましたよヒースクリフ。新しい僕らの兄弟だ」
木漏れ日に似た柔らかい声が新たな剣の誕生を告げる。
その目覚めは、果てまで澄んだ青空の下で、土がよく乾いていた。地上に這い出る彼の前には、細身の刃__刺突に適した、装飾的な剣が突き立てられている。
振るえば折れそうな刀身の腹に、細かい文字が彫刻されている。目覚めた彼はそれをたどたどしく読み上げた。
「ば、す、か、び、る…?」
「そう!蛮ましきバスカヴィル、君が目を覚ますのを、僕らはずーっと待ってたんだ!」
菜の花色の声が弾ける。彼_バスカヴィルは、突如伸びてきた細腕に抱きしめられて、鋼色の目を白黒させた。
「ひやぁ…」
と幼い声をあげるバスカヴィルを、横から突き出された腕が、サッと取り上げてしまう。首根っこを掴まれ、ぷらんと手足を揺らす彼は、猫の子のようにおとなしい。
「もお、どうして取り上げちゃうんだよ。ヒースクリフのけち!」
真鍮色のみつあみを六本もはやした剣が、駄々をこねるように睨み上げる。
「いい加減にしろフランチェスカ。力自慢のお前と違い、バスカヴィルは折れやすい」
金属光沢の強い黒髪を揺らし、ヒースクリフと呼ばれた剣は金髪のフランチェスカを見下ろした。黒い瞳は常に怒っているかのようで、眉間に皺をよせた顔は、この世の終わりほど恐ろしい。
「やっと、奴らに勝てるかもしれない…その可能性を、お前は自ら潰すつもりか?」
ヒースクリフから放たれる、殺気にも似た重い怒りに、バスカヴィルは心底離してほしいと思う。フランチェスカもすっかり意気消沈して、降参とばかりに両手を上げた。
「…悪かったよ。僕は加減が下手だったね。いつも君といると忘れてしまうなぁ…」
「僕のせいにするな。お前がそうやって心を遠くに置いているうちは、また同じことを繰り返すぞ」
厳しさばかりが目立つヒースクリフの声に、フランチェスカの瞳が沈む。真鍮色のみつあみまでもが色褪せたかに思われた。
剣の化身である彼らが本当の意味で死ぬことはない。戦いや過失で毀れた肉体は、正しい手順で傷口にくっつければ元通りだ。それでも一定の間動けなくなることはあって、それが剣における概念的な死であった。
「…眠るまえのぼくはどんなだった?どんな最後だった?」
空気を読まないバスカヴィルの問いに、それでも答えたのはヒースクリフである。フランチェスカは完全に沈黙して、うつむいた顔すら上げない。
「500年前のことだ。銃と弓、そして僕ら剣の三つ巴の争いがあった。その中で、お前は誰より前線に身を置いていた」
「…そこで壊れたの?」
「話を最後まで聞け。戦には勝った。戦いの最後、銃が放った弾丸を弾き損ねたお前は、フランチェスカに庇われて、突き飛ばされた末に粉々になった。致命的にな」
「おぉ…それはそれは」
ちら、とバスカヴィルは目の動きだけでフランチェスカを見る。真鍮色の剣は陶器の肌を喉元まで赤らめて羞恥に耐えていた。そこへヒースクリフがとどめを刺す。
「滑稽なことだ。お前も、こいつもな」
「うわぁんもう許してぇ〜っ!いい加減に忘れてぇ…」
腕を組んで仁王立ちするヒースクリフ。そのスラリとした足にフランチェスカがすがりつく。壊れやすいバスカヴィルと違い、ヒースクリフの体は頑丈であるらしかった。
「なんか、だんだん思い出してきたよ。まだところどころ抜けてるけど。500年前か、遠いなぁ…」
「仕方がない。それだけの傷だったのだ。お前を土に埋めた時、僕はもう二度と起き出してこないと思ったぞ」
言って、ヒースクリフはぐるりとあたりを見回した。
開けた墓地には夥しい数の剣が、墓標の如く、地面に突き立てられている。どの剣にも名前が彫ってあり、その一つにバスカヴィルの知る名前があった。刻み込まれた文字列をなぞり、500年ぶりに彼は友の名を呼ぶ。
「ソーン…まだ目覚めてないんだ」
「覚えていたか。起き抜けは記憶の欠損が激しいのにな」
薄く平たいくろがねの刀身、柄に石の茨が絡みつくその剣は、ただ沈黙してそこにあった。土の下にかつての友が眠っている。そう聞いても、バスカヴィルにその実感はない。
「ソーンは、すごいやつだよ…ずっと憧れていた気がする」
バスカヴィルは瞼を閉じる。
遠い記憶の向こう、曇りきったレンズ越しに、赤毛の髪を編み上げた一人の剣の姿が映る。白い陶器の頬に散るそばかす。濃い睫毛の奥の赤い瞳が、いつも窮屈そうにこちらを睨んでいた。
「あいつ、ぼくのこと嫌いだったのかな」
「今気づいたのか?ソーンもつくづく報われないやつだな」
ヒースクリフは、バスカヴィルの感傷など気にも止めず、バッサリと言い切る。その足元にはまだ、フランチェスカがくっついたままであった。