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8.大豪高校のエース

 練習が終わって、大豪高校の選手たちは、クタクタに疲れた体で家路に向った。ひとりキャプテンの安井だけが、練習方法について、選手の意見を伝えるために部室にいる監督の元に向かった。

 神崎監督は練習が終わり、選手が皆帰った後は、いつも部室にいた。

 安井はノックをしてから「入れ」の監督の声を聞いて部屋ヘ入った。

 部室の窓は開けられていたが、それでも汗くさい臭いが鼻につく。

 神埼監督が来てから部室は見違えるように整理整頓されるようになったが、長年こびりついた臭いは消えない。

 監督は机に向かいノートに何かを書いていた。

 安井は緊張した面もちで監督のそばに近づいた。

「どうしたんだ。忘れ物か」

 ノートから安井に視線を移して監督は言った。

「いえ、今日はお話があります」

 直立不動の姿勢で安井は答える。

「言ってみろ」

「守備練習ばかりで、試合に勝てるんですか?」

 監督はしばし言葉を止めて、安田を見る。

「それはお前の質問か、それとも、選手全員の総意か」

 監督の声は練習の時と違い、いくぶん穏やかだ。

「皆の意見です」

 安井の言葉を聞いては、そうそう穏やかではいられない。

「今の大豪高校が勝てるとすれば、守り勝つしかない。それは俺の野球でもある」

 神崎監督はにこりともせず、チームの方針である守りの野球を語った。

「でも、みんなは、守備だけじゃなくて、打撃練習もしたいんです」

 二人の間にすきま風が吹いて、部室の窓ガラスがガタガタ鳴った。

 神崎監督は安井を睨みつけて言う。

「大豪のエースは誰だ?」

「……吉村です」

 安井が答えたが、微妙な間があいた。

「そうだ。吉村が大豪高校のエースだ。俺は東塔学園の桑原と遜色のない力を、吉村は秘めている思っている」

「東塔の桑原? でも吉村は‥‥」

 安井の言葉を打ち消すように、監督は敢然と言った。

「守ってやれ! 徹底的に守れ!」

 安井は怯む気持ちを奮い立たせた。

「ピッチャーだけで勝てると思いません。野球はそんなもんじゃないと思います」

「そんなもんじゃなければ、どんなもんなんじゃ。高校野球は好投手が一人いれば勝てるんだ。守りさえすれば勝てる」

「守備練習ばかりで、みんなはもう限界です」

「勝手に限界を決めるな! 言うことはそれだけか」

 監督の目には怒りの炎を見た安井は、頭を下げてこの場を立ち去りたかったが、これを言わなければと、逃げ出そうとする足をどうにか止めて早口で言った。

「練習が厳しすぎます」

 神崎監督は右手に持っていたボールペンをクルリと回す。

「俺はこれでも手加減しているつもりだ。もし吉村がいなければ、この倍は練習させている。東塔学園はこの十倍は練習をしている。この程度の練習で根を上げるなら、さっさと退部届けをもってこい」

 監督の気迫に押されては、安井は黙るしかない。

 言葉を無くした安井をみて、神崎監督は鬼の形相を少し和らげた。

「安井は甲子園に行きたくないのか?」

「行ければ行きたいです」

「馬鹿か。遊園地に行くんじゃねえよ! 誰が手を繋いで連れて行ってくれるんだ。お前らが掴み取らん限り誰も連れて行ってはくれんだろ」

 一転、鬼の形相となった神崎監督の表情は、少しの間をおいて再び静かになった。

「お前などは、俺から見ればラッキーな男なんだ。吉村ほどの投手と同じチームで野球ができる事を幸運だと思わんか? 甲子園に出場できるとしたら、吉村がいる今年が最初で最後のチャンスだ。この先、あんな投手が大豪高校に来る事など二度とねぇだろう」

 ポツリと言って、安井から目を離すと「さっさと帰って、体を休めろ」と言って、再びノートに目を落とした。

 安井は部室から出て、神崎監督が最後に言った言葉を反芻していた。

 吉村隼人が大豪高校に来た訳を詳しくは知らなかった。名門高校への勧誘も少なからずあったはずなのに。

 吉村の精神的な弱さが、名門野球部に二の足を踏ませたと聞いたことばある。確かに監督の言うように、吉村の投げる球を大豪高校のバッターでは打つことは難しい。吉村がいるこの夏が大豪高校にとって、本当にチャンスなのかもしれない。そんな気にもなるが、吉村の態度を思い返すと、監督の言った言葉が虚しく響くのだ。


 翌日、練習が始まる前に、安井は監督の言葉を選手に伝えたが、吉村は練習に参加していなかった。最近は練習に顔を出さない日が続いていた。

「吉村がいるこの夏が大豪にとっては最後のチャンスだ。守って守って守り抜け、そうしたら甲子園の道は開ける。監督はこう言った。吉村の為に守ってやれと」

 安井の言葉に他の選手は顔を見合わせた。

 吉村は練習にも顔を出さないじゃないか、口にはしないが皆の表情が物語っていた。

「吉村のために、野球をやってるんじゃないぜ」

「吉村びいきも、ここにいたれりか」

 各選手の思いは、複雑に入り乱れた。

 里村は黙って聞いていた。練習にこない吉村を、どうしたのだろうと心配し、もっと真剣に練習に取り組めば、もっと素晴らしい野球ができるのにと里村は思う。  





 夏の全国高等学校野球大会の予選までは時間は限られている。


 授業が終わり、安井は練習のために部室に向かった。

 部室のドアを開けようとしたとき、建物の横で空気を切る音が聞こえた。

 ビューン!ビューン!

 五,六人の野球部員が自発的にバットを振っていた。

 安井は近づくと声をかけた。

「授業は終わったのか」

「あまり眠いので、眠気覚ましに出てきた」

「バッティングは禁止されてるだろう」

「別に練習意外なら、いいんじゃないか」

 吉村の控えの投手である城戸が答えた。このところ吉村が練習にも出てこないので実質大豪高校のエースの立場だ。 

 安井も帰宅したら、どれほど疲れていようが、必ず家の庭で毎日バットを振った。

 バッティング練習をさせてもらえない不安な気持ちが、大豪高校の選手たちにバットを振らせていた。

(今年はせめて一回戦くらい勝ちたいな)

 安井は真剣にバットを振る部員の姿を見て、本当にそう思った。

 ユニフォームに着替えようと部室に戻りかけた安井の目に飛びこんできたのが、吉村隼人が駆け足で校庭を横切り、正門で待っていた人影と消えていく姿だった。

 勿論、安井はその人影が誰なのか知っていた。クラスメイトの飯田英子いいだえいこだ。

 吉村隼人はイケメンで謎めいたクールさが女子生徒に人気があった。

(監督が吉村、吉村と言っても、当の本人があれじゃ)

 安井はため息をついて、二つの影が校門から去るのを見ていた。

 吉村が練習に参加しないことを監督は何も言及しない。それが安井には面白くなかった。吉村、吉村と言うなら首に縄でもつけてでも練習に参加させたらどうだと腹の中では思っていた。

 

 吉村が練習に参加しなくても、神崎監督の元で厳しい練習は続けられた。

 吉村がいるから大豪高校は甲子園にいけるという監督の言葉が、空々しく聞こえるほど、吉村は練習に参加しなかった。安井が辛抱たまらず「吉村はどうしたのですか」と監督に聞いても「体調が万全ではない」と言うだけだ。

 体調が万全ではないのは、なにも吉村だけではないという思いを飲み込んで、大豪高校野球部員はこれまでに経験したことのない激しい練習を積んでいった。


 校庭が暗くなると野球部の練習が終わる。安井は帰り支度を済まして部室を出ると外で待っていた城戸に声をかけた。

「何か食べて帰ろうか」

「腹が減っては、なんとやら」

 城戸はそういいながら、着替えを終わって合流した白井と三人で歩き出した。

 帰り道にあるマクドナルドで腹ごしらえをしてから、家に帰ってさらに夕食を食べるのである。

 校門を出ようとした時、後を振り返ると小さな人影がみえた。

 里村がまだボールを投げていた。

「里村が、まだ練習しているぜ」

 城戸は言った

「受けているのは後輩の近沢か、練習の量は一流なんだがな、なんせ大豪にはエース城戸投手がいるから、里村には出番がないと」

 白井のおどけた表情は呆れ顔だ

「それをいうなら、大エース吉村がいる限り、里村の出番はない」

 城戸の言い方には幾分皮肉が込められていた。

 練習に出てこないし、強いチームが相手だと、肩が痛いといって登板を拒否する吉村に他の選手は共感を持つことができなくなっていた。力は認めても、力以上の親しみを持てなかったのだ。

「ちょっと見てくる」

 キャプテンの重責を担う安井は、そう言って走りだそうとしたが「ほっとけよ、腹が減って死にそうなんだ」

 白井の声に安井の足が止まった。

「試合に出られないのによくやるよな」

 白井は大きく欠伸あくびをしながら言って、後ろを振り返りつつ、三人は校門を出て行った。

 

 確かに白井の言うとおり、神崎監督の厳しい練習に反発することなく、里村は淡々と練習をこなしてきたが、高校の二年間、レギュラーになったこともなく、公式戦の出場は一度もない。

 少年野球をしていた頃のように、大向こうをうならす派手さは影を潜めてしまったが、里村は野球ができることで満足していた。


 すっかり暗くなりかけた校庭の隅にぼんやり電灯がともる場所がある。

 そこで里村保は後輩を相手に投球練習をしていた。

 次はカーブ、次はシュート。

 里村はひと言、ひと言つぶやきながら投げ続けた。

 次はストレート。

 精一杯のストレートは音もなく後輩のミットに納まった。

「里村先輩、ズシーンといいボールが来てますよ」

「もう止めようか、近沢も帰りたいだろう」

「全然、大丈夫。里村さんのボールを受けるのが、楽しくて」

 後輩の近沢は、ボールを里村に返した。

「じゃ、あと十球で終わりにしよう」

「分かりました」

 近沢は腰を下ろしミットを構え、里村保は胸を張った。

 振りかぶった左手はダイナミックに振り下ろされ、その指先からはじき出されたボールはバッターの外角を掠めて、両足を力いっぱい踏ん張った近沢のミットに吸い込まれた。

「先輩の球は、ドカーンとペルーの大砲なみですね」

 近沢の大声に苦笑いを返す里村保だった。

読んでいただいて有難うございます。

次回は里村保に悲しいことがおこります。

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