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4.魔人球

 里村保は地元の西山中学校に入学しても、当たり前のように野球に明け暮れた。何の因果か、野球部には同じ中学に進んだ木枯龍馬の名前もあった。

 中学生になった木枯龍馬は体も大きくなり、相当な練習を積んできているのが分かるほど日に焼けた顔は精悍で、ユニフォームに隠された筋肉は躍動し、全ての面で他の選手を圧倒していた。他の選手との連携もそつなくこなし、監督の思いも良好だった。

 一年生からレギュラーの投手として活躍したが、ただ、里村には遺恨があるのか冷たい態度で終始した。


 放課後の練習の時だった。

 西に傾いた太陽が雲を橙色に染めて、たくさんの長い影はひとかたまりとなって走っている中から、小さな影が一つはじき出された。

 運動場を野球部の仲間と走っていた里村保は、横にいた木枯龍馬の足が里村の足に引っかかり転んでしまったのだ。

 木枯龍馬は心配そうに里村保に近寄り「ドジでのろまなチビだな」

 心臓に突き刺さるような声とともに、目は冷たい光を放ち里村を睨みつけた。

 里村保はどんな時でも、唇を咬んで我慢した。

 好きな野球がやりたい一心だ。

 野球部の監督は一年生投手として木枯龍馬に一番の期待をかけた。

 中学生頃になると身体も大きくなり筋肉もつき、体力や持久力も格段に成長する。それは個人の差が歴然と現れることを意味していた。

 体格が秀でた木枯龍馬がエースになり、小柄で非力な里村保が目立たなくなったのは、仕方のないことだった。

 里村保は決して下手ではない。ただ、野球部の監督の目には、里村が投手として適任だと映らなかったのだ。

 中学三年間、里村保は全ての面において木枯龍馬にとって変わることは出来なかった。

 誰の目にも、その差は歴然とあった。

 見える部分で華麗に振舞う木枯龍馬と、見えない部分で試行錯誤を繰り返していた里村とでは、比べるべきも無かった。

 木枯龍馬が里村保に負けてなるか! とライバル心をむき出して力をつけた。

 対照的に中学生になった頃から、里村保の弱点が表に徐々に現れつつあった。

 練習量こそ誰にも負けなかったが、頭で描いた事柄を身体で表現するには、まだまだ成長過程に過ぎなかったのか、里村の思いとはかけ離れた現実が、垣間見えた中学の三年間だった。


 里村保は少年野球のヒーローだった。

 中学生になったら誰もが驚くような選手になって、強豪高校から熱い視線を浴びていなければならない。

 ところが天の配剤は、そうはならなかった。

 里村はいくら練習しても、成長しない自分に気がついた。

 速いボールが投げられない。

「いくら練習しても、なぜ木枯のように速い球が投げられないの」

 と父親に問う。

 父は、しばらく考えてから答えた。

「野球がきらいになったか?」

「野球は好きだよ」

 保は言った。しかし、好きなだけで野球を続けて行くことができないほど、保の心が砕けつつある事実がそこにあった。

「良かった、お父さんは保が野球が嫌いになったのかと思ったよ」

 父も保の弱点に気づいていた。

「僕は甲子園で投げたいんだ。誰もが驚くようなストレートで三振をとるんだ!」

 保はうれしそうに言う。

「諦めるな。練習を続けさえすれば、きっと甲子園のマウンドに立てるさ」

 幸次郎は保の弱点が分かりかけた時、それは新たなスタートだと思った。

「打ってはさよならホームラン!」

 嬉しそうに言う保の言葉に頷きながら、幸次郎はその肩をポンと叩いた。

「大丈夫! ユウキャンドウイット。保ならできるさ」

 ただの親馬鹿ではない。

 幸次郎は素直な気持ちで練習に励み続ける保を信じていたのだ。

「大丈夫! 保なら」

 父にそういわれる度に、仕事で疲れている体を励まし、労わることもせずに練習に付き合ってくれる父に向かってニッコリ笑った。

 

 里村は三年生になっても、補欠選手の一人だった。

 練習終了後、木枯龍馬は後輩のレギュラー選手を引き連れて、ホームベース付近で荷物を片付けている里村に近づいてきた。

「お前はなんで野球を続けているんだ?」

 木枯龍馬が補欠投手のまま終わろうとする里村にいった。

「なぜって……野球がしたいからだよ」

 里村の答えは明解だ。

「小さい頃のお前は少年野球のヒーローだったよな。俺は誰にも負けないと思っていたのに、手加減して投げたボールをおまえに打たれて、俺は悔しくて仕方がなかった」

 里村保にとって、今、いちばん触れて欲しくない話だった。

 悔しくて仕方がないといいながら、木枯龍馬の勝ち誇った顔と、後輩でありながら同じ目線で見下ろすチームメートの姿を、里村は正視できなかった。

「だが今はどうだ? 俺はこのチームのエースになった。名門の東塔学園からも誘われている。だが、お前は所詮、商店街のガイドがお似合いの選手だったということか?」

 里村保は黙って聞いていた。情けないことに、それが一番だと知っていた。

「左に見えますのが、蠅が止まるようなボールを投げる里村でございます」

 木枯龍馬がバスガイドを真似て笑うと、後ろに従う後輩も同じように笑った。


「多々たたら! キャッチャーをしろ!」

 木枯龍馬はそう言って近くにあったミットを後輩の多々良に渡した。

 ミットを受け取った多々良はホームベースまで走り、木枯龍馬はマウンドに立つと多々良に向かって投球を開始した。

「里村! 練習に付き合ってくれよ」

 もう練習は終わったのに木枯は何を考えているのだろうと、里村は思った。

「俺と勝負しよう。いや、実戦練習だよ」

 木枯は真顔でいう。

 里村は後輩がバットを持ってきたので、仕方なくバットを受け取り、左バッターボックスに入った。

「俺は気がついたんだ。お前から三振を取らないと前へ進めないってことに、汚点を残したまま東塔学園へ行けないんだよ」

 里村は木枯龍馬の球を、実戦はもちろん練習の時も打ったことは無かった。

 今、木枯龍馬の球を打てるだろうか。

 里村のバットを握る手に力がはいる。

 木枯龍馬が振りかぶり、オーバーハンドから放たれたボールは、ホームベースの一角を過ぎり小気味いい音をたてた。

 速い!

 後に魔人球と恐れられる片鱗を感じさせる剛速球だ。

 二球目も目にも止まらぬ球が里村の胸元を掠めていった。驚いて体を後ろに反らしてボールを避けた。

 ストライクが一つ、ボールが一つ。

 木枯龍馬の目が炎と燃えた。大きく腕を上げ胸を反らせた時、炎は木枯龍馬の身体を覆っていた。右腕が振り下ろされると、白い球は真っ赤な火花を撒き散らし、唸りをあげて里村の頭部をめがけて飛んでくる。

 息を呑む間もなかった。

 炎と化した剛速球が里村の頭に激突した。仰け反る里村の身体は半回転するように後ろに倒れた。

 ボールは大きく跳ねていた。咄嗟とっさに里村は何をしたのか分からなかった。気がついたらボールがコロコロと木枯龍馬の所に転がって行くのが見えただけだ。

 里村は木枯龍馬の球が頭に当たる寸前に、ボールに夢中でバットを当てていたのだ。

 キャッチャーをしていた多々良が心配そうに声をかけると、里村は「大丈夫」と言って、ゆっくり起き上がった。

「手が滑った」

 マウンドに転がってきたボールを拾うと、木枯龍馬は手にしていたグラブとボールをマウンドの上に放り投げた。

「実戦練習は止めだ! このグラブもボールも片付けろ。お前にお似合いの仕事だ。ははは」

 木枯と仲間の笑い声が里村のこめかみを刺激した。

 傑出した力を持ち、高校野球の名門である東塔学園が誘われている事実は、木枯龍馬に無形の重みを与えていた。その頃の西山中学野球部では、木枯龍馬に逆らえる人間はいなかった。

 それは里村の憧れだった甲子園のヒーローに、木枯龍馬が近づいたことを意味していた。

 野球部の監督もそれが自慢らしく、他のクラブの先生をつかまえては自慢話に花を咲かせる。

 それほどの力を木枯龍馬は持っていたということだ。

 

 中学三年の時、近くの東山中学校と練習試合があった。

 西山中学は相手のグランドまで遠征して試合にのぞんだ。そして、この試合が里村にとって忘れられない試合の一つになり、かけがえのない出会いをもたらすことになった。


「木枯!」

 監督は試合前に木枯龍馬を呼んだ。

「このチームには伊達武蔵だてむさしという世界レベルの選手がいる」

「知っています。世界選抜の4番バッターです」

「無理して勝負するな。あとの選手はノーマークでいい。そこさえ間違わなければ勝てる」


 ところが試合前に交換した東山中学校のメンバー表から伊達武蔵の名前が抜けていた。

「伊達が、木枯から逃げたのか」

 監督は相手のベンチの方を見た。

 伊達は軽くバットを振っていた。中学生とは思えない堂々たる偉丈夫だ。遠くから見ても底知れない力を感じさせた。

 監督は挨拶を兼ねて、東山中学校ベンチにゆっくり歩いて行った。

「はじめまして、西山中学野球部の……」

 監督が日焼けした顔をほころばせて、自己紹介をした。

「お手柔らかに願いますぞ……なんせ東塔学園にスカウトされたと噂の木枯龍馬君のいる西山中学だ」

 東山中学の監督は、濃い目のサングラスをかけた髭面の男だった。

 名は大同寺崋山だいどうじかざん

 年齢は不詳であった。

 本人曰く。昔は華やかなプロ野球の投手だったらしい。

「伊達君の名前がないですが、どこか体調が悪いとか……」

「ご心配、恐れ入ります。ああ見えても結構、怠ける奴でして、どうも、今日は腹の具合が悪いらしいですわ」

 大同寺監督はサングラス越しに涼しい顔で笑っていた。

「それは残念です。木枯と対戦をさせてみたかったですな」

「とても、とても、木枯君の球はどこの中学生でも、打てやしません。世界選抜前に伊達に自身喪失させては、かなわん」

「何をおっしゃる。力を借りるのはこちらのほうです」

「あいつは浅知恵を働かす奴でして腹痛も、その辺を考えての事かもしれんワイ。わしも試合前に目を見られるのが嫌で、サングラスをかけたままで失礼してますが……」

 大同寺監督は髭面の顔をほころばせ、手の中のクルミをグリグリと転がした。

 思案中の癖である。

 伊達には、こう言った。

(西山中学の木枯はバッターの殺す球を投げる! 下手な中学生では打てん。ここは一休みだ)

 当然、伊達は不満だったが監督が言うことなので「はい!」と二つ返事をしただけだった。

 大同寺崋山監督にはちがう思惑があった。

 西山中学に木枯有りとの噂を聞いてから、何度も木枯龍馬の球を見てきた。確かに恐いような速い球を投げる。虫すら寄り付かない剛速球だ。

 野球は投げて、打って、走って、守る。それが基本だ。そこに少しのスパイスを効かせながら、個々の力と技を競っている。

 そこに無造作にレベルを逸脱した少年が紛れ込んできた。それも想像を絶する執念と怨念が入り混じり、木枯のボールは恐しい魔界の風となって向かってくる。例え、魔界の冷気をともなってきたとしても、伊達なら、打ち返すだろう。

 野球は個々の力引き出し、チーム全員で勝利するものだ。力に頼って一人の少年がモンスターを倒す話ではない。

 伊達武蔵に、そんな野球をさせたくなかった。


 伊達は逃げた。

 西山中学の監督が木枯龍馬に囁いた言葉には、相当効力があったのか、相手を睨みつけて投げる剛速球が唸りをあげる。

 かすりもしない。バットを振る気力さえなくすほどのストレートの速さだ。

 三振の山を築き、五回まで一本もヒットを打たれない。

 0対0が続いた。

 大同寺監督が動いたのは六回の攻撃の時だった。

「木枯龍馬のボールは魔界をさまよう球だ。何一つ寄せ付けようとしない魔人球まじんきゅうだ」

 大同寺崋山監督が髭を震わせ立ち上がって、ニヤケながら独り言のように呟いた。

「魔人球とは……我ながら見事な命名じゃ」

 一転、声を張り上げた。

「バッター交代」

 先頭バッターに代打を告げた。

「くそったれ魔人を打って来い」

 尻を叩かれた代打は、一見、はかない少女のように見えた。

 肩まで伸びた長い髪を風にまかせて編みこんだ、少女のような細い少年だった。

 左手の黒いバットは剣のように木枯龍馬に向けられた。

 バッターボックスの砂を足でならすと、バットを上に持ちあげ木枯龍馬を見つめた。

 漂う不気味な空気にマウンドの木枯龍馬も、さすがに緊張感が走った。

 突然の風がバッターの髪をもてあそぶ。

 バックネットの上に止まっていたカラスが、一斉に飛び立った。

 木枯龍馬の腕に力がこもる。

 唇を噛み、青く浮き出た血管が一瞬に消えた。

 その手から投ぜられたボールは、グランドに砂埃をまき散らしながら、地響き立ててキャッチャーミットに吸い込まれていた。

 絹のような少年はピクリとも動かない。

 これから始まるセレモニーをじっくり楽しもうとしているかのように。

 その顔には微笑みさえ浮んでいた。

 その顔を隠すかのように黒髪が風にそよいだ。

読んでいただいた有難うございます。

魔人球とは大層な名前ですが、単に虫も止まらぬ剛速球で魔球でも何でもありません。

次回は伊達武蔵が登場します。

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