3,遥かなる轟キッドスターズ
伝説の草野球場で行われる熊の木ベアーズ対轟キッドスターズの練習試合に熊の木ベアーズの選手として里村保の姿があった。
先発投手の重責を担い、四番木枯の前の三番を任された。
対戦相手の轟キッドスターズは神童と噂の高い桑原学が所属する。町の少年野球チームと違い、高いレベルの目標を掲げ、厳しい練習を潜り抜けてきている全日本レベルのチームだ。
真新しいユニフォームを着込み、ポンポンを振る小学生のチアガールさえも引き連れている。
選手の父兄たちは真剣なまなざしで息子たちの姿を追っていた。その全てに尋常ではない気合がこもっている。
軽い気持ちで出かけた里村だったが、球場に来てみると、今までに感じたことのない雰囲気に父親とともに目を白黒させた。
熊の木ベアーズは地元では強豪チームだが、轟キッドスターズのスケールには手も足も出ないのではないかと思えるほどであった。守備練習のためにグランドに散った選手たちの動きは無駄がなく、流れるようなプレーとスピードある動きに、ただ関心のため息しか出ない。
熊の木ベアーズの選手たちは轟キッドスターズに、試合が始まる前から完全に飲み込まれてしまっていた。
木枯龍馬は落ち着いた様子でキャッチボールをしていた。
里村保も一瞬、球場の雰囲気に戸惑いはしたものの、時間の経過とともに、試合に向けての緊張感が高まってくるのがわかった。
少年野球に、それほど大きな差はあるとは思えない。
里村保は内心自信があった。
自信を持ってもいいほど、毎日毎日、猛練習を積み重ねてきたからだ。
(僕は負けない。桑原にも、木枯にも……)
里村保は口では言わないが、ボールを持つ左手が静かに語りかけてくる。
ベアーズの選手が練習のためにグラウンドに姿を現すと、里村のユニフォームだけが真っ白だった。当然、里村は熊の木ベアーズのユニフォームを用意されるものと思っていた。
「君に合う小さいサイズのユニフォームが無くてね」
木枯監督の一言で里村はチーム名の入っていない、真っ白なユニフォームを着ることになった。
「せめてユニフォームくらい揃えてこいよ」
轟キッドスターズの応援団から声が飛ぶ。
「ユニフォームが野球をするのか」
熊の木ベアーズの数少ないファンが応じる。
里村は厭だなとは思ったが、気にしてもしようがないので、黙々とピッチングに集中した。
大柄な選手の多い中で、里村はひときわ小柄に見えた。
「あんな小さいのか投げるのか、ボールの方が大きいんじゃないか」
轟キッドスターズの応援席から、嘲笑ともとれる笑い声が聞こえてきた。
里村は小さな体をいっぱいに使って、大きく振りかぶって投げる様は本格的で、逆にそれが滑稽に映ったのか笑い声が波となって長く続いた。
桑原学はそんな応援席に向かって厳しい目とヤジを止めるように声をかけた。
効果はすぐに現れ、笑い声は潮が引くように聞こえなくなった。
里村の父は保のピッチングを見ながらも、桑原学の行動に敵ながら天晴れな武士よと感心を通り越して感動すらしていた。それでも保が轟キッドスターズ相手にどこまで通用するか、父は秘かに期待をもって見ていたのだ。
ウォーミングアップをしている里村のところに、木枯龍之介が木枯龍馬を連れてきた。
「もう知っていると思うけど、熊の木ベアーズのピッチャーの木枯龍馬。小学四年生。私の息子だよ」
監督の横には、僕は君の敵だよといわんばかりに、ニコリともしない木枯龍馬が立っていた。
「僕は里村保と言います。四年生です」
里村保は笑顔で答えたが、木枯龍馬はさらに表情をこわばらせていた。
「里村君、こんな貴重な経験は、なかなかできないから5回まで投げてもらうよ。龍馬は最後の1イニングを投げさせる」
「はい。分かりました。頑張ります」
里村は素直な気持ちで答えた。監督が何を考えているかなど、分かるはずもないし、分かったところで投げたい気持ちに変わりはない。抑えようが打たれようが、里村は父と繰り返してきた練習の成果を出すだけだと思っていた。
里村保は木枯龍馬を向いて、右手を差し出した。
「がんばろう」
木枯監督の横で、終始冷たい目を保に向けたまま、木枯龍馬は鼻で笑い手を差し出している里村を置いて、無視を決め込むと人なきがごとく立ち去った。
「……」
里村保はさすがに呆然として、監督に視線を移した。
「気にしないで、人になつかなくて」
木枯監督は、不遜な態度をとった木枯龍馬を諭すことなく、なかばそれが当たりまえだと、斜めの笑顔を浮かべて後を追うように去って行った。
里村の父ならきっと、大声で叱っただろう。
人の行いの大切さを、野球を通して知ることを根底といるからだ。
里村は気分が悪くなりかけたが、目の前の轟キッドスターズの颯爽とした練習ぶりに、すぐに気分も晴れていった。
小学校の高学年の鍛えられている少年達の動きは、里村保の想像の域を超えてところに存在していた。
保の父も唖然として轟キッドスターズの練習に目を奪われ、内心全ての面でスケールが違うと思わずにはいられなかった。
保の力が、どこまで通じるだろうか?
地元の子供たちを相手の里村保は大いに目立ったが、全日本レベルの轟キッドスターズを相手にして力を発揮できるか、秘かな期待は不安な気持ちへと変化していく。
ひときわ目立つのが桑原産業のひとり息子、轟キッドスターズのエース桑原学だ。
桑原学は四年生でありながら六年生にまじっても見劣りしない体格で、小学生では打つのは難しいといわれる速い球を投げた。
無駄のないフォームから、はじき出されるストレートと鋭い変化球は小学四年生とは思えない威力があった。
試合開始の号令がかかり、選手はホームベースに集合して、挨拶を終えると試合が開始された。
試合は熊の木ベアーズの先行で始まり、桑原学のボールを熊の木ベアーズの選手たちが打てず、一回の表は一番から三番まで三者連続三振と、桑原学の独壇場となった。
一回の裏の轟キッドスターズの攻撃が開始された。
里村保も一番バッターを三振に仕留めると二番バッターを内野フライに打ち取り上場のスタートを切った。観戦している父の幸次郎も丁寧に投げる保に大きな声で声援を送った。ところが三番バッターが打ったファーストゴロを一塁手の木枯が大きく後ろに反らしてボールが転がっている内にランナーは一気に三塁へ進塁した。続く三塁前のゆるいゴロを三塁手が好捕して、矢のような玉を一塁へ投げたが間一髪セーフとなり、一点を与えてしまった。
緊張感はベアーズの選手の足を引っ張り、いつもの力を発揮出来ない。
里村は根気よく投げたがバックのミスやキッドスターズの鋭いスイングの餌食となり、リズムがつかめないまま、試合は大敗に終わった。
里村保が想像していたとおり、轟キッドスターズは鍛えられていたのだ。
里村は試合が終われば必ず歓喜の輪の中心にいた。ところが今日はその位置を桑原に奪われ、さすがに全身から力が抜けた。味方のエラーがあったとしても、里村の球は完璧に弾き返され、桑原のストレートに保のバットは空をきった。
まさに大敗。
江戸の敵を長崎で討つ結果となった木枯龍馬がそんな里村を睨みつけて、口元に嘲りの笑みを浮かべる。
監督の木枯龍之介も里村に負けた前の試合がよほど悔しかったのか、轟キッドスターズとの試合が大敗におわったにもかかわらず、まるで勝利したように息子の背中をポーンと叩いた。
妙な因縁といえば、それまでだ。
桑原、木枯、里村の三人の父は奇しくも同じ大学の同期の投手だった。
花の三本柱と呼ばれていた。
中でも桑原学の父、桑原幸之助がエースとして一目置かれる存在だった。ところが最終の学年の年になって、突然、野球部の退部を決めた。
体調の不良がその理由だ。
エース桑原幸之助がいなくなって、その後を里村幸次郎と木枯龍之介の二人が争うことになる。力的には里村が後を継ぐだろうと思われていたが、なぜか木枯がエースの称号を継ぎ、里村は二度とマウンドに立つ事がなかった。それ以後、二人は親しげに会話をすることもなく、卒業後は顔を会わすこともなかった。
木枯龍之介と里村保の父との確執が、その意味すら分からないうちに息子たちに引き継がれようとしていた。
迷い込んだら最後、二度と戻れないバーミューダートライアングルの闇の中をさまよっているかのようだ。
試合が終わり荷物を片付けをしていた里村保のところに、轟キッドスターズの桑原学が走ってきて、直立不動の姿勢で声をかけた。
「ナイスピッチング! 僕は桑原学、四年生だよ」
長身の桑原学の笑顔を見上げる里村保は、皮肉に聞こえる言葉を正面から受け取ることが出来なかった。しかし、その言葉に嘘はなかった。その証拠に桑原の右手が前に差し出された。
桑原はどんな状況になっても、最善のボールを投げようとする里村の姿の中に、投手として力だけではないものを感じて取っていたのだ。
里村保は小学生にもかかわらず大応援団を引き連れた桑原学を眩しく見上げながら「僕は里村保。今日はありがとう」と一言だけ返し握手をすると、その場を足早に走り去った。
里村保は悔しかった。
負けたことではない。打たれたことでもない。
桑原学と握手した時、その目を見ることすら出来ずに、逃げるように走り去った自分の気持ちの弱さが悔しかった。
この日が里村と桑原が出会った最初であった。そして二度目の出会いが高校生最後の夏の地方予選だった。
桑原学は東塔学園のエースとして、里村の前に堂々とその勇士を現すことになる。
桑原は近くにいた木枯龍馬をチラッと見たが、木枯が素知らぬ振りなので、何も無かったかのようにゆっくり歩き去った。
この二人の光景を視線の隅に捕らえ続けていた木枯龍馬の里村保に抱き続ける嫌悪は、さらに増大して行く。
読んでいただいて有難うございます。
次回は里村保の中学時代に話しが進みます。