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15.メンバー発表

 夏の大会の予選が始まる一週間前にベンチ入りのメンバーが発表される。

 神崎監督を中心にバックネット前に選手が集まった。

 大豪高校の野球部、総勢が28人。女子マネージャーが2人である。

「ベンチに入れる人数は18人だ! 背番号1番、吉村隼人、2番、田代正雄」

 神崎監督は背番号順に名前が読み上げた。レギュラは、ほぼ固定されていたので別に驚きはなかった。

「9番、福島正行」

 ここまでは大豪高校野球部の不動のメンバーだ。

「10番、灰谷一」

 1年生ながら期待の投手、灰谷一が背番号10番を得て、ベンチ入りのメンバーに入り、微かなどよめきが起こった。

 神崎監督の名前を慕って大豪高校へ進学した変り種で、中学当時は相当、名前を売った選手だったと見えて、自信満々の態度は頼もしく映った。

 里村は別に驚きはしなかった。ベンチ入りに値するだけの球を投げていたからである。


「17番、町田博」

 監督の口から里村の名前は、まだ出ない。

 吉村は曇った目を、里村に向けた。

 里村は仕方がないとばかり表情を変えずに監督の声を聞いていた。

 いつも、そうなのだからと。

 片山緑も両手を胸の前で合わせて、お祈りするようにうつむいていた。

「18番」

 神崎監督の目は一通り選手の顔を眺めて、里村のところで止まった。

「里村保」

 うつむいていた片山緑は輝く笑顔を背番号18番に向けた。

「はい」

 里村の大きな声とともに、かすかな驚きが漏れ拍手が起こった。

 メンバーを読み終わると、神崎監督は選手を鼓舞するために決意を語った。

「地方予選は20名がベンチに入ることができる。甲子園は18名だ。2人が甲子園に行けないことになる。俺はベンチに入った全員を甲子園に連れて行きたい。不利でも、あえて18名で戦う」

 出場選手の中に里村保の名前があった。

 一部には里村がメンバー入りしたことを意外と思う選手もいた。

 実績のない里村よりも1年生、2年生の中の素質のある選手に経験を積ませた方がいいのではないか思う気持ちの表れが、驚きの声として漏れた。

 三年生の最後の甲子園。

 神崎監督の温情だと納得して、驚きの声以上の拍手が期せずして起こった。

 ただの温情だけではなく、里村保の練習熱心と野球にかける直向さが、神崎監督の気持ちを動かしたことを選手の誰もが知っていた。

 

 メンバー発表の後、練習時間前に吉村は里村をバックネット裏に呼んだ。

「よかったな」

「ありがとう」

 一年生の灰谷が神崎監督を驚かす力強い球を投げていたから、里村は予選のベンチ入りを半ば諦めかけていた。だから余計に嬉しかった。

 

「お前がメンバーに入ったから言うんじゃない。本当に野球が好きだから言うんだ」

 吉村の真剣な表情に、里村の目も見開いた。

「監督以外、まだ誰にも言っていない。俺は右肩を痛めている。ドクターストップがかかっているんだ。予選で投げられないと言ったのは、そのためだよ」

「少し前、病院から出てくる吉村を見たから、気にはなってたんだけど」

 里村は練習が終わった帰り道、偶然、整形外科病院から出てくる吉村を見かけていた。

「野球部の皆はどうか知らないけど、里村は信じてくれるだろう」

 それだけの言葉を残して吉村は歩き出した。二、三歩進んで、何か言おうとして振り返った吉村に、里村はぽつんと言った。

「この前、言っていた、クローザの話は駄目になったな」

 本当にお前は馬鹿正直な奴だなと言わんばかりに、吉村は帽子に手をやりニヤリと笑った。

「お前が投げて勝っていたら、最後は俺がクローザーだ。そのことは嘘じゃない。その時は腕が千切れても投げてやるから」

「有難う、吉村」

「そんなことは、天地ひっくり返ってもないだろうけど」

 去ってゆく吉村の笑顔が、里村には頼もしく見え、儚くも映った。



 片山緑は試合のある前日、夜を徹して部員のためのお守りや折り鶴を折っていた。

 部屋の窓にはたくさんの照る照る坊主がぶら下がっていた。神崎監督に似たものもあれば、里村に似たものもあった。

 部員のためというより里村のためだった。

 最後の夏に初めて出場する里村に、思い出の場所を作ってくださいと祈りながら、ふと気が付くと窓から明るい光が差し込んでいた。



 里村保はその夜、父の遺影の前で手を合わせた。

「お父さん、明日は僕の投げる球を見ていてね。お父さんが驚くようなボールで、バッタバッタと三振を捕るから……打ってはさよならホームランをかっ飛ばすよ。天にも届けってね」

「ボールを、天国にいるお父さんが捕ったりして」

 後ろに立っていた妹の智子が、からかい気味に言った。

「何、欲張ったことを言ってるの。一球でいいから投げたいのでしょう。その気持ちを忘れちゃ駄目よ」

 母も智子の後ろで、仏壇の遺影を見ていた。

 言葉とはちがい、目には涙が光っていた。

 仏壇には普段見慣れない白い花が、はみ出すほど飾ってあった。

「さすが母さん、白い花は白星の意味だろう」

 保の声が弾んだ。

「その花はね、今日のお昼頃だったかしら、お父さんの大学時代の友人だった女の人が来て置いていったのよ」

「なんだ。お母さんの思いつきじゃないんだ」

「その女の人は、お父さんが死んだのを知らなかったって」

「大学時代の恋人……だったりしたら、お母さんショック!」

 智子は後ろの母を見上げて笑った。

 母が智子の頭に軽くげんこつをする振りをした。

「ずいぶん長い時間、その前で泣いていたみたいよ」

「意味深……」

 智子の頭に、げんこつが振り下ろされた。

「カサブランカって花らしいわ……」

 


 どんよりとした曇り空、微かに霧雨が流れていた。

「保! ちゃんとお父さんに挨拶した」

 高校野球の地方予選一回戦の朝、里村保の母は大声で叫んだ。

「大丈夫!」

 里村はチラッと奥の部屋の仏壇を見て軽く手をあわせた。

「白い花は、気持ちがいい……幸運を呼んでくれそうな気がする」

 大きなスポーツバッグを肩にかけると、自転車にまたがって「行って来ます」と大きな声で出て行った。

「お母さんも後で見に行くからね」

 その声は里村保に届いたのか自転車の上で手を振ると「私も行くからね」と三歳下の妹の智子が大声で叫ぶと、やっぱり保は自転車の上で大きく手を振った


 途中で大豪高校野球部のネームが入ったスポーツバッグを持って女子マネージャーの片山緑が歩いているのを見つけると、里村は自転車から降りた。

「昨日、徹夜で必勝祈願の鶴を折ったのよ。それと里村君には特別のお守りも作った」

「特別のお守りって」

 片山緑は制服の胸ポケットから花柄の紙包みを取り出した。

「十の十乗、里村投手を応援する折り鶴お守りよ。どうかマウンドに立てますように」

 そういいながら手を里村の前に出した。

「貰っていいのか」

「そのために作ったんだから、しっかり投げてもらわないと」

「ありがとう。グラブの内側に貼りつけとくよ」

「それがいいわ。運が逃げないように、しっかりつけておいて」

「お守りは嬉しいけど、寝てなくて、身体大丈夫か?」

「平気、平気。今日の試合は楽しみにしてるんだから」

 そういいながら、一瞬よろける仕草をした片山緑は、にっこり笑って舌を出した。

「なら、いいけど。顔色がよくないから無理すんなよ」

 里村の優しい言葉に、片山緑の心はほろりと傾いた。


 二人はしばらく並んで歩いていたが、通り過ぎる自転車から声が掛かった。

「野球部か? 今日は東塔との試合だろ、恥ずかしい試合はやめてくれよな。肩身が狭くて道歩けなくなるからさ」

 同じ大豪高校の生徒だ。

 対戦相手が東塔学園と決まってから、にわかに外野が喧しく。

「きょうはサッカー部が試合するので応援団は全員そっちのほうに行くって言うじゃない。冗談じゃないわ。野球の応援にはほとんどこないらしいわ」

 片山緑はあきれたように口をとがらせた。

「そうなのか、サッカーは強いから学校も力を入れてるし」

「野球部は万年一回戦敗退‥‥だもんね」

 その時ショートを守る近藤と神崎監督の地獄練習のおかげで、少々スマートになったサード中西が、それでも丸い顔を膨らまして里村の背中を叩いた。

「よぉ! 色男」

「おはよう!」

 片山緑が挨拶すると、中西が里村の顔を見ながらオーバーに言った。

「里村! 野球は下手くそなのに‥‥」

「女を捕まえるのは上手い」

 近藤が続けた。試合では滅多に見られない見事な連携プレイだ。

「たまたま会ったんだよ」

 里村はそう言うと、自転車にまたがり、すぐに走り去っていった。

「逃げるなよ。里村!」

 近藤は背伸びしながら、自転車で走り去る里村を目で追う。

「何でそんな事言うの。里村君は決して下手じゃないわ」

 片山緑が中西に向かって言った。

「へー片山さんって、いつから里村の彼女になったんだ」

「そんなんじゃないって、今年は何とか勝ちたいねって話してただけ」

「まさか里村、東塔学園に勝つつもりじゃ」

「守り負けないようにやるって、同じ高校生だし……って言ってたわ」

「神崎病だ! 今、大豪高校野球部にひそかに流行している不治の病だ!」

 近藤は意味なくわめいた。

「同じ高校生でも、向こうはプロ級だけど、こっちは素人に毛の生えた高校生……」

 中西が呆れ顔を振りながら、横の近藤を見た。

「確かに!……毛の生えた高校生ではある。あら、恐ろしや神崎病!」

 近藤は自分の下半身を見つめながら声を潜めて片山緑を見た。

「……」片山緑は無言だ。

 その時、同じマネージャの田中好美が通りかかった。

 片山緑はそのまま田中好美と話をつづけ、近藤と中西の相手は田中好美が軽く受け流していた。



「じゃーね。頑張ろうね」

 学校に着いて、二人は近藤と中西と別れると、野球部の部室に向かった。

 部室の前に着いた時、片山緑は疲れた様子で、その場に座り込んだ。

「どうしたの緑? 大丈夫?」

 田中好美が片山緑の身体に手を置くと、手に驚くほどの高熱が伝わってきた。

「緑……すごい熱よ。保健室へ行こう」

 田中好美は片山緑を保健室まで連れて行き、自分はそれを報告するために神崎監督のもとに急いだ。

 結局、片山緑はそのまま病院に入院することになり、試合に同行することは出来なかった。

 

 里村はそれを聞いて残念に思ったが、大事がないことを心から願った。


 県立大豪高校に自前のバスはない。

 目的の球場までは公営バスで移動する。


 総勢30名近い大所帯。

 バスを乗り継いで、球場に到着した大豪高校野球部の選手たちは、その横を報道陣を引き連れて通り過ぎてゆく東塔学園のバスを見送りながら、次第に戦意が失われていくのを感じた。

 試合のある緑地公園野球場周辺は、優勝候補筆頭の快速の貴公子、桑原学の東塔学園のお目見えで、早朝から大騒ぎだった。


 球場のコンコースは照明が灯っていても薄暗い。

 神崎監督はそんな一角に選手を集めた。

 手には一枚の紙がある。

 先発メンバーの発表だ。


「投手……木戸隆」

 神崎監督が、一呼吸おいて言った言葉の後に、一瞬、冷気を含んだ沈黙があった。

 チームのエースは150キロの速球を投げる吉村隼人である。

 木戸隆は二番手投手だが力の差は歴然としてあった。

「吉村は肩の故障のため、今回は先発から外す」

 神崎監督は他の選手に動揺をおこさせないように淡々と言った。

 それは試合開始一時間ほど前のことであった。


 先発メンバーの読みあげが終わって、しばらく時間が経過した。

 着替え室でユニホームに着替えた捕手の田代が、近くにいた吉村に近づいた。

 そして、いきなり吉村の胸倉を掴んだ。

「最後の夏だろう! いいのか! 吉村!」

 吉村は田代の気迫に押され言葉が出ない。

 田代は掴んだ手に力を入れた。それを見たキャプテンの安田が二人の間に割って入った。

「やめろ田代!」

 それでも田代は鬼の形相で問い詰める。

「こそこそ逃げるな! 力いっぱい投げてみろ。お前の力を東塔の連中に見せてやれよ。ピッチャーは桑原だけじゃないって事を教えてやれよ!」

 吉村が投げないのは肩の痛みじゃなく、気持ちの問題だと思っていた。

 安井をはねのけた田代の肩が小刻みに震えていた。

 コンクリートの壁に吉村の背中がついた。

 田代はなおも吉村を押した。二人の周りにいた選手は安田が止めに入ったのを合図に、二人の間に割って入った。

 力を込めた田代の右手が誰かに手で払いのけられると、右手は目標を失って、コンクリートの壁を力任せに打ちつけていた。

 嫌な音がした。

 田代は安井や中西に前をふさがれた。

 

 吉村隼人は憮然とした表情で一言も発せず、静かに球場の奥に消えていった。

 里村は立ち去る吉村の後ろ姿を、複雑な思いで見つめていた。

 吉村は本当に肩を痛めているんだと、皆に向かって叫びたかった。

 里村の口が開かなかったのは、この場合、言っても決して信じて貰えない空気が充満していたからだ。

 冷めた雰囲気の中、里村も他の部員もユニフォームに着替えを済ませて、球場入口近くの集合場所に集まりはじめた。

読んでいただき有難うございます。

次回は悩む吉村隼人が甲子園を目指します。

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