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13.一回戦は東塔学園

 夏の大会の予選抽選会でキャプテンの安井は県内で一番の強豪、東塔学園を引き当てた。


 部室でそれを聞いた山本がため息交じりに言った。

「終わったな」

「短い夏だった」

 白井も答えた。

「何か俺たち悪いことでもしたか」城戸が言うと、「天はわれを見放した」白井がオーバーに叫んだ。

「吉村はどうした?」

 山本があたりうかがう。

「今までいたのに。うちのエースは練習放棄。デートで忙しい」

 白井がおどけた。

「相手が東塔学園じゃ、エース吉村は肩を痛めるのは時間の問題」

「それは言っちゃ駄目だろ」

 安井は声を潜めた。

「里村は練習か?」

「後輩の近沢と居残り練習をしているよ」

「おれは練習する気がおこらん」

 白井は本心落ち込んでいた。

 皆が練習を終わっても、里村は居残り練習で汗を流していた。

 後輩を伴って走る里村の影は、グランドに貼りついているかのように、いつまでも消えなかった。


 里村は練習を終えの帰り道、住宅街の木立の中にある小さな児童公園を通り過ぎようとしていた。

 大きな練習道具の入った鞄をもった吉村隼人が、飯田英子と公園に入って行こうとしているのが見えた。

 吉村も里村保を見つけたようで、珍しく親しげに声をかけてきた。

「東塔学園だってな……」

「一回戦で東塔学園と当たるとは……」

 里村はそういいながら、横にいる飯田英子をチラっと見た。

「東塔学園って強いの?」

 野球がそれほど詳しくない、飯田英子は吉村に返答を求めた。

「強いとか、弱いとかの比較できるレベルじゃないよ」

「そうなんだ。じゃ負けるんだ」

「当然、そうだろう」

 吉村は同意を求めるように里村を向いて答えた。

「東塔学園は甲子園の常連で、全国からエリートが集まってくるんだよ」

 里村保は詳しく説明をしながら、吉村に促されるまま、児童公園の中に入っていった。

 砂場の前に小さなベンチがあり、赤い色のすべり台とギシギシ音がするブランコがあるだけの狭い公園だった。

 

「そのお尻じゃ無理だな」

 吉村はブランコに座ると飯田英子に向かって言った。

「おおきなお世話!」

「それも言うなら、大きなお尻」

 一瞬、表情を曇らせた飯田英子だったが、すぐに笑顔を見せて吉村の横のブランコに腰を下ろした。

「わぁ、良かった。座れたわ」

 うれしそうな声が里村の耳にも聞こえてきた。

 羨ましいと思った。そして俺はなぜ、ここにいるのだろうかと考えた。

 里村は二人を見るように、ブランコの支柱にもたれていると、なぜか片山緑の顔がよぎっていった。


「そんなエリートチームに負けたくないね、なんか悔しいじゃない……」

 飯田英子の澄んだ声が、ギシギシと鳴るブランコの音を伴って、里村保の思考を遮った。

「東塔は化け物の集まりだからな」

 吉村はブランコを動かすことも無く、揺れる飯田英子の背中を軽く押していた。

「結果なんか、試合をしないと分からないよ」

 里村は二人から視線を外して、弱気な吉村を励ますつもりで言った。

「そうだな。結果は試合をしないと分からない。そして、試合開始のサイレンの音が鳴ったら自ずと分かるんだよ。試合をするまでも無かったことがさ」

「野球は勝ち負けだけじゃないと思うな」

 里村は本当にそう考えていたわけではなかったが、この場合そう言うしかないほど東塔学園の力は群を抜いていた。エース吉村が試合をする前から両手を上げるほど、走攻守そろった紛れの無いスーパーチームだった。

「でも、隼人はやとが投げたら勝てるかも? 投げるんでしょう?」

 飯田英子の問いかけに、吉村の表情が少し曇った。

「俺はエースだよ」

「エースなんだ!」

 そういった英子の声はとぎれ、僅かに首をかしげた。

「エースってなんだった?」

「何度説明したらわかるんだよ」

 珍しくずっこける吉村。

「飯田に野球を教えてやってくれよ。里村」

 吉村は笑いながら里村に向かって言った。めったに表情を崩さない吉村が、珍しく笑ったので里村は少し驚いた。

 ブランコの音が止んで、英子はニッコリ笑った。

「エースはエースでも、ハートのエースなら簡単には出ないわよ」

 飯田英子は里村とも同じクラスであったが、あまり親しく話すことも無く、どこか冷たい表情が気になっていた。ところが、今、ここにいる彼女は笑顔が素敵な優しい声の持ち主だった。

「じゃ、ガラスのエースも出ないぞ」

 力はあるが強豪チームになると試合放棄する吉村のことを揶揄して、影でそう言っているのを知っていた。

 三人はしばらく黙った。吉村はブランコから立ち上がり、英子のブランコは音を響かせ、里村は足元の土を蹴った。

「俺は東塔との試合は投げない」

 吉村の突然の宣言を里村は不思議な思いで聞いていた。頑張って練習したのに、最後の大会に投げないという吉村が分からなかった。

「なせ投げないんだ」

 里村の言葉尻をなぞるように吉村は言った。

「たぶん、野球部の皆は、そう思っているだろう」

「そんなことは……」

 里村保は否定しようとした。しかし、里村はともかく、野球部員の一部の者がそんな話をしているのを知っていた。

「東塔をぎゃふんと言わせられるのは、吉村しかいないよ」

 里村の言葉に飯田英子はうれしそうに反応した。

「勝ったら凄いわよ。新聞に乗るわよ」

 英子の嬉しそうな声にも、吉村は冷静に答えた。

「でも、俺は投げない」

「どうしたんだ? 肩でも痛めたのか……」

 里村の問いに吉村は答えなかった。

 里村は飯田英子に、疑問符の顔を向けた。

「知らないの」

「なにが」

「皆が言っていることよ……」

 英子が里村の顔を見ながら言った。その意味が理解できない里村では無かったが、分からない振りをして首を傾げた。

「打たれるのが、怖いのよ」

 突き放すような英子の声だった。

「そんなことないよ。吉村なら大丈夫だよ」

「だって打たれたら、かっこ悪いじゃない」

「吉村の直球は東塔の桑原にも負けないよ」

 里村保は吉村の球を見るたび、神崎監督が惚れ込むだけの素材だと思っていた。

 体調さえ万全なら、どんなチームが相手でも、ひるまず立ち向かい、押さえ込む力がある。

 そういう噂が流れているのを知らない里村ではなかったが、本人の口から、はっきり告げられると吉村の気持ちの弱さが、里村なりに歯がゆかった。

「最後の夏なのよ。一生懸命練習してきて、後悔しないの」

 あれほど野球が好きで、中学生の頃から苦しい練習をして甲子園を目指してきたのに、英子は吉村の思いがするりとすり抜けていくのを、もう捕まえられなくなった。

 幼馴染の二人は、家が近く母親同士が親しかったこともあり、家族同様の生活をしてきた。

 それが思春期なると、一年、一年過ぎていくたびに、その分だけ二人の距離が遠ざかっていくように、英子は感じていた。

「それは里村にきいてやれよ。一生懸命、練習しても試合に出られない里村にさ」

「それは力が無いだけで……」

 里村は一瞬、言葉を失った。

「でもベンチへ入って、野球をやりたいだろう」

「できたら東塔学園の試合には、一球でもいいから投げたい」

 力がありながら逃避する吉村と、力を認めてもらえない里村の皮肉な現実は、甲子園への強い憧れの中で空転を続けた。

「欲がないのね、里村君は、隼と大違い」

 英子は吉村のわき腹にこぶしを当てた。

「俺は里村の前で投げることは無い。もし里村が東塔の試合で投げることがあったら、最後は俺がクローザーだ」

 吉村は笑いながら英子の手を払うと、里村の肩に手を置いた。

「まぁ。それまでに試合は終わってるだろうけど」

 東塔学園相手では試合にならない。吉村は里村にそう告げてから、スポーツバックからグラブを取り出した。

「俺の球を受けてくれるか」

 勿論、里村に異論はない。

 吉村とは同じ野球部の投手同士でも、キャッチボール程度はするが、真剣勝負のボールを受けたことは無かった。

 里村も鞄の中からグラブを出した。吉村は里村を立たせて軽く肩慣らしをしたあと、座るように言うと、飯田英子に握ったボールを見せてから、胸を張って大きく腕を振り、里村保のミットめがけて右腕がしなった。

 それは一瞬だった。吉村の右腕が前に押し出された時、口元に痛みを表現する変化があった。

 里村保はそれを、おやっという思いで見つめた。

 それでも吉村のボールは唸りをともない、里村保のミットに吸い込まれていった。

 飯田英子はそのボールを見て、大きく手を叩いていた。

 吉村はその一球だけ投げてグラブを鞄に入れた。

「こんなボールが東塔のバッターに通用すると思うのか?」

 吉村の問いかけは里村に、英子に、さらに自らにも向けられていた。

「通用するわけないよ」

 自傷する吉村に、里村は当たり障りのない言葉で、その場を納めることなどできなかった。

「馬鹿じゃないの! やりもしないで分からないでしょう。隼人はいつも気持ちで負けてるのよ」

 英子にとって幼なじみの吉村には遠慮がない。幼い頃から一緒にいた二人はそれが日常だった。

 里村はそれを親しさの尺度だと思っていた。

 吉村は苦々しい顔を英子に向けた。

「里村君、今の隼人の投げたボール、どうだった?」

 英子は吉村の視線をわざと避けるように里村を見た。

「すごい球だった。空気を切り裂く音がした」

 里村の本心に近い吐露だった。

 もしかしたら吉村が自信を持って、東塔学園へ立ち向かうなら、面白い結果になるのではないかと考えさえした。 


 その日は、そのまま里村は二人と別れて家に帰った。

 帰る間際、飯田英子が言ったひと言が、里村の足取りを重くした。

「コンプレックスがあるのよ。東塔学園に」

 名門、東塔学園ほどの強豪チームが相手だと、誰にでも起こりうる感情かも知れない。

 しかし、飯田英子の言いたかったことは別にあった。

 それは、おそらく知る人の少ない、中学時代エースと呼ばれた吉村隼人の秘密だったからだ。

 里村はその夜、なかなか寝付けなかった。

 吉村は本当に投げないのか?

 吉村の実力なら東塔学園だって、そう簡単には打てないだろう。

 吉村は投げないのなら、僅かだが里村に投げるチャンスが生まれる。それを単純に喜んでいいのか、いや、いいはずがない。里村の煩悶は続いた。

 壁にかかった時計の針だけが進んでいく。

読んでいただき有難うございます。

次回は吉村隼人の秘密です。

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