引き出者
今日は友人の結婚式。私は今、式場へ向かって駅から歩いているところ。
家から最寄りの駅までは近いのだけれど、ドレス姿で電車に乗ったら、ちょっと目立ってしまって恥ずかしかった。
土曜の午後の電車内。混んでいて座れる席は無く、立ちっぱなしでいた。式場近くの駅に着いて、電車から降りる頃には足が棒になっていた。
恥ずかしい思いをし、立ちっぱなしで疲れ、その足で式場へと歩く。こんなことになるんだったら、誰か他の友達の車にでも乗せていってもらえばよかったと後悔した。おまけに、普段はなかなか履くことのないヒールの高い靴。靴擦れもしている感じ。折角の友人の結婚式だというのに、気分は落ちる一方だった。
その、私の落ちている気持ちをさらに落とす出来事に遭遇。いや、「落ちた」と言うよりは「上がった」と言った方が正しいのかもしれない。怒りが。
怒りが込み上げる。そんな気分になったから。
受付を済ませた私は、その場にいた友人数人と話をしていた。久しぶりに顔を合わせる友達もいて、話題も尽きない。「まさか結衣が結婚するなんてねぇ」などという発言もあったが、私達、三十歳を過ぎた仲間の多くは結婚もしている。そして、じきに三十一歳となる私は、結婚をしていないどころか彼氏も見つからずにいる。
それは、私のちょっとした男嫌いな性格も災いしているのだろう。
小さい頃から男の人が苦手だった。同じクラスの男子も、男の先生も、年下の男の子ですらも。「やんちゃ」というのも行き過ぎれば乱暴や乱雑になるし、物事をはっきりと言うところも「デリカシーが無い」とも言え、ことごとく私の心を傷付けてきた。だから私は、あまり男の人には近づきたくない。付き合った男の人も二人はいたけれど、良い思い出とは言えない。それも過去の話。気の迷いとして封印している。
「うひゃーっ! ばっかじゃねえの、おめぇ!」
大きなしゃべり声と共に、男数人の大笑いが聞こえた。式場という場の雰囲気とは程遠い、馬鹿デカい声。
私はイラッとしたけれど、友達は「男って、いつまで経っても子どもよねぇ」などと笑い話に転換していた。大人だなぁと思った。やはり、こういうふうに何事も大きな心で包み込むことができる女性にならなければ、結婚なんてできやしないのだろう。私はそう結論づけ、いよいよ始まるという挙式に胸を高鳴らせていた。
……が、その高鳴った鼓動も、一瞬にして凍りついた。
新郎の入場。
と共に、友人達の冷やかしの声援が。
「いいねぇ! 似合ってるよ!」
「ニヤニヤしてんなよ!」
「いい笑顔! こっち向いてー」
その男達を睨みつけたが、当然、私の視線なんかが届くわけがない。
ありえない。
神聖な式でしょ?
新郎は、なんでこんな友達を招待したのだろう?
そんな思いと同時に、新婦にまで不信感を抱いてしまった。
(結衣はこんな友達を持つ新郎と結婚して大丈夫なの?)
不信感というか心配な気持ちというか。
彼らは式の最中、ずっとしゃべっていた。聖歌もまともに歌わずにふざけた声を出す。誓いのキスで悲鳴のような声をあげる。仕舞には新婦にまで野次を飛ばす。
怒りで手が震えた。
こんな気持ちになったのは初めてだと思う。さすがに私の友達も「あれは酷い」とか「酔っぱらってんの? ありえないんだけど」と、移動の合間に彼等を非難していた。そんな気持ちのまま式場の外へ出て、新婦によるブーケトスが行われた。
独身女性が前へ。
まだ結婚してない人も結構いるんだなぁと、妙な安心感を抱きつつ、新婦が後ろを向いてブーケを私達の方へ投げる姿を眺めていた。
私がすることはない姿だろう。自分が結衣のように着飾っている姿なんて、想像もできない。そんなことを考えている内に、ブーケは私の胸元に飛び込んできていた。それをしっかりと受け止めた私は、複雑な気持ちで、でも嬉しく思いながら、新郎新婦の元へ歩み寄った。
「今度はアキの番だね」
結衣は笑顔で私に言った。
「いやいや、私なんかが……」
私が言葉を濁していると、彼女の隣にいた新郎が、
「おめでとうございます」
と、にっこり微笑んで声をかけてくれた。
「あ、ありがとうございます」
私の心境はさらに複雑になった。優しそうで大人びた感じのするこの人の友達が、なんであんな男達ばかりなんだろう。そんなことを考えながら、ブーケを受け取った私と新郎新婦の三人での写真撮影に応じた。笑顔でいたつもりだけれど、苦笑いになっていなかったか心配である。
そして、同じ敷地内にある披露宴会場へ。受付のときに渡された披露宴会場での座席表を見て、同じ席の友人と共にテーブルへ向かった。
それからが最悪だった。隣のテーブルには、あの五月蝿い男達が。
「あっ。さっき、ブーケ受け取った子じゃん」
そんなことを言いながら、彼等は私の元へ近づいてきた。
「ねぇねぇ。本当に独身?」
「彼氏いないの?」
「結衣ちゃんと同い年だって?」
友達の嫁のことを、よくもまぁ軽々しく話すものだ。その点についても苛ついたが、ちょっと年上だからって遠慮することもなく話しかけてくる彼等に対して、腹立たしさを通り越して嫌悪感を覚えた。中には結婚指輪を嵌めている男もいるではないか。
結衣は、彼と大学で出会ったという。研究室の先輩だと言っていた。
私は、彼女とは小学校、中学校が一緒のクラスだった。高校が違ったので少し疎遠になりがちだったけど、再び連絡を取り合うようになった。その頃には彼と付き合っていたらしい。もし私が結衣との関係を保つことができていて、近くにいることができていたならば、こんな友人を持つ男と付き合うことは反対していただろう。彼女の旦那となる人は、優しそうだし、良い雰囲気を醸し出している。だけど、本人が実際のところどんな人であれ、こんな友達を招待するような男性とは付き合ってほしくなかった。けれど、二人の関係は二人の自由。私が口を挟む事ではない。……だけど。
「ちょっとさ、連絡先教えてよ」
「俺にもー」
せめて、こんな人達は招待してほしくなかったと、新郎新婦にまで腹を立ててしまった。いっそのこと、会場を後にしようかと思ったほどだ。愛想笑いを浮かべて、話を受け流すのも疲れた。そして、あまりのしつこさに、疲れというより怒りの表情が浮かび始める。
「あっ、そろそろ始まるみたい! 席に着いた方がいいですよ!」
私の気分を察したのか、友人が声をかけた。その言葉に、彼らは渋々、自分達のテーブルへ向かう。「じゃあ、また後でね」という言葉をを残して。私は特に意味の無い、関係の無い話題を隣に座っていた友人に持ちかけて、聞こえていないフリをし、彼らの去り際の台詞を無視した。
披露宴の最中も、彼等はずっとしゃべっていた。司会進行の声。新郎新婦の上司の挨拶。友人挨拶。そして新郎新婦とご両親の挨拶。すべてが彼等のせいで台無しになった。余興は、その彼等が行なったが、やはり他の人達も冷めた目で見、愛想笑いを浮かべる人もいれば、彼等には目もくれずに話し込んでいる人達もいた。それはそうだろう。あれだけ場の雰囲気を滅茶苦茶にしたのだ。そうなって当然だ。しかし、彼等は平然とやり過ごし、満足したのか、余興を終えてテーブルに戻ると、仲間内で乾杯をして酒を煽っていた。なんて図々しい人達なんだろう。周りを盛り上げるというよりかは自己満足で終えるなんて。私は本当に盛り下がった。
腸が煮えくり返りそうな結婚式、披露宴だった。二次会にも行く予定だったけれど、さっきの男達と一緒だなんてまっぴらごめん。幹事さんには出席と連絡しておいたけど、申し訳ないけれど欠席することにした。なので、二次会に行くという友人に私の分の会費を手渡して、「私は体調が悪くなったので帰ります、って伝えて」と告げた。具合が悪いということは、あながち間違いではないので。心の具合が。
二次会の会場へ向かう友人達を見送り、私は駅へ向かおうとした。
(またこの姿で電車に乗るのかぁ。帰り、誰か送ってってくれないかなぁ)
そんな図々しい考えを巡らせていると、ふと、一人の男性が目に留まった。さっきのうるさい男達よりは年下に見える。そして、もの静かそうな雰囲気で会場の出入り口に突っ立っている。私は気になって、声をかけてみた。
「二次会、行かないの?」
男性は、ビクッとしてこちらに顔を向けた。幼さの残る、可愛らしい顔立ちをした、線の細い男の子だ。
「あ、えぇ。僕、二次会は欠席することにしてまして……」
声が小さい。そして、自信無さ気に視線を向けてくる。内気な性格で人見知りなのだろうと、私は想像する。……が、それも新鮮だ。ちょっと話をしてみたくなった。
「あなたは新郎の友達のグループじゃないの? あの人達はさっさと二次会会場に行っちゃったけど」
「僕は、雄介さん……あ。新郎の職場の後輩でして。会社のグループとして来たので、あの人達とは全然関係ないです」
「ふーん。でも、会社の人達は? 二次会行くんじゃないの?」
「会社の人達は、〝若い人達の邪魔しちゃあいかんね〟とか言って、披露宴が終わったらさっさと帰っていきました」
「で、君は?」
「いま先輩方を見送ったところで、僕もこれから帰るところです」
笑顔も無く、無表情で淡々と話す彼。不思議な男の子だと思った。
「ちょっとさ、どこかで飲んでかない?」
私自身、自分の発した言葉に驚いた。男の人を誘うなんて、これまでの自分ではありえない。きっと、披露宴で腹いせ(?)にがっつり飲んだお酒がまわって変な思考になっているのだろう、と思い込んだ。
「えっと……。僕、お酒は飲めなくて」
「そっかぁ。っていうかごめんね! 初対面の人を誘うなんて、常識ってもんが無いよね。あははっ」
無理に笑って、今の気の迷いらしき発言を無かったことにしようとした。
「いいですよ」
「えっ?」
「僕はお酒飲めないですけど、それでもよければ付き合いますよ」
「ホント!?」
まさか、そんな返事が返ってくるとは予想してもいなかったので、聞き間違いかと思った。
「じゃあ、早速いこー!」
「僕、車で来てるんで、乗って行きますか?」
「いいの? 悪いわねぇ。ありがと」
遠慮することもなく、私は彼の後をついていった。図々しいオバサンだと思われたかもしれないが構わない。彼の車の後部座席に荷物を置いた私は、助手席へと乗り込む。
「あ、あの……」
「なに?」
「乗って行きますか? って言ったのはいいんですけど、僕、あんまりこの辺りのことは知らなくて。道案内してもらってもいいですか?」
「いいわよ。任せなさい!」
とは言っても、ドレス姿で入れるお店ってなると……。どうしようか。
考えた末、そこそこ洒落っ気のある居酒屋に入ることにした。格好は、まぁ……。彼はスーツだし、私が少し恥ずかしいのを我慢すればいいだけ。それよりも、私は話したいことが沢山あって、周りを気にしている状態ではなかった。
「ほんっと、あの男共、ありえないと思うのよ!」
「はぁ……」
お酒の入った私に、彼は終始押されっぱなしであった。相槌は打つものの、自分から話題を振るでもなく、とにかく私の愚痴を静かに聞いていた。
「これだから男って嫌なのよ。周りに気を遣うこともしないし、自分が一番だー、みたいに思ってるとこがあるし」
「そ、そうですか」
「あぁ、ごめん。皆が皆とは言わないわ。あなたみたいな人もいるしね」
勢いに任せて話を続ける私。そしてふと、重大なことに気がついた。私、この人の名前を聞いてなかった、と。
「こんなとこに付き合わせて、しかも私ばっかり飲んでて……、ごめんね。いまさらなんだけど、あなたの名前、なんていうの?」
失礼極まりないが、このまま話し続けるのもすっきりしないと思って、思い切って聞いてみた。
「僕、森田広行って言います」
それだけ言って、彼は再び口を噤んだ。
「ヒロユキ、君か……。ねぇ、歳はいくつ?」
「二十五歳です」
私より五歳も年下。若いっていいなぁ。
「私はね、田沼明子っていうの。あなたよりも五歳上」
「三十路ですか」
意外とはっきり言う子だなぁ。苦笑いが顔に出ていたのか、彼は慌てて言葉を繋げた。
「僕と同い年ぐらいだと思ってました」
「ふふっ。無理してフォローしなくていいわよ。新婦と同級生だって言えば、年齢ぐらいわかって当然よ」
「いや、あの……」
妙に気を遣う子だなぁと思った。こんな男の人も珍しい。私の周りにいる男の人達というのは、どうもそういう気遣いというものが無い人達が多い。この子を見習ってもらいたいぐらいだ。
「そういえば、会社ではあの新郎、どんな感じなの?」
私は自然を振る舞って、話題を変えた。
「雄介さんは、しっかりしていて頼り甲斐があって、優しい先輩です」
「ふぅん。広行君がそう言うなら、結衣のことは安心かな」
「ユイさん……? あ、新婦の方のことですか」
「うん。正直、招待された新郎の友達を見て、こんな男達みたいなヤツに捕まえられちゃってたらどうしようかと、心配に思ってたのよ」
「あぁ……。僕も驚きました。雄介さんのお友達がああいう人達だったっていうのは。ちょっとショックでしたね」
彼でもそう思うのだ。私だけではなかった。友人関係を見て、本人がどういう人か判断するというのは間違っているかもしれない。だが、私や私の友達のように、友人関係を見て本人をどんな人か推測するという人が、少なからずいることは事実。とすると、親しくなる間柄になる人も選ばなくてはならないのかもしれない。そう考えてしまっている時点で、私は純粋さというものを失ってしまったのだろうと思った。
「広行君の周りには、ああいう友達はいないの?」
「うーん、なかなかいませんね。というか、あまり友達がいないので」
苦笑いを浮かべる彼に、私は畳み掛ける。
「友達と遊び歩いたりしないの?」
「しませんよ」
「じゃあ休みの日とかって何してるの?」
「漫画読んだり、アニメを見たり」
「外には?」
「あまり出ません」
「……」
いわゆる〝オタク〟という人なのだろうか? なんだか、彼の事が無性に気になった。
「○○は俺の嫁。とかって、二次元に夢中になっちゃう感じ?」
「そこまではいきませんけど…」
「じゃあ彼女とかいるの?」
「いません」
私の質問攻めに狼狽えることなく、堂々と答えていく。鬱陶しい人だなぁ、とかって思われてそうだけど、それでも私は質問を続けた。
「外に出るのが嫌なの?」
「そうでもないですけど……。人混みって疲れちゃうんですよね。それに僕、一緒に遊びに出かけるような友達もいませんし」
「じゃあ今度、私と遊びに出かけない?」
「えっ?」
「私は遊んで回ってばかりなんだけど、最近、結婚する友達も増えてきて、遊び仲間が減ってきちゃったのよ。どう?」
「……僕でいいなら」
「決まりね! じゃあ連絡先教えて♪」
携帯電話を手に取り、アドレス交換の準備に入る。彼も動じることなく、携帯電話を操作した。年上という権力(?)を使って、彼の連絡先を獲得。半ば強引だったかもしれないけれど、まぁいいでしょう。広行君は嫌がる素振りも見せなかったし。というか、彼の感情が希薄だからか、もしくは隠していただけのかもしれないけど。
「田沼さんは……」
「明子でいいわよ」
「いや、でも……」
「明子と呼びなさい」
初めて自分から声をかけてきた彼に対して、冷たく命令した。私は「田沼」という名字があまり好きではないからだ。
「じゃあ……。明子さん結婚願望とかって無いんですか?」
若干強めな口調で言ってしまったかと気まずく思ったが、彼は動じることなく平然と質問してきた。意外と肝が据わっているんだなぁと感心する。
「無いわね。男なんて嫌いだもの。周りを非難して、傷つけて、女は男の引き立て役だなんて言って、相手の存在を認めようとしない。自分が目立てればそれでいいなんていう男の為に、なんで女が尽くさなきゃいけないの? って思うもの。自分のことぐらい自分でやんなさいよ。自分に力が無いことを人のせいにするんじゃないわよ。それに、なんで私が男の為に何かをしなくちゃいけないわけ? 冗談じゃない。私は私の為に尽くしていくの」
胸の内を吐き出すように、私は言葉を連射した。そして、はっと我に返る。
「あ。ごめん。広行君に言ったわけじゃないから。昔ちょっと、色々あってね」
お酒をグイッと飲み干して、逆に聞いてみた。
「広行君は、結婚したいって思ってるの?」
「今は、特に……」
「そう。じゃあ、お互い独り身を満喫しようじゃないの」
あはっと笑った私は、無表情の彼に向かって口を開いた。
「今日はありがとう。グチを聞いてくれて。さて、帰りましょうか」
「あ、はい」
「お会計お願い!」と店員に声をかける。
店員が伝票を持ってきて、それを受け取り、席を立つ。
「あの、いくらに……」
「いらないわよ。あなた、そんなに飲んだり食べたりしていないでしょう?」
「でも……」
「私の話を聞いてくれただけで十分よ」
困ったような彼の顔を見て、私はくすっと笑った。それからお勘定をし、店を出る。
「じゃあせめて、家まで送らせてください」
「いいの? じゃあ言葉に甘えるわ」
また電車の中で恥ずかしい思いをせずに済むのなら、と思って、私は喜んで彼の車に乗り込んだ。こういうときは意地を張らない。悪い言い方をするなら、利用できるものは利用する。
「明子さんの家って、どの辺りですか?」
「私の家? 烏町だけど」
「そうなんですか。僕、隣の燕町なんですよ。あ、とりあえずそっちの方に向かいますけど、細かいとこの道案内をお願いします」
「はいよー。ってゆーか、隣町なんだ。じゃあまたすぐ会えるね」
「え?」
彼はチラッと助手席に座っている私を見、すぐ正面に向き直って運転を続けた。勘違いさせる言い方をしてしまったかと思い、私は言い直した。
「会うのに手間取らないってことよ。友達と遊びに出かけるのに、わざわざ遠くの方まで出かけるのも面倒じゃない」
「はぁ」
無表情での相槌に、彼の心中を感じ取ることができない。広行君は、一体何を思い、何を考えているのか。やっぱり不思議な男の子である。
車内では、くだらない話や私の愚痴がほぼ一方的に飛んでいた。それでも彼は、嫌な顔をせず、返事をしてくれたり相槌を打ったりしてくれていた。その話の間に、道を聞くことも忘れていない。
色々と話し続けていたら喉がカラカラになってしまったが、丁度良いタイミングで家の前に到着した。
「この家ですか?」
「そうよ。こんなところまで悪かったわね」
「いえ。うちも近いですし」
車を降りようとしたが、何か引っ掛かるものがあって、私は躊躇った。物理的ではない何かが。その様子を察した彼は、私に声をかけてきた。
「どうかしたんですか?」
「え? な、なんでもないわ……」
なんでもない。いや、……本当は、気になることがある。この居心地の良さはなんだろうか。男性と二人でいるというのに。男性、というか弟みたいな感じだけれど。もう少し、話を聞いていてもらいたかった。一緒に居たいと思った。
「じゃあまた連絡するから! じゃあねっ!」
そう言って私は、気の迷いを振り払うように彼の車を降り、急ぎ足で自宅の玄関へと向かった。後ろからは、車のエンジン音が聞こえた。彼が離れていく音だ。心寂しく思うのはなぜだろう。
家に入り、玄関のドアを閉めて突っ立っていると、奥から母が出てきた。
「おかえり。どうしたの? そんなところに突っ立って」
「え? あ、ただいま。なんでもない」
そう言って靴を脱ぎ、自分の部屋へと向かった。部屋でドレスから私服へと着替える前に、バッグから携帯電話を取り出した。広行君はもう、家に着いただろうか? いや、さすがにいくらなんでも早すぎるだろう。そう思いながらも、私は彼宛にメールを作成した。
『今日はありがとう。また近々会おうね』
送信して、携帯電話を机の上に置き、ドレスを脱ぐ。すると、一気に緊張が解けたように疲れが押し寄せてきた。疲れた。眠い。メイク落とさなきゃ。お風呂入りたい。様々な思考を巡らせていると、携帯電話の音が鳴った。メール着信音である。画面を見ると広行君からで、急に目が覚めた気分になった。内容に目を通す。
『お疲れ様でした。明子さん、引き出物を車の中に忘れていってしまったようですが、近々時間の空く日はありますか? お渡ししたいので』
さらに目が覚めた。そして一気に恥ずかしさが押し寄せてきた。帰り際に何してんだ、私。年下に恥を晒して。あわあわと、返信メールを打つ。
『忘れ物してゴメン! 私、基本的には火曜休みであとは不定休なんだ……。都合が合わなければ夜にでも、そっちの方にまで取りに行く。どうかな?』
本音としては、互いの休みの日にでも会って、受け取りついでにもっといろんな話をしたいところなのだけれど……。そこは運に任せるしかない。と、その時、再びメールの着信音が鳴る。
『奇遇ですね。僕も基本的に火曜日が休みなんですよ。じゃあ、次の火曜日とかどうですか?』
次の火曜日。つまりは三日後。……予定は特に無い。どうですか? もちろんOKだ。こんなに胸が高鳴るのは、一体何年振りだろうか。
「あ。広行君……」
「明子さん。どうも」
たかだか三日振りだというのに、なんだろうか、この緊張感は。しかも年下相手に。とりあえず、私が忘れ物をしたということで、彼の住む町である燕町の駅前で待ち合わせということにしておいた。
「わざわざこっちまで来てもらって、すいません」
「なに言ってんの。私が忘れ物したんだから当然よ。ところで、広行君の車は? 忘れ物を受け取りに行きたいんだけど」
「えっと……。僕の車は町営の駐車場に置いてきたんで、戻るのも面倒ですから帰りに渡すということでもいいですか?」
「いいわ。そうしましょう」
忘れ物の受け取りを良いことに、私は食事でもどうかと彼を誘っておいた。すると彼は、躊躇う様子も無く、誘いに乗ってきたのである。なんてちょろい男の子だろうかと、私は内心笑っていた。本当にちょろいのは私なのに。
男なんて嫌いだ。
自分ばっかりしゃべって、主役になれないとすぐ拗ねて、変にプライドばっかり高くって、御膳立てしてやらないと何もできない、馬鹿なヤツばかりだと思っていた。以前、付き合っていた男がそんな感じだったから。気に入らないとすぐ怒り、暴言を吐き、自分は正しく悪いのは全て相手だと決めつける。私は怖くて謝ることしかできなかった。
二人目の彼氏もそんな感じだったから、男というのはそんなものだと思わざるを得なくなった。友達としてなら男にでも強気で反論したかもしれないが、付き合うということは我慢ということなのだろうと、彼氏には決して反論したり怒ったりしたことは無い。そんなことなら、彼氏なんて要らない。付き合うなんて意味がわからない。そう思って、今の自分の人生を歩んでいる。
広行君は、これまでに付き合った男とは違って、おとなしく、なんだか変わった感じのする男の子だから、なんとなく心惹かれたのだろう。
それはそれで良い。友達として、ただ楽しく過ごしていければ。
「そういえば、お互いのこと、何も知らないわよね。私は美容師をしてるんだけど、広行君はどんな仕事をしてるの?」
「僕は配送業です」
「へぇ。意外ね。そんなに細い体してるのに」
「実は僕、筋トレが大好きで、隠れマッチョなんです」
「ほんと!?」
「嘘です」
彼の表情は変わらない。私は困惑した。一本取られて悔しいけれど、茶目っ気のある広行君を見られたことは嬉しい。でも、やっぱり腹が立つ。よく考えれば、滅多に外に出ないであろう人が、筋力トレーニングに勤しむだろうか? 中にはそういう人もいるかもしれないが、私的に考えるならば、彼が体を鍛えてムキムキな体になっているなんて思えない。筋肉ムキムキの広行君。その姿を想像したら笑えてきた。そして、恥ずかしくなった。
「明子さん、どうしたんですか? 耳が真っ赤ですけど……」
「うるさいわね! なんでもないわよ!」
私は変態なのだろうか。彼の裸を勝手に想像するなんて。メイクで顔色は隠せても、耳まではさすがに誤魔化せない。あぁもう、熱い。
「ちょっと、御手洗い」
「あ。はい」
私としたことが、年下の男になんて無様な姿を晒しているのだろう。無駄に汗が出てきてメイクが崩れる。化粧直しをしながら考えていた。彼が年下だからだろうか。はっきりとした口調で話せて、遠慮することもなく、また、落ち着いて居心地の良い空間にいるような気がしているのは。もしくは、ただの友達だから? もし彼が私の彼氏だとしたら? 化粧台の鏡を見つめ、自分の顔を見ながら考える。そんな、どうでもいいことを。
(考えるだけ無駄ね)
と切り替えて御手洗いから出て、席に戻る。広行君は、何食わぬ顔で食後の紅茶を口にしていた。なんとまぁ可愛らしい姿だろう。私はコーヒーを飲んでいたが、私も紅茶にしていたら彼のように可愛らしく見えただろうか。
「大丈夫ですか?」
「え? 何が?」
「いえ。具合が悪いのかなぁと思って」
「心配してくれてたの? 大丈夫よ。ありがと」
優しい子だ。益々私には似合わないと思わされるばかり。
……って、私は彼と付き合いたいの?
いやいやいや。男は嫌いなんでしょう?
……彼はなんだか違う気がして。
男なんて皆同じ。そう思ってたんじゃないの?
……そう、だけど。
じゃあやめときなさい。また辛い目に合うだけよ。そもそも、彼が私のことをどう思ってるかもわからないんだし。
……そうね。
自問自答。広行君とたわいもない話をしながら、別のことを考えていた。我ながら、変なところは器用である。
「今日は楽しかったわ。ありがとう」
「いえ。こちらこそ」
彼の車に向かって歩きながら話をしていた。例の忘れ物を取りに。
「あの……」
「はい?」
「……また、一緒に出かけてくれる?」
「もちろん。いつでも誘ってください」
「そっか。友達いないんだもんね」
くすっと笑って、私は冗談っぽく言った。
「……」
そして黙り込む彼。
「な、なによ。冗談で言ったのに、真に受けないでよ」
「正直、凹みます」
「ご、ごめん……」
「嘘です。特に凹んではいません」
また騙された! 私の謝罪の気持ちを返せっ! と、叫びたくなった。
「そのまま一生引きこもってれば!」
結果、違うことを叫んだ。
「それならそれで、そうします」
いいのかっ! なんなんだ、この子は……。
なんやかんや言い合っていると、広行君の車が止めてある駐車場に着いた。私が車に近づいて、後部座席のドアを開けようとすると、彼が先に手を伸ばす。そのままドアを開け、私が忘れていってしまった引き出物を手に取り、私の目の前に差し出した。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
荷物が彼の手から私の手に渡るとき、ほんの少し、手と手が触れた。
今日の私、やっぱり何かおかしい。
「ま、また連絡するから」
そう言って、帰ろうとして背を向けた。すると、背後から声が。
「明子さん」
振り返ると、広行君が笑顔を向けて言った。
「今日は久しぶりの街中で疲れましたけど、本当に楽しかったです。ありがとうございました」
素直に言っているのだろう。だけど私は、素直な反応をしない。二度も騙してくれたお礼に意地悪く言う。
「ふふっ。しょうがないわね。たまには私が連れ出してあげるわ。またね」
私も楽しかった、と素直に言わなかった自分に後悔した。こちらこそありがとう、とも。そして私は、自分の車を止めておいた駐車場へと向かって歩き出した。受け取った引き出物が重たく感じる。まるで、この場から離れたくないと言いたげに。それでも私は帰らなくてはならない。振り返らずに歩いた。重たく感じる体を引き摺るようにして歩いた。その時、背後からなんとなく聞き覚えのあるエンジン音がした。
「明子さん」
広行君の車だった。
「なに?」
「明子さんの車のところまで、乗って行きますか?」
「いい」
即答。ここでまた行動を共にしたら、離れるのが辛くなってしまう。
「そうですか。じゃあ、お気をつけて」
そこはもう少し粘りなさいよ! ……まぁ、いいんだけどさ。
「あ、ありがとね。広行君こそ気をつけて」
「はい」
彼は会釈をし、爽やかに車で去っていく。
名残惜しい別れをして数ヵ月が経つ。
季節も変わって、肌寒い時季になってきた。
外に出るのも、ちょっと億劫。……などということはない。むしろ外に出たい。理由は……、そう、彼だ。広行君に会えるから。あれから一緒に遊びに出かけるのも何度目になるだろうか。カラオケやボーリングといった定番の遊びからウィンドウショッピングに至るまで、私がやりたい放題に動き回って、彼を連れ回している。私が遊びに誘って、これまでに断られたことは一度も無い。本当に友達がいないんだなぁと、つくづく思った。まぁそれは私も人のことは言えない。ここ最近、出かけるといえば誘う相手は広行君ばかりなのだから。
明日の休みも広行君と会う予定だ。今日の仕事が終わったらすぐにでも彼に会いたい気分だけれど、付き合ってもいないのにそんなお願いをするのもおかしな話だし、そもそも私は彼と付き合いたいのだろうか?
告白してしまおうか。そんな思いも浮かんだ。が、もし告白して断られたら? 貴重な遊び仲間を失ってしまうことになる。だけど、このまま友達として彼を連れ回していても、彼に思わせ振りな態度をとっているように思われたりはしないだろうか? いや、それならそれでいいのだけれど、でも……、でも私は男の人に対しての苦手意識が拭えずにいるわけで。それに彼の本性もまだわからない、などと考えてしまう。友達としてならまだしも、恋愛対象の異性として意識してしまったら、彼のことを嫌いになってしまうかもしれない。
失うことが怖い。そう思うぐらい、私は十分、広行君のことを意識してしまっている。さて、どうしたものか。このまま狡く、彼と友人として付き合っていていいものなのだろうか?
とりあえず仕事も終え、考えることも止めた。明日のことは明日、楽しめばいいことじゃないか。そう思って店を出る。従業員専用の駐車場へ向かい、車のキーの遠隔操作でドアのロックを解除した、その時。
「アキ」
という、聞き覚えのある、低くて野太い声が聞こえた。一気に血の気が引く。声のした方向に顔を向けると、大柄な体のシルエットが見えた。街灯の明かりでは顔ははっきりと見えないが、この声、この体格。間違いなく、あいつだ。
「ヒデ……さん」
「ありゃあ。他人行儀されると切ないねぇ。前みたく、呼び捨てで呼んでくれねぇの?」
「それは……もう、昔のことですから」
私は彼を睨みつけたが、この明るさで私の表情を読み取ってもらえたかはわからない。なので、もう一度、今度は声で嫌々さを表現することにした。
「なんの用ですか?」
冷たく言い放つが、それでも彼は動じた様子を見せない。
「あぁ。お前に聞きたいことがあってよ」
「聞きたいこと? そのためにわざわざこんなところで待ち伏せしてたんですか?」
「おいおい。ちょっと言い方が悪いんじゃない? 人のことをストーカーみたいに言ってくれちゃってさぁ」
彼の悪ふざけには付き合っていられない。さっさとこんな男から離れたい。目にするのも、声を聞くのも嫌だ。
「それで、聞きたいことってなんですか?」
「敬語ぐらい、使うのやめてくんない?」
「で、聞きたいことって?」
イライラしてきた。あぁ、もう早く帰りたい。
「アキさぁ。今、年下の男と付き合ってんの?」
広行君とのことを言っているのだろうか?
「付き合ってませんけど」
「ふぅん。こないだ、街中でお前と若そうな男が楽しげに歩いてんの見かけてよぉ」
「それで?」
「男嫌いが治ったんなら、もっかい俺と付き合わねぇ?」
「お断りします。それじゃ」
それだけ言って、私は自分の車の方へ向かった。
「お前、あの若い子をどうしたいわけ?」
「ヒデには関係ないでしょ」
突然だった。彼は私の腕を掴み、さらに問う。
「いやぁ、親切心で言ってやってんだぜ? もしあの男に女の陰があるって周りのヤツらが知ったらどう思うかってよ。お前の大切な友達に、彼女ができなくなっちまうんじゃねぇかってさ」
「ちょっ……。離して!」
言っても彼の力は強くなる。離そうとしない。
「それともなにか? アキがあの子の彼女になってやろうって思ってんの?」
「……」
さっきまで自分が考えていたことを他者から言われると、何も反論できない。私だって、悩んでるところなんだから、余計なこと言わないでよ! と口にしたかったが声が出ない。そんなことをこの人に言ったところでネタに使われるだけ。それに以前に、腕を掴まれている恐怖で声を出すことができなかった。
「彼女になってやればいいじゃねぇか。それか何か? もしかして振られるのが怖いとか? らしくねぇなぁ。俺のときみたいに積極的に誘ってみれば……」
「うるさいっ!」
彼の言葉を遮るようにして叫んだ。恐怖よりも怒りが上回り、やっと声を出すことができた。その様子を後から出てきた従業員が見つけ、私の方へ駆け寄ってきた。すると、彼は私の腕から手を離し、
「ま、せいぜい頑張れば」
と言って、去っていった。私はその場にへたり込み、しばらくは腰が立たずに立ち上がれないでいた。
明子さんから、予定のキャンセルのメールが来てから、約二週間が経つ。「具合が悪いから」ということだったが、体調は良くなったのだろうか? 僕からメールを送ろうかと悩んだが、もし愛想を尽かされて連絡してこなくなったのだとしたら、連絡を取っては迷惑になってしまうだろうか。
色々考えた末に、僕は先輩に相談してみた。
「あの……。雄介さん」
「ん? どうした?」
「ちょっと相談したいことがあるんですけど」
「森田から相談なんて珍しいな。で? どうしたんだ?」
仕事の休憩中である。僕は簡潔に、明子さんとのことを述べた。何度か一緒に遊びに行ったが、二週間ほど前に、予定のキャンセルのメールが来てからこれまで一切連絡が来なくなってしまった、と。
「おまっ……! バカ! それは早くメールでもなんでもいいから連絡とってみろ!」
「え。でも愛想尽かされて連絡が来なくなったんだとしたら……」
「んなことはいーから! とにかくさっさとメールしろ! 今すぐだ!」
雄介さんは、なんて後輩思いの良い先輩なのだろうか。こんなにも親身になって心配してくれる人はそうそういない。
それはさておき、僕はとりあえず適当な文章を作成した。
『お元気してますか? 最近、体調のほうはどうですか?』
「こんな感じでどうですかね?」
僕は雄介さんに作成した文章を見てもらった。
「んー……。何か物足りない気がするが。まぁいい。それで送信しとけ。で、返信があったら俺に教えろよ。いいな?」
「はい」
今日の仕事が終わる頃ぐらいには連絡が返ってくるだろうか? 不安な気持ちを抱えつつ、僕は仕事に勤しんだ。
本日の仕事が終了し、帰り際、再び雄介さんに声をかける。
「あ、雄介さん」
「お。返事来たか!?」
「それが……」
返って来なかった。というわけで、雄介さんの家で、緊急会議を催すことになった。
「ただいま」
「お邪魔します」
玄関に入って挨拶をすると、雄介さんの奥さん(結衣さん)が顔を出した。
「あら。いらっしゃい。どーぞ上がって」
「はい。失礼します」
僕は雄介さんの後に続いて、部屋に入った。
「ま、テキトーにそこらに座ってくれ」
「じゃあ、失礼します」
僕はソファの端の方に腰をかけた。良いソファだなぁ、なんて思っていたが、頭を切り替えて声をかけた。
「あ、あの……。雄介さんの奥さん。僕、森田広行って言います。急で申し訳ないんですが、今日は奥さんに聞きたいことがあって……」
「うん。ちょっとはゆう君から聞いてるわ。あと、私のことは結衣でいいわよ」
くすっと笑って、結衣さんは言った。
「丁寧、というか、真面目な子ね。それで?」
「えっと。じゃ、じゃあ結衣さんにお聞きしたいんですけど」
「どうぞ」
彼女は僕に温かいお茶を出してくれた。お辞儀をしつつ、僕は聞く。
「あの、最近、明子さんから何か連絡来てませんか?」
「アキね。ちょっと前までは連絡来てたりもしてたんだけど、最近、ぱっと連絡が来なくなっちゃったのよね。仕事が忙しいのかしら?」
結衣さんは少し考えて、再び口を開いた。
「それか、遊び呆けてるとか。前、連絡とってた時に『楽しい遊び友達ができたぁ♪』とか言ってたから」
「それがさぁ」
上着を脱いでリラックスモード(?)になった雄介さんが、僕の隣に腰を下ろして言った。
「その遊び友達っていうのが、どうもコイツみたいなんだよ」
「あらまぁ」
結衣さんが驚きの表情になり、続けて言った。
「まさか、アキの友達に男の子がいたなんて」
そこに僕が口を挟む。
「明子さんが言うには、最近はほとんど僕ぐらいしか一緒に出かけてくれる人がいないって言ってました。だけど、もし他に明子さんと関わりを持ってる人がいるなら、その人のところかなぁって思ったんですけど……。何か心当たりはありませんか?」
「うーん。私が聞いたのは、新しい友達……つまりはあなたのことぐらいで。最近じゃあ他の人からアキの話題が出ることも無かったし。知ってることも無い、かなぁ……。ごめんね、力になれなくて」
「いえ。むしろこちらこそすいません。突然来てお話を聞かせてもらっちゃって」
「しかし、あれだな。お前はその明子さんのこと、本当に大切に思ってるんだな」
「え?」
「あれ? お前、その人のことが好きなんだろ?」
僕が、人を、好きに?
「そう、なんですかね?」
「へ? 無意識にあんなに必死そうな顔してたのか? 森田から相談って時点で、滅多に無い大変なことだと思ってたのに。そこへさらにあんな顔されたら……。相当重要なことだって思ったよ」
「僕、人を好きになったこと無くて」
雄介さんも結衣さんも、唖然として僕の顔を見つめていた。
「明子さんが僕を遊びに誘ってくれてたのも、僕のことを外出できない、将来が心配な子だと心配して連れ出してくれているものだと思って。だから、外出に慣れてきた僕を、もう大丈夫だと安心して連絡を取らないようにしてるのかと思ってました」
「お前の妄想、すごいな。 ……って馬鹿!」
すごいと感心されたと思ったら怒られた。何故?
「それで連絡が来なくなって、寂しくなったんだろ? 心配になったんだろ?」
「はい」
「それで、明子さんに会いたいんだろ?」
「……はい」
「それはもう、好きってことじゃねぇか」
雄介さんは呆れたように、ため息混じりにそう言った。
「森田君、安心して。きっとアキもあなたには心を許していると思うから」
「え?」
「あの子、昔付き合ってた男が原因で、男嫌いになってるの」
「あ、はい。男が嫌いって話は散々言ってましたが……」
「もしかしたら、あなたを機に、トラウマを克服できるかもしれないわ。森田君を友達って言ったことにも驚いたもの。最近のアキは、昔の同級生の男子のことですら友達だなんて言わないし、そもそも男の人とそこまで親密になることは無いんだから」
「おし! 自信を持って告白してこい!」
「こ、告白、ですか……? というか、その前に連絡が取れないんですけど……」
「職場でも家でも、どっか知ってるとこあるだろうが」
「……それって、ストーカーみたいじゃないですか」
「馬鹿! もし明子さんに何かあったらどうすんだ! 会いたいなら、どうにかしてでも会ってみせろ!」
雄介さんは、かなり熱い人だったと発覚。それがまた良いところでもあり、そんな雄介さんを結衣さんは好きなのだろう。証拠に、熱弁している雄介さんを、結衣さんは温かい目で見つめている。
「わ、わかりました」
そう言って僕は席を立った。
「突然すみませんでした。お二人とも、ありがとうございます」
頭を下げ、さっと玄関に向かった。
「なんかあったらまた俺に連絡しろよ」
「私の方も、何かわかったらゆう君に伝えておくから。気をつけてね」
靴を履いている僕に、二人は優しく声をかけてくれた。
「本当にありがとうございました。それじゃあ、失礼します」
もう一度礼をして、僕は急いで自分の車に乗り込んだ。
あれからヒデとは顔を合わせていない。仕事の帰りには、従業員の誰かと一緒に駐車場へ向かうようにしている。警察に相談することも考えたが、あれ一度きりなら大事にはしたくないと思って、とりあえずはお店の方でなんとかしてもらっている。みんな優しくて、安心できる職場だ。でも、車に乗って一人になると怖くなる。どこかであいつと出くわすんじゃないかって。
広行君に会いたい、と思った。彼と一緒にいると、なぜか安心するのだ。私が嫌っている男の類だというのに。若干、頼りないと思う部分はあるけれど、それでも二人でいると強くいれる気がしていた。
でも、それももうできない。これ以上、彼に思わせ振りな態度はすまい、と思ったから。私の気持ちばかり押し付けて、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。先のある、若い子の芽を潰すようなことはあってはならない。そもそも、男である彼と一緒にいて楽しいと感じていた私は、気が迷っていたからかもしれないから。あれだけ男を嫌っていた私の男嫌いが、そう簡単に治るなんて思えない。
そんなことを考えているうちに、家に着いた。車に鍵を掛け、さっと家に入ろうとしたそのとき。
「よう」
と悪寒の走る声が聞こえた。声のする方に目を向けると、そこにはヒデがいた。
「な……」
「なんで家を知ってるかって? 烏町にはドライブに来たことがあっただろ? その時、お前が言ってたじゃねぇか。ここが私の家よ、ってさ」
「……」
怖くて足が動かない。声も出ない。もう、安心して家に帰ることもできないの……? 絶望感に包まれ、私は泣きそうになった。
「アキの返事が聞きたくてよぉ。だけど、美容室の方はガードが固くなってるしなぁ、って思ってここに来たんだ。わざわざ来てやったんだぜ? で、返事は?」
「な、なんの?」
頭が働かない。返事って言われても、私、何か聞かれてたっけ?
「とぼけんじゃねぇよ。俺とまた付き合うかどうかさ」
「そ、そんなの……」
「付き合うわけないじゃないですか」
突然、違う方向から声が聞こえた。
「あぁ?」
ヒデが睨みつけたその先には、広行君がいた。
「ひ、広行君!? どうして……」
「すいません、夜分遅くに家に来てしまって。ちょっと明子さんにお話があって」
「おい、若造は後にしな。俺の話が先だ」
「あ。申し訳ないんですけど、その話は無かったことにしてください」
「は?」
「最後の方だけ聞こえてしまったんですが、元カレさんですか? また付き合いたいって言っても駄目ですよ」
「なんでテメェが勝手に……」
「だって、明子さんは僕と付き合うんですから」
彼はにこりと笑って私の方を見た。まるで「ここは頷いてください」と言っているかのように見え、私は藁にもすがる勢いで激しく頷いた。早く、どうにかしてこの場を切り抜けたいと思って。
「アキ。お前、相変わらず手が早いんだな。まぁいいや。俺んときみたいに、さっさと付き合ってさっさと別れちまえよ。あーあ、興醒めだわ。じゃあな」
彼がそう言い捨て、去っていくところを見たら、急に足が震えだした。そして、腰を抜かしてへたり込んだ。……またか。
「明子さん! 大丈夫ですか!?」
彼が駆け寄ってくる。
「ははっ。大丈夫。いやー、情けないところ見せちゃったねぇ」
苦笑いと共に涙が溢れ出た。我慢していたものがどっと。
「あ、あの。ここ……、玄関先だとなんですし、僕の車の中でお話ししませんか? ちょっと落ち着くまで」
「うん、そうね。ありがとう」
と言っても、足が震えて立てない。足どころか全身が震えている。あぁ。年下になんて情けないところを見せているのか。情けなさに打ちひしがれていると、「ちょっと失礼します」と言って、広行君が体を近づけてきた。
「なっ、なにっ!?」
彼は腕を伸ばしてきて、私をお姫様抱っこして立ち上がり、そのまま車の方へと歩いていく。器用にも、そのまま助手席のドアを開け、シートに座らせてくれた。嬉しいけれど、恥ずかしいことこの上ない。私、三十路。彼二十五。そんな私がお姫様抱っこされるなんて……。
と、それよりも。彼が運転席に腰を下ろしたところを見計らって、私は早速質問した。
「なんで、うちに来たの?」
「なんで、って。明子さんに会いに。勤務先の場所も知らないし、家ぐらいしか明子さんの居場所が思い浮かばなくて」
「あなたが自分の意思で出てくるなんて珍しいじゃない。なにかあったの?」
彼は少し不機嫌そうな顔をして私を見た。
「なにかあった? はこっちのセリフです。ぱったり連絡が来なくなって。心配してたんです」
心配。広行君が私のことを?
「明子さんからの連絡が来なくなって、僕、寂しかったんですから。休みの日は何をしてたんですか?」
彼がこんなにも話をすることは珍しい。そんなに心配されていたのか。
「休みの日は……。外に出ないようにしてた」
あいつにまた遭遇したらどうしようと、怖くて。そのために広行君を利用することも考えた。だけど、大切な友達にそこまで迷惑をかけれらないと思って控えていた。もう十分迷惑をかけているけれど。
「家から出ないって……。結局、僕と一緒じゃないですか」
彼は嫌味っ気のない笑みを浮かべて話しかけてきた。
「予定をキャンセルしたのも、あの人が原因ですか?」
「うん、まぁ……」
あいつと別れてから、気持ちのいい生活ができていると思っていた。でも、過去の出来事を消し去ることまではできない。こんな日が来ることも想像していなかったわけではないけれど、まさか本当にあいつが私の前に再び姿を現すなんて。
「広行君にも言ったわよね? 私、男の人が嫌いなんだって」
「はい」
「でもね、広行君といると不快じゃないし、むしろ安心して一緒にいれたの。だから、男の人も悪くないものなのかもって思い始めたんだけど、あいつに再会したら、昔の思い出が甦ってきて……。やっぱりダメかもって思っちゃったのよ。それに、これ以上、広行君を頼って迷惑かけるわけにはいかないとも思ってね」
「迷惑? 僕に?」
「なんかさ、私、あなたのことが好きみたいに思われちゃったらどうしようかと思って。その気にさせちゃったらまずいかなぁって。だって、折角の友達を失いたくなかったから。妙な雰囲気になって一緒にいることが辛くなることも嫌だったから。それに、いざ広行君に好きな人ができたら私はお邪魔になっちゃうだろうしさ。だから、思わせ振りな態度はもうやめようと思ったの」
「だから連絡は取らないようにしたんですか?」
「そうよ。私にとって都合の良い関係でも、あなたにとっては良くないと思うから」
「僕のこと、考えてくれてたんですね。ありがとうございます。でもそれは不要な心配です」
「え? なんで?」
「僕、明子さんのことが好きなんです」
「は……?」
聞き間違いのように聞こえた。目をぱちくりさせていると、彼は再び口を開いた。
「明子さんがお邪魔だなんてとんでもない。むしろ、今の僕の生活は、明子さんを中心に回っています」
「……」
彼があまりにも真面目な顔で話をするものだから、冗談で返すことも、笑い飛ばすこともできずにいた。
「ご、ごめんね。私の軽率な言動でその気にさせちゃったみたいで」
「問題ないです。初めて声をかけられたときからその気になってましたから。ただ、これが好きだという気持ちなんだってことにに気がついたのは、ついさっきなんですけど」
「さっき?」
「すいません。勝手ながら、雄介さんと結衣さんにも話を伺いまして。結衣さん、明子さんのことを凄く心配してましたよ?」
「あっ! 結衣に連絡返すの忘れてた!」
私は慌てて携帯電話を取り出した。そこでやっと、広行君からメールが来ていたことを知った。
「……ごめん。メールしてくれてたんだ」
「えぇ。まぁ、気にしないでください。それよりも、結衣さんに返事を」
そう言われて、私は頷き、結衣宛のメールを作成をする。作成し始めてから送信するまでの間、広行君は静かに隣に座ったままでいた。
「送信完了っと! ごめんね。広行君の話、中断させちゃって」
「いえ、大丈夫です。ところで、あの……」
「ん?」
「明子さんは、僕のことをどう思ってますか?」
「……」
なんて言ったらいいのだろうか。好き、なのだろうけれど、男性と付き合っていく自信が無い。不安だし怖い。
「もし良かったら、僕と付き合ってみませんか? 僕、彼女ができたことないんで自信は無いですけど。それでも明子さんと一緒に居たいと思っているので」
「……いいの?」
「もちろんです。あ、でも無理はしないでくださいね。嫌なら嫌って言ってもらえればいいですから」
寂しげな笑顔を見せた彼に、私ははっきりと口にした。
「嫌なんかじゃない」
今度は目を合わせてもう一度。
「私だって、広行君のことが好きなんだから」
なんだか、睨みつけるような感じになってしまったかもしれない。そんな私の顔を見て、彼は笑う。
「なっ、なに笑ってんのよ!」
「だって、怒ってるように嬉しいことを言うから」
彼の笑いは止まらない。
「なによ。付き合いたいの? 付き合いたくないの?」
「それはもちろん、付き合いたいです」
笑いも収まり始め、彼はいつもの冷静さを取り戻してきた。
「でも、心配なことがあります」
今度は真顔で口を開いた。
「さっきの人、明子さんのことを諦めたんでしょうか?」
「諦めたでしょ。今の彼氏が目の前に現れたんだから」
「それでも」
広行君の口調は強くなる。
「僕は心配なんです。明子さんが家に帰るとき、あの人がここに現れないとも限らない」
「心配しすぎよ。大丈夫だって」
「明子さんだって、そうやって強がってはいても、本当は怖かったりするんじゃないんですか?」
本当にこの子は……。察しが良すぎる。気が利きすぎる。そんなふうに心配されたら、甘えたくなっちゃうじゃない。弱いところを見せてもいいと思っちゃうじゃない。そうやって女は落ちるんだよ。
「それは、まぁ。少しは……」
「だったら、僕と一緒に暮らしませんか?」
「へ?」
彼の唐突な発言に驚いた。
「お互いの職場の中間ぐらいの場所にあるアパートの一室を借りて、一緒に住みませんか?」
「そ、そんなに慌てなくても」
「できるだけ早くがいいです。僕、心配で眠れなくなりそうです」
「あー……。ちょっと考えさせて」
頭を抱えた。いくらなんでも心配性過ぎるだろう。もっとどっしりと構えてくれていてもいいと思うんだけれど。だけど、確かにあいつがまたここで待ち伏せしてたら、と考えたら……。吐き気がする。
「ごめんね。私、変なとこで優柔不断なの」
「あっ。す、すいません。なんか僕が我儘を言ったみたいになってしまって……」
広行君がちょっと凹んだようだった。
「ふふっ」
その凹み具合を見て、笑いがこぼれてしまった。
「広行君って、可愛いよね」
「は、はい?」
「なんか、女の子みたい」
「それは、褒められてるんですか?」
「もちろんよ。だって私、男が嫌いだもの」
満面の笑みを見せて言ってやった。
後日、結衣のところで緊急会議その二を開催。その一の時、私は不在で三人だったけれど、今度は四人で会議だ。
お題は『アパートでの二人暮らし』。二人暮らしの先輩である、結衣と雄介さんの意見を交えて、私達は話し合った。
「まぁ、まずは互いの両親の説得からよね。私達は籍を入れてから二人暮らしを始めたんだけど、アキと森田君の場合はまだ結婚っていうわけにはいかないだろうし……」
「いっそのこと、一人暮らしをするって嘘ついちゃえば?」
「ばかっ!」
雄介さんの提案は、結衣の一喝によって否決された。
「そ、そうだね。嘘をつくのはいけないよね、うん」
雄介さんは、結衣の尻に敷かれている様子だ。夫よりも妻が強くある。それが夫婦円満の秘訣だとよく耳にするが、実際のところはどうなのだろうか。
それはさておき。
「私は、一人暮らしをしようが彼氏と住もうが、家を出るってことについて親に反対されることはないと思うけど……。広行君の家はどうなりそう?」
「僕も問題ないと思います。むしろ、彼女と暮らすなんて言ったら喜ばれそうです」
彼女。そうだ。私は広行君の彼女になったんだ。そう思ったら一気に顔が熱くなってきた。
「新婚かっ!」
「こら! ゆう君! 茶化さないの!」
また怒られている。傍から見ていると、面白い夫婦漫才だなぁなんて思ってしまう。
「明子さん、じゃあ僕達も結婚しましょうか」
「はあっ!?」
彼は一体何を言っているんだ。出会って一年も経っていない相手と結婚? そんな冗談が通じるわけ……。
「おっ。いいんじゃね?」
「そうね。いいと思うわ」
通じちゃった!
「ままま、待って! せめて結婚を前提にとか……」
「なるほど。僕はそれでも構いませんが」
広行君は一体どれだけ真面目な人なんだ。かと思えば冗談を言うこともあるし。はてさて。こういう場合はどうしたら……。
「ちなみに、うちのアパート、下の部屋あいてるわよ?」
「おー、そうだったな。うちの下に住んじまえよ」
「あ、それもいいですね」
私以外は皆、ノリノリである。
「その前に確認したいんだけど。広行君は貯蓄はあるの? 家を出るとなれば、色々と必要な物があるし、家賃とか光熱費とかその他諸々も必要になってくるけど」
「まあ、それなりには。あ、もしかして明子さん、そんなに貯金してない感じですか?
心配しなくていいですよ、僕が出しますから」
「私だって、それなりにあるわよ! 馬鹿にしないで!」
そのやり取りを見ていた結衣と雄介さんは大笑いをしていた。
「じゃあ決まりね」
「引っ越すときは手伝うから、言ってくれよ」
「ありがとうございます」
「……ど、どうも」
なんだか上手いこと乗せられた気がする。まさか、引きこもりの広行君に、私が引き出されるとは思ってもいなかった。彼はなかなかの策士なのかもしれない。
二人暮らしの話以外にも、世間話やら雑談をし、キリの良いところで私達は帰ることにした。
「とにかくまぁ、私のブーケトスが実ってくれてよかったわ」
「本当にね」
私と結衣は目を合わせて笑った。笑いが収まってきた頃、雄介さんが話しかけてきた。
「明子さん、ごめんね。結婚式の時、友達が迷惑をかけたみたいで……。あいつら、式に来る前から酒飲んでたらしくてさ。本当に申し訳ない」
「いいんですよ。確かに少し嫌でしたけど、広行君と出会えて結果オーライです」
私は微笑んで言った。
「そう言ってもらえると、気が楽になるよ」
「それに、あの人達のことで広行君との話も盛り上がったわけですし、とにかく感謝してます。お二人の結婚式にも、お友達にも、引き出物にも」
「引き出物?」
雄介さんが首を傾げ、隣の広行君は笑いを堪えている。
「なんでもないです。それじゃあ」
ぺこっと御辞儀をして、結衣には手を振って、私達は二人の部屋を後にした。
「引き出物を忘れる人なんて、そうそういないですよね」
ちょっと歩いて、アパートから少し離れたところで、広行君が含み笑いを浮かべたまま口を開いた。
「いいの。ちゃんと取り戻せたわけだし。しかも、大きなお土産もオマケで手に入れちゃったわけだし?」
「お土産? オマケ?」
「そ」
あんたのことよ。
本人は気づいているのかいないのかわからないが、私はなんだか嬉しくなって、彼の手を握った。彼も何も言わずに強く握り返す。手と共に、心も強く繋がれたように、一人ではない安心感に包まれながら帰路に着いた。




