七色の鱗 4
夏島家はごく普通の一軒家だった。
インターホンを押すと間髪入れずに夏島さんのお母さんが飛び出してきた。
以前の様子がわからないので比較のしようがないが、それでも血走った目と黒い隈が彼女の普段通りの様子であるとは考えにくい。
「クラスメートの垣根和馬と」
「同じくクラスメートの松葉裕太です」
「こんばんは。私が夏島です。電話をくれたのは確か垣根君のほうよね。さあこちらに」
そういうや否や夏島夫人は和馬の手を取ってぐいぐいと引っ張る。
「ちょ!あ、あの夏島さん。慌てないで下さい!」
和馬が面食らってそう叫ぶと、夏島夫人がキッと振り向く。まるで信じられないものでも聞いたという顔だ。その顔に和馬はもう一度ぎょっとする。
「慌てないで!?これが慌てないでいられるの!?娘が!もう一週間も目を覚まさないの!お医者様もお手上げで意味が分からないっておっしゃるし!でもあなたは何か知ってるんでしょう!早く!娘をもとに戻してよ!」
鬼気迫るという言葉がここまで実感できる場面はそうないだろう。
ヒステリックに叫んだ夏島夫人は、そのまま崩れ落ちるように座り込んでしまった。
裕太たちは思わず顔を見合わせる。
我々はとんでもないことをしてしまったのではないか、そんな思いだけが頭の中をぐるぐると回る。
「失礼しました。申し訳ありません」
その時夏島夫人が立ち上がる。
「いえ、大丈夫ですか?」
「もう大丈夫です。さあ、こちらに」
涙を隠そうともせず夏島夫人は歩き出した。
今度は手をつかんで引っ張られているわけではないが、それを見てしまった裕太たちに、それがとても自分の手に負えない、決して好奇心で立ち入ってはいけないところだとわかっても、もはや後戻りすることなど許されなかった。
夏島晶音の部屋は二階の奥にあった。
ドアを開けると想像よりも淡泊な雰囲気の部屋が広がっていた。
薄青色の椅子。木目調のデスク。クリーム色の手提げかばん。その他多くの文房具などがある。そのどれもが見た目よりも実用性で選んだようなどこかそっけないものだ。
そして部屋の奥。窓の横に晶音は寝ていた。
ベットの上に横になり緩やかに上下する布団を見る限りではいたって普通の就寝風景に見える。
「この状態が一週間になります」
夏島夫人の声に隠し切れない疲れがにじんでいる、いや隠す余裕などもうないのかもしれない。
「二週間ほど前から様子がおかしくなったんです」
「どんなふうにですか?」
和馬が慎重に話を進める。さっきの変貌ぶりを見れば夏島夫人ももうかなり限界に達しているのだろう。
「ボーとしてる時間が増えたような気がします。ただ空中を見つめて、話しかけても気が付かないようなことが多くなりました」
夏目夫人の口調からは疲れ以外の一切の感情が感じられない。もうこの話を何度も何度も繰り返してきたのだろう。もはやそれこそ物語を淡々と語っているようだ。もしかしたらそのほうが夏目夫人にとって負担が少ないもかもしれないが。
「最初は晶音が風邪でも引いたものだと思ってゆっくり寝かせていたんですが、だんだんひどくなっていったんです」
「…」
和馬は少しうなずいて話を促す。
「だんだんと朝起きてこなくなったんです。正午になってもリビングに現れないので様子を見に行くと、起きてるんですが起きようとしない。いっそ起きまいとしているそんな印象を受けました」
「それは…、晶音さんが眠りたがっていたということでしょうか」
「たぶんそういうことだと思います。それからはあっという間でした。寝ている時間、いえ、起きていない時間が短くなり、食事をとらなくなりました。そして一週間ほど前からもうこの様子です」
夏島夫人はそこまで言うと静かに目を伏せた。まるで何かを見まいとするように。
和馬とそのうしろにいた裕太はそれにどう言葉をかけていいのか判らない。
誰も身じろぎ一つしない沈黙が部屋を満たした。
沈黙を破ったのは和馬だった。和馬は恐る恐るといった感じで、夏島夫人に切り出した。
「一つお聞きしたいのですが」
「なんでしょう」
夏島夫人が顔を上げた。
「夏島さんは二週間前変な夢を見たとは言っておられませんでしたか」
「確かにそういっていたと思います。でも、てっきりそれは熱にうなされてるのだと思って…」
「どんな夢だったか聞いていませんか」
「よく覚えていませんが…、確か真っ暗な空間の中で何かに出会った、と言っていた気がします。もしかして晶音の夢がこの症状と何か関係があるあるのですか?」
「いえ、確証はありませんが」
和馬はそういうとかの都市伝説のあらましを夏島夫人に説明する。さすがに都市伝説ですとは言わなかったが巷でこういう噂が流れていると前置きをして話す。
「変な夢を見たといって目を覚まさなくなる人がいる、垣根君は晶音がその病に侵されているといいたいのですか?」
話し終わってまず最初に夏島夫人はそう叫んだ。和馬は一度も病とか疾患とか、病気を連想させるような言葉を避けて話したが、そんな気遣いは全く意味をなさなかったらしい。
「そうと決まったわけではありませんが、この噂と似通った点は多いと感じています」
和馬の言に夏島夫人の顔に一筋の光明が現れる。一週間も何もわからないままで苦しんだのだろう、これでやっと事態が解決に向かうと安堵したのだろう。しかしそれも一瞬のことであった。
「それでその噂では、この症状はどうやったら治るといっているのですか?」
「それは…」
夏島夫人の眼光に充てられて和馬は口ごもる。しかしここまで話してしまったのは和馬だ。話すしかない。
「まだわかりません」
意を決して述べた和馬の言葉に夏島夫人の時間が止まる。
「は?今なんと」
「ですからわからないのです。噂は症状に関するものだけで、治し方に関しては触れられていないのです」
「…」
「……すみません。こんな話しかできなくて」
和馬はうなだれてそういった。いやそうするしかなかった。一瞬光が戻っただけに、それが瞬く間に取り上げられてしまった夏島夫人の顔はとても見てはいられなかった。




