七色の鱗 26
晶音は黙ってしまった裕太に語り掛ける。その目は細められ隙間から鋭い光が覗いでいる。その口は微笑をたたえ張り付いたように揺らがない。
「真実はいつも残酷で醜悪で無慈悲でどうしようもない。でもそれだけがどこまで行っても変わらないものであって変えられないものであって。いつだって自分の前に立ち現れてあなたを支え、あなたの前に立ちはだかってその行く手を阻む。それが真実というもの。あなたがそれを認められなくても、それはいつだってそれでしかない」
「…そんなことはわかってるよ」
「じゃあ、真実を認められないあなたはいったい何者なの。それでしかないものをそれと認められないあなたをいったいどんな呼べばいいの」
「…」
「黙り込んだってわからないわ」
晶音はころころと笑いながら、しかし極めて自然に、無遠慮に、無慈悲に、裕太がまとった数々のベールをはぎ取っていく。目は細められ、微笑はこぼれる。花をめでる乙女のような、虫をめでる乙女のような、そんな表情だ。裕太は自分の背筋を何かとても冷たいものが駆け抜けていくのを感じる。
「あなたが答えないなら、私が答えてあげる。この期に及んでも自分の中の答えに、どうしようもない自分自身の真実に、目を向けられないあなたの代わりに」
晶音は心底楽しそうだ。そしてそのまま裕太が最も踏み込んでほしくないところに土足で踏み込む。
「本物でない自分自身、中身を捨てた生皮、夢から逃げ出した夢みる少年。人はね松葉君、おおよそ真実でないものを偽物と呼ぶ。君は君自身を欺いたのよ」
裕太は答えなかったが、彼を見つめる夏島さんの光る瞳が彼を容赦なく照らす。
「君は自分自身を認めることができなかった。すべて自分の望むものを欲しい欲しいと、さながら赤子のように泣き叫ぶそれを信じられなかった。君は幸か不幸か人よりも多くのものが見えてしまった。他人に決してかなわない自分自身の平凡性に気が付いてしまった。でもそれを知っていて猶、君の中の君はそれが欲しいと泣き叫んだ。だから君は君自身を覆い隠した」
晶音の声は柔らかかった。柔らかくて、静かで、それ故容赦なく裕太の心の奥底を撫でまわす。
「それは当然のこと。誰だって思うこと。何も隠す必要のないもの。誰だってかけがえのない自分になりたくて、ほかの誰でもない自分を認めてほしくて、大多数とは違う自分自身を探している。それは当然で、みんなが願うことで、そして往々にして叶わない」
裕太は口をきつく結ぶ。
「なぜなら君は君が知っているように、そして君が知っている以上に平凡で、どこにでもいるただの男子高校生で、他人に勝る才能も、他人を下す気概も、他人を凌駕する努力も何も持っていない。そしてそれを願ってもそれを手に入れる勇気を持っていない。だから君は嘘をついた」
晶音は静かに裕太を見つめる。その瞳にさっきまでの厳しさはなく、そこにあるのはわずかな憐れみだけだった。
「手に入れられないことはつらいこと。かなわないことは許せないこと。だから君は望むこと自体を否定する。望まなければ手に入らなくても何も感じない。なぜなら望んでなどいないのだから。かなわぬ願いに苦しむこともない。なぜなら願ってなどいないのだから。君の選択はある意味でとても道理的で正しい」
晶音はそこで少し間を置いた。時間が止まったかのような音のない沈黙が二人を支配する。
「でも、君の本性はその嘘を見破ってしまった」
晶音の声が裕太の耳をうつ。どうしようもないほど冷静で、だからこそ一片の反論も許さないかのように。
「あの石はね松葉君、人の夢を見る石なの」
晶音が投げかけた言葉に裕太はハッと目を上げて、晶音を見る。そしてまるで何年も口をきいていなかったかのようにおずおずと口を開く。
「人の夢を見る?人に夢を見せるってことか?」
晶音は微笑みながら首を振る。
「いいえ違うはあれは人の夢を見るための石。人がその心の奥底にしまってある最も大切な思いを覗いて、それをかなえて、そして夢の中に立ってしまった人を見るための石なの」
晶音は裕太のほうにゆっくりと近づきながら続ける。
「君も見たんじゃないの。君の心の奥底で、君が隠して、覆ってしまった心の底で。陽も全く入らない真っ暗な闇の中で、ただ一つ光り輝くあの瞳を」
晶音は裕太の目の前に立つ。一歩踏み出せばぶつかりそうなほど近くで、晶音は裕太の目を覗き込む。晶音の瞳に雲が映って見える。
「君だって見たでしょう。心の奥底の夢を見る瞳を、人を見続けて、夢を見続ける彼の瞳を」
晶音の瞳の中で何かが動いた気がした。決して動かない雲の中で何かが動く。鏡のような水面に初めて波紋が生まれる。裕太は晶音の目の中にそれを見つける。
白磁のような角は鹿に似て、長い牙は真珠の様に七色に輝く。どこまでも続く長い体は桃色の鱗に覆われて、日差しを受けてキラキラと光を放つ。その瞳は縦に裂け、空色の隻眼で裕太を見下ろす。
裕太は振り返った。
そこにはあの桃色の龍がいた。




