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七色の鱗  作者: 河東 鶚
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七色の鱗 17

 あの夜からもう数日が経った。

 あの後裕太は和馬の家に引き返し、いまだ呆然としている和馬の母親とともに和馬を起こそうとした。

 ゆすっても大声で呼びかけてもなんの変化もなく。

 冷水をぶっかけて頬を張っても和馬は静かな寝息をたてていた。

 最後は冷静なら思わず眉を顰めるほどの強さで、和馬の頬をぶん殴った。

 しかし、和馬は変わらず微笑をたたえて眠り続けた。全力で張ったはずの頬も全く赤くなどならなかった。

 呆然とする裕太をよそに和馬の母親は救急車を呼んだ。

 しかし救急隊員もただ首をかしげるばかりであった。

 何をしても起きず、食事をとらずとも痩せず、排せつもせず、体温や心拍に変化はなく、汗もかかず。

 和馬は眠っていた。

 幸せそうな寝顔であった。

 初日は病院まで付き添った裕太も、和馬の顔を見て以来、一度も病院には行っていない。

 きっと裕太は怖いのだ。自分が全力で起こそうとしている友達は本当に起きることを望んでいるのだろうか。そう考えてしまったらもう何もできなくなる。

 気が付けば裕太の手の中には、あの石とノートだけが残っていた。



 夏島のお母さんから電話がかかってきたのはそれから数日のことであった。

「垣根君が晶音と同じ症状になったと聞いて」

 夏島夫人はおずおずとそう切り出した。

「…そうですね。目覚めなくなってもう数日になります」

 裕太はぶっきらぼうに答えた。不安と疲労がピークに達していて、とても常識的な対応がとれる状態ではなかった。

「その…詳しく教えていただいても」

 夏島夫人はそんな裕太の様子を感じてか、申し訳なさそうにそう切り出した。

 夏島夫人の声にもやはり疲労がにじんでいたが、それは初めて裕太があった日のあの鬼気迫るようなものではなくなっていた。だからこそ裕太の様子に気が付けるような余裕も生まれたのだろう。

 裕太はそんな夏島夫人の様子を不快に思った。

「…詳しくも何もありませんよ。夏島さんと同じく、だんだんと起きている時間が少なくなってそのままです」

 裕太はノートの内容を誰にも語るつもりはなかった。和馬の母親にもそれは明かしていない。それがどうしてかは裕太のもわからないが、どうしても裕太は和馬から託された言葉を他人に見せたくはなかった。

「…それだけだったの」

 なおも食い下がる夏島夫人を突き放すように裕太は答えた。

「ええ、本当にそれだけですよ」

 裕太はそうとだけ言うと電話を切った。

 夏島さんの母親が落ち着いてきた。そのことが裕太をたまらなく不快にさせていた。

 なぜ、あなたは自分の娘がもう目覚めないかもしれないのに落ち着きはずめているんだ。どうして苦しみを乗り越えてしまったのだ。どうして、整理し始めてしまったのか。

 そんな問いが脳裏を駆け回った。

 むろんそれは八つ当たりに近いものだ。

 裕太とて幽鬼のようになってしまった夏島っ夫人の顔を今でも克明に覚えている。しかし、いやだからこそ。夏島夫人が自分の娘が目を覚まさないという状況に向き合い始めてしまったことが許せなかった。

 それをまるで『もう裕太のもとに和馬は戻ってこない』と言われたかのように感じた。

 夏島さんが起きないことを認めてしまったかのようなその姿勢は、裕太に和馬はもう目覚めないと宣告しているようだと、そう感じた。

「どうして…どうして…」

 裕太はここ数日繰り返してきて、しかし答えなどはなからないような問いをまた繰り返す。

 いや、もう今となっては答えどころか問い自体が破綻している。なにに対して『どうして』と叫んでいるのか、もはや裕太にもわかっていなかった。

 何も言わずに消えてしまった和馬に対してか。そもそも和馬に原因を作ってしまった夏島さんに対してか。都市伝説をサイトに書き込んだ名も知らぬだれかに対してか。和馬に石を貸した夏島夫人に対してか。この見えない状況に対してか。いつまでたっても出口が見えないこの騒動に対してか。現状を認め始めてしまった夏島夫人に対してか。

 それとも、どうしてと問うことしかできずにないもすることができない裕太自身に対してか。

『この世界は理不尽だ』

 その時和馬の声が脳裏に響く。

 自分の理想と乖離した世界から離れて行ってしまった友人の声は、感情もなく淡々と裕太に話しかける。

『どうして俺の理想は実らないのか』

「やめろよ…」

『どうして夢はかなわないのか』

「やめろって」

『どうして俺はここにいるんだ」

『どうして俺はこの世界にいなければならないのだ」

『どうして』

『どうして』


「どうしてなんだよ!」

 もう幾度目かわからない裕太の叫ぶに答えるものはいなかった。

 


 裕太はその夜久しぶりに安らかな眠りについた。

 その枕元には、小さな巾着袋が置かれていた。


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