七色の鱗 15
『目の前がぐるぐると回転して見える。今が夢なのか現実なのかがわからなくなる。
いや、わかっているのかもしれない。頭のどこかがこれは紛れもない現実だと確信している。しかし、それをはるかに上回る音量で脳裏に声が響く。
…ここは俺のいるべき世界ではない、と。
今が現実だと確信する自分と、これは現実などではないと叫ぶ自分が交差する。
片方はどんどん弱く、片方はどんどん強く。
俺はどんどんと石に引き付けられる。
これが現実だとは信じたくない。
あの世界がただの夢であったと、一時の水泡であったと、どうしても信じられない。
俺はきっとこの世界が夢であの世界が現実だと信じたくて、そしてもう心のどこかで信じてしまっているのだろう。
この世界を捨ててあの世界に、俺の本来いるべき現実に帰りたいと、悲鳴が上がる。
あそこに行きたい、そしてここにもう二度と戻りたくはないと、絶叫が聞こえる。
ああ、俺はもう手遅れだ。
もうどれが夢で、どれが現実かわからない。
ただ、あの世界が現実であってほしいと心の底から願ってしまう。
今これを書いている俺の中の最後の理性も、いつしか絶叫する俺自身に変貌するだろう。
その時は俺の最後だ。
たぶん血走った目でベッドに入り。
そしておそらくもう戻ってくることはあるまい。
この世界は理不尽だ。俺を必要としてくれる人はここにはいない。この世界は不可解だ。俺の必要とする時はここにはない。
これこそが都市伝説の真実だろう。
現実がわからない、夢もわからない。だが、行きたいと切望する世界が見えて、幸か不幸か隔てるものは何もない。
この世界を捨てて、あの世界へ。現実から夢の中へ、それとも夢から現実へ。
はじめはあんなに恐ろしいと感じていた都市伝説だが、今はその眠りを渇望している。
夏島さんのお母さんには大変申し訳ない気もする。しかしこれが俺の選択であって、そして夏島さんのお母さんも夢の中の存在である以上、もう俺には関係ない。
それに、目が覚めなくなった夏島さん自身だって、きっと己のいるべき世界に帰ったということだろう。そうであるならば、あの覚めない眠りそのものが、今彼女が幸せであるという事実を象徴しているのではないだろうか。
そろそろこの日記も終わりにしよう。
しかし最後に、裕太にメッセージを残そうと思う。初めからそのために書き始めたノートだ。
それにあの時裕太は俺の目を見て『信じている』といった。なんの臆面もなく真剣に俺に語り掛けた。きっと裕太は少なくとも俺自身をまっすぐに見つめて信用して、そしてもしかしたら必要としていてくれたのかもしれない。
だが俺はもう裕太と会うことはできない。俺は自分の中にあってずっとずっと自分にすらわからないように隠してきた裕太への嫉妬や怨嗟を知ってしまった。
俺のコンプレックスは裕太に触発されていた。
唯一信頼できる奴が俺の最も会いたくないやつだったなんて。
もし裕太がこの日記を読んでいるなら、俺の枕元にある石とこの日記帳を君に任せようと思う。
処分してくれてもかまわない。そうすれば少なくとも裕太の周囲からこの不可解な現象は消え去るだろう。もちろん俺や夏島さんという『患者』は残るかもしれないが、もはやそれは不幸な事故にでもあったものと思ってくれ。
しかしもし石を捨てられなかったなら、この石を使用するのは大変なリスクを伴うとだけ書いておく。ここまで読んできたなら今更詳しい説明は必要あるまい。
真っ暗な現実の中でただ一人浮かんでいた。辛くてしんどくて理不尽で不可解で、救いようのない世界だ。俺はそこにただ漠然と浮いていた。
ある時遠くに白い光が見えた。それがこの石だ。
この石が見せてくれた世界は白い光に満ちていた。希望の世界だ。俺が必要とし必要とされる世界だ。夢のような現実の世界だ。
俺はこの石の導きに従っていこうと思う。白い雲が流れる世界に。
もう『こちらの』裕太と会うことはないのかもしれない。いや、会えるとしてももはや俺は会いたくないと思うだろう。
だが、俺は裕太のことを忘れない。この暗い世界の中で裕太はただ一人まっすぐ俺を見て話してくれた。とてもうれしかった。
ありがとう
そして 済まない
さようなら
垣根 和馬 』




