同僚の心、彼女知らず
扉を抜けると、そこには入った時と同じメンバーがまだ立ち尽くしたままだった。
リエリアと交代したはずの騎士も、まだその場に留まっている。
全員がリエリアを見るなり、息を呑んだ。
それはそうだろう。
氷の銀騎士と呼ばれる美しい出で立ちで扉をくぐったはずの彼女は、今や服はボロボロ、血と水でびしょ濡れなのだ。
おまけに血は今も止まっていない。
「リエリア…!大丈夫か?!」
「リエリア様……っ!」
慌てたように準備していたのだろうタオルを差し出す侍女。
だがそれを手の動きだけで留めたリエリアは、小さく首を振った。
「大丈夫です。汚れますから、触らないように」
「ですが…」
「すぐに止めますから」
言うなり、小さく唱えて魔術を発動する。直後、傷口から溢れ出していた血は止まった。
更に良く見なければ分からない程度の風の膜が、リエリアの体を包む。
その膜が、床に滴り落ちようとする血を膜の中に留めてくれた。
これで廊下を汚すことはないだろう。
心の中で呟いて、自分の服の状態を見遣る。
傷を塞ぎ、着替えなければならない。夜会に出るため身なりを整えろと命令されたばかりだ。
「先程の引き継ぎでは、夜会は会場外の警護となっておりましたが、殿下より直接警護の命令がありました。申し訳ございませんが、配置を直して頂ければ」
「……っ!分かった…」
「お手間を取らせて申し訳ございません」
王子たちが王宮外に出る際に警護任務につく近衛騎士は4人。それ以外は一般の兵士が対応する。
夜会の際は会場内に入る王族に付き添うのが2人、会場外の警護に2人が当てられることになっている。
扉を通る前、引き継いだ際にはリエリアの配置は会場外だった。
だがルーザス直々の命令となれば、変更せざるを得ない。
本当は、なるべくルーザスからリエリアを引き離してやりたい近衛騎士たちが、毎回わざと彼女を会場外の警護に当てているのだ。
少しでも、罰を与えられる理由を作らないために。
少しでも、リエリアの姿を隠してやるために。
だがその目論見も外れてしまった。
一緒に夜会の警護に出る予定の近衛騎士が、ギリッと歯を食いしばって答える。
しかし当のリエリアは、そんな近衛騎士たちの思いなど気づいていない。
自分の感情すらよく分からないリエリアにとって、他人の感情は更によく分からない。考えようと思ったこともない。
手間だなと思われているのだろう、としか思えないのだ。
「取り急ぎ、格好を整えて参ります。少し外しても宜しいでしょうか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ。慌てずにな」
「ありがとうございます」
「俺明日休みだし、もう少し残業したって問題ないから、ゆっくりやってきなよリエリア」
「お手数をお掛けします。では、お言葉に甘えます」
なんとか笑顔を作って言う同僚にペコと頭を下げ、リエリアは歩き出した。
この姿を人に見られれば問題になること程度は分かっている。
さっさと着替えなくてはならない。
幸いこの階には、何かの際に近衛騎士たちが着替えるための更衣室がある。
そこに新しい制服もある。そこで怪我を治し、さっさと着替えればいいだけだ。
実は新しい制服が用意されているのは、侍女たちがリエリアのために配慮してやっていることだというのを、リエリアは知らないが。
スッと音もなく執務室前を離れると、そのまま歩いてそう遠くない更衣室へ入った。
扉を閉め、フゥと息をつく。
「今日は背中が…多いな。塞がないと、またシャツが駄目になる…」
呟きながら更衣室の奥にある棚を開ける。
中に入っているシャツを出し、傍に掛けられている制服から自分のサイズを抜き出してソファへ投げた。
そしてボロボロになってしまった今着ている制服を脱いでいく。
顕になった体には、大きな裂傷が5箇所、後は背中に真っ赤なミミズ腫れのようなものが無数についていた。
背中のミミズ腫れは、いくつか皮膚が裂け、血が滲んだ跡がある。
「止血だけ先にしといて正解だったかな…」
言いながら、自らの体に治癒魔術を施す。穏やかな光が体を包んで、少しずつ傷を塞いでいった。
背中の傷はともかく、裂傷が塞がるまでは少し時間がかかるだろう。
脱いだ制服を、これまた魔術で空中に発生させた火に投げ入れ処分しつつ、フムと頷く。
「シャワーでも、浴びるか」
タオルで体を拭こうかと思っていたが、それではタオルが血だらけになる。
そう考えて裸のままトコトコとシャワー室に向かった。
本来は、魔術で一気に体に着いた血を落としてしまうことも出来なくはない。
わざわざ水に濡れる必要はないのだが、なんとなく浴びてサッパリするのも悪くない気がした。
そのまま部屋の奥にあるシャワー室の扉を開く。
キュっと栓を捻ると、勢いよく水が飛び出してきた。
魔力がない騎士もいる近衛騎士団の更衣室は、基本全てのものが魔道具ではない。
リエリアのように魔力を扱うことに長ける者は、身の回りのものを全て魔道具で揃えることが多いが、リエリアとしてはこうした魔力に頼らないものも嫌いではなかった。
なんとなく、人の知恵の凄さを感じる。
徐々に温かくなる水を浴びながら、脳裏に浮かんだのはルーザスと初めて会った日だった。
あの日から、何も変わることなくこの行為は続いている。
嫌だとか、悲しいとか、そんな感情は持ったことがない。もちろん嬉しいわけでもないが。
死なないのだから、いい。
生きてさえいれば、探すことは出来るのだから。
そう思って目を伏せる。
記憶から呼び起こされてくる、あの日のことを思い出しながら。
リエリアが初めてルーザスと出会ったのは、彼女が8歳の時。
宮廷魔術師団に入って1年が経とうとした頃だった。
親の心子知らずならぬ。
書いてた次話が唐突に消えたので、次の更新は早くて夜になります。
お読みいただき、ありがとうございます。