第一王子の玩具
「お前の謝罪など聞き飽きたわ。何度罰しても分からぬとは、本当に腐った脳だな。まるで罰を欲しがっているかのようだ」
あざ笑うように言った次の瞬間、小さな声が魔術を紡ぎ、ルーザスが手をサッと一閃するように振った。
その先から、形が見えるほど凝縮された風が放たれる。
ザッと大きな音を立てて、風はリエリアの左肩と両腕の数箇所、それに右足の太ももを切り裂いた。
制服が裂け、その下の皮膚も鋭利な刃物で斬られたようにパックリと開いている。
リエリアの鼓動に合わせるかのように溢れ出る血に、書記官と事務官たちが声にならない悲鳴を上げて慌てて俯いた。視界の端にも何も映さないよう、必死に目を瞑る。
真っ青な顔に冷や汗を浮かべ、ガタガタと震えているのが傍目からも分かった。
一方のリエリアは風の衝撃でよろめいたものの、悲鳴一つ上げず踏ん張り、流れる血に目もくれずに跪いた。腕を伝って地面につけた拳からボタボタと血が流れている。
だがそれを拭うこともしない。すれば罰が増えるだけだと知っている。
あぁでも、結局は汚したと更に怒られるかな、と思いながら、静かに頭を垂れた。
その様子にニヤリと笑ったのはルーザスだ。
いいことを思いついたとでも言いたげに立ち上がり、壁に掛けてある細い棒に見えるムチを手に取った。
ヒュンッと音を立てて、棒がしなる。
「罰を自ら選んだかのような体勢だな。その心がけは褒めてやろう」
「ありがたき幸せ」
「ハッ!!罰を希うとは、自らの罪を少しは自覚しているようだ。いいだろう、しっかり体に刻み込むがいい」
楽しそうに笑いリエリアの前に立つと、跪いたままの彼女に向かってムチを振り下ろした。
ビシッと高い音を立ててムチの先がリエリアの背中を捉える。
だがその様子を見て、ルーザスは不満げに「ふむ…邪魔だな」と呟いた。
次の瞬間リエリアが羽織っていた近衛騎士の上着はビリビリに裂かれ、真っ白だったはずのシャツが現れる。ほんの数十分前は糊付けされたようにシワひとつなく真っ白だったシャツは、今やところどころ破け、リエリアの血で赤く染まっている。
「ジャケットがあっては罰が届きづらかろう?脱がせてやったぞ」
「お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
体勢を変えぬまま、抑揚のない声で返す。
それに笑って、ルーザスは再びムチを振り下ろした。
部屋の中に止まることなく、ムチの音が鳴り響く。
事務官の1人は目を閉じていても浮かんでくるような惨状に、吐き気が止まらないのか涙を流している。その他も気絶しそうになるのをなんとか耐えているかの様子だ。
その中で唯一、ルーザス付きの執事だけが青白い顔で震えながらその光景を見続けていた。
執事はルーザスが6歳の時に彼の専属にと配属された。幼いルーザスを見続け、今もその傍を離れようとは思わない。
だがこの光景を異常だとは、認識している。
幼い頃から暴力に訴えやすく、自らの望みのために権力を振るうことを厭わない主だとは分かっていた。
それでもいつか学びの中で気づいていくだろうと思っていたのだが。
それがある日、この少女を見つけてしまった。
幼い体で悲鳴一つ上げず、ルーザスの暴力を耐え抜く子供を。
何度も諌めた。こんな幼い体に暴力を与え続ければ、いつか死んでしまうと。
しかし諌めれば諌めるほど、ルーザスの暴力は矛先は少女に向かったまま、その勢いだけが熾烈になった。
止められもしないのであれば、中途半端な手助けは悪化にしかならないと、彼女自身が分かっていたのかもしれないと思うと、止められなくなった。
自分の思う通りに暴力を振るっても壊れぬ相手を見つけたことで、ルーザスのその行動が表沙汰になることも、是正されることもなくなってしまった。
いつか死んでしまうのではないかと思った少女が成長し、生き延びてくれたこと。
それは主の罪を露見させないためには感謝してもしきれないと思う。だが、それ故に彼女はいつまでも逃げられない。ならばせめて、主の罪から目をそらさないことでしか、彼女に贖えない気がした。
そう考えて以来、彼は決してこの光景から目をそらさないのだ。
ムチの音が50を超えたところで、ルーザスは飽きたようにムチから手を離した。
リエリアの背中はシャツがボロボロに破れ、あちこちから血が零れ落ちている。血まみれのせいで、皮膚すら見えない。
その背に向かって再びルーザスが魔術を放った。
彼女の全身が濡れるほどの水を生じさせ、頭からかぶせたのだ。血と水がまざり、彼女の足元に池を作る。
深く斬り込まれたような傷の中にも染み込んで、恐らく激痛を生じさせているに違いない。
それでも彼女は一つも声を漏らさなかった。
「俺は忙しいからな。今日はお前にこれ以上構う暇もない」
「…はい」
水が口に入ったのか、リエリアは一言だけ発し、下げている頭を更に下げてそれに応える。
ドサっと音を立てて執務机の椅子に座ったルーザスは、もう興味が失せたように彼女の方を見なかった。
実際興味が失せたのだろう。暴力の始まりも終わりも、いつも突然なのだ。
「今日はフレリアード公爵のとこで夜会がある。お前は護衛につけ」
「御意」
「そでまでに、その醜い姿何とかしておけよ」
フンっと鼻を鳴らして言い、あとは目障りだと言いたげに退室を命じる。
リエリアは立ち上がって再度頭を下げると、ふらつくこともなくいつもの優雅な所作で部屋を出ていった。
それを気配で感じながら、ルーザスはくつくつと嗤う。
「やはりあいつは最高だな。どんなことにも壊れない最高の玩具」
笑いの中に混ぜてそう呟く。
横に立っていた執事はその言葉に、それまで開き続けていた目を伏せた。
どうすればよかったのか。
これからどうすればいいのか。
何もわからないまま。
決して女は殴らない某海賊漫画の料理人に会わせてやりたい。